帝王院高等学校
天女とワンコと眠りの森のどなた様?
「よう、死に損ない。俺の記憶が確かなら、お前はA型だっつったな、陽の王」
「…ひの、お…う。懐かしい呼び名を聞いた…」

嘆かわしいとばかりに、呆れた溜め息を聞いた。
此処は何処だったかと白い天井を見つめたまま、白い服を着ている男の声を聞いている。何十年振りの再会なのか、そんな事はどうでも良かったのだ。今は。

「私は、生きているのか…」
「それを今から確かめんだよ。えー、患者氏名、帝王院鳳凰、45歳。ああ、一昨日46歳か。誕生日の祝いも兼ねて慰安旅行を企画したのは、総取締役の…何つった?」
「杜だ、杜刹那」
「あーあー、ヤシロだったな、ヤシロ専務。で?楽しい楽しい熱海旅行が、何故か上司の暴動で大惨事。脳震盪21人、鬱病35人、輸血に使ってくれと自分の手首を噛み切った馬鹿が出血多量の危篤状態で運ばれてきたが、半日で回復…ってなぁ」

ばさっと、顔の上に紙の束が降ってくる。

「…んなもん、うち以外の病院じゃサーカスの珍獣扱いだぞ!判ってんのか、ブァカが!お陰様で華族様の高森伯爵と宰庄司子爵、揃ってでっかいメロンと札束置いてったぞ!ドイツもコイツも庶民の足元を見やがって!」
「…迷惑を掛けた。恩に着る、夜の王」
「ち!ああ、精々そうしてくれ。俊秀さんに借りたでっかい恩を、出来損ないのテメェに返してやろうっつってんだ。貴族の汚れた金なんざ叩き返してやるァ!今後二度と!二度と俺に足を向けて寝るな!判ったか!」
「承知した。すまない」

相変わらず、短気な男だ。

「さて、輸血も何もお前は傷一つない。然し確かに運ばれてきた時は酷い有り様だったらしい。源泉に飛び込んで全身大火傷を負ったらしく、重度の脱水状態に重度の血液凝固状態、つまり茹で卵だ。生きてるのが不思議ってな」
「…」
「役員は口を揃えてお前はA型だとほざいた。日本人は大体A型だ、疑う奴は居ねぇ。然しどうだ、A型の輸血に拒絶反応を見せ、いっぺん心停止。なのに二時間後に再び脈が戻った訳だ。驚くなっつー方が無理だろィ、当然だが熱海の病院には箝口令を敷いた。此処に運び込ませたのは、他でもない俊秀さんだ」

然し口が悪いだけで中身は仏の様に慈悲深い、いや、寧ろ仏よりもずっと潔い男だと知っている。神や仏が人を救う事など、今まで一度もなかったからだ。

「私は、A型じゃないのか」
「多分としか言えねぇが、結果だけ見ればAB型だろうな。流石にこれは良く判らん。海の向こうにはABO式以外にも検定方法があるそうだが、此処は日本だ馬鹿野郎、俺も訳が判らんっつーの」
「…世話を掛けた」
「で、だ。お前に輸血出来ないなら死ぬしかないとほざいて病院の屋上から自殺を図ろうとした赤毛赤目の大馬鹿野郎は、駆けつけた妹さんが死ぬギリギリまで痛めつけてくれた挙げ句、勝手に霊安室のベッドに縛り付けてる」
「糸遊か。怒っていただろう?」
「テメェはともかく、狂った兄貴相手には容赦ねぇな。お陰様であっちこっち壊された、テメェには莫大な慰謝料を請求させて貰う」
「すまない」
「ったく、罰当たりな兄妹だ。…妹がデカパイの美人じゃなかったら、二人共切り刻んでたがな」
「粋な計らい、感謝する」
「ふん。俺ほど粋な男は存在せん」
「…ああ。知っている」
「で?」
「で、とは?」
「テメェが錯乱状態で誰も彼も手に負えなかったっつーのは、何となく把握してるが、一体何があった?百人近い人間が束になってもお前を止められなかったなんざ、どう考えても変だろうが」

どすりと、白衣を纏う男はベッドの脇に腰掛けた。
わざとらしく首に引っ掛けた聴診器の先を、何故か額に当ててくる。イヤフォン部分は片方だけ耳に入れている、怠惰な態度だ。

「この俺に嘘も誤魔化しも通用しねぇぞ、鳳凰。今は大学時代の同期でも、人生の先輩後輩でもねぇ、イカれた患者とイケてる若院長だ」
「…40を過ぎて若いとは、何年経ても面映ゆい事を宣う」
「何があった?」
「私が、己に着せていた戒めを解いただけだ」
「戒め?」
「私は帝王院に与する名のない力を、『強欲』と名付けた」

ひやりと冷たかった額が、じんわりと温まっていく過程。
真っ直ぐ目を見つめてくる男を見上げたまま、息を吸い込んだ。

笑え
「っ?!く、くぇーっくぇっくぇっ!」

目の前で目を見開いた男が、想像だにしない笑い声を響かせる。
戸口でガタリと音がして、間もなく戸が吹き飛ぶのを視た。

「何事ですか宮様!」
「…陽炎か。大儀ない、控えろ」
「然しこの男、一体何を…」

体をぐるぐる巻きにされた長身が、ベッドを背負ったまま首を傾げている。一頻り奇妙な笑い声で転がり回った白衣は、笑い疲れたのか般若の形相で立ち上がるなり、躊躇いなく殴り付けてきた。

「テメェ!今この俺に何しやがったァ、鳳凰ォオオオ!!!」
「宮様!」
「やめろ、陽炎。これは夜の王、我が友だ」
「友?これ………この男が?」
「おい餓鬼。今この粋な俺を『これ』っつったか?あ?」
「いき?お前は生きてる」
「覚えておけ赤毛!お前が鳳凰の何だか知った事じゃないが、お前は紛れもないO型だ!O型!いい加減理解して献血に協力しろ!大人しい癖に嫌に血の気の多い奴だ!」
「俺はA型だ。宮様がA型じゃないなら俺もA型じゃないだけだ。俺は宮様の為に生かされている、宮様のお役に立てないのであれば死ぬより他はない」
「お医者がO型っつったらO型なんだよ。口答えするな」

ドカン。
睨みながら吐き捨てた夜刀の前で、ベッドに縫い付けられている男は無表情で床を蹴り、爽やかに床に穴が開いた。


「俺は宮様の狗にして翼、俺は宮様のものだ。何故ならば宮様こそ、日の国を統べる真の帝であらせられる。だから俺はA型だ」

そんな馬鹿な・と鼻水を垂らし沈黙した夜刀の前で、真っ赤な髪の隙間から睨み据えて来た真紅の双眸は、嫌に冷たく感じたのだ。

「鳳凰ォオオオ!!!何だコイツァアアア!!!話が通じねぇぞ!!!こんにゃろめぇえええ、ぷはん!!!」
「陽炎、夜の王を興奮させるな。お前は下がっていろ、これは命令だ」
「…判りました」

しゅん、と目に見えて落ち込んだ男がガコガコとベッドを引きずりながら、戸口でガコッとはまりつつ、遠ざかる。肩で息をしながら壁をボコッと殴った遠野夜刀の手が赤く腫れ、殴った本人は痛いと悲鳴を上げた。

「折れたァ!!!無傷の壁と俺の拳の腫れ具合をどう比較しても俺の拳が完敗してる事実に心が折れたァアアア!!!重傷だァアアア!!!精神が重傷だァアアア!!!」
「落ち着け、遠野夜刀。此処はお前の病院ではないのか?」
「そうですが何か?!」
「些か静かにせねば、迷惑になる」
「貴様に言われたかねぇっつーんだよボケェエエエ!!!」
「院長!騒がないで下さい!」
「すいません」

恐ろしい形相で部屋を覗き込んできた婦長が怒鳴り、夜刀は真顔で口を閉ざす。婦長は夜刀の嫁よりずっと怖いのだ。何せ尻を叩かれる。40歳を過ぎて叩かれたくない所ナンバーワンだ。

「次に騒いだら奥様にお断りして、お尻を叩きますからね!」
「ご、ごめ、ごめんなさい、それだけは…!勘弁して下さい!お願いします!お願いします!婦長先生ぇえ!」
「煩い!」
「すいません、心の底から反省しております。お尻は叩かないで下さい」

自業自得にも程があるが、その怒りは大人しい帝王院鳳凰へと向けられたらしい。

「ったく、何なんだ凶暴な赤毛は。駆けつけてきた女の方とは双子だっつってたが、兄貴の方は眼まで蘇芳たぁ、尋常じゃねぇぞ。GHQにもあんな派手な奴は居ねぇ」
「…雲隠陽炎、お前には以前話した事があろう。俺が大陸より連れ帰った、狗だ」
「犬だぁ?あれが?んなもん、躾の出来てねぇ野犬じゃねぇか…」

言い得て妙だと鳳凰は微かに笑う。
酷い脱力感だが、動けないほどではない様だ。ただ、起きたいとは思えない。心が此処にはない様な、不思議な感覚だ。

「すまない。陽炎は産まれた時から俺の守護役として傍に置かれていた為、外の世を余り知らんのだ」
「あー…成程、俊秀さんから山奥に監禁されてた、もう一人の被害者があれか」
「そこまで知っているとは、…父上が仰ったのか?」
「まぁ、その辺は俊秀さんからそれとなく聞いてる。お前の姉さんが駆け落ちしてから、色々あったんだろ?っつっても、お前が産まれる前の話だったか」
「そうか。お前は余程、気に入られているらしい」
「んな事ぁどうでも良いが、何があって源泉に飛び込んだりしたんだ?」

話を逸らしていたつもりだったが、やはりこの男には通用しない。遠野夜刀と言う男は見事に人の嫌がる質問をしてくる、正に鬼の様な男なのだ。そして彼に悪気がないのが更に悪い。

「…」
「お得意のだんまりか、帝王院鳳凰。我ら東京大学の首席卒業者ともあろうお方が、粋じゃないねぇ。根暗は何年経っても根暗ってか」
「…どう説明すれば良いか、俺には判らない」
「あ?」
「あれは…そうだ、あれは、天女だった…」
「天女だ?」
「俺…俺は、俺は、風呂に入っていたんだ…」
「あァ、熱海で風呂に入らねぇ奴は猫くらいだ。猿でも入りたがるっつー代物よ」
「俺は、男だ」
「知ってるっつーの、それが何だ」
「よ、夜の王よ…」
「んだよ」
「こここ、こここ」
「こ?お前よう、鶏みてぇになってんぞ鳳凰」
「混浴などと言う不埒なものが、何故この世に存在する…?!」
「はい?」

しゅばっと飛び起き、正に茹で卵の如く顔を真っ赤に染めた男は、ほんの数日前に一度死んだとは思えない程の勢いで夜刀の胸ぐらを掴み、ベッドの上でガクンガクンと医者を揺さぶった。

「混浴!混浴など俺は、いかん、知っておれば入ったりしなかった…!」
「お、ぷはん、落ち、あふん、落ち着…っ、ゲフ!」
「混浴!確かに書いてあったのを俺は見た、ああ、見たぞこの目でしかと、この帝王院鳳凰は見たのだ!何故ならば俺は一度見たものは忘れない、強欲な脳の持ち主だ!だが、天女と風呂に入りたいなどと、その様なふしだらな事は望んでいなかった…!」
「ちょ、待って、俺、俺の、おま、三半規管が、ちょ、あふん!」
「て、天女の前で俺は、俺は、何とした事をしてしまったのか…!」

振り回した医者をぽいっと投げ捨てた男は、ガタブルガタブルと暫く震え、カクリとベッドの上に崩れ落ち、一切の表情を削げ落とした様な顔で呟いたのだ。


「そうだ、最早死ぬしかない」

鳳凰の恐ろしい声にビクッと震えた雑魚医者は、然し気丈にも立ち上がる。世界が生んだチキン主人公の曾祖父にして、蚊も殺せない腕力の持ち主にして人命救助の医者、遠野夜刀は産まれて初めて平手打ちをした。
それを戸口からハラハラした表情で覗き見していたワンコ、ならぬ雲隠陽炎は、後にこう証言する。

看護婦に絆創膏を貼られた時の方が余程痛そうに思えた、と。


「お医者さんの前で死ぬとは何事かァ、この愚か者がアアア!!!」

ぴたん。
山田太陽にも劣る攻撃力で帝王院財閥の現当主を撫でた…いや、叩いた男は、殴った勢いで滑り転げたが、やはりしゅばっと立ち上がり、目を丸めている鳳凰の頭を掴んだのだ。
言っておくが本人は全力で叩いたつもりだった。遠野夜刀はいつでも全力だ。然し余りにも見た目騙しな非力さに、今まで何人の女性から「この雑魚が」と振られてきたのか。笑い方の気持ち悪さもあり、両手の指では数え切れない。

「テメェ、耳の穴かっぽじって良ォオオオく聞けェイ!!!天女だか金魚だか知らねぇが、混浴でお姉さんと同じ湯に浸かった時はァ!滾る股間を湯船に沈めたままァ!お姉さんには悟られぬよう全身全霊の忍耐力を以て堪え忍びィ!例え逆上せようがゆだろうが、歓喜の笑みは心の中ではっちゃけるもんだァアアア!!!!!」
「な」
「そのお姉さんは幾つくらいのお姉さんだったんだテメェエエエ!!!」
「お、恐らく、二十そこそこのお姉さんだった様に記憶している」
「何だとテメェ鳳凰ォオオオ!!!お前はお姉さんのおっぱいを見たのかァアアア!!!」
「み、見た」
「どうだったァアアア!!!」
「どう、とは?」
「天まで舞い上がっただろう、スケベジジイがァアアア!!!」

羨ましい。
混浴、ああ、混浴。これに羨まない男など存在するのか?
否、これを羨まない遠野夜刀など存在するのか?しない。する筈がない。女風呂を覗くのは男のたしなみだ。混浴は男のロマンだ。ああ、羨ましい。魂の底から羨ましい。余りにも羨ましい。超羨ましい。
羨ましくて泣けてきた。妻との営みも、娘が産まれてからもう何年ないのか。羨ましくて泣けてきた。号泣だ。

「畜生ォオオオ!」
「よ、夜の王、今一度鎮まれ、此処はお前の病院ではないのか?」

咽び泣く夜刀の姿に言葉もない鳳凰は、無表情でオロオロした。何があったのか判らない、鳳凰には常に夜刀が判らない、出逢った頃から良く判らないのだ。そりゃそうだろう、根っからのスケベ医者の考えている事など、童貞に判る筈もないのだ。

「ぐすん、めそん。鳳凰よ。さてはお前、そのお姉さんに惚れたな」
「な、んだと?」
「ぷるんぷるんのヤングなおっぱいを見て、チンコがカッチカチになったな…?」
「!」

何故それを。
何故それを知っているのか。
帝王院財閥当主、帝王院鳳凰は感電した。ビリビリと。股間があんな事になったのは初めての事だったが、誰にも話していないのだ。

それはそうだろう。余りの事態に錯乱した鳳凰は、混浴風呂から逃げる勢いで飛び出し、源泉に躊躇わず飛び込んでしまったのだから。以降、人とまともに喋るのはこれが初めてだと思われる。

騒ぎに気づいて鳳凰を止める皆は、錯乱した鳳凰の声によって次々にひれ伏していき、鳳凰を命懸けで灼熱の風呂から救い出した陽炎もまた、大火傷を負った。
が、夜刀曰く、さらっと治ったらしい。いつもの事だ。帝王院財閥の関係者であれば誰も不思議には思わないが、外の人間には奇妙に思えた事だろう。

「お前と言うスケベは、50も近い癖に、若いお姉ちゃんに欲情したな…?」
「お、俺は…欲情など…」
「若いおっぱいに挟まれたいとか、若い尻に埋まりたいとか、考えなかったなどと抜かす気か、貴様ァ!!!」

然し夜刀は、そんな事より鳳凰に対する嫉妬しかない様だった。それも不特定多数が向けてくる、帝王院の能力や名誉に対する嫉妬や羨望ではなく、単に女体を見た羨ましさだ。これは鳳凰が理解出来ないのも無理はなかった。
何せこんな男、身近には一人も居なかったからだ。

「ち、乳に、挟まれ…?尻に…埋まる?何、何を言っているのだ、夜の王…!お前は何と不埒な事を考えているのか!」
「男なら誰でも考えるだろうが」
「な」
「…あ?何だその反応は。まさかお前、童貞じゃねぇだろ?」

カチン。
帝王院鳳凰は産まれて初めて凍りついた。見事に凍りついた。
ひんやりフローズンな鳳凰を見つめた夜刀は眉を寄せ、どうも的中したらしい事を悟ったのだ。

「あ、あー、いや、何っつーか、お前、46歳までまっさらとか、流石に誰も思わねぇだろ?まー、何だ、その…悪かったな、揶揄って…」

こうなってくると普段は強気な夜刀でも、鳳凰に同情しない事もない。箱入り息子の中の箱入り息子であれば、有り得ない事でもないのかも知れないと気づいたからだ。
何せ鳳凰の父親は普段は善人なだけに、怒ると何をするか判らない所がある。紙一重の男なのだ。

「おーい?戻ってこい鳳凰」
「…」
「いや、無理ないって。童貞には刺激が強すぎたんだよな?そりゃ吃驚して死にたくもなるわな。うんうん、判る判る、18歳で童貞を捨てた俺にも判るぞ鳳凰、だから帰ってこい」
「…」
「こりゃもう駄目だ、死んでる」

チーン。
医者は罰当たりな事に手を合わせ合掌する。

「み…宮様…」

凍りついたままの鳳凰に青褪めた陽炎はベッドを背負ったまま、戸口でガクリと項垂れた。童貞が何を指す言葉なのか、陽炎には判らなかったのだ。因みに陽炎は童貞ではなかった。

「おい、陽炎とやら。鳳凰が童貞だって事は、秘密にしてやれよ」
「………童貞とは、隠さねばならぬ事なのか…?」
「バレた男は死ぬより他はない、危険な言葉だ」
「おいたわしや、宮様…!」

絶望した雲隠陽炎は、はらはらと涙を零す。
これが嵯峨崎佑壱であれば、遠野俊の股間が新品だろうが中古だろうが全く気にしなかったに違いないが、何せこの雲隠陽炎は足し算すら怪しい男だ。日本語を喋れているだけで奇跡な、天然だった。


「良いか、鳳凰、陽炎。モテる男は常に自信に満ちた、男らしい男じゃないと粋じゃねぇ。くっくっく、くぇーっくぇっくぇ!この俺の様にな☆今の紙に書いとけ」
「成程、男らしくだな。遠野先生、今の笑い声も書いておくべきなのか?」
「勿論だ鳳凰君、濃い目に書いときなさい墨汁で」
「代々女系で続いた雲隠の男はゴミに等しいとされる。ゴミの俺に自信など必要ではないと思うが、夜の王先生」
「ちっちっち、これだからお子様は困るんだよねィ、陽炎君。良いか、お前は見た目は若いが歳は喰ってるんだろ、だがまだ恋愛の『れ』の字も知らん、俺から見ればお子様だ」
「確かに陽炎は俺より十若い」
「はい、宮様は46歳であらせられます。なので俺は46歳です」
「「違う、36歳だ」」
「えっ」
「いかんぞ鳳凰、コイツには先に読み書き算盤を教えろ」 
「だが陽炎は英語が喋れる」
「何だと?!こんな馬鹿が英語を喋れるだと?!侮れんな陽炎、本当か!」

何にせよ、馬鹿力と化物じみた肉体を持ち合わせた二匹を前に、夫婦喧嘩で嫁に大敗している非力な傲慢院長は、自称恋愛塾を開講した。
イキイキと独自の恋愛観を教え子に叩き込み、これにより生来賢かった帝王院鳳凰はメキメキと駄目男のレベルを上げ、最終的にはオープンスケベなド変態として卒業を果たす事になる。


「良くこの俺のスパルタに耐えた。鳳凰、明日の誕生日会で愛しの舞子ちゃんに当たって砕けてこい…!」
「感謝するぞ我が心の友、否、生涯の恩師!明日俺は、男になってみせる…!男になって、舞子の乳に挟まれてくる!」
「素晴らしいお心がけ、この陽炎、感服しました。お任せ下さい、明日の祝賀会では、宮様の邪魔になる者は一つ残らず俺が消します」

決戦はイエスタデー。
男前な陽炎にボサボサなカツラをプレゼントした遠野夜刀の本音は『男前は死ね』だったが、これにより帝王院財閥の滅亡は何とか食い止められたと言えよう。

人生で初めての彼女、否、妻を手に入れた帝王院鳳凰は遠野恋愛塾に心の底から感謝し、妻の妊娠を期に学校を作る事を決意したのだ。



鳳凰が妻をゲットしたその日、陽炎は子猫を見つけた。
その子猫は食べ物をくれたが、見返りに抱いてくれとねだる事はなかった。女は皆そう言うものだと思っていたが、どうも違ったらしい。
陽炎は遠野塾に再び戻る事にした。やはり自分は馬鹿なので、未だに女を理解していないのだと思ったからだ。


「夜の王先生、にゃあが食べ物をくれた。だが、俺はにゃあの股を裂いてはいない。どうすれば良い?」
「あー?!知るかァ!だったらどうすれば良いか判るまで待ってろ!」

遠野夜刀は手術中だった。
乱入してきた陽炎の言葉など全く聞いちゃいなかった。

「判った」

この世には真の馬鹿が存在する事を、若き院長は知らなかったのだ。

















「何だ、こりゃ」

それが開口一番、我ながら何の捻りもない言葉が飛び出たものだと頭を掻いたが、はっきり言っておこう。混乱していない訳ではない。

「ようこそ」
「ようこそ」
「うわ!」

テーマパークにしては奇天烈だ。
まるで見慣れた校舎の様な建物を前に、それ以外は見事に何もない世界で、余りにも陽気な声が聞こえてきた。
驚きのままバク転で飛び退けば、ふらふらと酔っているかの様に踊る、二人のピエロが見えたのだ。

「…はぁ?いきなし何だよ、オメーら演劇部?(°ω°)」
「演劇部?」
「演劇部?」

計った様にぴったり、左右鏡像の様なピエロはやはり鏡像の動きでふらふらと、呆然としている高野健吾の前まで近寄ってきた。明らかに怪しいと逃げる体勢を取った所で漸く、己の状況を把握したらしい。

「ちょ!総長が居ねぇじゃんよ!(;´Д⊂) 何なん?!俺ってば落っこちた総長を華麗に助けて…それからどうなったんだっけ?」
「シーザー」
「ファーザー」
「落ちた」
「堕ちた」
「空の彼方に」
「宙の果てに」
「あ?(´°ω°`)」

ふらり、ふらり、鏡に写した様に反転したピエロは躍り続ける。何が起きているのかと頭を巡らせたが、正確な答えを手に出来そうな気がしない。

「つーか、確か朝だったよな?」

健吾は躍り続けるピエロを余所に、頬を掻きながらティアーズキャノンそっくりな宮殿を見上げた。そのまだ上には溢れんばかりの星に彩られた、鮮やかな夜空がある。
けれど足元には真昼の様な木漏れ日を映す煉瓦があり、これでは夜なのか朝なのか判らない。

「なぁ、これって何が起きてんの?(´`) なんて、聞いても無駄かよw」
「試練♪」
「神の試練♪」
「ちょ、普通に教えてくれんのかよ!(//∀//)」

ケラケラと笑いながら、動きを止めたピエロを見やった健吾は馬鹿馬鹿しくなり、逃げる事をやめる。どう考えても現実的ではない景色だ。
あの時、落ちた衝撃で頭でも打って夢でも見ているのか、それともこれがあの世なのか、そんな事はどうでも良い。どうにもならない事で悩むだけ無駄だと、健吾は痛いほど知っていた。

「神の試練って何〜?(´▽`)」
「虚は最初に光を生んだ♪」
「それは星になって瞬く間に消えた♪」
「ソラって、空かよ?(°ω°)」
「虚は消えないものを作れない♪」
「虚は考えた♪」
「それなら時間を作ろう♪」
「有限であればいつか終わりが来るから♪」
「虚は自分を文字盤にした♪」
「産まれたのは双子♪」
「「短針と長針の双子♪♪♪」」

どうにも悪趣味な夢だ。あの世にしても趣味が悪い。

「つまり、そのソラって奴は不老不死で、寂しくて光を作ったけどすぐに消えちまうから、自分の命に時限爆弾を抱えたって?(°ω°)」
「ほら見て、宇宙が出来たよ♪」
「燃える星が産まれたよ♪」
「燃えない星も作っちゃおう♪」
「それぞれに時間が与えられた♪」
「それは虚の命と等価交換♪」
「与えられた命の分だけ長く生きられる♪」
「何だ、そりゃ(;´艸`)」

頭が痛くなってきた様な気がする。
考えても無駄だと諦めた健吾は、ばたりと倒れ込んだ。



「総長もユウさんも、生きてっかな…。俺はまぁ、いっぺん死んだ様なもんだから、良いけどよ(・∀・)」

見慣れた校舎、見慣れない空、木漏れ日を反射させる芝生だけが酷く明るい、広すぎるプラネタリウム。双子ピエロは未だに踊っている。

「あーあ…」
「健吾♪」
「溜息♪」
「健吾つまんない?」
「健吾楽しくない?」
「あ?まぁ、んな所で昼寝してもよ、そりゃ楽しかねぇわな(*ノω・)」
「健吾は愛され子♪」
「家族にしたい♪」
「はぁ?家族?(°ω°)」
「そうだよ、家族にしたいんだ!」
「だけど血が遠すぎて見えないんだ!」
「人は皆家族なのに!」
「時間はいつも先ばかりを見てるから、判らないんだ!」
「おわ?!」

ぴょんっと飛び付いてきたピエロの下敷きにされて、健吾は飛び起きた。

「何だよオメーら、いきなり!(`・ω・´)」

然し起き上がった時には、ピエロは何処にも居ない。
ポカンと目を見開いた健吾は辺りを見回したが、目の前に巨大な校舎が聳えているだけだ。

「何だよ、訳判んねぇ…(´°ω°`)」

呆然と空を見上げれば、月のない星空は銀河がそのまま形を成していた。こんな見事な星空は、北極でも見られないのではないかと暫し見上げていると、何故か星空に加賀城獅楼が浮かび上がったのだ。


「は?」

次に、川南北緯。
そして何故か笑顔の山田太陽と、珍しく緊迫した表情の叶二葉、何人か知らない顔も映った後に、錦織要が走り回る光景が夜空の巨大なスクリーンに写し出される。

「か、カナメ?!何、何だ、どうしたんだよ、カナメ!おい!聞こえねぇのかよ、カナメってば!」

跳ねるように立ち上がった健吾は喉が裂けんばかりに叫んだが、まるで映画のスクリーンの様に、映像は流されるばかり。
パチパチと忙しなくシーンは切り替わり、気づいたのは、要の姿が写し出されるまでに11人の姿が写ると言う事だけだ。

「ちょ、何、何なんだよ!夢にしてもあの世にしても可笑しいだろ、何が起きてんだ?!カナメが泣きながら逃げるなんて有り得ねぇだろうが、カナメだべ?!」

自分でも何を叫んでいるのか判らない。
そうしている間にも、子供の頭を笑顔で踏みつけている恐ろしい笑顔の太陽、桜の木の下で倒れている二葉、何かを睨み付けている北緯、海辺で跳び跳ねている獅楼と、映像は切り替わり続けた。

「な、に…」

けれど、異変は空だけではなかったらしい。
不意に足元が気になってみれば、木漏れ日に照らされた明るい芝生にもまた、人の姿が映っていたのだ。

「ハヤト?!ゆ、ユウさん?!光王子に、宰庄司?!おい、何だよ、何が起きてんだって!おい皆、聞こえねぇのか!おい!おーい!」

芝生に張り付いて叫ぶ健吾の声に反応する者はない。
パチパチと幾つかシーンが切り替わり、艶やかな薔薇の世界が映し出された時に、高野健吾は漸く、賑やかしい表情の全てを失った。


「ユーヤ、おい、ユーヤ?何、お前、何してんの…?」

赤い、赤い、ああ、身の毛がよだつ程に真紅のそれは、薔薇ではないのか。
ロマンティックな少女漫画でもあるまいに、何故そんな真っ赤な世界で、自分の良く知る男が倒れているのか。

「ユ、ユーヤ、おいっ、起きろユーヤ!変なとこで寝るなっつってんだろうがよ、ユーヤ!」

殴っても殴っても、健吾の手には芝生の感触ばかり。
眩いスクリーンから見慣れた男が消えて、違う人間を映し出しては切り替わる。
何度も、何度も、何度も、繰り返し。


「健吾、何処に行きたい?」
「健吾、誰に会いたい?」

ピエロの声が、再び聞こえてきた。
ぼんやりと座り込んだまま顔を上げた健吾の目には、厳めしい校舎が映るだけだ。ピエロの姿はない。

「光も闇も」
「健吾だけは選ぶ事が出来る」
「そうでしょう、天守?」
「いつもそう、優しい君は家族が死ぬと悲しんで」
「助けてくれと」
「助けてくれと」
「千の鳥居を越えていく」
「神様に会う為に」
「安倍川の源から」
「涌き出る水の流れよりも早く」

歌う様な声だ。
理解などしていない。一つも。頭の中はただ、真っ赤な褥に倒れる、緑だけだ。

「君を失った帝は悲しんだ」
「恋人よりも家族を選んだ君を恨まずに」
「再び巡り逢えるなら」
「子の望みを天は叶えた」
「天守が守るべき大稲荷、そのまた遥かに上、真の天が」
「輪廻と言う呪いで時限を縛った」
「優しい優しい、そして残酷な神様」
「虚が泣いている」
「終わらない時間を終わらせてくれと」
「可哀想に」
「可哀想に」
「虚が産んだ時間の子供達」
「虚が産んだ時間」
「羅針盤には双子」
「創世と終焉」
「虚が泣いている」
「戻っておいでと泣いている」
「だから終わらせる事にしたんだ」
「自分を破壊する事で」
「虚の元に還る事で」
「呪われた輪廻から自分だけ消える為に」

選べ、と。
頭の中で声がした。


「天守、帝王院天元の生まれ変わり」
「高野健吾は特別な子」
「虚を産んだ神様が、虚の声を聞かせる為に産んだ神の子」
「光であれ」
「そして闇であれ」
「健やかな子であれ」
「「虚の悲しみを、空へ還しておくれ」」

ああ。
白と黒の地平線に、世界を覆い尽くすほど巨大な文字盤が浮かび上がっている。
長針も短針もないそれには、十字架が嵌め込まれていた。


「選、ぶ?」

上か、下か。
上では要が泣いている。
下では裕也が倒れている。


ただ、余りにも不思議だった。
どうしてこんな残酷な選択で自分は、一秒たりとも悩まなかったのか。

←いやん(*)(#)ばかん→
[戻る]


あきゅろす。
無料HPエムペ!