帝王院高等学校
通りゃんせ、通りゃんせ。
何かお腹がもぞもぞするな、と桜が無意識で制服をまくると、不良に殴られた腹が青く変色していた。
たった一発でこんな事になるなんて、と。外見や言動に似合わず男らしい桜がていっ、と可愛らしく丸めた拳を腹に一発。

「…痛いですぅ」

ぽよん、と弾んだ腹に痛みが走り、一人涙目で肩を落とす。


「ちょ、見せてみろ桜!」

そのまま服を戻したのだが、目聡い太陽に気付かれたらしい。
痛みよりも何よりも、名前呼びされた事に瞬いて、頬が熱くなる。

「ぇ」
「今のっ、アイツらに殴られた奴かよっ?」

自分と同じ様な身長の、細い太陽が力強い手で直したばかりの制服を奪った。
そのまま再び膨れた腹を晒され、羞恥に震える頬が赤く染まる。

「ひ、太陽君っ、恥ずかしいよぅ」
「ちょっと黙ってろ!畜生、やっぱアイツら許せねー…」
「どれ?(´Д`)」

目が据わった副会長ハチマキが不穏な雰囲気を放つ中、覗き込んで来た健吾が片眉を跳ね上げた。

「んー、骨に異常がなければすぐに治るっしょ(=Д=) さくらんぼ、見た目の割に我慢強いじゃん。見直したぞ(´∀`)」
「さくらんぼですかぁ?」
「あだ名は親愛の証じゃぞ(´Д`*)」
「じゃぁ、高野君をケンちゃんって呼んでも良いですかぁ?」
「俺はユーヤと違って紳士だからな、ちゃん付けされても怒んないぞ(∀)」
「誰が紳士だ、誰が」

ほのぼの雑談し合う三人を眺め、桜が事態をややこしくしたくない気持ちは重々判るが納得出来ない太陽が腕を組んで唸った。
柔らかそうな腹に拳サイズの青痣、食が細い為に成長しない太陽とは違い、健康そうな体躯は人柄に似合ってひ弱らしい。



「…俊、」
「なァに?」
「アイツら、ぶん殴りてぇ」

意志の強い目が、真っ直ぐに俊を見る。
きょとりと首を傾げた俊はまともなものが一切入っていないポケットからIDカードを取り出し、


「お喉乾いちゃったにょ。カイちゃんしかジュース持ってないなり」
「俊、いい加減に、」
「桜餅が決めた事に口出ししちゃ、めー」

サイダーが飲みたいにょ、と悩みモードの黒縁眼鏡に、ぐっと息を詰まらせた太陽がまた唸る。

「桜餅、女の子じゃないにょ。受けだって男の子だから、喧嘩に他人が入っちゃ、めー」
「…判ってるよ、俺だって」

判っているが、だからこそ行き場の無い憤りが渦を巻いていた。大切な人が増えると、だから嫌なんだ。


「悔しいなー、畜生」
「おジュース飲んだらイイにょ!僕、IDカードでコーラ買って来ますっ」
「せめて緑茶にしてねー」

やっぱりコーラにしたらしい俊がしゅばっと光速の早さで走って行く。
一番近い自販機は向こうだ、と言う突っ込みを忘れていた太陽が慌てて顔を上げたが遅い。



「…はぁ、何だかなー、もう」

溜め息混じりに、にこやかな桜を見やり、



「俊は強いから、判らないんだ。…弱い奴の気持ちなんか」


聞く者の居ない呟きを、密かに。











通りゃんせ  通りゃんせ
此処は何処の細道じゃ
天神様の細道じゃ
ちょっと通して下しゃんせ
御用の無い奴は通しゃせん

この子の七つのお祝いに
お札を納めに参ります



行きは良い良い帰りは怖い



怖いながらも通りゃんせ





通りゃんせ…







静寂した感情は妖しく燃える。
それはまるで地獄を包み踊り狂う紅蓮の業火の様だと、一人静かに笑った。



「通りゃんせ、通りゃんせ」


だから、こんな日は外に出ては行けない。


「此処は何処の細道じゃ」


月を忘れた日は人が狂い、妖しく、強く、吠える様に闇が唸りを上げるのだ。



「くそ、藤倉の野郎…!」
「アイツら、あの豚に尻尾振りやがって…!金でも貰ってんのかよ」
「どうする、やり返すか?」
「カルマだからって躊躇う必要はねぇだろ。一人ずつ仕留めていきゃ、」
「ならば、…俺から仕留めてくれるか?」


ほら、楽しくて仕方が無い。



「天神様の細道じゃ…」


弱い癖に群れて、弱い人間を虐げる脆弱な生き物。



「な、」
「お、まえ、」
「何、何で…」
「一人ずつならば、負けないのだろう?貴様らは俺の宝物を汚した。それは、俺を畏れていないからだ」

魂が抜けた様な表情で後退る男達に歩み寄り、妖しく揺らめく銀糸を掻き上げれば、サングラスなど要らない。


「この子の七つのお祝いに、お札を納めに参ります。…行きは良い良い、帰りは怖い」


これはただの弱いもの苛めなのだから、



「さァ、この俺に挑めるものなら挑めばイイじゃねーか、帝王院のウイルス共が。…言っとくがなァ、」


手加減するつもりも無ければ、



「俺はユーヤよりも圧倒的に強いんだよォ、…総長だからなァ」



大切な友達を傷つけ、大切な友達にあんな悔しい思いをさせた人間など、
(王の名を持つ神帝ではなく)
(天の名を持つ天神から裁かれよ)

(七人目の友達に)
(傷を負わした礼を納めに参ります)



「今の俺に勝てねーなら、貴様ら全員。…次の満月までに逃げた方がイイなァ」













狂ってしまうがイイ。


















「─────」



何だ、と。
背中に走った凄まじい何かに、本能が警告音を迸らせた。
見回した周囲に人影は無く、然し廊下の窓から見下ろした階下が俄かに慌ただしい事に気付く。


「…」

本能が導くままに駆けた足は風紀委員の騒めきに割り込み、自分に気付いた誰かが狼狽を顕に近寄ってくるのを見ていた。


「陛下?!如何なさいましたかっ?」
「この騒ぎは何だ」
「いえ、陛下のお手を煩わせる程の事態では…、っ?!」

口籠もる生徒を片手で叩き付け、銀の半面で覆った顔を寄せる。この距離ならば幾ら鼻から上を隠した所で、眼差しまで隠す事は出来ない。


「この騒ぎは─────何だ。…三度問う事は無い、答えろ」

魂が抜けた様な表情でパクパク喘ぐ喉を絞め上げて、殊更低く低く落とした声音は聞いている己自身さえ驚く程の威嚇が見えている。

「答えろ」

何だ、この理解不能な焦燥感は。



「ぎゃあああああああ」


狂った様な悲鳴が、風紀委員の屯する方向から響いた。
他人を拘束していた手を離し、雑音だらけの方向へ自ら駆けていく足が、すぐに原因を捉え、



「─────」


気が狂った様に暴れ回る生徒を宥める風紀委員や教師、そして、濡れたコンクリートに刻まれた黒い黒い文字の羅列に息が止まる。





『見付けられるものなら見付けてみな、裸の王様』


水分で掛かれた文字は、渇けばその内姿を消すだろう。

「静粛に!」
「野次馬は戻りなさい!」
「全員懲罰室に入れますよ!」

騒ぎに集まってきた生徒らを戒める声が響き渡り、ざわざわ湧き起こる人の雑音で聴覚を喪失しながら、然し視覚はコンクリートの一角から決して離れはしない。






「通りゃんせ、通りゃんせ」



聞き慣れた声音が、遠く遠くから鼓膜を揺さぶった。

「此処は何処の細道じゃ〜、天神様の細道じゃ〜♪」

騒ぎとは正反対から聞こえたそれを無意識に追い掛けて、やはり無意識に剥がした銀の仮面を近場のゴミ箱に投げ入れる。


「ちょっと通してくりゃしゃんせ、御用の無い奴ぁ通しゃせん〜」

すぐに、小さな生き物が見えた。
腕に缶ジュースを抱えて、ぽてぽてとゆっくり歩いている。


「緑茶売り切れてたにょ。代わりに十六茶にしましたっ。…要らないって言われたらど〜しよう」

ぴたり、と立ち止まった背中が目に見えて落ち込む。


「行きは良い良い、帰りは怖い。怖いながらも通りゃんせ、通りゃんせ〜♪」

余り上手とは言えない歌声が途切れ、ハァ、と切なく吐かれた小さな溜め息すら鼓膜に届き、校庭である並木道から一歩外れた裏庭と言うだけで、まるで別世界の様だ。



「俊」
「ふぇ?」

くるり、振り向いた分厚い眼鏡が、へらり、と笑みを滲ませて。

「カイちゃん」

また、言葉に出来ない理解不能な感情が支配しようと這い上がってきた。

「あらん?眼鏡と髪の毛は何処に捨てて来たにょ?あ、もしかして眼鏡割れちゃったのかしら?うんうん、眼鏡は良く割れちゃうから仕方ないにょ」

抱えていたジュースを押し付けてくるのを受け取り、数字の8を横に倒した、∞マークの眼鏡を掛けた俊がポケットに手を突っ込むのを見た。
すぐに、何の変哲も無い黒縁眼鏡が現われ、眼鏡を持っていない左手がちょいちょい手招く。


「何のヒネリもナイン、黒縁9号ですっ!今日は萌えの一日だったから、眼鏡さんの消費が激しいにょ。カイちゃん、暫くこれで我慢するのょ?」
「俊、」
「髪の毛はチョコたんに言ったらまたくれるかしら?」

屈み込めば、幾ら分厚い眼鏡の妨げを受けようと、オニキスの様な眼差しが良く判る。



それを人は『突き動かされる感情』と言うのだろうか。



触れれば柔らかい感触と、暖かな温度を知っているから、それを恐らく求めていたのだ、今。






「?!」


カラン、カラン。
長閑な春の午後に誰も居ない裏庭で、木々の騒めきとも穏やかな風の音とも違う耳障りな音が響いた。
腕の重みが消えるのと同時に抱き寄せた体躯はやはり自分より小さく、突き動かされるまま寄せた唇が長閑な春の午後に似合わない性急な仕草で、他人の感触と温度を貪る。




他人事の様だった。
カチリカチリ、ぶつかりあう金属の音が余りに煩わしく、左手で眼鏡を外し、右手に抱いた体を強く強く引き寄せ、もう一度。



「むっ、むにゅーーーーー、ん!ぷはっ、ふぇ、ぷはーんにょーんっ」

両手で押された胸元が、長い様で短い口付けを終える。

「ハァハァ、不意打ち禁止にしますっ!幾ら僕が地味眼鏡オタクだからって、セクハラするなら可愛い強気受けか萌える平凡受けにしなさいっ!」

酸素を求めて上下する喉元に網膜が満たされると、吸血鬼にでもなってしまったかの様な錯覚を覚えた。


「ならば、前置けば良いのか?」
「きゃ!」
「許可を待つ余裕が無い。…そう腹を立てるな」

誘われるまま、理解不能な感情に突き動かされるまま寄せた唇が、喘ぐ喉に貪り付く。
ビクリと跳ねた体躯を両腕で抱き締めてしまえば、抵抗されようが余りに意味が無い。


「カ、カイちゃん、カイちゃんカイちゃんカイちゃん、やめて欲しいにょ、ふぇ、痛いにょ!カイちゃん、うぇ」
「痛い…?」
「ふぇ、うぇ、お喉、痛いにょ」

ぐずぐず鼻を啜る俊の頬が可哀想なくらいに赤く染まって、その下、吸い付いた喉元に真紅の薔薇の様な赤が浮かび上がっていた。
雄の本能が唸る。生存本能より余程判り易い、それは間違い無く、独占欲だ。



「…判った」
「ふぇ?」
「俊、お前は俺の前でのみ、笑え」

初めて世界に色を付けたあの笑みを、独占してしまえれば。理解不能な何かに支配される事もない。
コンクリートに残されたあの挑戦的なメッセージに狂暴な闘争本能が揺さぶられ、昂ぶった本能が暴走しているのだ。


「俺の許し無く離れる事は赦さない。望むままに菓子も食事も与えてやろう、この腕から逃げ出さない限り」

ペットならば幾らでも居る。

ただただ従順なだけのペットならば数え切れないほど。なのに、この何の変哲も無い人間に独占欲が湧いていた。
初めて見た時から恐らく、要に笑い掛けていた時から恐らく、好奇心や興味だけでは説明出来ない『依存』を覚えているのだ。



あの高慢な人の王にさえ、覚えてなかったそれは。
たった一日で本能の根底から染めてしまった。気付かないほど密やかに、こうも容易く。



「俊」
「カイちゃん、何かあったみたい?」

伸びてきた冷たい指先が頬を撫でる。それが何よりも温かいものの様に思えるのは、何故。

「いや、…つまらない事だ」
「カイちゃんもお喉乾いちゃったんじゃないかしら。カイちゃんにもヨーグルト買って来たにょ」

転がっている缶ジュースを拾っている俊を抱き上げ、赤みが引いた頬を一瞥し、未だ存在を誇示している喉元に息を吐く。

「所有者のサインは必要だ」
「ふぇ?」
「何でも無い。…で、その飲料水は山田太陽だけのものでは無かろう?安部河桜が見付かったのか」
「うん、ユーヤン達も一緒に居るにょ。早速サセキ対策会議、…の前にHRがあるにょ!やっぱり新学期お約束の自己紹介とかあるのかしら!」
「自己紹介?」
「そうにょ!お名前誕生日、血液型に果ては趣味から好きなエッチの体位まで!ハァハァ、タイヨーと桜餅のプロフはメモする必要がありますっ!」
「血液型など聞いて、意味はあるのか?」
「血液型の相性は大切だってうちのお母さんが言ってました。うちのお母さんはO型で、僕はB型だから、イイのかしら、どうかしら?」
「AB型ならばどうだ?」
「エビ型?エビフライがお弁当に入ってる日はテンション上がるにょ!」

奥へ奥へ足を進める内に、組み合わせバラバラな四人の姿が見えてきた。


「ふぇ?」
「どうした」
「あしょこ、」

寮の裏手であるそこで、上を見上げている桜、太陽、裕也の姿があり、三階の窓から身を乗り出しているフリルスカートが見える。
指差した俊につられて、見上げた先に今にも飛び降りそうな人影一つ。



「じゃ、高野健吾行っきまーす!(∀)」
「うっわ、マジでやるの高野っ?!」
「気を付けてねぇ、ケンちゃぁん」
「あー、面倒臭ぇ」

あ、と言う間もなく飛び降りたスカートが豪快に舞い、そのままパイロットの腕にダイブし、受け止めた裕也が気丈に踏ん張りながら呆れた息を吐いていた。


「きゃ、きゃーっ!ユーヤンとセクシーホクロ君がァ、愛の押し倒し襲いダイブ受け!」
「あ、俊…と、カイ君?」
「お帰りなさぁい、あっちの自販機遠かったでしょ〜?きゃ、カイさんが俊君をお姫様抱っこしてるぅ」

お菓子を抱えた健吾がトランクス丸見えで裕也から飛び降り、面倒臭げにスカートを直してやった裕也が睨んでくる。

「会長、だからソイツ何なんスか。まさかどっかで怪我でも、」
「会長、さくらんぼがお菓子くれたよー(´Д`*) 後で食べよっか、……………(οдО)」

ぴょん、と飛び降りた俊がジュースを抱えたままお菓子に眼鏡を輝かせているが、どうやら経験者だけがそれに気付いたらしい。
重みが消えた両腕に物足りなさを感じながら、目が据わった裕也と今にも泣きそうな健吾から睨まれ首を傾げる。


「桜餅、そのハート可愛いにょ!はい、おしるこ」
「金平糖だよぅ、教室で食べよぅねぇ。わぁい、お汁粉大好き〜、俊君有難ぅ」
「タイヨー、緑茶売り切れてたにょ。ぱちんするなら喜んでおちゃんこしますっ!」
「いや、十六茶でいいよー。だから正座して何かを期待するのやめてくれないかなー」

呆れた様な太陽がちょこんと屈み込み、俊と目を合わせて朗らかに笑っていた。

「あと、お水のペットボトルも買って来たにょ。桜餅のお腹、冷やしたら早く治るにょ。悪い奴はきっと今頃、天神様に怒られると思いますっ。悪い奴には天罰があるなり、幼稚園の先生が言ってたにょ」
「うん、有難う、俊」
「えへへ」
「そんで、…ごめんな」
「タイヨー?」
「いや、だから、…あっちにすぐ自販機があるコト教えなくてさ!」

ほら、人間らしく笑う生き物に、つられて笑う唇が掻き立てる。



「意地悪タイヨーも好きですっ!」
「アハハ、俺もだよー」



それは俺のものだと



妖しく強く、─────吠える様に。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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