帝王院高等学校
イヤン、バカン、そこはオカン!
「パーソナルスロット、スタンダードダウン。フェニックスダウン。アナスタシオスダウン。内部バッテリー残存率8%」

崩壊したコンクリートを見つめる無機質な瞳の元、その唇は全く動く事なく声を放つ。
小刻みに震えていた場が落ち着くのと同時に、

「クラウンヘブンスゲート・オープン。自動発電起動、…33%……………89%、自家発電完了、パーソナルスロット解放、スタンダード・フェニックス、ツインスロットを統合しアナスタシオスをメルトダウン。リブート完了、Open my eyes.」

白衣を脱ぎ捨てた男の顔立ちが、変化した。
短かった髪がやや伸び、若干茶色かった瞳も髪も漆黒に染まる。やがて無機質だった無表情が人間味を帯びると、漸く、その唇は笑みを描いた。

「シナプスの反応を確認。人工副交感神経に異常なし。モード:臨転、コード:アガレス」

人形の如く動かなかった黒曜石が、するりと一周する。
崩壊した天井から差し込む日差しを見上げ、男はゆったりと瞬いた。


「………朝、か。イイ天気だなァ」

万感の想いを込めて吐き出された言葉は、まるで人間の様に。

「ん。はよ、レヴィ。…あー、ごめんごめん兄ちゃん、んなつもりじゃねェんだって。再会早々そんな怒んなよ。久し振り、夜刀兄さん」

くつくつと、耐え切れずに肩を震わせた男は唇を歪めたまま、近づいてくる気配に振り向いた。

「…不思議な感じだな。レヴィと兄貴が俺ん中に居る。そっか、この体は龍一郎が作ったのか。凄ェなレヴィ、お前は機械になっちまっても全く変わんないのかよ」
『ほう。オリオンの忠実な記憶に基づいて再現された私は、生前と変わらないのか?』
「あァ、一緒一緒。何せ俺には俺の脳味噌がそっくりそのまま入ってる。お前の脳味噌は適応しなかったみたいだ。やっぱ天才の脳味噌は複雑なんだろ」
『…ったく。罰当たりな事をしやがる』
「ま、そう怒るなって、兄さん。ンな馬鹿が一人くらい居てくれねェと、俺が報われねーだろ?目には目を、馬鹿には馬鹿をって奴だって。んな事より、どうしたらイイわけ?」
『さぁ、お前は何がしたい?』

彼は空を見上げ、アスファルトを蹴る。

「んじゃ、まァ」

足音と声が幾つも近づいてきた。然し彼がそれを迎える事は、なかったのだ。



「それを探しに征こうぜ、皆で。」





















「やめろっ、我が息子に何をするつもりだ貴様ぁあああ!!!」
「煩ぇな、テメェも後から抱いてやるっつってんだろ。ほら、とっとと諦めて脱いじまえって」

青褪め、ぷるぷる震えている男を組み敷いた男は、紫のメッシュが混じる金髪の下、紫の瞳を眇め笑う。

「おい、ケロ子。その姉ちゃんしっかり捕まえとけよ」
「ゲコ」
「離せ…!ええい、離さんか蛙の分際で…!」

ぬるぬる粘液を垂れ流す虹色の蛙に押し潰された赤毛の女は、じたばたと足掻いていたが、余りにも分が悪かった。
恐怖の余り声が出ないらしい息子へ、必死で手を伸ばすものの、ぬるぬる滑っては巨乳を揺らしており、そこはかとなくエロゲーチックである。

「たまんねぇ光景だなぁ、マジで。こっちは最初から3P提案してんのに嫌がるから、仕方なく一人ずつで我慢してやってんだぞ?」
「お…男相手に欲情するとは、恥を知れ…」
「あ?なぁんか、嵯峨崎に声が似てる様な気がすんだよなぁ、アンタ。顔は…どっちかっつーと、マスターに似てんだけど」
「佑壱は灯里の子である陽炎の子だ…」
「あん?あかり?」
「畏れ多くも、雲雀様の娘と同じ名を頂いた、我の妹…」

西指宿を見上げたまま腰が抜けているらしい男は、恐々巨大な蛙を見やってはその奇抜な虹色に青褪め、西指宿の金髪に怯み、紫の瞳にビビり、見るも哀れな表情だ。
テキパキと服を脱がせてくる西指宿の顔は恐ろしく興奮しており、鼻息が荒い。

「はー…堪んねぇな、無理矢理脱がす感じ。しかも脱がすと想像以上にむっちりしてんのな、兄ちゃんよ」
「ひ」
「おー、右腕ってやっぱないんだ?…へぇ、それじゃ、逃げたくても逃げらんねぇよなぁ?」

ぺろり、と。
己の唇を舐めた男を見上げたまま、締まった筋肉の持ち主はガタガタ震え、蛙の下でぬるぬるにされている母親を何度も見つめては、パクパクと声にならない声を放つ。駄目だ。完全に腰が抜けている。

「か、かぁ、母さま…!」
「焔…!おのれ、雲隠を敵に回し生きて帰れると思うなよ、小童!」
「判った判った、姉さんも仲間に入れてやるから待ってろ」

にっこり。
シャツを脱ぎ捨てた帝王院学園高等部自治会長は、余りにも頼りになる笑顔で、果てしなく最低な台詞を宣いながら、

「初めはちょっと痛いかも知んねぇけど、誰でも初めてはそんなもんだから、頑張ろうな?」
「ひ?!」
「逃げろ焔ぁあ!」
「うっせー!助けろコラー!」

女の悲痛な悲鳴と、それを凌駕する凄まじい悲鳴が重なる。
動きを止めた三人+一匹がきょとんと見上げた先、木々の隙間から真っ黒な何かが見えたのだ。





















「あら?」

胸をときめかせながらドアをノックした人は、中から聞こえてきた声にパァァっと顔を赤らめ、スキップ混じりにドアノブへ手を掛けた。
然し扉の向こう、お目当ての人の側に、見慣れない男と見慣れた旦那を見つめ、彼女の頬から赤みが引いた。

「まぁまぁ。良く来てくれましたね、栄子さん」
「水臭い事を言わないで下さいな、隆子さん。どうしてもお稽古がお休み出来なくて、遅くなってしまった事をどうお詫びすれば良いのか…」
「ふふ、嫌だわ。私達は従姉妹じゃない。来てくれただけでとても嬉しいのに、謝られたくないわ」
「それより、どうして隆子さんのお部屋に殿方が?」

にっこり。
品の良い笑みを浮かべているものの、目が全く笑っていない東雲栄子の笑みは、帝王院隆子の傍らに座っている遠野直江へ向けられ、間もなく部屋の片隅で沈黙していた男へと注がれた。
悲鳴を必死で飲み込んだ顔色の悪い男は、東雲財閥会長、東雲幸村だ。

「…貴方?どうして私を差し置いて、貴方が隆子さんのお部屋にいらっしゃるの?」
「ど、どうしてとは、酷い言い様だ。隆子姉さんは私にとっても従姉である訳で、」
「貴方?」
「悪かった」

しゅばっと頭を下げた東雲会長に、部屋の温度が幾らか下がる気配。完全に敷かれているのが判る。妻の尻に、だ。
と言うのも、無理はなかった。東雲夫婦は妻の方が年上であり、隆子夫人とは父方、母方の親戚関係がある。

東雲栄子と帝王院隆子は母親同士が姉妹で、栄子の方が年上だった。反して東雲幸村の母親と帝王院隆子の父親が兄妹で、こちらの場合は、隆子の方が幾らか年上だ。
隆子夫人にとって、二人共が幼馴染みの関係にある。

「そんな事より隆子さん、余り殿方を長居させるのは良くないわ。隆子さんは大殿の大切な大切な奥方なのだから、」
「ふふ。栄子さんは相変わらず、心配症ね。こちらは遠野総合病院の院長先生でいらっしゃる遠野直江先生ですよ」
「あら?」
「ご挨拶が遅れまして申し訳ありません。遠野直江と申します」

隆子夫人に話を振られた若き院長は慌てて立ち上がり、名刺を差し出した。頬に手を当てて首を傾げながら名刺を受け取った東雲夫人は、鋭かった眼差しをやや和らげる。

「遠野と言ったら、もしかすると俊の宮様の…?」
「ええ。こちらの直江先生は、俊ちゃんの叔父でもある方です。お心遣い下さって、私の主治医を買って出て下さったのよ」
「あら、あらあらあら、そうならそうと教えてくれれば良かったのに、嫌だわ。お初にお目に掛かります、私、東雲栄子と申します。とんだご無礼を」
「いえ、ご子息の村崎さんは俊の担任の先生でいらっしゃると伺っています。こちらこそ、甥がお世話になりまして」
「いえいえ、とんだ愚息でお恥ずかしい限りですわ。どうぞ隆子さんを宜しくお願い申し上げます。及ばずながらご尽力させて頂きたいと思ってますので、何なりと申し付けて下さいましね」

深々頭を下げてくる東雲夫人に恐縮し、遠野院長もまた、ペコペコと米つきバッタの様に頭を下げた。それを見ていたベッドの上の人が笑うと、東雲会長の控え目な咳払いが落とされる。

「それは既に私からお願いしているぞ、栄子」
「あら、そうでしたの。嫌だわ、皆さんで私を除け者にして、酷いわ。隆子さん、お加減は宜しいの?」
「ええ。皆さんが思っているほど、深刻じゃないのよ。不思議ね。以前だったら恐くて恐くて、きっと隠れて泣いていたと思うの。なのに今は、ちっとも涙が出ないの」

にこにこと話す隆子夫人からは、強がりは感じられない。
不思議そうに首を傾げた従姉は真意を探る様に目を細めるが、それに気づいた人は、己の手をゆったり撫でたのだ。

「俊ちゃんに、手を握って貰ったの。そして、絶対治るって言ってくれたのよ。だから私は、絶対に大丈夫だって思っているの。変かしら?」
「何も変じゃないわ、私も賛成よ。ああ、本当に、本当に良かったわね、隆子さん…」

目尻を軽く拭った東雲夫人に、東雲会長はそっとハンカチを差し出したが、大雑把な妻は受け取らない。素手で拭った涙を擦って乾かしている。
妻の男らしさは嫌と言うほど知っているので、旦那は静かにハンカチをポケットへ仕舞った。何せ、二人が婚約したのは東雲幸村が成人を迎えた頃だったが、実際に籍を入れるまで十年程懸かったのだ。

理由は、栄子が自衛隊に入り、どんなコネを手に入れたのか、内戦中の国に飛び込んで傭兵の真似事を数年間行っていたから、である。勿論、そんな話は公式にはしていないが、身内の誰もが知っている話だった。
今でこそ東雲財閥の美しきご婦人と謳われているが、若い頃の栄子と言えば、弱いものと醜いものは消え去れ、と言うのが口癖の、性別を間違えたとしか思えない、それはもう恐ろしい女だったのだ。

「貴方も俊の宮様にはお会いしたの?」
「ああ。秀皇の宮様にはまだ会えていないが、親子、良く似ておられたぞ」
「羨ましいわ。隆子さん、私にも俊の宮様を紹介して下さいな」
「ええ、勿論よ」
「本当?絶対よ、約束よ?」

未だに片手で林檎を粉砕する様な妻に、東雲財閥会長が逆らう事などない。
漸く結婚した頃には栄子は三十を過ぎており、慌てて長男の東雲村崎を産んだものの、その息子が幼い頃ぽつりと弟か妹が欲しいと宣った為、妻は閃いた。

出産なんて痛い思いはもう無理だから、誰かに産んで貰いましょう。
これによって、次男は長男と実に11歳離れていたが、代理出産と言う荒業でこの世に誕生した。然し次男の出産は身内にさえ極秘裏に行われた為、あの年齢で良くやっただの、実は隠し子だの、変な噂を掻き立ててしまう原因でもある。

言わせたい奴には言わせとけ!
と言うのが、余りにも男らしい東雲栄子の言い分なので、東雲幸村に異論などない。あったらどんな目に遭わされるか。夫婦喧嘩など一方的な殺戮の様なものだ。フルボッコで入院が見えている。
下手すればフルボッコで葬儀だ。

「そうと決まったら、早速村崎さんと恭さんを呼ばないと。秀皇の宮様と俊の宮様、お二人に息子達を紹介したいわ」
「栄子、嬉しいのは判るが、そう急くんじゃない。隆子姉さんがくたびれてしまうだろう?」
「ああ、そうね、ごめんなさい貴方。隆子さん、ゆっくり休んで頂戴ね。貴方に万一の事があれば私は、…日本を壊してしまうかも知れないわ…」

ぼそりと呟かれた東雲栄子の台詞に、男二人は言葉を失う。
どちらも妻の尻に敷かれている夫同士なので、目と目で通じ合い、じわじわと友情を深めていった。これが、遠野総合病院が東雲財閥と連携を始めた切っ掛けである。

「今度呑みに行かないか、遠野君」
「僕で良ければ是非」
「はいはい、お布団をちゃんと掛けないと風邪を引いてしまいますよ、隆子さん」
「ふふ。楽しくてとても眠れないのよ、栄子さん。秀皇がね、私のお味噌汁をお代わりしてくれたの。それでね、俊ちゃんは何でも美味しそうに食べてね、シェフに握手を求めて…。シェフったら感動しちゃって、泣いてたのよ」

大層嬉しそうにお喋りを続ける人を前に、皆が微笑んだ時、静かに扉がノックされた。
何の疑いもなく返事をした東雲夫人は真っ先に戸口へと向かい、来客を招く様にドアを開くと、全ての表情を捨てたのだ。



「ご機嫌よう、お祖母様」


その男はバイクに股がっていた。
真っ赤な塔の中、真っ黒なバイクに股がっていたのだ。

「朝のご挨拶に参りました」

真っ白な髪の下、金に煌めく眼差しを細めて。




















「何か静かになった様な気がする」
「聞こえる訳ないでしょうが、完全防音だって言ってたでしょ…」

壁にぴったりと耳を当てている嵯峨崎零人が神妙な面持ちで呟くと、ぐったりと倒れていた嵯峨崎嶺一が目元に当てていたハンカチを微かに持ち上げた。
肉体的には傷一つなかったが、一言も喋らない窓辺の女性陣同様、精神的に満身創痍と言った表情だ。

「アンタ平気なの?」
「あぁ?ああ、冬月先生が言ってたオリオンの声って奴か。最初はビビったけど、落ち着けば別にどうって事はねぇな」
「若さだわ…」
「何ヘタレてんだよ阿呆親父」
「親父はやめなさいって言ってんでしょうが!可愛くないからっ」
「股間に汚物ぶら下げて何をほざいてやがる。二人も子供が居るのにカマトトぶんな、ダーティーカマー」
「アンタ、後で覚えときなさいよ…」

素顔の父親は何処から見ても男だが、口調だけは健気に冷静を装っている。などと他人事の様に父親を観察した零人は、ブラインドが下がったままの窓辺で、外を見る訳でもなくじっとしているブロンドを見やった。

「高坂さんは、オリオンと面識があるんでしたよね?何か変だと思った事とかありますか?」
「…いや、零人君、すまないが私は特に気づかなかった。面識があると言っても、初めて来日した頃の事で、私が17・18歳当時の話でね。あれから20年近くなるから、当てにはならないよ」
「あ、そりゃ、そっスね。すいません、そこまで頭が回らなくて」
「無理もないさ。…未だに信じられない。私もそれなりに鍛えていたつもりだっただけに、さっきは、何が起きたのか判らなかったから」

学園長の部屋を訪れて間もなく、一人の男を見たのだ。
不可抗力だ。何があったのか、騒ぎながら出てきてしまった男が学園長室のデスクに座る理事長へ怒鳴り、その声を聞いた殆どの人間が腰を抜かす羽目になってしまった。
その為、耐性があるらしい保険医、理事長によりその男は奥へと連れていかれてしまい、後からやってきた学園長の許可を得て、零人達は学園長室の奥のクローゼット兼用の荷物部屋で休ませて貰う事になったのだ。

事態が纏まるまで外には出るなと言う、無表情がトレードマークの元男爵に命じられているので、事実上監禁に近いだろう。勿論、高坂夫人を含めた嵯峨崎一行に逆らうつもりはない。
帝王院駿河に迷惑を掛けたくないのは勿論の事、嶺一やクリスの立場、キングに逆らうのは得策ではないからだ。

「きついだろうけど話せる?母さんは、何か気づかなかったか?」
「ふぅ、大丈夫、少し落ち着いた。ごめんなさい、ゼロ。私はオリオンに会った事がないの。知ってるのはシリウスの双子の兄と言う事だけ」
「それは判ってる。そうじゃなくて、理事長とか、その辺で気になった事とかない?」
「兄上?」
「俺だって皆が冗談言ってる空気じゃなかったのは、流石に判ってる。でもな、『声』で人を操る力なんて、明らかに現実的じゃねぇだろう?」

零人ですら堪らず逃げたくなった威圧感の持ち主は、鼓膜を伝い神経を直接掻き毟る様な声でたった一言、『邪魔をするな』と言っただけだった。
言葉としてはそれだけだ。その一言で、あの場に居た大半の人間は呆然と座り込んでしまう。平然としていたのは元々座っていた理事長と、誰よりも早く耳を塞いでいた理事長の第一秘書だけだ。

「グレアム側の人間は知ってたみたいだけど、母さんにしても親父にしても、そんな話聞いた事あんのか?」
「いいや、オリオンは聡明なマスターだったと聞いてるけど、それ以外は…」
「60年近く前に居なくなってから、オリオンに関してのデータは機密扱いになってるわ。ランクAでも限られた人間じゃないと閲覧出来ないくらいには、ね。アタシは勿論、クリスにも扱えないわ」
「キング時代の特別機動部部長、か。あの理事長が探さなかったって言ってたよな。それって、探しても無駄だから、って事か?」
「…そうかも知れないわね。何にせよ、現存するシリウスの研究データの半分は、オリオンが残したデータだって言われてる。アンドロイドもシャドウウィングの原型になったファントムウィングも、………シンフォニアシステムさえ」
「凄ぇな、マジかよ…」

無意識だろうか。
寒くもないのに二の腕を擦る母親に気づいた零人は、脱いでいたジャケットをそっと羽織らせてやった。微笑ましげに見つめてくる高坂夫人の眼差しが擽ったかったが、アメリカ育ちの母親に対して照れても仕方ない。

「まぁ、あれだ。じゃ、オリオンのお陰で俺達兄弟は産まれた訳だ」
「…え?ねぇ、ゼロ、それはどう言う意味?」
「悪い面だけ見れば、そいつのお陰で母さんの兄貴が学園を滅茶苦茶にしたかも知れねぇし、母さんと佑壱がひっそり暮らさなきゃなんねぇ目に遭ったのかも知れねぇ。でも、良い面もあるだろ。母さんが産まれてなかったら、俺らは存在してない」

母親のダークサファイアが見開かれるのを見た。
ぷいっと顔を背けてしまったのは今更照れたからで、面白い顔をしている父親を見たかったからではないと言っておこう。ハンカチを握り締めたまま、今にも涙やら鼻水やらを垂れ流しそうな嶺一を見てしまった零人は、イラッとしつつ速攻で目を逸らした。

「うろ覚えだから話し半分に聞いてくれると助かるんだけどな、母ちゃん…イール=アシュレイって女は心底母さんに惚れてたと思うぜ?完全に俺の主観だけで言うと、あれが母親になるとか無謀にも程がある」
「ゼロ、それは言い過ぎ…」
「いーえ、言い過ぎなもんですか」

クローゼットの戸に背を預けて座り込んでいた嶺一が声を上げる。

「そろそろ時効って事で…あの餓鬼ぁ、顔に似合わず強かな女だったぜ。今なら初対面で殴り殺せる」
「何を言うの、レイ?!」
「地が出てんぜ、親父。ま、それも時効っつったら、時効だよな」

滅多な事では崩れないオネェ口調がガラッと変わり、零人よりずっと低い男の声になった。佑壱と零人は普段高くも低くもないトーンで話すので、嶺一の地声は家族の中では最も低い。

「夫婦喧嘩か男同士の喧嘩か判んねぇ、馬鹿みてぇな口論なんか毎日だったろ?母ちゃんの十八番は『男キモい』だったよな。親父がスカート履く様になったのも、女言葉も、母ちゃんの指示だろ?」
「…本当、我が子ながら良く覚えてんのな。そりゃ、お前がまだおねしょしてた頃だろうが」
「してねぇ、殺すぞジジイ」
「いや、してた。しまくってた」
「してねぇっつってんだろうが!」
「どっちでも良いでしょ、もう」

呆れた声に男二人は口を閉ざし、揃ってわざとらしく咳払いを放った。どうもクールな女性陣を前に、子供っぽさが際立ってしまう。男の性か。

「ふふ。零人君のお陰で、少し気分が良くなってきた。そろそろ外に連絡だけでも入れさせて貰えるか、聞いてみるか…」
「電波が復旧するのって、いつになるんだろう。私もエージェントに連絡したい事があるのだけど」
「ああ、そうか、クリスは仕事の合間に都合をつけたんだったな。早く戻らないと不味いんじゃないか?君はアクトレスなんだし…」
「仕事自体は良いのよ、私の代わりなんて幾らでもいるわ。始めた理由だって、下んないの」
「へぇ。君はどうして女優をやろうと思ったんだ?」
「有名になれば、人として認められるかも知れないって思ったの」

沈黙が訪れた。
そんなつもりで言った訳ではなかった為、言った本人が狼狽える始末だ。慌てて手を振り、違う違うと英語で捲し立てている。

「Like so, ah... 有名に…知名度?が上がると、監視が弱くなる…Oh, I don't know meaning. 私のセーフライフ、貰うの」
「ああ、判ったよクリス。対外的に広く認知されれば、幾らグレアムでも君に手出しがし難くなるだろう。そう考えたんだね?」
「Amazing!やっぱり貴方って最高よ、アリー。どうすればそんなに日本語が上手になるの?私はてんで駄目、これでも8年くらい勉強してるのに…」
「私もまだまだ知らない言葉と出逢ってばかりだよ。英語だってそうさ、兄さんは素晴らしいクイーンズを話していたけれど、私は家に反抗的だったから、敢えてバッドスラングを覚えたものだ」
「ええ?とてもそんな風には見えないのに」
「若気の至り、と言う奴だ。とてもじゃないが、君の前で英語は話したくないね…」

照れた様に頬を掻いた日向の母親は、果てしなくイケメンだった。
果てしなく美人な零人の母親と並ぶと、金髪カップルにしか見えない。背の高さも同じくらいで、ヒールを履きこなしている嵯峨崎夫人とは対照的に、藺草張りの和なスリッパを履いている高坂夫人の方がやや低い。
乳のサイズについては日向の母親の名誉の為、記載を控える。

「そうだクリス、いっそ日本の女優になってしまえばどうだ?」
「素敵。それはナイスアイデアよ、アリー。早速エージェントと相談しないと」
「あ、だったら帝王院財閥の傘下にテレビ局とプロダクションがあったろ?表向きスポンサーって事になってる筈だ。な、親父」

女性二人の会話に零人が割り込むと、三人の視線は嵯峨崎財閥会長に向けられた。然し視線を浴びている男は信じられないものを見る目で固まっており、動かない。

「レイ?」
「何で固まってんだよ、親父」
「待て、それだと、クリスが日本に住むみたいな話じゃねぇか…」
「「「住むんだよ」」」

三人の声が揃う。
肌の色がそこらの男より白い事を除けば、嵯峨崎佑壱に良く似た男はそのまま暫く一言も話さず、ただただ固まり続けた。

「駄目だこりゃ、想定外の事態にフリーズしてやがる。ダセェな」
「無理もない、嬉しいんだよ。クリス、前向きに検討してみると良い。手前味噌な意見だが、夫婦は一緒に暮らした方が良いと思う。知らなかった一面に気づいて、惚れ直すかも知れないだろう?」

その逆もあるのではないか、などとは、流石の零人も言わない。
真っ赤に染まった顔を俯かせ、チラチラと嫁を盗み見ている嵯峨崎嶺一は初恋を拗らせた中学生の様な風体だが、それに気づいた零人が揶揄う様な事もまた、なかった。

「嵯峨崎会長は可愛らしい方だな、クリス」
「ふふ、そうでしょう?好きになったら駄目よアリー、渡さないから」
「おやおや、これはご馳走様と言う奴かな。気にする事はない。私には手の懸かるひまが居るから、あの子を可愛がるだけで精一杯なんだ」
「素敵っ!後で500コイン投げておくわね、クリス」

日向の面倒見の良さは両親に似たのかと、微笑ましげに友人夫婦を眺めている高坂を横目に、再び壁に張り付こうとした零人は短い髪を掻く。

「なぁ、親父」
「…あ?」
「こないだの加賀城の見合いって、何か裏があんの?」

未だに妻の日本暮らしが信じられないらしい嶺一が、言いづらげに口を開いた零人へ目を向けた。父親の表情を見る限り、憎しみだの恨みだのと言った気配は感じられないが、普段のヘタレオカマが嶺一の本性ではない筈だ。
一つも漏らさず探り出そうと眼差しを細めた零人に対し、ボリボリと耳の裏を掻いた嶺一は暫くの沈黙の後、メイクを落とした分、細い眉を潜めたのだ。

「何が聞きたいのか知らんが、行きたくねぇなら行くなっつったろ?」
「結婚が嫌っつってんじゃねぇよ、別に…。そうじゃなくて、加賀城と縁組みしなきゃならねぇ理由があんなら、説明しとけっつってんだ」
「は?…ったく、餓鬼が変に気ぃ回してんじゃねぇ、馬鹿」
「あ?馬鹿だと?!」
「馬鹿だろうが、馬鹿。あんなもんは社交界の世間話っつー程度だ。加賀城会長夫人に誘われたから、お前に話した。それだけ」
「…それだけ?」
「あら、やだ。他に何があると思ったのかしら?」

やはり、ただのヘタレオカマが本性ではないらしい。
零人が頭の中でごちゃごちゃと考えていた事をある程度読み取ったらしい嶺一は、心底馬鹿にした目で微笑んだ。

「っつー事は、マジで、すっぽかしても良かった…ってか?」
「アンタが見合い結婚したいなら反対しないわよ。考えてもみなさいよ、早い話が規模の大きい合コンなんだから、佑壱を行かせる訳には行かないでしょ?」
「だからそれは、佑壱がグレアムだからだろ?」
「馬鹿なの?未成年だからに決まってんでしょ?」
「な」
「お酒の出る席に、17歳を放り込んだらアタシが捕まっちゃうじゃないの。アンタ21歳だから…言ったでしょ?『卒業まで暇してんならタダ酒飲みに行く?』って、最初に」
「言った…言ってたけど、そ、それじゃ、俺がやった事は…」
「何ぶつぶつ言ってんの?…誰が吹聴したか知らないけど、親の事情に子供が首突っ込まなくて良いの」

カチン。氷の如く固まった嵯峨崎零人は微動だにしない。
何を考えていたのかと長男を一瞥した嶺一は、二人の会話を窺っていたらしい女性陣に気づいて息を吐く。

「…そうね、つまんない話だけどクリスには話しておくべきかも。高坂さんには退屈だと思うけど」
「私にも?」
「レイ。あの日から、私達の間に隠し事はなしって約束したでしょう?」

マネキンの如く動かない零人を余所に、嶺一は真っ直ぐ妻を見据え、頷いた。

「…判ったわ。イールに脅されたからと言って、一度貴方を裏切ってるんだもの。同じ事は繰り返さない、二度と」

囁く様に落ちた嵯峨崎嶺一の声音に、部屋は静まり返った。

←いやん(*)(#)ばかん→
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