帝王院高等学校
桜乱舞に百合の残り香
「ひ、ひぃ、─────化け物!」


甲高い叫びに体が硬直する。

太陽を担いだ体格の良い生徒が、何処かへ逃げていくのを網膜に映す。
無意識に追い掛けた足は、然し倒れている桜を認め瞬時躊躇した。



「太陽!」


叫んだ所で、間に合わない。
虚勢を張った弱い生き物は然し数だけ立派に。
群集心理から張った威勢も長続きせず、集団は最早壊滅状態に等しかった。

なのに、追い掛けられない。
ぐったりした太陽を連れたまま、走り去っていく背中に力が抜ける。


「けほっ、けほっ、俊君…っ、怪我はなぃ…っ?」
「…」

苦しげな桜は、然しその体格のお陰で気を失わず済んだらしい。
咳き込み涙目ながら、自分ではなく俊の心配をする桜の頭を無意識に撫でた。

「桜餅」
「俊君、」
「僕は、大丈夫にょ」
「ょ、かった、ぁ」

背後で土を踏み絞める音がする。


「俊」

放心した様に座り込むこの体を、柔らかく柔らかく抱き締める腕が伸びてきて。


「怪我はないか」

そう、穏やかに問う声を聞いた気がする。



「カイちゃん」
「所詮、奴らにお前を暴行する勇気などなかろうが」
「タイヨー、が」
「無事で何よりだ」


(どうしようどうしよう)
(こんな事になるのは初めてで)
(どうしたら良いのか判らない)

(自分なんか、どうでも良いのに)
(だって、太陽が)
(居なくなるなんて)


(考えもしなかったのに)



「俊?」
「タイヨーが、」
「そぅ、だ。俊君、太陽君…は?」
「タイヨー、タイヨータイヨータイヨータイヨータイヨー」

ふらつく足を叱咤し立ち上がろうとしても、怒りからか極度の恐慌状態からか俄かに震え出した体は神威の腕に捕まっていて。

「タイヨー、居ないにょ」
「案じるな、怖いものなど何処にも存在しない」
「違、」
「俊、笑え」

どう笑えと言うのだろうか。
何故笑えと言うのだろうか。だって太陽が居ないのだ。神威にとっては些細な事かも知れなくて、事態を把握していない桜に八つ当たりなんて出来ない。
抱き締めてくる腕を振り払おうにも、自分の腕の中には桜の身体、




「…チ、」


ああ、もう。
こんな時はすぐに頼ってしまうのだ。







「イチ」




(誰か、助けて)






太陽にあげた黒縁眼鏡だけが、残されていて。




















はらり、はらり。
瞼や頬に何かが落ちてくる。



俊の悲鳴を聞いた様な気がする。なのに瞼が重い。今すぐ笑い掛けて、手を伸ばしてやらなければならないのに、何故。

腹が鈍い痛みを教えていた。
ぐらぐら揺れる頭が痛い。やはり幾ら学校に戻りたくないからと言って、徹夜でゲームなんかするべきじゃなかったのだ。


また、あの下らない毎日が待っているのだ・と。とても高校入学を控えた新入生らしからぬ絶望に似た感情ばかり、入学前夜に。
まさか一日だけでこんなに笑う事が出来るなんて、予想だにしていなかったから、尚更。



「………下、ろし、やがれ…」


擦れた惨めな声が出た。
こんなもの、健吾に殴られたそれと比べれば可愛らしいものだ。

左席副会長なんだ、もう。
誰が認めなくても、もう。

毎日毎日毎日、無関心を装って空気の一部の様な生徒を演じていた頃とは違う。
山田太陽と言う何処にでも居るただの生徒ではないと、自分だけは声高に叫ぶのだから。

友人が優等生不良なら、自分は不良優等生になってやる。
性格だけは果てしなく優しい見た目平凡、成績優秀な不良の傍に。性格も根性も捻くれた自分が、傍で、守ってやるのだ。


守られてばかりの役立たずになりたくないから。
自ら従属する事を望む犬にはなりたくないから。



「下衆野郎がァ、…俺に触んな!」
「が!」

不躾にも担がれていた肩に噛み付いて、振り払われる様に投げ飛ばされた。
衝撃を覚悟して瞑った瞳は、然し柔らかな何かに抱き留められて。

開いた視界には肩を押さえ青冷める生徒の姿、ならば今、自分の背後には何があるのだろうと考えた所で、ふわり、と白檀の香り。





「あ、れ?」
「三年Dクラス下衆野郎、…我が同級生らしからぬ貧相な所作ですねぇ」

そして、その聞き覚えが有り過ぎる声を聞いたのだ。


「…ナイスタイミングなんだか、バッドタイミングなんだか」
「おや、私の腕に飛び込んでおいて、全く偉そうな態度この上無い」
「貴方の眼鏡は節穴かい。いつ俺が飛び込んだ。いつ俺が飛び込んだー」
「少しは『二葉様有難うございます、お礼は体で如何』くらい言えないのですか、貴方は」
「あー、すいません、殴られた腹が痛くてこの体じゃお礼は無理みたいですねー、残念」
「成程、」

浮いた体が地面を踏んだ。
漸く見上げられた秀麗な美貌が相変わらず笑みを滲ませていて、流石に本物の不良は迫力が違うな、などと惚けた事を考えていた自分の前で、人が倒れる。

「何…今の?」

まるで日本舞踊でも見ているかの様だった。
流れる様に足を踏み出した二葉の前で、青冷めた生徒が形振り構わず抵抗するのにも何の躊躇もない。

桃色の花弁がはらり、はらり。
そう咲き乱れる度、まるで踊る様に・舞う様に、地面へ押し付けられた生徒が耳障りな悲鳴を上げる。


「か弱い下級生に暴力を働くなど笑止千万、身を持って学びましょう。問1、己より強い者から腹を殴られる」
「ぐ!がはっ」
「如何ですか?少しは反省しましたかねぇ、出来の悪い頭でも判り易く教授しているつもりなのですが」
「お許しをっ、白、百合…!」
「問2、己より強い者から腹を蹴られる」
「ひっ、ぐわっ!」
「やめろ!」

ぴたり、と動きを止めた男が振り返る。
腹が痛いとか言っている場合ではないと、小走りに近寄り、ぐしゃぐしゃに乱れた俊お手製のハチマキを掴んで突き付けた。


「問3、己より強い者から完膚無きまでに叩き潰される」

視線をこちらに向けたまま呟く声を睨み、

「ヤリ過ぎ執行は取り締まるかんな!中央委員会、統率符は宵月!反省するなら許してやってもいいぞ!」
「ふーん、私に命令なさるおつもりですか、助けられておいて」
「ぐ。…それは、有難うゴザイマシタ」
「屈辱そうですねぇ」

痛め付けていた生徒から身を翻した二葉が、どうしようもなく優雅な仕草で眼鏡を押し上げる。

「でも、左席委員会副会長の名に於いて、これ以上は駄目だ」

唇を真一文字に引き結んで、礼は言うけど負けないぞ、と気合いを奮い立たせれば、


「まぁ、…良いでしょう。今回は花を持たせて差し上げます。感謝しなさい、MOEの君」
「口内炎の君と呼んでくれませんかー、白百合閣下」
「それはまた、光炎とは違い口の中が気になる統率符ではありませんか」

ふらふら立ち上がり脇目も振らずに逃げていく背を見送って、へたり、と座り込んだ。
いきなり腹の痛みが増した気がする。


「ジム、通おうかなー…」
「筋力を不用意に鍛えると、背が伸びませんよ」
「余計なお世話だ!」
「お腹を見せて御覧なさい、内臓破裂などしていたら今逃した生徒に同じ怪我を負わせて来ますからね」
「やめちょくれ、アンタの思考回路どうなってんの」
「さぁね」

屈み込んできた二葉に外されていくボタンを眺め、ちろり、とその秀麗な美貌を覗き見してみる。
流石、御三家だと感嘆の息が漏れた。
副会長の高坂日向の様な男性的ではない、中性的な美貌は確かに老若男女問わず好まれるとは思う。

だからと言って抱きたいなどと言う、雄の本能が刺激される事はない。
見ていても飽きない気はするが、性的な欲求が沸き上がる事など有り得そうになかった。


「ふむ、今夜辺り痣にはなるかも知れませんが、今はまだ別段異常はないみたいですね」
「そーですか、どーも」
「私の顔が気になりますか?」
「は?」

腹ばかり見ていた伏せ気味の双眸が、突然目を上げる。バッチリ合わさってしまった視線を逸らすタイミングを失って、急激に混乱してきた。

「随分、見つめてらっしゃるので」
「じ、自意識過剰!」
「この距離で気付かない方が可笑しいと思いますが」
「ぐ」

まさか見ていたのがバレてしまうなんて、などと別に慌てる必要のない自分の行為が犯罪に等しい様な気がしてくるから不思議だ。

「まさかその小さな頭の中でこの生きる絵画である私を辱めようなどとは、」
「考えて堪るかい。もういいから退いて下さい、ナルシスト」
「ふーん、助けてあげた上に触診して、挙げ句ジロジロ顔を見られた私に退けと仰いますか…」
「別に見るくらいいいでしょーよ。見られ慣れてる癖に、」


あ、と。
今更気付いた。

嫌味なくらい綺麗過ぎる顔が近付いてきて、薄いレンズの向こう、右側、つまり左目がまるでアクアマリンかサファイアか、と言うくらい蒼い。
白檀の香りが強まって、脳裏に咲き乱れる百合の花が思い浮かんだ。




「─────想定外、でしたね」

揶揄めいた声音が鼓膜を震わせて。


「少しは抵抗すると思っていましたが」
「…何?」
「見当違いだっただけです」

しなやかに立ち上がった長身が遥か頭上から見下して、張り付いた様な笑みを深める。



「礼は確かに頂戴しました。…お大事に、尻軽さん」

流れる様な所作で踵を返した背中が遠ざかっていく光景。
風に靡いた桜が幻想的に舞い狂って、だから今更、



「な、なん、なん、何、」


右手で押さえた唇に何が起きたのかなど、知る事は出来ない。
瞠った瞳にはただただ咲き綻ぶ桃色の花弁が舞って、百合の幻影もその名を持つ背も見失い、







「ぁんの、性悪野郎ーっ!!!」


ファーストキスを奪われた高校生の叫び・なんて。
聞いたのは、だから桜くらいだろう。



























「局長、何処に行かれてらしたのですか」
「失礼、少し野暮用でね」

風紀執行部で犇めく一角、足早に近付いてきた部下へ片手を上げて、大分収まってきた状況を目で確認する。

「閣下、報告書を纏めましたのでご確認下さい」
「ご苦労様、暴れていた生徒を診療室へ運び、カウンセラーに任せましょう」
「畏まりました」
「理事会への報告並びに業務の引き継ぎは放課後で構いません。皆さん、新学期のHRを済ませてきなさい」

各自教室へ寮へ去っていく足音を聞きながら、コンクリートに残されていた短いメッセージを一瞥する。
最早乾いてきたそれはその内姿を消すだろう。ただの悪戯にしては手が込んでいる気がする、と、小さく笑った。


「陛下へのメッセージでしょうねぇ、皇帝か、皇帝の飼い犬か」

カイザーが残したものではないのなら、カルマの誰かが残したものだ。
十中八九間違いないと目を細めて、無意識に唇へ手を当てる。





「…性悪、ですか」




裸の王様は、まるで狼少年の様だと思ったのだ。
服を着ている着ていないで惑わされて、いつしか自分自身すら信じられなくなっていくに違いない。



「相変わらず口が悪い」



そう、まるで。





「今の私みたいに、…ってね」















「HRなんて面倒だよな」
「閣下と仕事してる方が余程有意義だよ」
「でもさ、何か今日の局長は少し感じが違ったよな」
「そうそう、さっきだっていきなり走って行くし」
「帰って来たら、何か不機嫌そうになってるし…」
「局長は人の三倍働いてらっしゃるから、疲れが溜まってるんじゃないかな?」
「ああ、カルマの件も兼任してるから」
「こうなったら書記業務だけでも、紅蓮の君に任せたいよな」
「こうなったら流石にそりゃ無理だろ、自分ンところの総長を探してる陛下に従う筈がねぇ」
「何せ紅蓮の君だからな」
「1週間前に30人殴り倒して、局長から謹慎処分受けてたろ。ま、中央委員会役員に謹慎なんか意味ないけど」
「光王子と紅蓮の君は仲悪いのに、白百合とはそうでも無いんだよなぁ」
「まぁ、局長を嫌える人間なんか存在しないだろうし」
「確かに。…なぁ、知ってるか?」
「何を?」

「光王子の見合い話」

「ああ、でも何かさっき中央委員会の奴がさぁ、陛下のお陰でその話は延期になったって話してたよ」
「でもその代わり、…だろ?」
「相変わらず、神帝陛下も謎だけど。何が謎って言っても、」



「何で白百合は、光王子の尻拭いしなきゃなんないんだろ?」

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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