帝王院高等学校
ワンコ誘拐されても腹は減る
「どんな生き物だって、独りぼっちが淋しいから種を残すんだ」

そう言った男は珍しく笑みを滲ませていたと記憶している。

「孤独は何万本の刄より心臓を抉る。心がを流せば、それを止める薬はない」

判るか、と。
穏やかで暖かい掌が、頭を撫でる感触が好きだった。


「ナイト、…お前のその名を口外してはならない」
「何故だ」
「さぁ、何故だろう?」

揶揄めいた口元も、静寂した眼差しの意味も知らない。

「私の事を憶えておいで。けれど決して他言してはならないよ。私はもう、…存在してはならない人間なのだから」

その穏やかで暖かい掌は、

「私達は存在している。それを何故、偽らねばならない。誰に偽る必要が、何処に存在するのだ」
「お前がナイトだからだ」

いつも、月の無い夜に現れた。

「気高い騎士は剣命に懸ける。私は確かに存在しているのだ。何故、偽らねばならない」
「私の義兄は死んだ」
「─────何?」
「キングは、私が殺した筈だった」
「どう言う意味だ」
「知らないままで良い。…ナイト、お前だけはただただ、幸せに」


穏やかで暖かい掌が、頭を撫でる感触が好きだったと思う。
けれどその寂寥と愛情を織り交ぜた様な眼差しが何を視ているのかには、








「哀れなルークの分も、…お前だけは。」



その時は、気付きようがなかった。

















『クロノスセクション。左席委員会プライベートスクエアへようこそ、マスタークロノス』

正座で硬直している俊の隣、メモを取り出した太陽と桜が姿の無い機械音声に辺りをキョロキョロ見回している。

「マスターって、僕の事でイイにょ?ふぇ、ふぇ、マスタードよりカスタードのほ〜が、アイスクリームには合うにょ」
「マスタードは肉に合う。例えるならば、ソーセージやウインナーだろうか」

村崎のおやつらしい業務用のバニラアイスを小皿に盛り付けた神威と言えば、黒縁9号を無駄に格好良く押し上げ、桜が持参したハート型の金平糖を飾ってご満悦だ。

『マスタークロノス、左席委員会生徒会長の声紋を認証するに当り、質問にお答え頂きます』
「俊、どうだ。可愛らしく盛り付けてみたぞ」
「ハイ、元気デス」
『左席委員会執行部は白羊宮、双魚宮までの十二宮を抱える事が許されます』

緊張の余り眼鏡を今にも吹き飛ばしそうなオタクを眺め、オタク(大)は最高傑作のアイスをスプーンで一口。


「………」
「ハイ、外モ天気デス」

余りの甘さに硬直した神威は無言だ。
不可解な横文字ばかりを話す機械音声に混乱最高潮の俊と言えば、簾が掛かった窓辺の向こうを曇った眼鏡で見つめている。
夕暮れ間近の山辺は薄暗い。

『マスタークロノスを中心に、役員は全十二席。それでは役員を選出して下さい』
「…ふぇ?難し過ぎて放心してる間に何か良く判らなくなったにょ!カイちゃんっ、アイス一口ちょ〜だい?」

甘い物は余り得意ではないらしい神威が硬直しているのにも構わず、スプーンを奪いアイスを貪るオタクはチョコレートソースが欲しいと不満げだ。
間接キスには気付かない。

「俊君、多分だけどぅ、今から左席執行部を決めるんじゃないかなぁ」
「タイヨーと桜餅とカイちゃんとユーヤン、あとセクシーホクロきゅんにょ!それで全部にょ」
「それじゃ誰が誰だか判らないって…あれ?俊のカード、何か光ってない?」

機械音声の言葉を一言一句漏らさず速写していたらしい桜と太陽が首を傾げ、アイスに不満げな俊を抱き締めようとしていた神威が口を開く。


「…照明を落とした方が良かろう」
「電気かい?」

太陽が立ち上がり家庭用蛍光灯の紐を引っ張れば、炬燵の上に投げ出された俊のカードが赤い光を放った。紐に吊り下がった猫のマスコットを眺めていた俊を余所に、部屋は薄暗く光を失い、

「わっ、手帳が光ってるよぅ!何か文字がいっぱぃ!」
「不気味な色だなー、何だろ」

目を丸める桜が肩を震わせ天井を見上げ、赤い光を直接浴びた太陽が目を細める。

「俊、ちょっとこれ貸してー」
「ど〜じょ」

アイスに心と眼鏡を奪われている俊に一言断りカードを手に取れば、赤い光は壁にキーボードの様な文字列を浮かび上がらせた。

「バーチャルキーボードだね、最近流行ってるヤツ」
「ぅわぁ、ハイテクなカードだねぇ」
『マスターは左手親指をカード中央に当てたまま、十二宮へ選出する生徒を入力して下さい』
「だってさ。俊、カード持ってて。とりあえず俺から承認して貰うからさー」
「判ったにょ」

太陽が手に取ったカードを俊へ渡し、炬燵の上にカードの光を当てた俊は無表情で興奮状態。

『マスター指紋認証中。対象生徒の学籍コード、並びにクロノスセクションで利用される十二宮コードを入力して下さい』

どんな仕掛けかオタクには全く判らない光のキーボードを眺めながら、父親のビールに付いていたシールをこっそり集め、余った年賀状で応募した懸賞で当たったパソコンとは全く違うのに感動しているらしい。

「学籍コード01S11921と、十二宮コード…何か良く判んないなー。水瓶座って何だっけ」
「えっとぉ、確か宝瓶宮じゃないかなぁ。小説で読んだ気がするぅ」
「宝瓶宮、ね。ありがと、桜」

炬燵の上に浮かび上がるキーボードを叩いた太陽が、ポンッとエンターキーを弾けば、


『対象生徒名は山田太陽、高等部特別進学科一年。対象を認可される場合はマスター声紋により、セクションスクエアを開いて下さい』
「ふぇ?マスターって僕の事でイイにょ?」

全く意味が判らない俊が唇の端にアイスを付けたまま首を傾げ、暗闇なのを良い事にそれを舐め取った男が耳元に唇を寄せる。

「合言葉だ。クロノスセクション・オープン、お前にのみ許された時空解放の言葉」
「何か魔法の呪文みたいなり」
「そうだ、お前だけが魔法を使える。…俺を惑わせた様に」

近付いてくる鼻先の気配に怯んだ俊が足だけ入れていた炬燵の中に潜り込み、



「クロノスセクション・オープン、タイヨーを副会長に決めたにょ!」
『了解、クロノスサブマスターを宝瓶宮に認証しました。』

叫びながら、しゅばっと握り締めたカードを寝たまま突き付ける。
神威の鼻先を掠めたカードからOKの文字が放たれ、暗闇に目が慣れてきた太陽と桜が手を叩きあった。

「良し、サクサクやってこー!次は桜だ、桜は蠍座だったよなー」
「えっとぉ、確か蠍座はぁ…」
「天蠍宮、タロットの正位置は『死神』」

神威の股間が喋り、太陽と桜の視線が正座する神威の下半身に注がれた。当然ながら幾ら神威だろうと股間が喋る筈はない。
膝枕させているらしい、オタクが呟いたのだ。

「白羊宮、金牛宮、双児宮、巨蟹宮、獅子宮、処女宮、天秤宮、天蠍宮、人馬宮、磨羯宮、宝瓶宮、双魚宮。黄道十二門は、星座とは余り関係しない」
「俊君、物知りだねぇ」
「つか、俊?」

感心げに手を握る桜を横目に、雰囲気が変化した俊を覗き込もうと身を乗り出した太陽は、然し。
起き上がった俊が眼鏡を外している事に息を呑んで、炬燵に浮かび上がる光が照らすその表情を眺めた。


「サイデリアル方式では、白羊宮、つまり牡羊座は4月14日から5月14日を示す。だが然し、トロピカル方式を用いるならば3月21日から4月20日」

ぶつぶつと何事かを呟きながら、左手にカード、右手だけで尋常ではないスピードを維持しながらキーボードを叩く俊を、正面から見ている太陽と桜は放心していた。

「学籍コード01S11921がタイヨーなら、つまり01S11918が桜餅…Sクラスは30名…01A11931、01A11932、人馬宮並びに双魚宮へ登録」
『学籍コード01S11918、生徒名は安部河桜。学籍コード01A11931、生徒名は高野健吾、学籍コード01A11932、生徒名は藤倉裕也。以上を許可する場合は、』
「クロノスセクション・オープン、承認と同時に調べたい事がある」

普通、学籍番号と言うものは本人しか知らない。確かに生徒名簿を追っていけば答えは出るのだが、それに気付く人間は少ない。

「…何で、藤倉や高野のコードが判ったんだ?」
「スゴ過ぎますぅ…」

唖然としているのは桜や太陽だけではなかった様だ。
俊の背中を眺めていたその瞳が、俄かに瞬いた。


「クロノスが左席なら、…差し当たって中央はセントラルでイイか?」
『セントラルスクエアは中央委員会プライベート回線です』
「セントラルスクエア・オープン」
『エラー、中央委員会役員の回線接続は許可されていません』
「なら、左席にも役員専用回線があるんだろう?」
『クロノスラインへの接続はリング権限を用いる事で許可されます。
  帝王院学園敷地内全域に衛星通信が敷かれ、リング所有者による回線解除命令によって通信を開始します』

頷いた俊が胸ポケットに吊していた眼鏡を掴み、柄を咥えて目元にだけ笑みを滲ませた。

「受信した音声はどうなる?イヤフォンか、スピーカーか」
『敷地内全域に施された外部スピーカーによる出力となり、』
「判った、もうイイ」

見たのは太陽だけだ。


「つまり、人が居ない所で解除しないとマズいなァ。油断したら盗聴も有り得る。圧倒的不利はこちら、何より帝王院を支配している男が敵だ」
「俊」
「受信器、…そうだな、それこそイヤフォンか携帯で通話出来る様に改良しよう。どうやらうちには、優秀なメカニックが居るらしいからな」

眼鏡を掛けた俊が緩やかに立ち上がり、暗闇に同化した黒猫のマスコットへ手を伸ばす。


「クロノスセクション・クローズ」

カードの光が消えるのとほぼ同時に、蛍光灯が光を宿した。
山側を向いている為か、殆ど陽光が入って来ない窓辺の簾が、窓を叩いた風の力で揺らめいた。

「可愛い俊、帰っておいでー」
「会長代行、セーガ。気付いただろう?」

出窓の様に作られた窓際に腰掛けた俊が、眼鏡を押し上げる。首を傾げた桜を余所に、腕を組んだ太陽が胡坐を掻いた。


「…十中八九、神崎は左席絡みだなー。幾ら帝君だからって、授業免除に長期外出許可なんて有り得ない」
「ぇ?!」
「神崎は統率符こそ持たないけど、それに近い役職…だから、左席委員会生徒会長『代理』だった。そう考えられる」

外見の平凡さからは想像出来ない太陽の言葉に、ふわぁと息を吐いた桜がコクコク頷いた。
何故か疲れた様に嘆息した太陽が、腕を組んだまま窓辺の俊へ顎を傾け、


「で、どーすんのカイチョー?カード反応消滅とか言ってましたけど」
「何処に居るのかしら、副会長」
「帝王院全域ではないトコかなー、きっと」
「お出掛けかしら、モテキング」
「アハハ、あんだけ仲良くなった神崎がHRそっちのけで出掛けるかなー?」

ほのぼのと話し合う二人をキョロキョロ眺めている桜は、ボーッとしている様に見える神威の目前、炬燵の上に乗った俊のカードを手に取った。



「…でもこのカード、見た事ある様な気がするなぁ…」
「此処かぁっ、庶民愛好会とか抜かす巫山戯た部室はーっ!Σ( ̄□ ̄;)」
「煩いぜ、ケンゴ」

桜が呟いた時、蹴り開けられたドアからやんごとなき不良が二人入って来る。

「何か、貧乏臭い部屋だなー(´Д`) あ、居た居た、タイヨウ君とさくらんぼ、遠野会長殿!(´∪`) ………他、一名。」
「トーノカイチョー殿、かよ。面倒だぜ、これから遠野の事は殿って呼ぶぜ」

部室の管理責任を持った太陽が眉間に皺を寄せ、暖簾を掻き分け土足で畳に上がろうとした二人へ金平糖を投げ付けた。
パクン、と食べた健吾はともかく、辛うじて避けた裕也が条件反射で睨み付け、


「…その反抗的な態度は何かなー、藤倉君やい。日本人の癖に畳に土足で踏み込もうとしやがってこの馬鹿犬共が…」
「スンマセンでした」

素早く靴を脱いで、無表情で正座だ。窓辺で同じく正座している俊の眼鏡が、恐怖に震えている。


「へー、これが和室かよ(´∀`) 俺、初めて(∀)」

ぺっぺっと脱ぎ捨てた靴をそのままに、金平糖を噛み砕きながら上がってきた健吾が神威の隣を通り過ぎる間際、さりげなく神威の尻を蹴った。

「あー、ごめんねー?足が長いからさぁ、当たったっしょ?(´Д`*)」
「…」
(テメェがHRで総長にセクハラしてたっつーネタは上がってんだぞ、コラァ!一辺死ねや電信柱野郎…!)

見上げてくる黒縁9号を凄まじく冷たい表情で見下しているではないか。テレパシーの殺意がビシバシ放たれている。
それを見ていた桜と太陽は呟いた。

「ケンちゃんって…」
「美人だけど、…性格悪そうだなー」
「ま、まぁ、ほら、ご主人様を守る賢くて強いワンちゃんみたいでぇ、微笑ましいよねぇ」
「桜、それフォローになってない」

露出癖があるのかただの暑がりか、ブレザーを腰に巻いていた健吾がシャツを脱ぎ捨て、


「茶ぁ、しばきてぇなー(´Д`*)」
「きゃっ」
「高野、タトゥーが見えてる。お前さんはイチ先輩二号か」
「カッケーっしょ、俺の忠誠のア・カ・シ」

バチーン、と健吾がウインクを放ち、塩っぱい表情の太陽が無意識に俊を見やった。

「カイちゃん、お尻大丈夫?今のでロストバージンになってな〜い?」
「俺の貞操は無事だ」
「何の会話だい、お前さん方…」

何でも入ってるらしいガマグチから絆創膏を取り出したオタクが、今にも神威のスラックスを剥ぎ取りそうな勢いだが。見たくない太陽が絆創膏を取り上げて、セーフ。
シュンカイでは話が進まない。


「で、二人のトコにも川南先輩達が来なかった?」
「ん?いーや、俺らさっきまで購買に居たからなー、腹減って(∀)」
「何かあったのかよ、山田」
「川南先輩が錦織君とイチ先輩を連れていったんだよ」

炬燵に目を輝かせた、様に見える裕也が首を捻る。その隣に無理矢理割り込んだ健吾が緑茶のペットボトルをラッパ飲みし、



「モテキングが誘拐されたにょ」
「ごっきゅ、ごっきゅ、ぷはー。誰だっけ、それ(*´Д`)=З」
「確か、ハヤトの事だった気がするぜ。オレにもそれ、寄越せ」
「あー、何だハヤトかよ。飲め飲めイェイ!ヾ( `▽)ゞ」

二人で緑茶回し飲み中の二人は揃って沈黙し、



「…ハヤトが」
「…誘拐された、って?(@_@)」
「いや、反応遅いなー」
「あのハヤトが、か」
「ンな、馬鹿な…(~Д~)」

青冷めた二人が同時に俊を見やったが、俊と言えばシゲシゲと健吾を眺めてから太陽へ向き直り、



「お腹空いたから、ご飯食べに行きたいにょ」
「中央委員会は来ないけど、食堂にする?それとも自炊派?」
「僕がご飯作ってたら明日になるなり。僕は家事が全く出来ないにょ!」
「じゃ、食堂に行こっか」

炬燵の上を片付ける桜を手伝いながら、



「夜はちょっと用があるから、お腹空かないよ〜に、いっぱい食べるなりん」

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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