帝王院高等学校
EPILOGUE: Fragile nocturne
「それ以上、近付くな」

ゆらり、と。
一歩踏み出そうとする長身へ、背後の男は小さく笑った。一口も噛っていないカツサンド、背後の見知らぬ男、目前に銀髪の長身。

「人質の無事を保証出来なくなる」

擽る様に笑う声。
あの傲慢不遜を絵に書いた様な長身が、踏み出そうとする足を留め静止した。

「生徒の安全を約束するのが生徒会長の責務、だろう?ああ、そうか。この彼は君の敵になるんだったか?」
「…」
「なら、今すぐ俺ごと人質を捕えても良い。激しく抵抗した俺が、人質に何をするかは判らないが…」
「…雑音が」

言い争っていた他の二人に拘束されて、一人が持っていた鞭で縛り上げられる。
クスクス肩を震わせる男の震えが伝わって、忌々しげに囁いた神帝の口元を見つめる俊の眉が下がった。



何だ。
馬鹿じゃないのか。
捜し出して復讐したかった相手だろう?
その相手を守る為に抵抗しないつもりなんて、笑わせるな。
左席委員などと言う立場に祭り上げて、外部生の無能振りを晒したかっただけの癖に。

俺が俺だと判れば、躊躇いなく掃き捨てる癖に。



何故、そんな惨めな姿を曝すんだ。
俺の為に?



この俺の前で?



「良い眺めだな、神帝陛下。穢れなき絶対の玉座を砕く、こんな快感は他に知らない」
「君ってサディストの才覚があるよね。僕は神帝陛下を前に心臓が止まりそうさ」
「僕は陛下には興味が無いのさ。帝王院最強の家柄だろうと、僕の心は魂諸共月に魅せられている」

三人のサングラス男が生徒会長を囲み、揃ってサングラスを押し上げる。
他の二人には心当たりがあるが、もう一人に心当たりがない俊へ振り返り、彼らは揃って笑った。

「今宵は新月さ」
「富も名誉も闇へ還り、」
「闇に狂わされた魂が悲鳴を上げる、夜」

正体不明の男が投げ付けてきた何かを受け取り、投げた手を振り払う真似をするのに頷いて走り出す。
ぱんだらけのコロッケパンに頬を緩めながら、とにかく助かったと息を吐いた。


振り返る余裕はない。
幾ら神帝だろうが、縛られた今現在追い掛けて来る事は無いだろう。

ただ、無性に苛々した。



「隼人達、うまくやってるだろうか。そろそろ日向が出て来る頃だと思うが…」

噛り付いたカツサンドを咀嚼しながら、破り捨てたパッケージを振り返りもしない。佑壱が見たら怒っただろうと緩く目を細めながら、ただ、無性に苛々していた。


偽物と本物の違いも判らないあの男に。
惨めに縛られた姿に。
あの煌めく長い銀糸に。
見上げる程の長身に。
薄い唇が奏でる囁きに。
あの他を見下した振る舞いに。
なのに惨めな姿に。



ああ、苛々する。




校庭から離れ、普通科の離宮へ続く回廊を突っ切った。街灯に照らされた桜並木、煉瓦道の途中に柵があり、林の中にある休憩用の庭園に続いている。
誘われるままに足を向けて、大きな水瓶を抱えた人魚の噴水を見付けた。夜間は稼働していないのか、水瓶から水は出ていない。波紋のない静かな水面を覗き込めば、微かな星の光と桜を映している。

「目が、痛い」

カラコンを外して噴水の水を掬い、顔を洗う。濡れた前髪を掻き上げれば、昔の自分がそこに居た。
カオスシーザーと。
呼ばれ始めた最初の理由は、黒ずくめの服装と不良らしからぬ黒髪の所為だと言う。不良の服装など判らなかったから、当たり障りの無い黒シャツとパンツを履いていただけだ。

『お前がグレてたなんてな』

近所に住んでいる呉服屋の息子は壮絶な反抗期を経て高校進学を諦め、然し幼い頃の夢だったスタイリストを目指しながら家の手伝いをしている。
彼に夜の繁華街で出会った時、カルマは当時幅を利かせていたグループと乱闘中だった。騒ぎを聞き付けた警察の乱入で一同散りじりばらばらに逃げていた時、小学生時代集団登校で同じグループだった彼に助けられたのだ。

『大人しい奴かと思ってたんだけど。おれがグレてた時コンビニで屯ろってたら、お前いつも睨んでたろ』
『あ、いや、…違います。いつも友達と楽しそうだったから、羨ましくて』

色んな事を話した。
色んな事を聞いてくれた。
不良だったなんて信じられないくらい穏やかな彼は、何でも聞いてくれた。何でも教えてくれた。

同性愛を知ったと言った時も。
男子校に入りたいと相談した時も。

『向かいのマンションの三階にさ、二人組が住んでんの知ってっか?あれ、かなりそれっぺーと思わねぇ?今度ツケてみっか?』
『え?』
『デジカメ貰ったんだけどよ、ミシン以外の電化製品は使わねーからさ、やるよ。キスシーンくらい撮って来い』
『あ、有難う。でもこんな高いもの、』
『で、寮があって私立で閉鎖的な男子校、っつったらやっぱ西園寺か帝王院だな。西園寺は県境だから遠いし、帝王院の方が制服がカッケー』

作ってやるよ、と。
不良ファッションを教えてくれた彼は、たった三日で制服一式作ってくれたのだ。何かあったら電話しろと。不良に虐められたらすぐに言えと。いつでも言えと。

6つ違いの彼は、兄の様だった。友達が居なくても放課後になれば会いに行けた。親に内緒で不登校を始めた時も、仕事の邪魔にならない時間はいつも彼の元へ足を運んだ。



「魔法が、掛からない」


良いか、魔法を掛けるんだ。
自分よりデカイ奴を相手に喧嘩する時は、自分は世界で一番動きが速いんだってな。
自分より速い奴を相手に喧嘩する時は、自分は世界で一番打たれ強いんだってな。

良いか、利き手は最初の一発と止め以外には使うな。利き手で勝てそうにねぇなら足を使え。それで駄目なら投げ飛ばすしかない。

良いか、負けると思った方が負けだ。魔法を掛けるんだ。


自分は世界で一番、強いんだってな。




一陣の風が濡れた頬を撫でた。
舞い落ちた白い花びらが水面に浮いて、月の様なゴールドコンタクトレンズがひらり、追い掛ける様に水面へ落ちていった。



「俺は、世界で一番、強い」

鏡の中に映る自分はまるで双子の様で、同じ外見でも中身はまるで別人の様に思えたのだ。

「俺は神だ」

水面の自分が笑った。

『違う、俺は、神じゃない』

誰かの声が聞こえる。

「俺が神だ」
『もう、誰も傷付けたくないんだ。もう、誰からも恐がられたくないんだ』
「正当防衛は罪じゃない。アイツは俺を探してる。そう、逃げられない相手なら倒すしかない」
『大義名分なんて、要らない』
「嬉しかった癖に」
『…黙れ』
「恵まれた王様に求められて嬉しかった癖に」
『黙れ』
「自分と同じ恵まれない太陽から求められて、優越感を感じたんだお前は」

水面の自分が笑った。
酷く恍惚めいた嘲笑を、くつくつくつくつ。

「俺が居なけりゃ満足に眠る事も出来ない犬を見て、喜んでたんだよお前は」
『違う、俺は喜んでなんかいない』
「俺以外に囚われた神帝に、腹が立ったんだ。俺以外にあんな姿を見せたアイツに、アイツのあんな姿を見た三人に嫉妬したんだろう?」
『出鱈目を言うな!』
「よわむし」


ぱしゃん、と。
水面に波紋が描かれる。無意識に突っ込んだ右足が濡れていく感触、靴の中まで。


「喉が、赤い」

最後に見た水面の自分の喉仏に、虫刺されの様な痕を見た。
薔薇の花びらの様に真っ赤な、小さな痕。

「欲しいなら、欲しがるべきだ。欲しがるなら、手に入れる努力が課せられる」

握り締めていた銀のリング。
死神の様な髑髏の指輪を眺めて、胸元に隠していた別の銀髪を取り出した。
こんなもので魔法なんて掛けられる筈がないのに。


可哀想な自分。


「ほら、…お前は人として不十分だ。努力を放棄した人間に与えられるものなんて高が知れてる。
  迷えば立ち止まり、止まれば老いる。ほら、お前に残された道は『破滅』だけだ」
『俺は、魔法なんて信じない』
「笑わせる」
『俺は、何も欲しくない』
「友達も平穏な学生生活も、か?笑わせるなァ」
『手に入れたんだ』
「おめでたい奴が」
『俺は陽の当たる場所で、笑いながら皆と一緒に、』
「ならば空を見てごらん」


悲鳴の様な風が止んだ。



「なァ、可哀想な遠野俊」


唇に浮かべた笑みの種類も、濡れた右足を引き抜いた後の波紋も見ていない。





「光なんて、何処にあるんだ?」

それはまるで嘲笑するかの様に、優しく妖しく無慈悲に、光の無い夜。














「…余興に付き合うのは、此処までだ」


世界を震わせる囁きに、三人の少年達が弾かれた様に振り返り硬直した。
固く縛っていた筈の鞭は引き裂かれた様にパラパラと地に踊り、緩やかに立ち上がった凛とした長身が仮面を外す。

「き、君、」
「その、か、顔は…っ」
「─────走れ!」

一人が鋭く叫び、皆が一斉に背を向けた。

彼らが覚えているのはそこまでだ。


「…下らん手間を掛けさせてくれる」

死んだ様に動かなくなった三人を見下す金の双眸が睨む様に闇を見つめ、長い銀糸が舞い落ちた。
ふわり、と。闇を貫く白銀の下から、短い白銀が現れて。

彼は新月に現れた月と化すのだ。



「俊」

抱き締める為の腕を取り戻し。
名を呼ぶ為の唇を取り戻し。
名を呼ばれる為の人格を取り戻す。
生徒会長が果たす責務などに興味は無い。父親の名に恥じぬ程度の働きと、好奇心を埋める為だけの行動。生きるのに必要なものは、ただそれだけだ。

「他人から与えられた食料を口にするなと、言った筈だが。…仕方ないな」

喉元に赤い赤い所有の証。
胸元から微かに黒のドッグタグが見えた。
即ちあの生き物は、自分のものだ。

「化け物を怖がる体躯を囚え込み、他の誰からも奪われぬよう喰らい尽くしてしまおうか」


気分が良い。
望まずとも与えられた神の名を捨てるのは、こうも清々しい事だったのか。
生きる事にも死ぬ事にも無興味だった自分が、ほら、こんなにも気分が良い。


近付いてくる気配を感じた。
静かに静かに近付いてくる気配を。
まるで獲物を仕留める前の猛禽類の様に、まるで臆病者が様子を悟らせない様に、ひっそり。足音もなく。


「しゅん」

無意識に発した言葉で気配が動きを止めた。その心臓の音が鼓膜を震わせる錯覚。
上空で発生した風が唸り、僅かな星の光を覆う雲を呼んだ。

「カイ、ちゃん?」

恐る恐る尋ねてくる声音。
闇の静寂から頭を覗かせた黒曜石の双眸が見開かれ、万年雪が溶ける様に潤んだ。

「会長、居ないにょ?さっき、そこに会長が居たにょ。さっき、そこに会長が立ってたにょ」

動かない気配が鼓膜を震わせる。例え嵐の中でもその声は鼓膜を震わせるだろうと、考えて目を閉じた。

「俺だけだ」
「モテキングさんが誘拐されちゃったにょ。だから、助けてあげたかったにょ」
「そうか」
「犯人は神帝だって、王様攻めがモテキングさんにセクハラしてたにょ。見てないけど、僕は知ってるにょ」
「早く姿を見せろ、俊。声だけでは足りない」

近付いてくる気配。跳ねる様な足音、覗き込む気配、瞼一枚向こう側に、きっと。

「カイちゃん、お目め痛い痛いしたにょ?」
「さぁ、どうだろう」
「カイちゃん、髪の毛ボサボサになってるなり。綺麗綺麗してあげるにょ」
「ならば、早く」

伸びてくる指の気配、たじろぐ様子、必死に手を伸ばして届かない指が耳元を擽る。

「カイちゃん、ちょっと屈んで欲しいにょ」
「嫌だ」
「ふぇ?爪先立ちでも届かないにょ」
「お前の頼みは聞かない」
「ふぇ」
「お前は俺の言い付けを破った」

狼狽える気配。しょんぼり肩を落とす様子。耳元を掠めていた指先が離れて、恐らく俯いているだろう黒曜石の双眸。
抱き締める為の腕を、口付ける為の唇を、名を呼ばれる為の人格を。手に入れて尚、不足を感じるのは人の欲。



人間の、欲だ。


「カイちゃん、怒ったにょ?ふぇ、絶交するにょ?」
「嫌か?」
「やだ」

目を開いた。ごしごしと目元を手で擦りながら俯いている黒髪を眺め、もう一度目を閉じる。

Close my eyes、全て捨て去り魔法を掛けよう。
次に目を開いた時は醜い人間。呪文を唱えて魔法を掛けよう。


「許しを願うなら、口付けを」
「ぇ」
「それ以外の容赦は存在しない。手放したくない者へ、所有の証を刻み込むだけで願いは叶う」
「証って、ちゅーのコト?」
「赤い紅い、烙印だ」


迷えば良い。
悩めば良い。
取り返しの付かない所まで迷い込め、たった一つの選択肢に希望を抱くほど疲弊し手を伸ばせ。
止まるならば寧ろ喜んで、他の誰からも奪われぬ場所で二人きり。
老いるならば寧ろ望んで、


「俺はお前だけ在れば他に何も望まない」
「カイ、ちゃん」
「お前の声を聞くだけの耳とお前の姿を見るだけの目と、口付ける為の唇、抱く為の腕。それが全てだ」

近付いてくる気配。
早く迷い込め、早く止まってしまえ、早く、魔法を掛けろ。二人の人間が共に老いる魔法を。



呪文は最早唱えられた。
赤い紅い禁忌の実と同じ所有の烙印で、



「カイちゃん、」



早く早く早く早く早く、人間へ生まれ変わる魔法で。
優しく髪を撫でるその手で、


「お月様みたいに、綺麗ね」



その唇で。






     

Fragile nocturne








「…ちょっと、屈んで欲しいにょ」



私を殺せ。

←いやん(*)
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あきゅろす。
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