帝王院高等学校
第二番:見下す覇者の息吹
昔、母親と言う生き物が笑いながら話していた事がある。



お前は人間ではないのだと。
お前は生まれるべきではなかったのだと。
お前は“あの男”の代わりに不幸をもたらすのだと。


甘い甘い薫りを漂わせた女が繰り返し繰り返し嘲笑いながら、何度も。



  ─────囁いていた筈だ。












Canon Symphony-輪唱響曲
第2番:見下す覇者の息吹










狂い死んだ女の記憶など、最早手放して久しいが。











「準備万端、だな」
「俺は心臓が止まりそうだよー」
「俺は毎日20回は止まってるぞ!ハァハァは寧ろノンストップだがな!ハァハァ」
「ちょっと待って、今のその格好でそれはやめてねー。………黙ってにっこり笑っとけば、案外美形の枠に入るんだからさ…」
「ふぇ?」
「背は高いし今気付いたけど足もそこそこ長いし、目付きの悪さを差し引いてもそんな服着てたら貴族ってゆーか、軍人っぽいってゆーか…」
「タイヨー、どーしたにょ?はふん、むにゅむにゅ言ってても残念ながら聞こえないなりん。然しながらその可愛さで聴覚が麻痺してますっ!視力は20.0になるけどもっ!」
「…」








居ない。



誰も何も闇一色、瞬き始めた星の微かな光など何の意味も持たないのだ、と。


「─────」


吠える様に唸る様に腹の奥底から急速に這い上がって来る、空より暗い『何か』。
素早く駆け上がった調整塔の壁を視た。すぐ手近にある梯子にすら構わず、僅かな助走だけで壁を蹴り上がった先に見たのは、厳かに巨大な羅針盤だけだ。

他に誰も何も存在しない。
恐らく、は。


「…煩い」

風の音が酷く耳障りだ。
空の慟哭が酷く近くに聞こえる。
最終フライトの国外船が飛んでいくジェット機の音、風に靡びく白銀。

全てが邪魔にしかならない。


「邪魔だ」


昔聞いた夢物語を思い出した。
創世記に記された、アダムとイブ。もしかしたならこの世界には、初めから二人しか必要無かったのかも知れない。
神の禁忌に触れて林檎など求めなければ、互いに互いだけが全てのまま満足していたなら。

「ノア・インスパイア」
『カイザー=ルークを確認、ご命令を』
「セキュリティ一斉強化。…不審者並びに逆らう者は残さず黙らせ、」


には【憎悪】など必要なかったのではないかと。









「クロノスライン・オープン、施設内全域に可能な限り聞かせたいんだけど。出来るかな?」
『コード:アクエリアス、サブマスターを確認。オーバードライブ指示で放送開始します』
「クロノスライン・オーバードライブ、っと」
「良く聞け、…狭い世界に暮らす脆弱な生き物共」







耳障りな雑音が増えた、と。
緩く目を細め、では何故その声は他の雑音による阻害を受けていないのかと考えた。
全てを支配させる圧倒的な威圧感がスピーカー越しに、全ての音を打ち消す静かな声音が世界を満たす。

『人質を4人、預かった。返して欲しいなら交換条件だ』
『わー、助けて風紀の皆さ〜ん。カルマの人に拉致されましたー。天皇猊下と烈火の君と僕ともう一人捕まってますー。…えっと、助けてくれた人には体でお礼しますから宜しくねー…はいっ?!』
『と言う事だ。さァ、この俺に刃向かうならば人質の身の安全は保証しかねる。…検討願おうか、神帝陛下』


だから、赤い赤い林檎など求めなければ良いのに。
目の前には闇一色の世界、背後には真紅の時計台。



「不審者並びに逆らう者は残さず黙らせ、…天皇以外は排除して構わん」
『了解、通告致します』
「セキュリティライン・オープン、嵯峨崎零人のリング反応を検索」
『エラー、反応ありません』
「─────嵯峨崎佑壱の全権限を破棄。…現在地を」
『コード:ファースト強制排除、ターゲット捕捉。ティアーズキャノン四階に確認、人員を向かわせます』
「構わん、…私が行く」

闇一色のスクリーンに足を踏み出せば、ただただ重力のまま真っ直ぐに落ちていく体。



「noir(黒)」



無意識に囁いた台詞は誰にも届かない。頭から真っ逆さまに落ちていくのにも構わず、胸元から取り出したプラチナに目を細めた。

「プライベートライン・オープン、…ディアブロ」
『テメェ、今の聞いたか?』
「ファーストを見付け次第報告しろ」
『ああ、アイツなら寮に、』
「カルマを一人残らず捕縛する」

銀に光るリングを視た。
それよりも一際煌めく白銀のリングには関心が無い。

『へぇ、マジになってんじゃねぇか。…まさかとは思うが、人質なんかになりやがったキモ眼鏡の為じゃねぇだろうな』
「悪いが、私の視界に踏み込むなと全人員に通告しておけ」
『はぁ?』
「そなたであろうが例外ではない」

従順に開いていく目の前の硝子窓を掴み跳ね上がる様に中へ潜れば、短いスカイダイビングも終わり。

「ノア、夜の眷属に与えられしは黒唯一だと今一度思い知った。赤は林檎、私には必要無いものだ」
『意味判んねぇっつーんだよ』
「目に入った人間は残らず処分すると、…伝えよ。鮮血でキャノンを染めたくなければな」
『ったく、何ブチ切れてやがる!良いか、テメェは此処を何処だと、』
「この世は等しく全て、我が掌中だ」
『待てフェイン、』

耳障りな雑音を遮ってしまえば、人気の無い廊下は酷く心地好かった。


「…面映ゆい」


瞼を閉じて耳を澄まし、探すのはただ一人の声。見たいのはただ一人の姿。

「私の耳に谺する全てのノイズを跪かせよう」

慌ただしい足音を遥か足の下で聞いた。恐らく地下だろうと緩く目を細め、見回りだろう別の足音が複数近付いてくるのに髪を掻き上げる。

邪魔なものだ。
つい最近までこの身のものだった髪でさえ、酷く目障りだった。
理由は些細に尽きる。久方振りに興味を持った人間が姿を消して、ただの気紛れから切り散らしただけの、些細な。


「俺の目に入るのは、…お前達では無い」

リング命令で校舎内の照明を全て消せば、月明かりすら存在しない闇に幾つかの星の光が瞬いた。
近付いてくる足音が狼狽の声を運び、闇の中でこちらに気付いたらしい足音が警戒を顕に近付いてくる。

「そこに誰か居るのか?」
「執行部役員なら所属部署を言え!」
「おい、誰かライトを…ぐっ」
「?」
「どうした?!」



耳障り。
理由は単純明快、たったそれだけだ。闇の中で瞼を閉じてしまえば、最早この網膜はあの些細な星の光さえ拒絶して、


「所属部署は左席委員会。コード:アリエス、…ただの執行部庶務席」

瞼を閉じてしまっても、曰く『人知を凌駕した』身体能力は易々と雑音を黙らせる。

「尤も、聞こえてはいないだろうが」

沈黙した人間、恐らく中央委員会執行部だろう部下を踏み越えて記憶のナビゲーションだけを頼りにひた歩いた。
四方八方から人の気配がする。複数の気配が邪魔をして、探しているものは見付からない。

「…また、面映ゆい所に入ったものだ」

突き当たりのダクトから二人分の気配が近付いてくる。近付いてくると言うには些か語弊があるだろう。このダストシュートは、一階にも別のダクトが存在しているからだ。
十中八九、一階で外に出るだろう二人分の気配には覚えがある。ならば迷う必要は無いだろう。
躊躇わず飛び込み、二階辺りまで落下してから片手片足を使い停止した。


後は地下から逃げ登ってくる二人を待つだけ。


「高野健吾、神崎隼人」


彼らは罪深き咎人なのだ。
罪無き生徒を捕えた男の手駒である限り、



「飼い主の元へ、…道案内せよ。」


偽りの銀髪と同じく、目障りでしかない。














凄まじい威圧感に恐怖を織り交ぜた気配が消え、隣の男が短く息を吐いた。

「行ったか。…もうええで、息しぃや」
「げほっ、ごほっ」

止めていた呼吸を再開し咳き込みながら立ち上がり、星の光が瞬く夜空を横目に巨大な羅針盤を見上げる。

「気張りや?風びゅうびゅう吹いとったさかいにな、心臓の音まで止める必要無くて儲けもんやったんやで?」
「…心臓かよ」
「あかんな、一年坊主はアイツを知らん過ぎる。神帝の鼓膜は犬並み、地獄耳なんやて」
「何処まで本気なんだ、アンタ」

肌寒さから腰に巻いていた黒い私服のシャツを羽織り、呑気にフェンスへ凭れ掛かりネクタイを緩めている男を一瞥する。
本来ならば担任だっただろう男を。

「いつでも真面目やで、俺はな」
「…アンタだってABSOLUTELY側だろ」
「良う知っとんな、藤倉」

大分崩れたオールバックを片手で整えながら、もう片手をジャケットの内側へ突っ込む東雲村崎に舌打ちを噛み殺した。舌打ち厳禁のカルマでは、佑壱に殴られたくなければ噛み殺すより他無い。

「ABSOLUTELYの二代目、伝説の。…誰も教師やってるとは思わねぇぜ」

携帯を取り出した村崎はそれを耳に当て、擽る様に笑う。

「まぁ、何だかんだ理由探すのも正直面倒いっつー訳で。俺は俺の仕事するだけやわな」
「夜間補導でもすんのかよ」
「いーや、顧問としてのお仕事。」

意味不明な台詞を宣った村崎が突如片眉を跳ね上げ、弾かれた様に階下を覗き込む。今にも落ちそうな背中に眉を寄せて、


「まっさか、ゼロがやられちまうたぁな…」
「んだと?」
「いやいや、大分予想外やで。あかん、舐めとった言うか、保護対象に手ぇ噛まれたっつーか…あかん、あかんでこれは…」
「東雲センセー?」

覗き込んだまま微動だにしない背中に近付いて、怠惰に座り込みながら大分静かになってきた階下を見やる。
健吾はどうしているだろうかと考えてから、苛立たしげに頭を掻いた村崎を仰ぎ視た。

「…やっぱ、あの人が出てくるだけあるっちゅーこっちゃな。あっかん、俺ほんま殺されるんと違うか?」
「何をブツブツほざいてんだよ、さっきから」
「あー、あー…。大体からして俺はあの人よりもあの『笑う悪魔』のが苦手やねん!どないしよ、不味いで、ほんま不味いでぇえええ!!!」
「おい、」
『何が不味いって?むーちゃん』

語尾にハートマークが散っていそうな声が響いたのはその時だ。
何の気配も無く現れた声音は村崎の携帯から響いているらしく、相手は判らない。

「マ、マ、マ、マスター…」
『この僕の言い付けを守れなかったのかなー、むーちゃん?』
「いや、あの、その、ですから俺は…」
『わざわざ陛下自らが足を運んだって言うにも関わらず?ふーん?君ってそんなに使えない男だったんだねー』

村崎を蒼白にさせた声は優雅な笑い声を響かせ、

「か、勘弁して下さいよ、俺だって必死に…っ!大体、アンタは昔から、いや、貴方様は昔からそうやってネチネチネチネチ…!」
『アハハ、…何か抜かしたかい、若造?』
「申し訳ありませんでした、反省します」
『誰か隣に居るみたいだねー?まさかキングだったりする?』
「一年Aクラス藤倉裕也です、ほんますんませんでした許して下さい」

闇に向かって土下座する村崎を唖然と眺めながら、呪文の様な台詞と共に現れた光の粒をただただ眺めている。
緩いオールバック、オリエンタルカラーのスーツで身を包んだ品のある30代だろう美丈夫。見覚えはない。



ただ、


『やぁ、初めまして藤倉君。君はきっと後ろの彼が気になってそれ所じゃないかも知れないけど、まずは挨拶させてくれるかな』

男の背後に佇む異様な威圧感を滲ませた人間、に。
まるでホストの様な整った容姿で真っ直ぐ見据えてくるその、に。


『僕は君と同じ昇級生、山田太陽の父親です。うちの子を見掛けたら、気軽に話し掛けてあげてね』


全ての音も光も、呑み込まれている。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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