帝王院高等学校
ららら会話のラッシュアワーで押され気味っ
「な、何をしに来たの、こんな早朝に…!なんて礼を知らない子供ですか、恥を知りなさい!」

驚きの余り思考停止していたのか、漸くその人が金切り声を上げたのは、来客を告げるノックから数分後だった。

「隆子さんはお体が優れないの!この上、可愛いげのない貴方の顔など見せられるものですか!帰って頂戴、悪魔が…!」
「え、栄子さん…!やめて、その子は私の…」
「いいえ、黙りません。何も心配しなくて良いんですよ隆子さん。…貴方も黙っていないで何か仰って下さいな、幸村さん!」

男らは誰一人口を開かず、未だに混乱している様に思える。にも関わらず、戸口で待たされたままだった長身は、余りにも耳障りな罵声を浴びせられて尚、表情を変えなかった。
それもその筈、彼の表情は半分覆われていたのだ。

「縁もゆかりもないお前達父子を、今の今まで寛容なさっておいでの宮様に、これ以上どんな仕打ちをするつもりか、ああっ、想像するだに悍しい…!」

いつもの目元を覆うものではなく、顔の下半分を冷たげな金属が覆っている。印象的な静かな眼差しは真っ直ぐに東雲栄子を見据えたまま、然し彼女の声が届いている様には、誰の目にも思えない。

「…落ち着け栄子。我が妻らしくないぞ、みっともない」
「私の何処がみっともないんですか!」
「隆子姉さんの前だ」

夫の台詞に息を詰めた女は、暫く逡巡した後、悔しげに唇を噛んだ。然し戸口の来訪者を睨む双眸の強さは、衰えていない。

「中央委員会会長ともあろう男が、祭典の最中に事前のアポイントを取らず、寝室にバイクで乗り付けるとは…。庇う訳ではないが、栄子の怒りは尤もだ」

仲裁役として口を開いた東雲財閥会長へ、帝王院隆子の視線が向けられたが、彼女が何かを告げる事はなかった。
その表情からして、孫を庇わんとする彼女の気持ちは理解出来たが、下手に庇う事で落ち着いた栄子の怒りを蒸し返す羽目になっては、悪役を買って出た東雲幸村の行為が無駄になるからだ。

「親しき仲にも礼儀あり。口煩い年寄りの説法だが、理解して貰えるものと期待している」

暗に、妻の失言で家同士の争いに発展しては困ると言う東雲会長の台詞に、漸く幾らか頷いた男は何故か濡れている、色濃いプラチナグレーの髪を掻き上げた。

「仰るは悉く尤も。道理を知らぬ童の行いとは言え、平にご無礼を」
「良いのですよルーク。さぁ、中へお入りなさい」

東雲財閥会長夫婦は、苦虫を噛み殺した表情で身構えた。彼らが握り締めた手にはきっと、幾らかの汗を掻いている事だろう。
微笑む部屋の主の傍ら、一人だけ状況が読めていない遠野直江だけは、だからこそ誰よりも冷静に、全てを見ていたと言えるかも知れない。


「遠慮なんてしなくて良いんですよ。貴方は私の、孫なのだから」

この時までは。

















それは余りにも懐かしい、音だった。
生命の語らいにしては明朗とした、速やかな小川のせせらぎの如く響き続ける、夏の陣。

排気ガスを散らす車、さして理由もなく大声で笑う人間、同じ様にさして理由もなく怒鳴る人間、群れを知らぬ獣が吠える声、数多の雑音に晒されながら、けれどそれだけは何物の干渉も受けずに世界を震わせている。



ああ。
蝉だ。



七年の時を経て今、彼らは大気を震わせている。
懐かしい音だ。自分が最後に聞いたそれは、何処だったか。血に濡れたか如く真紅の、生温い、あれはそう、牢獄ではなかったか?




「軋む音がする」
「空気の震えが、姿なき時計を軋ませている」
「慟哭に似ているからだ」
「近づく終わりに気づいている」
「本能だ」
「背負った業からは逃れられない」
「ただ待つだけで良い」
「己の業に命が怯えている」
「魂は休息を求めた」

「姿なき恐怖を共有する、何者かを。」



ああ、懐かしい音だ。
かちりかちりと、主人を失って尚も、廻り続けている。

終わる為に。
始まる為に。
停止する為に。
最早、何の意味もなく。



蝉だ。
蝉が哭いていた。
(理由があるのだろうか)
(見つからない伴侶を呼び続ける理由が)
(孤独に死に逝く理由が)
(己の業を淘汰した理由が)
(どうして眠ったままではいけなかった?)

(土の中で)
 (無の中で)
  (始まる事を知らぬまま)
   (終わりに怯える事もなく)
    (あのままでは、何故)




ああ。







酷いノイズだ。






















長い沈黙だと、尻の座りの悪さに身動いだヤクザの隣で、それまで空気の様な存在感だった男が口元へ手を当てるのを見た。

「ふむ。…成程、興味深い話だった」
「は?え、何、は?」

脇坂が知る限り、この部屋は無言に等しい状況だった筈だ。
知る者が見れば、今のこの部屋は何と恐ろしい面々が集まっているのかと青褪めるに違いないが、その中でも群を抜いて恐ろしい筈の男が突如宣った呟きに迂闊にも反応してしまったのは、意味が判らなかったからとしか言えまい。
何が興味深い話なのか、純粋に判らなかった。少なくとも工業科を卒業した脇坂には、だ。

「何処の話を盗み聞きしておったか知らんが、師君はそろそろ空気を読む技を覚えよナイン。隣でネルヴァが大河を苛めて喜んでおるぞ、止めんか」
「苛めているとは失敬な言い方をするね、シリウス。互いの妻が義姉妹だった私達は、言わば義兄弟の様なものなのだよ」
「貴様などと兄弟の契りを交わした覚えがあってなるものか!我を愚弄するならば容赦せんぞ、ソーセージ男め…!」
「なァに、パイパイってば藤倉さんと兄弟だったわけ?」
「ちょっと待て俊江。汝、何故ネルヴァに敬称をつける?我とこの男の扱いに重大な相違が、」
「煩い男は嫌われるのだよ大河白燕。パイパイとはこの大河白燕の事かな、俊江さん?」
「そうざます。パイパイってばスケベ親父でしてねィ、私のおっぱいをこう…覗き込みやがって!」
「何だと?!」

確かに覗き込んだが、何処におっぱいがあったんだと大河が怒鳴る前に、鬼女を膝に乗せていた男が目を吊り上げた。

「貴様、幾ら我が従兄である白雀の息子だとて、シエちゃんのお…おっ………お乳を覗き込むなど、言語道断と知れ!最早辛抱ならんぞ、戦争か!この帝王院駿河と戦争をするか、若造!」
「な、我はその様な気は毛頭…!」

とんだ誤解だと青褪めた中国の支配者が弁解する前に、ガタンとテーブルが音を発てる。


「…少し黙らんか、駿河」
「む。す、すまん」

口を開いたのは、般若の表情で拳を鳴らしていた帝王院駿河が一瞬でチワワと化すほど恐ろしい表情で舌打ちをした、鬼神だった。これには大河の旋毛をつついたり耳元に息を吹き掛けたりしていたドS秘書も、背を正す。
哀れ、若きヤクザに至っては無表情だ。表情がついていかないといった方が正しいだろう。

「どーせ、またつまんない事でも考えてたんでしょ?皆で楽しく団欒してんのに、一人だけむっつり黙り込んでちゃ世話ないわねィ、糞ジジイ」
「お前の様な馬鹿でも理解出来る言葉を選んでいただけだ糞餓鬼、秀隆に愛想を尽かされたくなければ、貴様は死ぬまで黙っていろ」
「はァ?シューちゃんは私にベタ惚れ病だっつーの、羨ましいかジジイ、死人は大人しく死にやがれ。母ちゃんは年下のイケメン社長と再婚する予定なんだよ、バーカ」

どうも娘と言うのは、対父親で最強の攻撃力を誇るらしい。
この場では紅一点である見た目は少年、中身はおばさんは、尻に義父を敷きっぱなしでしゅばっと足を組んだ。組んだが、残念ながら遠野俊に遺伝した短めの足だった為、ぷるぷると震えている所を見るに、そこそこ無理をしている様である。

「で。何がどうしてこうなったか説明するつもりがねェなら、俺が代わりに推理してやろうか?策士策に溺れる、ってな。何かやらかして俊に縋ったんだろ、自滅野郎さんよォ」
「…やはり馬鹿か」
「あァ?」
「儂の記憶を改竄したのは俊ではない」

ぱちぱちと、吊り上がった瞳を瞬かせた遠野俊江が、ややあって破顔した。想定外だと言わんばかりに眉間に皺を寄せ、今までの饒舌さを忘れ、黙り込んでいる。
父娘そっくりなのだろうか。彼女の言った言葉を借りるなら、何事かを考え込んでいるのかも知れない。

「そこのアンドロイドに設定したシステムに出来るのは、儂の記憶で構築した鳳凰公の声を模した、一種の簡易催眠だ。お前が何処まで知っているかは、この際、除外する。…宮様」
「あ、ああ、私かっ?」
「他に誰がおる」

遠野龍一郎から敬称で呼ばれる事は稀な為、駿河はおろおろと己を指差した。呆れた様に睨まれ、恥ずかしげに頭を掻いている。

「儂の記憶には雲隠陽炎は存在するが、その妹は存在せん。記憶していない人間を、幾ら他人の記憶を掻き集めようと、作り上げる事は不可能だ」
「あ、ああ、そうか。…それが?」
「然し、我らの孫はそれを可能とした」
「………は?」
「俊はレヴィ=ノアを知らない。俊は遠野夜人を知らない。俊は雲隠糸遊を知る筈がない、この儂ですら知らないのだから、どう知る?」

何の話だと、怪訝げな駿河のみならず、他の誰もが眉を潜めた。

「だが俊は見つけていた。生後半年、…覚えているだろう俊江、お前が儂の目を盗み、健診に連れてきた時の事だ」
「6ヶ月健診?」
「儂はその時、俊を偶然見掛けた。最後まで手術医を貫くつもりだった儂が、研究へ引き戻る最たる切っ掛けだったと、今になれば言えるだろう」
「…はァ。じゃ、俊が何か言ったって事?」
「『地獄の鳥が復活した』」

言った本人だけが、深い息を吐いている。
溜息を零したいのはこちらだと、恐らくこの場の誰もが似た様な感慨を抱いたに違いなかった。

「今の貴様らの様に、この儂も理解するまでに時を要した。明確に理解したのは…此処の愚弟が犯した失態に気づいてからだ」
「儂の失態だと?何を宣うか龍一郎、この冬月龍人、貴様に謗られる覚えはないぞ」
「保存していたレヴィ=ノアとマチルダ=ヴィーゼンバーグのDNAを複製し、二卵性のシンフォニアを作っただろう?」

背後からソファの背凭れを越えて睨み付けてくる弟を、冷めた目で肩越しに一瞥した男は呟く。問い掛けの様な台詞はその実、疑問符が疑問符として成立していない。肯定的な意味合いに聞こえたからだ。

「お前の差し金か」

弟から目を離した男は、真っ直ぐに金髪へと目を向けた。
彼がその男を真っ直ぐに見つめるのは、恐らくこれが初めてではないだろうか。

「全ては私の責任だ」
「儂を庇い立てせんでよい」
「何かにつけて昔から貴様は龍人を甘やかせておるが、何十年儂らを子供扱いするつもりだ、キング=グレアム」
「今の私は帝王院帝都だ。子供扱いされたくないのであらば、駿河の息子として扱え」

哀れ、何処ぞのオタクレベルで空気を読まない理事長の台詞で、オタクの祖父から睨まれる羽目になったオタクの祖父…なんと紛らわしいのか。遠野龍一郎から壮絶に睨まれた帝王院駿河は、クネっと悶えてからぷるぷると震えた。
先程は凛々しく怒鳴り散らしたりしたものだが、生来、大人しい男である駿河学園長に、鬼神と謳われた医学界の神様の睨みを真っ直ぐ受け止める勇気はない。

「大体、何がどうなれば一回り離れている駿河が貴様の養父になるんだ。…よもや、グレアムの立場で宮様を脅したんじゃないだろうな、ハーヴィ」
「はいはい、お前こそ義父の隣で殺気を出すのはおやめなさい龍一郎ッ!遠野がお前みたいな殺人者の一族だと勘違いされたらどうするんだ!パパはぽっくり逝くぞ!」
「黙れジジイ、何がパパだ。長寿にも程がある、さっさとくたばれ」
「テメェエエエ!この遠野夜刀にさっさとくたばれとは何だ龍一郎ォ、こんの罰当たりがァアアア!太股の内側をつねるぞコラァアアア!」

107歳はしゅばっと息子の太股の内側をつねり、素早く顔を鷲掴まれた。あわあわと抵抗しているご長寿を、凍るほどの無表情で押し潰そうとしている79歳に手加減は一切感じられない。

「りゅ、ふごふご、俊江、助けてちょ。じっちゃん、お前の父親に殺されそ」
「んァ?ま、じっちゃんも長生きした事だし、そろそろイイんじゃない?逝っても」
「なッ、鬼孫かお前は…っ!龍一郎ちゃん、ふごふご、パパが悪かったですごめんなさい、あふん、そろそろ死んじゃうから許してくれない…?」
「俺もすぐに後を追ってやる、20年後くらいにな。心置きなく死ね、お父さん」
「うぇん、鬼神と呼ばれた俺だけに身内が粋な鬼揃いッ!こうなったら奥の手じゃァ!お前に苛められたって、和歌とか舜とかシュンシュンとかにチクるぞ!」

突如として始まった情け容赦ない遠野の身内争いに、誰もが目を丸めている。咄嗟にドイツの魔王を見つめてしまった中国の魔王と言えば、忙しくなく瞬いた。

「…帝王院の地で斯様に低俗な言い合いする者がおろうとは、遠野とは一体何者なんだ?」
「一つだけ言えるとすれば、君の大河家も私の権力も霞むと言う事だよ。そこの遠野龍一郎こそ、ステルシリーに円卓システムを作った初代特別機動部部長でね…」
「特別機動部…成程、貴様が洋蘭に委ねた権限か」
「君が私に接触したいが為にネイキッドを送り込んできた事には気づいていたけれど、立場上、易々と接見してやる訳にはいかなくてね」
「何をほざくかナチスが!我は貴様になど会いたくもなかったわ!失敬な!」
「ん?照れなくても良いのだよパイパイ」
「おのれ最早辛抱ならん、今すぐドイツごと汝を消してくれるわ!」

遠野の内輪喧嘩に乗じて、中国VSドイツの魔王対戦も勃発したらしい。

「な…何故こう、次から次へと喧嘩に発展するんだ…?せめて私の書斎ではなく余所でやれ、余所で…ゲフ」
「しっかりなされ大殿っ、大殿ー!」
「ちょ、大丈夫ですか学園長?!」

日本の魔王とも言える帝王院駿河は泡を吹いて放心し、青褪めた加賀城とヤクザから甲斐甲斐しく介抱されている。

「ふむ。仲の良い事だ」
「…力が抜ける事をほざくでない、ナイン。師君が龍一郎を誤解させる様な事を宣うからだ」
「全ては私の責任だ。要因の所要など議論の争点ではないからだ。知らなかったからでは、何一つ言い逃れは出来ない」
「然し」
「最終的に私は、そなたの研究結果を利用した。それが全てだ」

騒ぎの隅で、静かな会話を聞いた者が果たしていたのか。
ぽりぽりと頬を掻いた保険医は草臥れた白衣の襟を引っ張り、息を吐く。

「言葉が少ないのも難儀だのう、ナイン。師君はやはり、レヴィ陛下によう似ておる」
「そうか」
「儂や龍一郎を、一度は憎んだか?」
「憎んだ事などない。敢えて言わば、即位した私を兄としては扱ってくれなかった事を、悲しくは思った」
「…そうか。変わらんな、師君はいつまで経っても」

ぱんぱんと、保険医が手を叩く音で低レベルな諍いは終了した。
親子喧嘩で髪が乱れている遠野の二人はわざとらしい咳払いと共に背を正し、埒が明かなかった魔王対戦は、何処で拗れたのか、最終的にはカラオケで勝負をつけようと約束を取りつけた所で収まったらしい。

「いつまでも騒いどらんで、少しは落ち着かんか。ネルヴァ、師君も数少ない身内に会ったからと言って、はしゃぎ過ぎだぞ。すまんかったな大河の、カミューは扱い難い男だが、それでいて判り易い男でな」

長い付き合いの冬月が呆れた様に呟けば、大河社長は乱れた虎柄のチャイナ服の皺を伸ばしながら、眉を寄せる。そっぽ向いている白髪男を見やり、

「…何だと?汝、それではしゃいでおったつもりか?」
「悪かったね白燕君、この歳になると素直に喜びが表せないのだよ」
「シエちゃん、龍一郎兄は幾つになっても優しさがないな。シエちゃんはこんなに良い娘さんなのに…ぐすぐす」
「よちよち、泣いてるパパスもマジイケメン。今まで直江の長男が有り得ないイケメンに育った所為で嫁に見下されてきたけど、これからは私の時代が来るかも!勝負にならなかった俊はともかく、若く見られ過ぎてイマイチ貫禄がないシューちゃんに足りなかったのは、渋さなのょ!」
「シエちゃん、シューちゃんと言うのは誰だ?彼氏かね?」

半泣きの学園長はこの騒ぎに乗じて息子の嫁から撫でられており、ご機嫌である。うっかり息子嫁の浮気を寛容しているが、うっかりにも程があるだろう。

「シューちゃんは秀隆の秀を音読みにするとシューだから、シューちゃんなんです」
「成程、あだ名か。秀皇は良いなぁ、シエちゃんに愛称で呼ばれて…。羨ましいなぁ」

鼻の下が伸びすぎて大事件に陥っているパパスは、よよよと嘘泣きをしながら、ちらちらと膝の上のチビを見た。帝王院一族には此処までのチビは滅多に存在しない為、恐らく孫娘を見る様な気持ちなのだろう。それにしても鼻の下がヤバい。大事故だ。

「んー。じゃあ、パパスはするりん?」
「するりん?駿河から取ったのか?」
「ぷよぷよで落ちてくるのはスラリンざますん」
「ぷよぷよとな?」
「気が抜ける会話してんなー…」

どう考えても緊張感漂うべき状況で、昔のヤンキー仲間…と言うには語弊があるが、昔酷い目に遇わされたヤクザは遠い目で呟いた。
同意する様に頷いた数名は無意識だったらしく、この場で唯一緊張感がない様に見える女の小さな頭を見つめる。

「少々気が抜けた方が、口の滑りも良くなろう。この場に日本も中国もましてアメリカもない、無論、ドイツもな」
「素直に賛同してやるのは癪だがね、仕方ない、この場は君の意見に同意するのだよ。嬉しいかね、パイパイ」
「首を洗って待っておれ藤倉!演歌で鳴らした我の歌声で、完膚なきまでに叩きのめしてくれる…!」
「来日以来、週一の自宅カラオケで孤独な土日を乗り越えてきた私の相手になるのか、甚だ疑問なのだよ」
「やめておけネルヴァ、師君の歌声はセイレーンも裸足で逃げ出すわ」

高野省吾に負けず劣らず音痴である事を、長い付き合いの冬月は嫌と言うほど知っていた。その為、アメリカでは絶対に歌うなと言い続けて来たのだ。然し残念ながら、この世には『下手の横好き』と言う言葉がある。
そう、宇宙が認めた音感の持ち主である主人公もまた、錦織要の鼓膜を度々凍らせ、混乱した要が記憶ごと消してしまうほどの才能の持ち主なのだ。音痴もまた、一つの才能である。

「…ったく、どれもこれも、馬鹿しかおらんのか」
「間違っているぞ龍一郎。馬鹿は、儂と貴様だわ」

皆の会話の下らなさに眉間を押さえた兄へ、背後から覗き込んだ弟が苦笑いを零した。然しすぐに笑みを消し、垂れ気味の眼差しへ真剣さを現せる。

「儂の実験に関して、一切合切、陛下には隠しておった。儂を庇わんとするのは師君の方だ。判っておろう、儂が負けず嫌いである事は」
「…ふん。儂がラボに捨て置いた研究資料はどれも失敗作だ。それをあそこまで形にしたつまらん意地は認めてやるが、馬鹿な事をしたものだ」
「そうとも。無論、机上の空論で眠らせ、実行するつもりなどなかったわ。師君のほざく通り半ば意地の様なものだったが、データを構築するのが愉快だっただけでのう」
「ちょっと、こっちにも判る話してくんない?」

あだ名を貰って嬉々とした表情の学園長は、暇そうな理事長に指示して己のデスクから名刺入れを取り出させると、ボールペンで一枚ずつ、『愛称:するりん』と書き込み始めた。

「狡いぞ駿河、私にも名刺も作って欲しい。そもそもから私には名刺がなかった。相手から差し出されたものに関しても、いつもネルヴァが受け取るばかりだ」
「名刺を渡した事がないとは、何処までも偉そうな奴め。隠居した老い耄れに名刺など要らんだろうが」
「私もシエからつけられたニックネームが書きたい。みーちゃんはナイトがつけたものだ」

これを羨ましく思ったのか単に暇だったのか、自分もあだ名が欲しいとおねだりだ。

「後でつけたげるからおっさんは黙ってなさい。つーか、あーた前にうちに来たわよね?」

己こそマイペースな癖に、根っからの天然と思われるキング=グレアムに苛っとしたらしいオタク母は、吊り上がった目を細めた。あの時、実家の庭先で見た長身はサングラスを掛けていたが、見忘れる事はない。
ちらりともう一人の金髪を見やったが、祭美月に支えられて書斎の片隅で深呼吸を繰り返していた。

「もう少しで全部繋げられそうなのよねィ。メーユエ君が要ちゃんのお兄さんで、そのメーユエ君の上司がパイパイで、パイパイは藤倉さんの親戚で、その藤倉さんは理事の一人。見た所、私の叔父さんとは仕事仲間っぽい」
「ふ。家を訪ねた時は不審者を見る目で儂を見ておったが、漸く信じて貰えたかのう?」
「信じるも何も、そっちのおじさまはテレビで見た事ある。加賀城財閥の会長さんじゃない」

まさか自分の名が出るとは思っていなかったらしい加賀城敏史が顔を上げ、微かに笑んだ。

「名乗るのが遅れて、申し訳ない。今や息子に役は譲った身じゃが、加賀城敏史と申す。帝王院の当主であらせられる駿河公に与する、皇には属さん家だ」
「スメラギ」
「元は都の中枢でもあった帝王院を守護する、東西南北に別れた四つの防人を指す言葉だった。いつからか帝王院に忠誠を誓う者の代名詞になったが…簡単に言えば、皆、私の家族だ。シエちゃん」

加賀城の代わりに駿河が答えると、感極まったらしい加賀城と冬月兄弟がそれぞれ表情を歪める。

「人数が多いと、中々話が進まんな。少しずつ話していこう。私達には、話さねばならない事が多い」
「あの、学園長、もし俺が邪魔なら席を外しますが…?」
「ほう。汝、そう言って逃げるつもりじゃないだろうな?如何に高坂の飼い犬とて、此処まで話を聞いて逃げられると思うな」
「そ、そんな、逃げるわけでは…!」
「汝は黙ってお茶汲み係として働け。逃げたら大河が許さんぞ」
「気にしないで出ていけば良いのだよ。藤倉は許すよ」
「遠野は許しませんよッ!ええい、脇坂!お前と言う極道は極道の癖にこの場に俺を一人置いていくつもりか!」

大河社長に張り合いたいらしい藤倉はともかく、孫と息子の鬼視線に晒されて確実に残り少ない寿命が縮みつつある107歳が、満を持して叫んだ。

「大体、そこの若造がお前の弟とはどう言う事だ龍一郎!もう突っ込みたくて突っ込みたくて、遠野夜刀の堪忍袋は切れたぞ!」
「貴様にそんな大層な袋があったとはな。コーヒーを淹れてやると宣って缶コーヒーを寄越す様な男が、知りたいなら理解した振りをせんで素直に尋ねろ」
「コーヒーを淹れてやると宣って缶コーヒーを寄越してきたのはお前も一緒だろうに、龍一郎兄」

呆れ半分で吐き捨てた駿河に、むっつりと黙った遠野龍一郎は義父からひょいっと覗き込まれ、ぷいっと顔を逸らす。

「成程、昔にはなかった師君のその子供っぽさは、義父殿譲りか。死んだ父上に似てきたのかと思ったがのう」
「冗談はよせ、俺の何処があの馬鹿に似てるだ?」
「おう、冬月龍流の話か。あの男は可笑しな男だった、あの鳳凰や陽炎ですら、あれは『話が通じない』とほざいたもんだ」

うんうんと我知り顔で頷いた遠野夜刀に、冬月は勿論、駿河もまた目を丸めた。

「遠野さんは父と…鳳凰公、雲隠の殿子もご存じだったのか?初耳だのう…」
「鳳凰は大学の同期で、お前らの父親である龍流は若い頃に何度か顔を合わせた。俺の父親曰く、親友だったらしいぞ」
「親友?!あの父にそんなご大層な友がおったのかっ?!」
「何だ、龍一郎と同じ様な反応をしやがって気色悪い。…ああ、そうか、双子だったな。お前らグレアム派は見た目を弄りすぎだ。そこの藤倉以外は信用ならん!あとそっちの粋な虎柄野郎はお洒落だから信用してやる!」
「これはこれは、今のは褒められたのかな?」
「虎柄の良さが判る者に悪い者は居ない。良かろうご老人、近い内に中国へ招待しよう。冬が良いか、上海蟹は旨いぞ」
「あーたら、わざと話を逸らしてんじゃないでしょうねィ」

気儘な年上の会話に脱力したオタク母は、ぼりぼりと頭を掻いたが、最終的には組み続けて疲れた足を解くと、ぱちぱちと手を叩いたのだ。

「はいはい、取り敢えず自己紹介から始めるざますー。一番、遠野俊江、年齢不詳。するりんとそこの糞ジジイの娘で、糞ジジイの隣に座ってる仙人の孫。息子は高等部一年の遠野俊ょ!はい、次」
「何、我だと?ううむ、仕方あるまい…。大河白燕、アジア銀行最高責任者、頭取の立場にある。息子は高等部一年の大河朱雀だ」
「では次は私だろうね。帰化した様なものだから、日本名では藤倉=H=カミュー。ああ、Hは光の略で地元ではリヒトと言う。昨日までは帝王院学園グループの理事だったが、現状は無職なのだよ。息子は高等部一年の藤倉裕也、Aクラスだよ。ああ、朱雀はFクラスだったかな?」
「帝王院帝都、ナイン=ハーヴェスト=グレアム、どちらで呼ばれようが構わん。私には国籍がない。我が父は、イギリスへ渡り間もなく、家族と家と国籍を剥奪された」

ないなら作ろうと、勝手に駿河のデスクから紙を取り出し手書きの名刺を作っていた金髪の台詞で、部屋は凍えた。誰もが沈黙した中、ぽつりと呟いたのは、

「…俺が言うのも何だが、お前は何年経っても情緒を知らんな、ハーヴィ」
「事実を述べたまでだ。グレアムはイギリス軍の闇討ちで、伯父上ごと屋敷を火で炙られたのだろう?父上からそう聞いたと、龍一郎が言ったんだ。間違っているのか?」
「少しは言葉を選べと言っている。…だからお前は馬鹿だと言うんだ、種無しが!」

案外まともな価値観の持ち主だったらしい、遠野龍一郎だけだ。
種無しと呼ばれた男は無表情でボールペンを落とした。哀れ、肩がしょんぼりしている。

「流石はオリオン、的確に陛下の弱味を抉るのだよ」
「…師君は黙っておれネルヴァ、陛下と呼ぶなら笑ってやるでない」

誰が見ても落ち込んでいる様に見えたが、残念ながら帝王院神威そっくりな金髪は何処までも無表情だ。

←いやん(*)(#)ばかん→
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