帝王院高等学校
結局、渡る世間は指輪ばかり
「つまらない事をなさいますねぇ、我が君は」

無人の中央執務室に、その人の姿はあった。乱れ一つ無いブレザーに、黒い王冠のバッジと規律の文字を象った金のバッジを煌めかせ、

「灰皇院、ですか。グレアムと帝王院を比喩したのでしょうが、…これではまるで人間そのものだ」

一枚の書類を見つめながら、ぽつりと。







「…貴方は『神』でなければならないんですよ、陛下。」





呟いた台詞は、誰にも届かずに。



















鏡の中に映る自分はまるで双子の様で、同じ外見でも中身はまるで別人の様に思えた。


『…は、神じゃない』
『俺は神だ』
『もう、誰も傷付けない』
『正当防衛は罪ではない』
『大義名分なんて、要らない』
『嬉しかった癖に』
『…黙れ』
『ならば空を見てごらん』


それはまるで嘲笑するかの様に、



『ほら、…お前は人として不十分だ』








優しく妖しく無慈悲に、光の無い夜。













「私の罪は二つ。親友を二人も殺して、自分だけが幸福を与えられた事だ」

煌びやかな教会で祭壇を前に跪いた女性が、黒いベールの下で囁いている。

「一人目は、好いた男と逃げる事を選べなかった私の代わりに、その男と結婚してくれた心優しい女」

胸元のクロスを握り締めて、懺悔するには感情の窺えない声音でひっそりと、

「二人目は兄様の生け贄になってしまった。私は、兄様を止める事も、好きな人に飛び込む事も出来なかった弱い人間なのだ」

ジーザス、小さく呟いてクロスを握っていない方の手で十字を切る。


「The name of the father the sun and holy-gorst, Amen.(父なるキリストとその子供と聖霊の御名に於いて、アーメン)」

神父も牧師も居ない場での懺悔は、神に届くのだろうか、と。



「こんな所に居たの、ハニー?」
「…レイ?」
「暖かくなってきたからって、薄着は身体に悪いよ」

心の中で呟いた時、背後から優しく抱き締められた。振り返らずとも判る愛しい声にベールの下で目を伏せて、肩を抱く左手薬指に輝くリングから目を逸らす。

「こんな所でぼーっとしてないで、ディナーに行こう。美味しいインド料理の店を見付けたんだ」
「今日はあの子の命日だぞ。…悪巫山戯けは止せ」
「それが、何?」

全く悪怯れない声に振り返り、衝動のまま平手打ちした。

「…死んだ人間を幾ら偲んでも、帰って来ない。ハニー、冥福を祈るのは葬式だけで充分じゃないか?」

避ける素振りを見せなかった男の頬が甲高い音を放ち、纏っていたサングラスが床を滑る。


「あの子は…っ、お前の妻だった女だろう!」
「違うね」
「何が違う!」
「俺にもアイツにも、好きな相手が居た。俺は12歳の子供が好きで、アイツはキングが好きで。…叶わない相手に諦めた男女が、政略結婚を受け入れた。それだけ」
「お前にはっ、情が無いのかレイ!私は、」
「そう、それでも五年も暮らせば家族愛くらい芽生えた。だからゼロが産まれて、大きくなっていくにつれて悲観的になるばかりじゃなかったさ」

長男とも次男とも違う、紅と言うに相応しい紅蓮の髪を掻き上げ、困った様に首を傾げた男が綺麗な微笑を滲ませた。


「でももう、アイツは居ない。残ったのは子供が産めない体だったアイツが、…クリスの遺伝子で作った息子だけ」
「…私はっ、何故、私が代わりに死ななかったんだ!私は決して許されてはならない人間だと、そなたは知っておろうが!」
「ゼロに、それを言うなよ。アイツは二人共を母親だと認めてる。だから、お前の腹から産まれたファーストが可愛くて堪らないんだ」

力尽き崩れた膝が震えるのを片腕で支えてくれる男が、優しくベールを剥がす。

「私は、零人の母ではない」
「零人の目は、─────ハニーにそっくりだよ」
「零人が生み落ちた時、私は13歳だったのだ。…産みたくとも、私はあの子とは違い聖母マリアではない。例え代理だろうと、腹を痛めたのは、」
「愛しいクリス、ゼロとファーストを与えてくれて有難う」
「…私は、結婚指輪すら身に付けられない臆病者なのだ」
「若くて美しいハニーから飽きられないよう、これからも頑張るから。俺を捨てたら、一家心中すんぞ」

金色の髪が顕になり、濃いサファイアの瞳が瞬いた。素早く緩やかにキスを奪って行った男を見上げ、


「何、故。お前もあの子も、零人を………グレアムから隠したのだ。零人の遺伝子を調べれば、私の子である事が証明されるのだぞ…」
「そうだな」
「兄様の捨てた爵位を、甥ではなく零人が手に入れられるものを」
「ゼロは、神でもマフィアでも無いだろう?あの子は、俺とお前とアイツ、三人の宝物だ」
「…ならば、約束してくれ」
「ハニーの命令なら、何でも」

いつまでも衰えない最愛の夫の赤毛を一房掴み、


「…キング兄様に殺されてしまったロード兄様の二の舞には、しないでくれないか」
「うん」
「例え、そなたが兄様を裏切る事になろうと…私はっ、」
「判ったよ、クリス」
「そなたも零人も佑壱も、愛、愛して…いるのだぞ!人一人の一生を奪って尚…っ、無様に生へ縋り付く程に浅ましく…!」
「だから、」

遠くから、少年コーラスの賛美歌が聞こえてくる。



「判ってるよ、クリス」


こんなにも愛しい人の体温に包まれて。

















「結構、綺麗にしてるだろ?」
「ふわぁ、」
「はふん!」

エレベーターから降りて間もなく、窓のない薄暗い廊下の最奥にその部屋はあった。
庶民、と言う無駄に厳かな看板が掲げられた横開きのドアをカードで開けた太陽が振り返り、覗き込む桜と俊に胸を張る。


「ようこそ、庶民愛好会へ。今日から此処が左席委員会極秘執務室だよー」
「ぁ、そぅ言ぅ事か〜」
「お邪魔しますっ!カイちゃん、早く早く!」

のほほんと頷いた桜の隣で、神威の腕を掴んだ俊が半ばスキップ混じりに部屋の敷居を跨いだ。
外の看板からは予測不可能な簡素な室内は、畳張りで炬燵と昭和の匂いがする本棚、インテリアと化したブラウン管テレビが存在感を放っている。

「オコタがあるにょ!」

興奮状態のオタクは靴を脱ぎ捨て、室内の隅に作られた六畳程度の畳張りに夢中だ。
リノリウムの床からは一段高く作られた六畳間に、天井からぐるりと大きな暖簾が釣り下げられてある。入り口部分だけシースルーな暖簾が垂れ下がり、最奥に簾が吊された窓辺が見えた。

「随分、和洋折衷だな」
「重々承知してるから、中途半端な褒め言葉は要らないよー、カイ庶務」

20畳程度はあるだろう広々とした部屋は元々部活動の物置らしく、畳張りの一角以外には質素なパイプ椅子と事務テーブル、壁添いに並んだロッカーくらいしか見当たらない。

「今までは俺とシノ先生しか居なかったからさー、座布団二枚しか無いんだけど」
「僕の部屋にクッションいっぱいありますっ!今度持って来るにょ!」
「えへへ、何か実家思い出すなぁ。僕のお家、曾祖父ちゃんが明治時代に建てた古ぅい日本家屋だからぁ、母屋も離れもみぃんな畳なんだよぅ」

炬燵にしゅばっと潜り込む俊に続き、畳の境で靴を脱いだ桜が行儀良く正座した。
気付かなかったが、本棚の向こうに小さなキッチンも備わっている。同じく小さな冷蔵庫も完備で、その上には蚊取り線香まであるではないか。

「帝王院って、虫あんま居ないよねぇ。カブトムシとか蝉ならまだしもぉ、害虫は殆ど駆除されちゃうから…」
「あー、うん、それシノ先生がオークションで落札した豚の蚊取り線香なんだけど…、完全ただのインテリアだから。気にしないで」
「プレステとスーファミとファミコンと、セガサターンまであるにょ!」
「俺とシノ先生共通の趣味がゲームだからねー。テーブルインベーダーゲームとかもあるよ、邪魔だからロッカーの向こうに押し込んでるけど」
「わぁ、七輪まであるよぅ」
「あー、うん、餅とか秋刀魚とか焼いて食べるんだけど、畳の中で焼かないとスプリンクラーが反応するから気を付けてー」

すっかり寛いだ二人がたった六畳程度の畳張りを家捜ししまくり、冷蔵庫を漁った太陽が緑茶のペットボトルを取り出し湯呑みを四つ並べる。

「まず、無事初日を終えたコトと新左席委員会発足を祝して、乾杯」
「ぉ疲れ様〜」
「麦茶ならお砂糖入れて飲むと美味しいにょ…ぐびぐび、ぷはんっ、因みに、昔のサセキ委員会はどなたなのかしら?」

ほぼ無理矢理、俊の隣に座った神威を横目に、湯呑みへ口を付けた太陽と桜が沈黙する。


「そうだなー、左席委員会って基本的に公表しないから、誰が役員なのか全然知らない」
「どぅしよぅ、やっぱり旧役員の人も仲間にした方が良いよねぇ?」
「そうだなー、出来れば人数は多い方が、」

湯呑みを炬燵に置いた太陽が呟いた時、光を失っていた筈のブラウン管テレビが突然色を得た。
リモコンでも踏んだだろうかと辺りを見回す桜を余所に、何事かと目を丸くする太陽の網膜にそれは映り込んだのだ。



『…再会の挨拶は省略させて貰おうか、天皇猊下』
「し、し、し、」
「神帝…っ?!」
『警戒する必要は皆無だ。今の私は中央委員会生徒会長ではなく、理事会役員として目通りしている』

ブラウン管に映る長い長いプラチナブロンド、白亜の仮面、式典の時に見た礼装のひらひらした衣装を纏った男が囁く様に言葉を紡ぐ、
腰を抜かした桜が尻で後退り、炬燵に手を付いて片膝を立てた太陽が目に見えて青冷めていた。俊は終始無言だ。


『そなたらへ、歓迎の意を込めて贈る物がある。…これだ』

ブラウン管に映る男の長い指が銀色の指輪を持ち上げ、

『クロノスリング、左席委員会長へ贈られるIDリングだ。これを用いる事で、施設内回線並びにマザーシステムへ接続する事が出来る』
「回線?」
「ぅわぁ、神帝陛下が喋ってるよぅっ、喋ってるけどちっとも頭に入って来なぃい」

眉を寄せる太陽が混乱気味の桜を宥めながら、優雅に玉座の様な椅子へ腰掛ける帝王院最強の存在を気丈にも睨んだ。


『そなた、並びに副会長職を欲する隣の生徒へ詳細情報を与える。リングは後程部屋へ届けさせるが、理事会からの報奨は以上だ』
「畜生っ、何処かで見てんだろ、神帝!神妙に出て来いっ」
「ひ、ひ、太陽君…っ、」
『これより後は、中央委員会生徒会長として報奨しよう』


囁いた男が、最後に一度だけ。



『…精々、私を愉しませる事だな』


薄く笑って、ブラウン管は光を失った。
悔しげに舌打ちした太陽がテレビのコンセントを引き抜き、



「イイ度胸じゃねェかァ」
「「ひぃ!」」

バキン、と凄まじい音を発てた湯呑みと同時に放たれた、ポストも嵯峨崎も真っ青なとんでもなく低い声音に平凡二匹が抱き合った。

「俊、怪我をするぞ」

砕けた湯呑みを握り締める俊の眼鏡が怪しく光り、そっとその手を掴んだ神威の眉が寄る。

「イイにょ!今は腹ペコの時くらいイラっとしてるからっ、痛みはないのょ!」
「済まない」
「何がっ?!同情するならガリガリ君コーラ味ちょーだい!」
「いや、…そこまで気を害すならば言葉を選ぶべきだったと、」

言ってから無表情で口を閉ざした神威にオタクは大きく息を吐き、砕けた湯呑みをクズ入れに落とし込みながら正座した。


「カイちゃんに八つ当たりした僕が悪いにょ。ごめんなさい、だからカイちゃんは悪くないなり」
「俊、」
「神帝から婚約指輪貰わなきゃなんないなんて…いやっ、もしかしたら僕はカムフラージュで本命のタイヨーには結婚指輪が来るかもっ!ハァハァ」

どうやらオタクは神帝の挑戦的な台詞にではなく、贈り物が不満だったらしい。

「しゅーん…」
「怪我、してなぁい?」

呆れの余り脱力感に襲われる太陽が息を吐き、桜が俊の手を覗き込んで傷がないか確かめている。

「無傷にょ!僕は俺様攻めのたまに見せる弱ってる姿と、健気受けのたまに見せる強さにしかダメージを受けないんですっ!」
「あ、そ。…ある意味見直したよ、うん」
「俊君、カッコいぃ」
「えへへ、有難うなり」

太陽の誉めてない褒め言葉と、桜の純粋な褒め言葉に照れたオタクは頭を掻き、何だか落ち込んでいる様に見える神威の肩にグリグリと珍しく頭を擦り寄せた。


「何か良く判らなかったけど、詳細情報が何とか言ってたよ〜な気がします」
「あー、確か俊と俺に送ったとか何とか…それも部屋にあるのかなー?」
「でもぅ、後で送るって言ってた指輪はともかく、形の無いものをどうやって送るんだろぅ?」
「あ、そっか。帝王院じゃそもそも授業連絡とかも生徒手帳に、…あ!」

何かに感付いたらしい太陽がIDカードを取り出し、違和感に目を見開いた。


「何だー?何かカードが変わってる!」
「ぇ?」
「あ、僕のも変わってたにょ。さっき正面玄関に入った時、違うカードに変身したにょ!」

しゅばっと自分のカードを取り出した俊が、改札口で切符を通すパントマイムを見せる。気付いていなかった太陽が瞬き、

「カードリーダーに仕掛けがあったなんて、気付かなかった…」
「本当だぁ、僕のカードと全然違うよぅ」

桜が太陽のカードと自分のカードを見比べ、感心した息を吐く。
俊のカードは黒に銀縁が描かれ、中央に羅針盤のロゴが刻まれていた。丁度、九時を示す様な針に聡い太陽が片眉を跳ね上げ、

「つまり、左席と天を示してるんだな」
「ぁ、短針が左向いてて、長針が上向いてる、って事ぅ?」
「真ん中の王冠は、恐らく中央委員会の象徴だろーね。ほら、白百合も光王子も、王冠バッジ付けてるだろ?」
「お洒落なカードになったにょ」

ご満悦そうな俊がカードを弄び、側面の小さなボタンに首を傾げながらちょいっと弄くれば、



『クロノスセクション・オープン、コード:マスターを確認』
「「「わ!」」」
『認証開始します。左席委員会生徒会長の声紋、並びに指紋を照合。カードの中央に右手親指を当てたまま、マスターは質問にお答え下さい』

突然部屋中に響き始めた機械音声に、三人が弾かれた様に後退った。然し短いピーッと言う音を発てて、



『エラー、コード:セーガのカード反応消滅を確認』

事態は急転直下を辿る。

「何だ、」
「きゃ!」
「何ぃ、これぇっ」
『緊急事態発生、コード:マスタールークのクラウンリング反応を半径ニメートル以内に確認』

ピーッピーッと言う不気味な音が部屋中を、そして全員の鼓膜を支配したのだ。

「お耳が痛いにょ!」
「何だー?!鼓膜が破けるって…!」
「な、何か変じゃないですかぁ?!」
『非常事態発生、第六警戒態勢発動。周辺役員は直ちにマスタークロノスを避難、』
「………セントラルライン・オープン、コード:ルークのクラウンリングを速やかに解除しろ」

神威が自身にしか聞こえない程度の囁きを漏らせば、今まで暴れ狂っていたエラー音が消えた。



「…何だったん、だ?」
「ふぇ?」
「静かになった、ねぇ…」

きょとんと部屋中を見回す俊達を余所に、



『コード:マスタークロノスを認証、対象者は遠野俊、高等部一年帝君。カード中央に親指を当てたまま、質問にお答え下さい』



まるで何事もなかったかの様な機械音声が、響いた。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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