帝王院高等学校
第五番:再会へ続く序曲
「じゃ、帰るわね」

湯気を立てるタッパの中身に満面の笑みを滲ませ、彼女は使い慣れたエコバッグを掴む。

「俊江、今度のお父さんの命日には、お前も顔を出しなさいな」
「やーよ。親戚一同集まるんでしょ?また愚痴愚痴言われたら、今度こそ皆をバチ回すわよ!」
「直江の嫁さんは悪い人じゃない。ただね、父さんが直江じゃなく俊江に継がせたがった所為で、ちょっと神経質になっただけなんだ」

気遣う母の声に片眉を跳ね上げ、腕を組みむぅむぅ唸った彼女は短い息を吐く。

「しゅんしゅんを見てから父さんが変わったのは判ってんだろ?そりゃ、シューベルトとの結婚を随分長くまで反対したさ父さんは」

息子と旦那の愛称を口にした母を横目に、今まで座っていたソファに腰を沈める。

「医学しか知らない、頑固者だったからね」
「シューちゃんを学の無い馬の骨って言ったのよ。年下で高校にも通ってないからって、それだけで」
「直江の所に孫が生まれた。それでも父さんは、生まれた和歌を抱き上げようともしなかったんだよ」
「む」
「ランドセルを3つも買って貰えたのは、しゅんしゅんだけだ。和歌も舜も、お祖父ちゃんの笑った顔なんか殆ど見ちゃいないよ」
「でも、」

言い掛けて、彼女は口を閉ざす。
父親が生前大切にしていた柱時計が刻む音を暫し聞いて、また、短い息を吐いた。

「シューちゃんは夜間高校に通いながら、アルバイトから今の会社の社員になった。立派よ」
「ほんに、出来た旦那様だねィ。毎月毎月、父さんの仏壇に日本酒を持ってきてくれるよ。死ぬ前のたった数年、二人が仲良く呑んだのは何回かだけだと言うのに」

仏壇に向かって笑い掛けた母が、「罰当たり」と呟いた。頑固者の父にただの一度も逆らわなかった母が、小さく。はっきりと。

「罰が当たったんだよ、父さん。可愛い孫の入学式も、これから先の結婚式も。…父さんは除け者だ」
「母さん」
「シューベルトから貰った酒は美味いだろう?しっかり反省なさい、父さんは娘を泣かし私を怒らせた罰当たり者だからね」

二世帯住宅、同じ家に暮らしながら弟夫婦は別の暮らし、母はきっと独りぼっちのまま。

「母さん、一緒に住んじゃおうよ。俊のバカチンはとっとと一人暮らしなんかしやがって、シューちゃん一人しょんぼりプレステやる姿が浮かぶわ」
「そうなったら良いね。でもそれじゃ、お父さん独りぼっちになってしまうよ」
「そーね、ちィっとばかり可哀想だねィ」

笑いながら立ち上がり、つかつか近付いた仏壇を偉そうに見据え、


「バカ親父、日曜日にシューちゃんと一緒に来てやらァ。首洗って楽しみにしとけィ」

仕方ないとばかりに肩を竦めた人は笑う。
晴れやかに、



「お盆にゃ、うちの俊を墓前にお供えしてやるわよ」


  ─────清々しく。







輪唱交響曲
  第5番:再会へ続く序曲





肩に触れた誰かの手が離れる。
すぐ隣を通り過ぎた白にも銀にも見える何かが星の光に照らされて、

「処分対象者はカルマ、…現状除外対象は山田太陽君だけの様ですね」

囁く二葉の声を聞いた。
暗闇の中で健吾と隼人が動く気配、なのに二葉の声は近付いてくる。

「目を閉じたまま歩くのは感心しませんね。こう暗ければ転びますよ」
「何故二人を取り逃がした、そなたらしくもない」
「勇敢な邪魔が入りました。さて、嵯峨崎君を尾行して来たんですが、可笑しいですねぇ」

何処までも優雅に笑う声音が目の前に。
沈黙してしまった佑壱を背後に、二葉の向こう側に背を向けたまま佇む長身をただ眺めている。

「お陰で、嵯峨崎君も高野君も神崎君もゲームオーバー」
「何、何、皆に何やったんだ、アンタら」
「おや?人質の山田太陽君、陛下は自ら貴方を救いに見えられたのですよ」
「陛下って…何で、だ、だって、イチ、イチ先輩が、うご、動いてない。他の皆、何処に行った…んだよ」
「恐らく気を失っているだけではありませんか?まぁ、陛下に慈悲があればの話ですがねぇ」

躯の震えが止まらない。
そう言えば俊は何処へ行ったのだろうかと考えて、先程佑壱が蹴り付けていたダストボックスの蓋が足元に落ちている事に気付いた。
何故、こんなものが落ちているのだろう。何故、二葉の声しか聞こえないのだろう。

繰り返した筈の作戦なんかすっかり忘れてしまった。怖くて頬が痙き攣る。
二葉の向こう側に見えた、背中が。星の光に照らされて、キラキラ煌めくプラチナが。怖いから、その指を振り払えないのかも知れない。

長い指先、目尻を撫でた。


「何を泣いていますか。ああ、恐かったんですね」

独りぼっちにしないで欲しいのに。
まるで深い闇に一人残された様な孤独ばかり、



「作戦開始」



要の声がした気がする。
足元に落ちていた銀の蓋を掴んだ誰かの手がそれを二葉に投げ付けて、二葉の姿が闇に消えた。

「な、」
「壁に耳あり、障子にメアリー。新月にカルマありー」

ニヤリ、笑う隼人が目前に。
ぽん、と肩を叩かれて見れば笑う健吾がサングラスを掛けたまま薄く笑っている。暗闇に紛れるとこの距離でも俊そっくりだ。

「不意討ち成功(∀)」
「ふ、大分手間が省けました。礼を言いますよ」
「おや、参りましたね。陛下は何処へ行かれたのでしょう」
「神隠し」

急激に明るくなった。
煌めく隼人の指輪が見える。太陽が持っているものと良く似た、シルバーの。

「神様は連れてかれたよお、お月様に」
「金色の満月に」
「鬼さんこちら、手の鳴る方へ(´Д`*)」
「4対1、…大分そっちの分が悪いんじゃねぇか?叶」

歌う隼人、笑う要、その場で弾む健吾に、ぐいっと引き寄せるのはきっと佑壱の腕。

「…貴方はやはり囮でしたか、嵯峨崎君」
「俺に気付かれず尾行したテメーにゃ呆れっがな、計算済みだ」
「卑怯な真似をしますねぇ、人質とはまた」
「卑怯?貴様がそれを言いますか、セカンド」

佑壱の腕が巻き付く腹を見つめながら、闇に慣れた目が要の横顔に気付く。

「初めから総長は貴方になど目を向けていません。敵はただ一人、ですから俺らだけが残された」
「ボスは弱いもの苛めが嫌いだもんねえ」
「総長ならば早くから隼人の足音に気付いた事でしょう。だから待ち伏せた」
「最初から待ち合わせは此処だったんだよ(∀) 狂ったのは、タイヨウ君も付いてきちゃったトコかな(´∀`)」
「総長は隼人の気配が『動いてから消えた』っつったからな。…つまり、地下。アンダーラインに隼人を匿った」

隼人のクスクス笑い、そっと唇を寄せてきた健吾に囁かれた台詞は一つ。『もう良いよ』

「やはり、セントラルを知り尽くした嵯峨崎君相手では少々分が悪かった様ですね。…然し我々に障害は無いに等しい」
「…んだと?」
「人質は最初からコイツ一人だからな」

構える佑壱の隣で要が跳ね下がる。
舌打ちしたのは恐らく隼人だろう。隣に現れた声に聞き覚えがあるのは、太陽だけではない筈だ。


「も、やだー。隼人姫はオージ様よりオー様に抱き締められたいのにー」
「動くなよ、嵯峨崎。もう一本折られたくねぇならな」
「高坂…!隼人を離しやがれ!」
「離すわきゃねぇだろうが、馬鹿犬が」

パチン、と渇いた音と共に全ての光が灯される。
二葉の手に捕まった健吾に、日向の手で壁に押し付けられた隼人。佑壱に抱き抱えられた自分、佑壱を庇う様に片腕を広げる要。
一気に見つめあう4対3、相変わらずこっちの人数の方が多いにも関わらず、人質の数は2対1だ。

「ったく、テメェのお陰でこっちはゴミ箱ダイブなんざさせられてんだよ糞餓鬼。暴れんな、無駄だから」
「ちっ、てめえなんかボスの回し蹴り食らって死んじまえー」
「だから暴れんなっつってんだろ、犯すぞ糞餓鬼」
「ママー、助けてー」

腰パン姿で日向を蹴りまくる隼人に睨む日向、今にも舌打ちしそうな佑壱が太陽から手を離し、どんっと突き飛ばした。

「うわっ」

突き飛ばされた太陽と言えばポテっと転び、日向の尻にダイブ。

「ふぎゃ!」
「…テメェ、ヒロアーキ=ヤマダ」

打ち付けた鼻を押さえながら恐る恐る見上げれば、半切れ気味の日向に踏み潰されてしまう。

「むぎゅ!ふ、副会長っ、ヒロアーキじゃなくて、ひ、ヒロアキですっ」
「あー?聞こえねぇなぁ、」

隼人に蹴られながら太陽を踏み付ける日向が、然し弾かれた様に隼人から手を離し飛び退ける。
太陽の顔ギリギリに落ちてきた白いローファー、汚れ一つ無い革靴を凝視した太陽がやはり恐る恐る顔を上げた。

要の呆然とした眼。
佑壱が随分面白い顔で弾き退いた日向を支えている。恐らく条件反射だ。

頭を壁に押し付けられた隼人は曖昧な笑みを滲ませ、僅かに離れた所で尻餅を付く健吾がパチパチ瞬きする。



「…おや、高坂君。神崎君から手を離しては駄目ではありませんか」
「おま、お前が邪魔しやがったんだろ!」
「おや、可笑しいですねぇ。何故、山田太陽君が私の足元に?跪くなら靴を舐めなさい」

いつも通り、麗しの微笑のままほざく二葉に痙き攣り笑いを浮かべた太陽が、うっかり呟いた。
これは俊から叩き込まれた『作戦』だ。


「アンタ、俺に惚れてんだろ」

呟いてからズッ転んだ佑壱が日向から殴られている様子を聞き、吐き気を催す台詞をまだまだ続ける。

「す、好きな子を苛めるなんて、ダサいぜベイベ」

狙いは敵の精神的ダメージだ。
恐らく自分が一番精神的ダメージを食らっているが、背後で佑壱と日向が仁義無き低レベルな喧嘩を繰り広げている今現在、突っ立ったままの要達から二葉を引き離す必要がある。


銀鬼は親友が連れ去った。
黒鬼は自分が連れ去らなければ。

「お、俺が好きなら…いや、間違えた。えっと、俺が欲しいなら?いっそ正面から正々堂々攻めて来い?」

零人達の元へ。
恐らく二葉を止められるだろう、人質の元へ。
曖昧な記憶で下手な芝居を打ち、佑壱を守るべきか二葉を警戒するべきか判断に迷っているらしい要を横目にしゅばっと立ち上がった。


「俺に惚れたら火傷するぜ!」

顔から火を吹きそうな捨て台詞然もアドリブを吐き捨てて、日向と佑壱の隣を走り抜ける。
終始無言だった二葉に羞恥心最高潮の太陽は、もう作戦所ではない。


死ぬ。
悶え死ぬ。
無理だ。
無理過ぎる。

何だあの不可解な台詞は。
さっきまでのRPG気分で盛り上がった心は酩酊状態だったに違いない。じゃなかったらあんな台詞、間違っても口にしたりしなかった筈だ。


今にも冷たい水風呂に飛び込みたいほど真っ赤な太陽は暫し走り回り、地下から登ってきた螺旋階段の中腹で足を止める。


振り向いた。
誰も追ってこない。

「はぁ、はぁ、何だよ畜生、ふぅ、はぁ、誰も来ないってどんだけ寂しい人間だい、げほっ、はぁ、はぁ、俺は」

あの台詞で怒り狂った二葉が追い掛けて来る、作戦は失敗だ。
このまま零人の所へ戻るのも良いが、誇るべき烈火の君を放置した教え子として怒られそうで怖い。
二葉と一緒に吊されるかも知れない確率十割。何せ零人は前中央委員会長だ。
叩き起こした途端、プチっと潰されてしまう。


「どっちにしても、俺の色仕掛けで操るなんて無理だし…作戦失敗だ」
「色仕掛けねぇ」
「大体色仕掛けって何だよ!こっちはファーストキスも未経験の童貞、」

叫び掛けて唇を押さえる。
いや、ファーストキスは奪われたんだったと青冷めてまた赤く染まり、ん?と首を傾げた。
走り回り咳き込んだ時に浮かんだ目尻の涙が零れて、今の声は誰だと漸く顔を上げる。


螺旋階段の手摺りに腰掛ける、白。
白いブレザー、緩み切ったネクタイ、ボタンが外された黒いシャツ、組まれた長い足。


白いローファー。


「お、追い掛けて来た、ん、ですか、あ、あはは、白百合閣下…」
「ええ、弱いもの苛めは趣味ではありませんのでねぇ。高坂君一人で充分でしょう?」
「いや、それは副会長が可哀想だなー…とか、思ったり」

艶やかな黒い前髪を掻き上げ、スタリと手摺りから降りた長身が緩く首を傾げる。
じりじり後退りながら、残り少ない階段を恐る恐る反対向きに降りた。

「火傷を負いに来たんです」

降りる度に近付く白い革靴。

「正々堂々、正面から」

一歩一歩、真っ直ぐに。近付いてくる長い足から逃げる度に、また、近付いてくる長い足。

「…どうして逃げるんですか。貴方を助けに来たのに」

囁く声、階段が途切れバランスを崩し転んだ。尻餅を付きながら、近付いてくる男を見上げて、



「お礼して下さるんでしょう?」


声も無く震える躯は、誰のものだろう。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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