帝王院高等学校
お花って食べられますかっ?
オタクと平凡が手と手を取りあい、寮を全力疾走している頃。
「─────な、」
エレベーターから降りた彼は見覚えのある顔を認め、弾かれた様に足を踏み出した。
「テメェ…っ、人の弟に何やってんだコルァ!!!」
しなやかな背中が片腕に抱いている、それは紛れもなく彼の血を分けた弟だ。
恐らく向こうは知らないかも知れないが、それでも。
お堅い政略結婚の両親に育てられた自分が、唯一の宝物だと、声高に何のてらいもなく。
叫ぶ事が出来る。
恥も外聞も無く、今にでも。
「死ねや、瓦落多野郎が…!」
だから、振り向いた鋭利な美貌が揶揄う様に眼差しを細めた刹那を網膜が認識しても、電流の様な畏怖が急速に背中を駆け抜けても、
「お前が私に噛み付くとは、…想像だにしなんだ」
囁く様な声音を聞いた瞬間、視界が一瞬白濁しても。
「勇ましい事よ」
振り上げた拳を下ろす事はしない。
大切な弟が、隣に倒れていて。
手を伸ばせば触れられる距離なのに、地に伏せた体が動く事は無かった。
「義兄としての弟を想う感情は、…主人にすら逆らわせるに値するか、ウエスト」
「畏れながら…っ、唯一神の冥府揺るがす威光を須く知らしめんが、為、に!」
「………良かろう、見事な志だ。」
片足だけで人間一人の動作を奪う相手に、足掻くだけ無駄だ。
然しそれでも、謝りはしない。だからこそ帝王院の頂点に立つこの男が、言葉にして誉めたのだろう。
「素早い身の熟しだった。日々精進するが良い」
揶揄めいた声音は、然し表情一つ変えない美貌から放たれたものだ。
「次こそ、この身を跪かせるに適うよう」
冗談にしては恐ろしい台詞へ目礼だけで済ませ、上体を起こし隣を見やる。
「隼人は…」
「気に止む必要はない。今暫く眠って貰うが、その後は知らん。好きにさせるか良かろう」
「陛下、」
「不服そうだな、ウエスト。私の言葉が信用するに不足か」
「まさか。…でも、何でこんな…」
見たところ外傷のない隼人は、神威の言葉通りただ寝ているだけに見える。
恐る恐る手を伸ばし、神威が制止を命じない事に意を決して、何処と無く似ている気がする義弟の前髪を梳いた。
「良く似ている」
見透かした様に囁く声が鼓膜に、
「夜半まで目覚める事は無かろうが、気に止むならばお前に任せるのも吝かではない」
「は?」
「神は今暫し眠りに就く。…宵闇に乗じて我が盟友が姿を現すならば、それは花餞になるだろう」
それ、と言う指示語が隼人を指している事に気付き眉を寄せる。
何を企んでいるのか凡そ理解したが、高々カルマ総長を呼び寄せる餌に弟を使われては堪らない。
「盟友なんて、…ご冗談が過ぎませんか、陛下」
「私と同列に名を称えられた人間の王だろう?ならば我が唯一の友に相応しいとは思わんか」
「双頭閣下が聞いたら怒り狂うでしょうね」
「そうか。ならば今の話は私の独り言として忘却して貰えるか」
「御意」
ただでさえ敵対するグループに所属している自分は、隼人の目の敵になり易いのだから。
「じゃ、…コイツは俺が預かります」
「ああ、優秀な犬だ。予定より早く目覚める事態を想定し、易々逃す様な失態は控えろ」
「…御意のままに」
自分より長身である隼人を、然し意地だけで抱き上げたが、見た目より遥かに軽い負荷に目を瞠った。
「モデルって職業柄、…だけじゃなさそうだな」
恐らく自分より5キロ以上軽いのではないだろうか。
190近い身長で、それは幾ら何でも成長期にあるまじき状態だ。
「…」
隼人の家庭環境は大概調べさせた為、良く知っている。
隼人の産みの母親であるまだ30代の女優を意図的に誘惑して、度々義弟の話を聞いた事もあった。それを知れば間違いなく弟は怒り狂うだろうが、中等部に進学する前から腹違いの弟の存在は知っていたのだ。
その頃はまだ、分校に通っていた小さな小学生。
初めは鼻に掛かる存在でしかなかった自由な生き物は、然し誕生日が来る度に一人で泣いていた。
『じぃちゃん、ばぁちゃん』
三度、それを見た頃だろうか。
つまり三年後、中等部に進学した自分はある計画の為に迷いなく不良の道に走った。
ABSOLUTELY、中央委員会生徒会長である親王陛下、当時の嵯峨崎零人へ取り入る為だけに。
「…畜生、瓦落多親父の野郎。こんだけグレた振りしてやってんのに、何でコイツを家に呼ばねぇんだ」
ぎゅ、と抱き締めた自分より大きな、然し自分よりずっと寂しい生き物は今も泣いているのかも知れない。
そう考えただけで、折角零人に気に入られて隼人を呼び寄せたと言うのに、まるで逆効果だったのではないかと歯噛みしたくなるのだ。
『麗しい兄弟愛じゃねぇか。良いだろう、俺に従うならすぐにでも弟を呼び寄せてやんぜ?』
『陛下の仰せなら』
『弟を構い倒すのは、…兄の義務だからな。』
何の為に面倒臭い自治会長などやっているのだ。全ては手っ取り早く隼人を囲い込む為だった筈なのに。
何も知らなかった振りで義弟を実家へ招き、口煩いが体裁を気にする父親にも、仕事で家庭にはまるで興味が無い母親にも口出しさせず、善き兄として快く迎えてやって、独りぼっちにしていた分以上に愛でて愛でて、
『兄ちゃんうざい』
『はは、ごめんな〜』
『今度やったら絶交するかんな』
なんて怒られるくらい、可愛がってやるつもりなのに。
もう、─────8年も。
「ちっ、イーストには見付かる訳にはいかねぇか。…確かアイツは隼人とちょいちょい喧嘩してたからな」
祖父母の家から遠ざけて、帝君の名の元にきっと益々孤独に陥いらせて。夜な夜な荒れていた事に気付きながら、自分が動く前に他人から奪われた。
それもカルマ。
ABSOLUTELY幹部である自分は、迂闊に手を出す事も出来ない所へ。
「…陛下が何考えてっか知らねぇけど、兄ちゃんが絶対守ってやっからな、隼人」
物言わぬ寝顔を見つめ、静寂の中で立ち去った神の姿を思い描いた。
頭が痛い頭が痛い頭が痛い頭が痛い。
眼圧が上がって、渇いた眼球がジクリジクリと痛みを発している。
まるで高熱に浮かされた時のそれに似ていると思う。
だからと言ってどうだと言う訳ではないが、鳴りを潜めていた頭痛が再発するには十分だ。
「お帰りなさいませ、閣下」
「お部屋にお戻りならお供します、閣下」
「どうかなさいましたか、光王子閣下?」
「顔色が優れない様ですが…」
いつもならば、寄ってくる生徒の中から適当に見繕って遊んでいる筈だ。
望まずとも自ら身を捧げてくる生き物は、多少乱雑に扱おうが不満など吐かない。
昔は専ら外の世界で、明らかに年上の遊び慣れた女ばかりだった行為が、今は敷地内に限定されているだけだ。
外の世界は案外狭い。
連日遊び惚けていたら忽ち噂になり、大好きな人に知られてしまう。
女ばかり抱いた所で、プロポーズしたいくらい大好きな人は女ではない。
努力は実を結ぶ、日本人の美学を実践に移しているだけだ。
貞操は出会う前に喪失し捧げられなかったから、特別必要性を感じなかっただけで経験が無かったキスに貞淑を守ってきた。
例えば、下らない屁理屈人間ばかり暮らすイギリスに死ぬまで縛られる事になろうが。
日本の唯一の欠点とも言える同性婚が認められているならば、俊を連れて自ら乗り込んで爵位を継いでやるくらい、日本の家族も過去も全て捨て去って構わないくらい、本気だったのだ。
いや、違う。
それはきっと、─────今も尚。
「光王子様?」
「お加減が悪いならお部屋に、」
「Dont touch me, must leave here!(近付くんじゃねぇ、失せろ!)」
血を吐く様な叫びと同時に煩わしい他人を殴り、泣きながら立ち去っていく後ろ姿を気にする事も無く額に手を当てた。
『カイザーと接触しました』
何故。
大好きな人が、此処に居るんだ。
『…9区ですよ』
『何、ただの余興だ。』
『遠野俊の、─────実家は』
有り得ない。
だって、去年の誕生日。自分の17回目の誕生日。
20本、ぎっしり立てたバースデーケーキの蝋燭を、大好きな人は吹き消したのだ。つまり大好きな人は三歳年上で、毎年毎年三年の距離は決して狭まらない。
薄暗いカフェの、夜にはバーへモードチェンジする幻想的な世界で。
色とりどりのキャンドルや、カフェロワイヤルに浮かぶウイスキーを染み込ませた角砂糖に灯した炎が、大好きな人を浮かび上がらせていた。
酷く幻想的に、─────煽情的に。
『そんな所から覗いていないで、仲間に入れて貰ったら如何ですか?』
『背後に忍び寄るなっつってんだろ、二葉』
『おやおや、ちょっと私より背が伸びて半月早く年上になったからと言って、突然亭主関白宣言ですか。これでは、見るからに亭主関白そうなカイザーも苦労なさるでしょうねぇ。
あ、そうか。彼の前だけ可愛いお嫁さん振るつもりなら、別に愛人である私には亭主関白でも構わない訳ですか』
『失せろ、変態』
揶揄いめいた二葉の声も、
睨み付けた自分が誕生日プレゼントの花束をカフェの戸口に置いて立ち去った記憶も、
何だかんだ言いながら最後まで律儀に付き合ってくれた二葉の、ボディーガードにしては横柄な態度も・全部。
『スターチス、ペルシャンバイオレット、ラケナリア、ホトトギスリリィ、………藪蘭、ですか。
それはそれは、何ともミスマッチで情熱的なプロポーズですねぇ、光炎の君?』
『ちっ、…目聡い野郎め』
『花言葉はそれぞれ、永遠に変わらず・貴方を愛します・持続する愛・永遠に貴方のもの。最後に、
─────秘められた心。
………貴方にポエマーの才能がお有りとは、気付きませんでしたねぇ』
覚えているのだ。
「…は、ははは、………Very nonsense.(馬鹿馬鹿しい)」
有り得ない想像はやめろと言った筈だ。あの生意気な外部生は、自ら自分の敵として名乗りを挙げたのだから。
「…左席如きが、俺様に楯突きやがって」
狂うまで痛め付けてやれば良い。
刃向かう生き物は、降り掛かる火の粉は、躊躇らわず叩き潰せば良いのだ。
自分は、それが許される。
「シュンが居たっつーなら、話は早ぇ。とっとと見付けて、卒業なんざ待たずに高飛びだ」
それまで、この頭痛の代償はあの外部生に支払って貰おう。
久々に面白い玩具を見付けたと考えれば、ほら、苛立ちはすぐに掻き消える。残るのは期待に似た高揚感だけだ。
「泣き喚きながら平伏させてやる…」
あの邪魔な眼鏡を外させて、一度しか見ていない、それもたった一瞬目にしただけの、あの腹立たしい貌を歪めさせられたら、きっと全てが元に戻る気がする。
「…あ?」
ずっと使っていなかった携帯が、薄暗い部屋の中で点滅していた。
殆ど帰る事の無い寮室は常に無人で、外の世界から遠ざかった自分には不要と化した携帯電話はずっと充電器に鎮座したままだ。
また両親のどちらかだろう、と特に気兼ねせず開いた携帯を、暫く扱っていなかった為にぎこちない動作で弄ぶ。
「─────」
十ヶ国のバイリンガルである自分が、刹那全ての言語を忘れてしまうくらい、それは魂を強く揺さ振ったのだ。
だから、もしかしたならその時、自分は呼吸すら喪失してしまったのかも知れない。
なのに自律神経は主人の意志を伴わず、心臓の速度だけを速めた。
ああ、閉め切った部屋の静かなエアーコンディショニングシステムの、微かな稼働音さえ酷く煩い。
防音である筈の窓の向こう側から、誰かの幸せな笑い声を聴いた様な気がする。
全身が異常に敏感だった。
「………」
だから、急速に眼圧が上がった眼球が主人の意志を伴わず、勝手に勝手に熱を訴えても。
可愛い日向へ。
大きくなったな。
元気そうで何よりだ。
凄く男前になってて、きっと皆が放っとかないだろうと何だか誇らしかったよ。
季節の変わり目は風邪を引き易いから、体調管理には気を付けろ。また貴公子先生から怒られてしまうぞ。
日向は俺の事なんて覚えてないかも知れないけど、エラー覚悟でメールします。
大好きな日向へ。
君を見守りたい男より。
だから、きっと風邪を引いたに違いない。高熱に浮かされた時のそれに似ているのだから、
この無様な光景は、悪夢か気の所為に違いなかった。
「どう忘れろって言うんだ、…馬鹿なシュン」
涙腺が緩む、なんて。それこそ有り得ない。
←いやん(*)(#)ばかん→
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