帝王院高等学校
貴族って庶民より大変なのかしら
『義兄様、俺は日本に行くよ』


小さな小さなその声を、


『もう、此処には戻らないよ』


小さな小さなその瞳を、


『…グレアムは、俺なんか必要じゃないでしょ』
『真の兄が恋しいか?』


引き留めて欲しかったのだと。

きっと、あの小さな小さな生き物は、何処にも行くな・私の傍らに在れ、たったそれだけの言葉で幸福を見出だすに違いない、と。



知っていたのに。



『義兄様には、誰も何も必要ないんだ』

諦めた様な、事実を再確認しただけの様な。絶望の淵で響くその儚い声音を、憶えている。
庇護欲を煽るに十分だとは思ったものの、だからと言ってそれは興味深く依存を残す程のものではなかった。

自分は恐らく、未来永劫己が造り上げた孤独の淵で目を閉じたままなのだろう、などと。


『私には些細な酸素、並びに膨大な量の水素化合物が必要だ。ただの人で在る限り、その現実は変わらない』
『は、ははは、…そうか、そうだね』
『何が不満だ、私の可愛いルビーよ』

人の唱える優秀な脳は、永劫忘れる事を知らない。



『俺はダイヤモンドになりたい』
『ほう、金剛石か』
『世界で一番固いダイヤモンドに、なるんだ。もう義兄様にも母様にも誰にも、俺を捕まえる事は出来ないんだよ』
『そなたの背に、紅蓮の翼があるならば。…何処へなりとも、飛び立てよう』
『………さようなら、嘘吐きな義兄様。』
『望むままに征くが良い。私の可愛い、









  ─────ファースト。』








「ユウさん、勝手にカレー食べて大丈夫ですか?」
「あー?」
「ああ、もう。頬に付いてますよ」

イリンクス・違和感、それは何故か重箱の中にカレーが入っている光景。
礼儀正しく正座した自分は巨大イルカクッションを傍らに、持参した白米をお供にムシャムシャカレーを頬張る男を見ていた。

「煩ぇ、がつがつ、何回言っても勝手にふらつく亭主への、むぐむぐ、些細な仕返しじゃねぇか、ゲフ」
「いえ、後で泣きながら土下座する事にならなければ良いんですが…」

グラスに乳緑色の液体を注ぎ、一体これは何の飲み物だろうかと首を傾げながら、噎せ込む佑壱に手渡す。
胡坐を掻いた男はゴキュゴキュ凄まじい勢いでそれを飲み干し、不味いもう一杯っ、とお代わりだ。


青汁でも入っているのだろうか?



「見た目は抹茶ミルク…」
「やっぱカレーはグリーンカレーだろ、もぐもぐ、ぷはっ、…卵焼きが超美味ぇ。おい、お前も食っとけ」
「唐揚げは残してあげて下さいよ、ユウさん。昔一度だけ定食の唐揚げをケンゴが奪った時、微動だにせず泣き出しましたからね、総長…」

カルマご一行で黄昏時のデパートに繰り出した時だ。吐く息が白い、正月過ぎの冬。
50人近い集団が長閑なデパートを闊歩する姿はどうしようもなく目立ち、観光客から写メられながら、時折何故か握手やサインを求められつつ目指した最上階。

レストランが犇めく煌びやかなフロアの片隅に、ゲーム機が犇めくゲーセンフロアを思い出す。
不良から子供に変化したカルマのワンコ共に支配されたデパート最上階で、最も輝いていたのは紛れもなく俊だ。

「泣いた総長を前に泣きながら土下座する中央書記閣下など見たくありません。まぁ、俺も一応帝王院に染まった人間ですし」
「ふん、土下座で済むなら安いモンじゃねぇか、がつがつ、もきゅん、ゲフ」

スーツ姿で待ち合わせに現れた、不良。それは最早不良を凌駕したマフィアだったと此処に記しておく。
普段着から派手な不良達は待ち合わせ場所であるデパートの入り口から目立っていたが、それまで最も目立っていたのは佑壱と隼人だった。


『ボスとデパ地下デートなんて気合い入るー、オシャレな隼人君にボスがときめいたらどうしよっかなあ。
  やっぱ責任取って向かいのキングスホテルでお泊まりコースかなー、燃えてきたあ』
『そろそろ時間だ、一同整列!点呼確認すんぞ、欠席した奴は手ぇ挙げろ』

判り易く気合いが入っていた隼人は雑誌からそっくりそのまま出てきた様な出で立ちで、修学旅行を引率する教師と化した佑壱はいつもいつでもビジュアル系バンドマンの様な、自分に似合う格好を理解し計算し尽くした出で立ちだった。
算数からして苦手な癖に、そう言った算段は得意なのだから救えない。

ジャケットとレザーパンツの要が寧ろ地味に見えるくらい、二人は視線を集めていた。が。



『…待たせたな、皆』


白い薔薇46本の花束を片腕に、前の年のクリスマスに佑壱がプレゼントしたブランド物のサングラスを纏い、裕也がプレゼントしたエナメルのローファーを履き、健吾がプレゼントした長いマフラーを肩に引っ掛けただけの、

『あ、にき…』
『Σ( ̄□ ̄;)』
『…総長、かよ』
『総長…』
『………』

白スーツ姿。

隼人が以前撮影で使ったと言うそれは、体格が余り変わらない俊だからこそ似合うに違いない。



『謹賀新年、今日も寒いな』
『『『『『『…』』』』』』


全ての視線を一身に、トレードマークの銀髪を緩いオールバックにした俊は、見回り中のお巡りさんすら逃げ出すほどマフィアだった。


『レストランに行こう。昨夜から興奮してご飯が食べられなかったから、腹ペコだ』
『そ、総長、や、やっぱ、フレンチにしませんか?知ってる店があるんで…』
『な、何なら中華街にでも行きますか?』
『総長…カッケー…(//∀//)』
『あ、明けましておめでとうっス』
『ボスー、もういっそ抱いてー。とろけるくらいきつく熱く抱いてー』

年末で一気に背が伸びた裕也は、その時まだ俊と余り変わらなかった筈だ。
然し見惚れるカルマにも周囲にも構わず、マフィア総長は花束を裕也に渡し、



『明けましておめでとう。…新年の挨拶が出来るユーヤは、偉いな』

真っ赤に染まった藤倉裕也の腰が抜け、佑壱に抱えられながらレストランに行った記憶が懐かしい。



然し、貸し切った最上階のレストランで悲劇は起こった。
場違い甚だしいマフィアはともかく、デパートのレストランになど縁がなかったカルマ幹部はやはり興奮していたのだ。

店先の擬似メニューに張り付いた佑壱は、蝋燭で作った煌びやかなオムライスに目を輝かせ。
安っぽい造りながら無理矢理高級レストランを装う空間に感心する自分は、どうせ佑壱の奢りだから全部のメニューを持って来て、などとのたまう隼人に呆れながら、次々運ばれてくる料理に腹が鳴るカルマ一同の一人だった。


餓えた野犬と化した皆が料理を片っ端から片付けていく中、マフィアの動きだけが鈍かった様に思う。
いや、それでも軽く人の三倍は食べていたのだが、唐揚げが運ばれてきた頃、理由が判ったのだ。


『このレストランの唐揚げが、一番美味しいんだ…』
『これを楽しみにしてたんですね、総長』

コクリ、と頷く俊は涎塗れだった。
隣に座る佑壱がそれを拭ってやりながら、二人掛けのソファに無理矢理割り込んだ逆隣の隼人がタルタルソースを唐揚げに付けてやり、刺したフォークで『あーん』な状況。


『はい、ボスー。いただきまーすはあ?』
『いただきま。』
『あ、それ美味そう。あーん(´Д`*)』

隼人のフォークの先は、健吾の口に消えた。

『…何で俺がテメェに食わせてやんなきゃなんねーんだ、あ?死ぬか?消すぞ、ああ?』
『ギブキブ、入ってる入ってる(´ω`) マジマジ、首絞まってる絞まってる(οдО;)』

青筋を立てた隼人から絞められた健吾は今にもあの世に行けそうな顔色で、ナポリタンを啜っていた佑壱が目を見開き突如席を立った事に全員の視線が注がれれば、



『ふぇ、うぇ、ひっく、唐揚げ…』

たった一個だろ、などと誰が言えただろう。隼人が健吾を絞める為に立ち上がった際、湯気を発てる皿ごと落ちてしまった唐揚げは床に転げていて。
青冷めた佑壱が何とか宥めている中、同じく青冷めた隼人が支配人を呼び付け有りったけの唐揚げを追加したが、在庫切れだから無理です、の言葉に俊のめそめそは最高潮に達し、


『ふぇ、ふぇぇぇぇぇん』


足が速い健吾と裕也がとりあえず地下食品売り場まで階段を突っ走り、有りったけの鶏肉を購入。
一人暮らしが長い隼人が鶏肉を凄まじい勢いで切りまくり、必殺料理人の佑壱が厨房のオバチャンと『愛の唐揚げ作り』に励み、


レストランのインテリアと化した埃を被っているピアノを調律し、崖の上のゴニョゴニョを弾いて俊の機嫌を直させた要の努力が実り、食事再開。



『美味しかったなァ』


ご満足な俊は、健吾が唐揚げを食べたお詫びに地下で買ってきたアイスクリームを頬張りながらご満悦っぷりを発揮し、サングラスを外したままニッコニコだった。
あのレストラン、いや、デパートごと買い取った佑壱・隼人・要が翌日から取締役に名を連ねている事など、俊は知らない。



「…本当に、左席委員会就任を賛同なさるんですか?」
「あー?ゲフ」

膨れた腹を擦り、半分も減っていない重箱を眺めている佑壱に、一言。

「貴方の敵になるんですよ、総長が」
「俺が総長の敵になる訳ねぇだろ」
「貴方は、所詮グレアムの第二位ですからね」

表情を消した鋭利な横顔が、緩やかに振り返るのをただただ、

「俺はお前を疑ってる。…いや、健吾も裕也も隼人も、だ。疑う必要の無い奴はたった一人、高坂日向だけ」
「…」
「俺の周りは敵だらけだからな。…誰がルーク=フェインの手先か、怯えながら暮らしてんだ。笑いたけりゃ笑え」

緩めていたネクタイを外す指を、気怠げに襟足を掻く指を、



「あの人が決めた事に口出しする必要はねぇ。俺の傍には常に『CENTRAL』の影があるんだろ?」
「そんな事を聞かれても…」
「ああ、そうだな。スパイが自らスパイだなんてほざく訳がねぇか」
「貴方は、結局誰も信じてはいない。だからこそ、ベルハーツ=ヴィーゼンバーグと波長が合うんでしょうね」
「俺が信じるのは自分の『意志』だけだ。身内すら信じられない弱虫の戯れ言だろうがな」


もう間もなく、HRが始まる。
佑壱が真面目に教室へ向かう筈が無い事を知っているから、立ち上がり背を向けた。





「………」


途中、僅かに開いたままのバスルームにそれを見たのだ。
佑壱が居るリビングからは死角になっている事を確認し、無用心に脱ぎ捨てられていた服を拾う。


これが合図だろうかと僅かに目を細め、静かに静かに足を運んだ廊下の隅、無人を確かめてから耳で揺れる小さなリング型のピアスに触れた。


それはミニチュアの首輪。
初めて貰った、飼い犬の証。



「プライベートライン・オープン。コード『サード』より、…我が主へ」
『了解、コード:ルークへお繋ぎします』


ビオラの様な声音で撫でてくれる手を知っている。
耳馴染みの好い、跪くに値するその声は、



『どうした、覇気が無いな』
「…礼服をあんな所に残して来たら、ファーストに露見してしまいますよ、陛下」


ビオラの様な声音で撫でてくれる手を、





『おいで、私の可愛いサファイア』



ビオラの様な声音で呼ぶ人を。












「………何をやってんだ、俺は」

無意識に煙草を探した手を握り締め、大きな犬のぬいぐるみに倒れる。
いつからこんなに疑り深くなってしまったのだろう、一人ずつ一人ずつ、俊の存在に気付いていくのを決して止めないのは、弱さだ。

「…もし、カルマに裏切り者が居るなら。神帝が動いた時点で総長に気付いた奴だ」

自分が一番先に見付けたのだ。
掲示板に、一年Sクラス帝君の名を。だから入寮したのを確認して先回りし、態とらしく接触し、唯一安全だと言える自室まで連れ込んだ。


だから、少なくともあの時まで俊の存在に気付いていた人間は居ない。
日向が俊に気付いても、十中八九神威へ報告する事は無いだろう。プライド高い本物の王子様は、公爵の名の元に囲い込もうとする筈だ。
だからと言って、安全ではない。


「…無駄な事を。所詮、公爵なんざ何の意味もないのに」



『お前はあの人間皇帝に私を重ねているだけだ』


囁く様な声音を憶えている。


『アジアの島国へ逃れようが、お前の魂は私に従ったまま』


煌びやかな便箋の書き置きを、握り締めて。姿を消したご主人様に歯噛みしながら、元ご主人様を睨み付けたあの日。


『届かぬ自由へと恋い焦がれるが良かろう。……………俺の様に』







『イチ』
『イチ』
『イチ』
『イチ、口煩いぞ』
『俺の可愛い、イチ』

あの声の為なら何でも出来る様な気がした。あの威圧感に跪くのは酷く心地好かった。
それら全て、神の影を追っていただけなら。もう、笑う事しか出来ないではないか。



『セカンドは数学に関心があるのか』
『イチ』
『ファーストは文学に関心がある様だ』
『イチ』
『私の宝石は、まこと賢い生き物よ』





『勉強は大切だ。出来ないより出来る方がイイ』
『でも、それだけだ』

『カナタみたいにピアノが弾けたら、毎日きっと楽しい』
『ケンゴンみたいにスポーツ万能だったら、きっと格好イイ』
『ユーヤンみたいに作曲出来たら、売れっ子歌手になれる』
『ハヤタみたいにミニトマトも松茸もお米も育てられたら、無人島でも樹海の中でも暮らせるな』

『イチがご飯を作って、力仕事はお父さんに任せなさい』

『ツリーハウスなんかお洒落じゃないかァ?木の上にカルマの秘密基地を作るんだ』

『カナタが毎日ユーヤンが作った曲を弾いて、ケンゴンがダンスして、ハヤタが育てた野菜と、皆で採った魚とか肉でイチが作ったご飯を食べるんだ』


無言立ち上がり、残った重箱の中身を纏め、空いた弁当箱を抱えてキッチンに向かう。



『なァ、皆が居たら何でも出来て楽しそうじゃねェかァ?』
「メチャメチャ楽しそうっスね、兄貴」
『だから、勉強なんか出来ても出来なくても関係ない。
  スーパーで買い物する為に足し算引き算が出来ればイイ。
  ご近所に挨拶する言葉が喋れたらイイ。
  家庭菜園が出来るくらいの知識があれば万々歳、ラジカセ代わりに歌えば省エネ経済的だ。


  生きるのに、最低限の勉強をすればイイ。学費を無駄にするくらいなら好きな事をしろ。

  働く事は難しい。
  自分で稼いだお金を何に遣おうが、誰も口出しさせなくてイイ。


  俺だって、アルバイトしてるんだから』



その言葉で大学に進学しろと煩い親に逆らった人間が居る。
その言葉で就職に踏み切った人間が居る。
親も学校の勉強でも教えてくれない事を、あの包容力に満ちた言葉で指し示してくれる人を知っている。だから、



「ったく、しれっと冷蔵庫に材料忍ばせてて良かったぜ」



『義兄様には、誰も何も必要ないんだ』
『兄貴は本当、俺が居なきゃ駄目っスね』



「HRから戻って来たら、豪勢な夕飯食わしてやっか」

誰よりも何よりも強い癖に、甘える事を知らない生き物を二人。
けれど全く似ていない生き物を二人。





『お前の言葉通りやも知れんな』
『む。たまには俺だって、お握りくらい作るぞ』


自分の言葉などまるで相手にしない神と、自分の言葉で頬を膨らます王を。
名前すら呼ばない神と愛称を付けてくれる王を。



『私の愛らしい紅玉』
『俺の可愛い、イチ』



  ─────知っている。

←いやん(*)(#)ばかん→
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