帝王院高等学校
美味しい無糖と言えばやっぱ水だねー
叫ぶ声が再び響いた。
その程度では動じない男達は、然し頑なに反応しない事が既に奇妙だと気づいているのか、いないのか。

「今、何か落ちた音がしなかった?」
「割れてないなら心配ないだろ」
「アボカド切れてるの言ったっけ?」
「ああ。お陰で、メキシコかドミニカまで買いつけに行きそうな雰囲気だったがな」

確実に言える事と言えば、数分置きに聞こえてくる狂ったそれは、明らかに日本語ではないと言う事だけだ。産後鬱で発狂する新米ママに似た切実な感情が、余りにも良く現れている。

「いや〜、荒ぶってますな。つーか副長、とうとう携帯の電源切ってるんだけど〜。まさか夜逃げ?昼過ぎでも夜逃げっつーのか謎」
「デパ地下にでも入ったんだろ。盆の忙しい時期に、狭い日本何処まで逃げられる?」
「何でこんな日に限って俺だけ留守番なのかな?ねぇ榊の兄貴、何で俺だけランチタイムフル稼働なの?」

ランチ終盤にマスクとサングラスの完全変装でやってきたモデルの所為で、この日のカフェカルマは凄まじい混乱に陥った。お陰様で日替わりランチの仕込みが切れて尚、ミーハーな女性客はメニューを片っ端から食い荒らし、売上は良いが従業員は過労死寸前だ。

「髪が汗で乱れるっつって発狂した阿呆と、弟のやんちゃが過ぎて保護者の呼び出しを喰らった苦労人長男に聞いてみろ。寧ろバカ梅を恨むな、恨むならアホ竹だ」
「断固として拒否する。竹林君は何をしてもキュートだから良い」
「何処まで本気か知りたくもねぇが、お前まで抜けたら捌けなかった点については礼を言ってやる。お前ら、馬鹿なのに客受けだけは良いからな。貴重な戦力だ」
「も〜。榊の兄貴、俺の名前忘れてたりする〜?バカ梅にアホ竹、だったら俺は何なの〜?」
「おたんこ松」
「どんだけ〜」
「何であんなゴミを仕入れようとするのか、全く理解出来ません…!」

バタン!と大きな音を発てて倉庫から出てきた男は、ガリガリと苛立たしげに前髪を掻き上げながら、カウンターの定位置へドスンと腰掛ける。血も涙もない冷血漢だと追われがちな経理係も、流石に夏場の倉庫に籠れば汗が滴り落ちる様だ。

「冷たい水を!」
「今日はランチタイムで在庫終了閉店、イコール俺の勤務時間は終わってる。後はセルフサービスな」
「俺が今日在庫整理をする事を知りながら、ランチの仕込みを終わらせるなり総長をダシに逃げたまるで使えないオーナーが目の前に居れば、俺だって喜んでサービス残業させました」

余程、腹に据えかねた出来事があったのだろう。珍しく声音が低い男は、汗で頬に張り付いた左耳のピアスの羽根を人差し指で払った。

「倉庫にはいつ何に使うのか判らないガラクタが随分転がってましたが、あの頭陀袋に入っていた胡麻は何なんですか」
「えっと、ドレッシング用?」
「90Kgも備蓄する必要が何処にある?!」

ランチタイムには、来客用に朝の仕込みの段階でミネラルウォーターにレモン汁を適量落としたフレッシュな水を、硝子製のボトルにたっぷり詰めて並べている。店にクローズドの札を掛けるのと同時に、カウンターに並べられていたボトルは全て片付けた。

「そりゃ多分、キヌアだ。去年、島に穀物を植える話があったろ?年末に送ってきた奴が確か、キヌアと押し麦だった」
「あ、思ったより育たなくて結局今年はやめたんだっけ?農業コースの奴らが残念がってたよ、キヌアの国内生産が容易になれば、理事会が予算を増やしてくれるって話だったらしいし」

ぼやく舎弟の台詞に、汗を滴らせた錦織要の眉が跳ねる。

「狸しかいない理事会相手から簡単に予算を引き出せると考えるから、余計な金が懸かるんですよ…!Eクラスの出張費だけで、去年の夏野菜の黒字は大幅なマイナス修正を余儀なくされました!たった百キロにも満たない使えない穀物を育てる為に、無駄金を払ったんじゃないんですよ!」
「え〜っ。俺に言われても困る〜。向日葵が今年も沢山生えたらしいし〜、インスタ目当てのツアーとか?こないだインタビュー受けた出版社に言えば、安く広告載せてくれそうだし」
「引き換えに、シーザー特集を引き受けろと?…冗談じゃない、副長の特集を受ける羽目になっただけでも俺は納得してないのに」

キッと無言のモデルを睨んだ要は、振り向きもしない横顔に派手な舌打ちを浴びせた。嵯峨崎佑壱がいたら牙を剥くだろうが、如何せん狂犬は既に逃げ出している。決算時期になると余裕がなくなる要に対して、言い返すだけ無駄だ。

「…判った判った。ボトルとタンブラーは出してやるから、後はやれよ。客用のミネラルボトルは、全部漂白剤に浸けちまった」
「榊、レモンスライスが残ってたら一枚下さい」
「OK、タンブラーの底に敷いといてやる」

苛々と組んだ足を揺らしている要は、苦笑を浮かべている雇われ店長からグラス一杯の氷とミネラルウォーターのボトルを受け取ると、キャップを歯で噛み開けてグラスに水を注いだ。ひたりと要の頬から滑り落ちた汗が、カウンターテーブルに落ちる。

「カナメさん、歯で開けると折れちゃうよ〜?」
「この程度で折れる様な柔な歯は、寧ろ早々に折れてしまえば良いんです。使えないものは使わない。人が本当に省エネを提唱するのであれば、『勿体ない』と言う言葉が既に無駄遣いなんですよ!」

ガンッと、水を飲み干した要がグラスをカウンターテーブルに叩きつけた。いつになく乱雑な態度だが、一時間以上冷暖房のない倉庫で在庫チェックをしていれば、気持ちは判らなくもない。遊んでいた訳ではなく仕事をしていたのだから、その苛立ちは尚更だろう。
15オンスのタンブラーには氷だけが残っていたが、叩きつけられた時に氷が一つ飛び出し、梅雨時にインフルエンザに掛かってしまった病み上がりのモデルの額に直撃した。

奇跡的な光景を目撃した榊雅孝は真顔で口を押さえ、素早く背を向けている。

「ざけんなカナメ、泣かすぞコラ」
「熱が下がって良かったんじゃないですか?お前に寄生するインフルエンザウイルスは、随分しつこい様なのでね」
「あ?馬鹿が出来ない計算ばっかやってっから、余裕がなくなるんだろ。電卓を貸してやろうかあ、カナメちゃん?」
「貴様…!」
「はいはいカナメさん、お代わりどうっスか〜」

500ミリリットルのペットボトルは空で、ウェイターのバイトが終わったばかりの舎弟らは、厨房から新しいミネラルウォーターのペットボトルを持ってきてくれた。苛々モードの要は、障らぬ神に何とやらだ。
風邪を拗らせて酷い目に遭ったばかりの病み上がりモデルも、久し振りのロケを巻きで終わらせ、マネージャーが運転する車で真っ直ぐカフェまでやった来た。ランチタイム終盤を狙ったのは良かったものの、満員御礼の店内は当然ながら騒然だ。

「色々拗らせたハヤトさんが新型インフルエンザを片っ端から貰ってくるのは、病院嫌いだから仕方ないよね〜。優しくしてあげて、カナメさん。芸能人だってお注射が怖…あだッ」
「この神崎隼人様の何処を見てほざいてんのかなあ?うん?ケツ出せケツ、てんめーら3匹纏めてアナルプラグリングで数珠繋ぎにしてやんよ」
「いやー!松竹梅の順に繋ぐつもりなの〜?!」

要の機嫌は底に落ち、ランチタイムが終わるなり皿洗いを放棄したオーナーと言えば、テラスでサンオイルを塗り優雅に日焼けサロンごっこをしていた高野健吾と藤倉裕也のダブル馬鹿を引き連れ、買い出しと言う名の逃亡。
入隊したばかりでまだまだ土地勘がない川南北緯は、8区に実家がある竹林に連れられて佑壱らとは別ルートのお使いに行っている。

「榊の兄貴!病み上がりの筈のハヤトさんも狂暴なんだけど〜!ランチタイム延長戦に縺れ込ませた張本人の癖にっ」
「風邪でダウンしてる間、ファーザーに会ってないから不貞腐れてんだろ。お前の方が兄ちゃんなんだから多目に見てやれ、おたんこ松」
「ハヤトさんみたいな弟なら頼まれたって要らないよ…」

口は災いの元。
笑顔のモデルからその長い足で蹴り倒されたウェイターが、床に転がった。これでも工業科で最も強いと噂されている男だが、進学科で一位二位を争う狂犬の前では形無しである。
舎弟を足で踏み潰しながら要を盗み見た隼人は、氷が溶けて薄くなったカルピスを音を発てて啜った。単なる嫌がらせだが、神経質な様で礼儀作法にはとことん鈍い要は、全く堪えていない。

「はー。…水がうまい」

年寄りじみた要の台詞に、誰もが苦笑いを零した。年々客足が増えているカフェの経理役は、色々大変だろう。
頼れば仲間意識の強いカルマだ、例え隼人であろうと手を貸す筈だった。シーザーの言葉はそのままずばりカルマの掟となり、今ではお年寄りを労わない犬はいない。たった今、悟りを開いた様に水を喉へ流し込み溜息を零した要が人を頼れる性格であれば、そこまで追い詰められた表情になる事はなかった。

「カナメさんって、まんま長男気質だよね〜。頼る人がいない子供は頼り方が判んないんだってさ」
「下らない統計学ですね。俺は頼れないのではなく、頼らないんです。自分以外は馬鹿しかいない」

とりつく島もない。
ごもっともとばかりに頭を掻いたウェイターは店長を肘で小突いたが、勤務時間を終えた雇われ店長は何本目かの煙草に火をつけて、煙突の如く白煙を吐いている。

「ボスを安売りしたくないならさあ、自分がインタビュー受ければよいんじゃない?ある意味、『隼人君より有名人』などっかの馬鹿猿はあ、目立ちたがりの癖に個別取材は蹴ってるからねえ」

高熱を出して意識が朦朧とする度に、一人にしないでだの寂しいだの愚図る隼人は、寮内で隣の部屋である要に大抵看病されている。タチが悪いのは、弱っている時につい呟いてしまう弱味を綺麗に覚えている所だ。優しさの欠片もない要は、その都度『サービス残業死ね』と呟いているが、何かと忙しい佑壱が席を外している時は何だかんだ世話を見るしかない。
仲間意識の高さは要もまた同じ様だが、元のスタートラインが低すぎて認知されていなかった。一人残らずひねくれている四重奏は、だから灰汁の強いカルマの幹部と呼ばれているのだから。

「雑誌なんて売れる記事を書けりゃホイホイ食いついて来るんだからさあ、ボスが駄目ならカルテットで妥協してくれるよお。あ、隼人君はプロダクション契約があるからパスだけどねえ?」

回復する度に、隼人は隼人で申し訳なさげな気配を漂わせている。
第三者から見れば『礼を言うタイミングを窺っている』様に見えなくもないが、繊細そうな外見の割りに病気を全くしない要は、隼人の風邪が移った事もなく、つまり誰かに迷惑を掛ける事がない。世話の懸かる舎弟を飼育しているだけ、と言わんばかりに佑壱と交替で隼人の看病をする要からすれば、感謝される謂れはない。ただの事務作業みたいなものだ。
隼人の様に誰かがいないと寝つきが悪いと言う事もなく、微かな物音で目を覚ますスキルのある要は、寮内で唯一隼人の部屋に泊まった事のあるクラスメートだった。セフレは何人もいるが、その誰もが学外の人間である隼人に学園内で親しい人間はいない。根っからのヘテロ街道を突っ走っている要もまた、男を相手にセックスの真似事をする様な趣味はないので、隼人に負けず劣らず学園内では一人行動が多かった。

「仕事にかまけて油断すると、寝首を掻かれますよ」
「ロケ弁を持って帰ってあげたイケメンに対して、感謝の気持ちが感じらんないんですけどお?」
「ハヤトさん、横浜ロケで小籠包お土産って無理があるから〜。夏場だからってさ〜、車飛ばしても二時間は懸かるわけ〜。冷めて皮がふやけてたよ〜」
「でもまぁ、喰えない事もありませんでした。その節は有難う、ハヤト」

食べ物を貰った時に限って、要は素直だ。甘いものはそれほど好まない様だが、基本的に好き嫌いもない。

「来月は仙台のローカル番組に呼ばれてるからねえ、ずんだ餅買ってきてあげてもよいよ」
「枝豆でしたか?俺は牛タンの方が良いんですが」
「年々図々しさに磨きが掛かってんねえ」
「タダ飯ほど美味いものはない」

隼人が校舎内で要に話し掛ける事はほぼなかった。土産を渡す時も、基本的に寮内で擦れ違った時に放り投げている。
基本的に真面目なSクラスの生徒は誰もが、授業中も隙間時間も勉強しているからだ。学園の外に無断で出ていく生徒を減らす対策として中等部寮に窓はないが、高等部のリブラ寮より人目につかず学園外に出る方法は多い。アンダーラインは、年々蜘蛛の巣か蟻の巣の様に迷路化が進んでいて、業者や用務員のIDカードがあればほぼ全てのセキュリティゲートが開く。
隼人は中等部に入るなりハッキングした職員用IDで自由に行き来しており、カルマに入隊してからは佑壱の権限を複製したデータを四重奏全員のカードにコピーした。

「日中真面目に教室に出てる誰かさんは、頭ばっか使ってるから背が伸びなくなるんじゃない?170くらいで止まってるっぽいもんねえ、カナメ」
「計ってませんが177はあります。デカければ良いと言う問題ではないでしょうに。これから伸びるんです、俺は」
「ふーん?隼人君の親はそんな馬鹿デカい方じゃなかったけどお、じーちゃんは歳の割りにスラッとしてたタイプだったからあ、覚醒遺伝って奴だけどねえ?ああ、でも、カナメちゃんの身内は長身ばっかだっけ?」

にまにまと隼人が眼差しに笑みを掻けば、要の双眸が細くなる。
自分から誰かに話した事などないが、祭家と要の関係は知っている者は知っている事だ。諜報班の隼人が本気を出さずとも、調べれば判る。

「…何処まで調べたか聞きたくもありませんが、下手な真似をして洋蘭に睨まれても知りませんよ」
「ヨーラン?」

成程、やはりそれは知らないらしいと要は頬杖をついた。流石に何を調べても、そこまで知る事は不可能だ。ステルシリーサーバーにも記載されていない、二葉と神威だけが知っている事なのだから。

「どうでも良いんですが、総長をメディアに安請け合いさせるのは論外です。総長が少し囁いただけで、大抵の女は発情期の猫の様に股を開くんですから」
「ああ言うローカル雑誌の記者って、女の人が多かったりするんだよねえ。古代遺産じみた関東ヤンキー特集、良い記事を書く為なら餓鬼相手に枕営業も厭わない、ってやつ?」
「お前みたいに貞操観念がない馬鹿はともかく、ユウさんにそんな浅い手は通用しません。あの人に抱かれた女は束縛が酷くなる代わりに、女としての己の力量の低さを思い知らされる。早朝4時から昆布と削り節で出汁を取る副総長は、世界広しと言えどカルマだけ」
「少年ジャンプの柱書きみたいな。隼人君と違う意味で天才なんだよねえ、匂いを嗅いだだけで同じ料理が作れるとか、ゴリラ並みの握力でビルクライムも楽勝とか、文武両道過ぎてキモい」

隼人に至っては気が向かない限り教室へは足を運ばないので、新しい教科書を受け取った日にパラパラっと流し読む程度、自室で勉強などもしなかった。記憶力だけで選定考査をパスしている隼人は、要にどれほど睨まれても勉強方法を教える事はない。言った所で、俺を馬鹿にしているのかと睨まれるだけだ。

「帝君とはそう言うものでしょう。ユウさんは100メートル11秒台、ケンゴは100メートル10秒フラット。お前みたいに14秒も、」
「12秒だっつーの!そこまで遅くないし!」

顔を赤らめて反論した隼人は、確かに平均的に見ても遅くはない。単に四重奏最速の男、高野健吾が規格外なのだ。健吾は陸上部のエースより早い。
体力はあってもやる気がない裕也は、その日の気分で多少誤差があるものの、隼人と大差ない。要は200メートルだと後半で伸びるが、短距離は得意ではなかった。

「総長が速すぎって感じ〜」

漂白中のミネラルピッチャーを眺めながら、水道水をグラスに注いだウェイターは呟いた。客らに食い漁られたカフェの在庫はミネラルウォーターのボトルまでも終了し、冷蔵庫内は新品の様に空っぽだ。
あちらこちら大掃除が出来てしまう程には、泥棒に漁られたかの如くカフェは閑散としている。

「何でも知ってるし、超強いし、ユウさんを片手でお姫様抱っこしちゃうし、満月で荒ぶったカナメさんの耳たぶ齧って腰抜かさせちゃうし」
「失敬な!腰は抜かしてません!」
「あは。とろんとしたアヘ顔で崩れ落ちたのはさあ、間違いないじゃんか」

規格外は佑壱や健吾だけではない。
大人しい時は空気に溶け込む程の大人しさでありながら、一度喋ると誰彼構わず跪かせてしまうシーザーは、規格外所の話ではなかった。

何でも食べるわ、路上駐車の大型バイクを持ち上げて運んでしまうわ、真冬でも冷たいコーラを微笑みながら飲み干すわ、海に行けばビーチフラッグ競争で健吾に勝ってしまうわ、溺れている子供を助けようとして離岸流に流され、あわや死んだと誰もが青ざめれば、偶々迷い込んできたらしいイルカの群れにビーチボールを投げる様に押し戻され、砂浜に流れ着いてくるわ。

肺の中まで水が入っていると騒いだ救急隊員を嘲笑う様に、肋骨を折らんばかりの心臓マッサージを施した佑壱の顔にクジラばりの放水をカマし、パチッと目を開くなり真顔で唐揚げが食べたいと宣う。
病院に連れていくべきだと薦めた救急隊員に対し、子供を助けようとして死にかけた男は怪訝げに首を傾げ、パシャンと顔を覗かせたイルカに手を振った。

『顔と頭が可笑しいのは生まれつきだが、それもまた一つの個性として扱って貰いたい。所でイルカのお肉は何味なんだ?じゅるり』
『精神科行きますか総長』
『む?』

顔に大量の海水噴射を浴びた佑壱は呆然と呟いたが、死にかけた割りに海の家で大量の唐揚げを腹へ収めた飼い主を呆然と眺め、海辺のヒーローと化したイルカ達にお礼の小魚を投げた。
例え俊に殺されようとも、あの命の恩人ならぬ恩イルカ達は喰わせる訳にはいかない。

「知ってるー?カルマは変人奇人の巣窟らしいよお」
「あ、俺それ知ってるよ〜。ABSOLUTELYが文字通り『完全無欠の巣窟』だから、皮肉ってるのかね〜。完全無欠でも白百合みたいに臍が腸捻転レベルで曲がってるよか、マシだと思うけど〜」
「あは。よい事言うねえ、馬鹿の癖に」
「ハヤトさんの毒で俺瀕死なんですけど〜。慰謝料寄越せコラ〜」
「あの世へのグリーン車片道チケットあげよっか?」
「さーせんっした」

四重奏で最もチャラそうな隼人が微笑めば、チャラ一匹は素早く逃げた。やはり一匹では無理だ。チャラ三匹が揃わないと、いや揃っても勝率は低いとしても。

「変人奇人の国の大統領、40頭以上の犬を飼い慣らす完全無欠の絶対王者。ダークネスかカオスか、はたまたシルバームーン・か」

ミネラルウォーターが欠品、水道はカウンターの裏。
立ち上がるのが億劫なのか、隼人はカルピスの瓶に口をつけたが、眉間が寄った処を見るに中身は空だった様だ。

「原液を飲むなと言っているでしょう、勿体ない」
「これ隼人君に届いたお中元なんですけど?それよりさあ、ボスに店の為に取材受けってお願いしたら、絶対断んないよねえ。ママが撮影なしで取材受けたのだって、ボスの代わりだったからさあ」
「お前のロケ見学になど行かなければ…」

悔やんでいるとばかりに息を吐いた要の前髪から、汗が滴り落ちる。彼が此処まで暑そうにしているのは、初めて見た。

「俺は下らない取材を受ける趣味はありません。ケンゴも同じなんでしょう、どちらが馬鹿だか」
「はあ?その馬鹿に帝君奪われちゃってる癖にさあ、言ってくれるよねえ。学費免除って言っても基本学費だけで、研究費も生活費も出ないのに」

根っからひねくれている隼人が素直に礼を言える筈がない事は、誰の目で見ても明らかで、睨み合う二人を前に『また始まった』と、誰もが目を逸らした。この二人の折り合わない雰囲気は、高坂日向を前にした大人げない佑壱と大差ない。気づいていないのは鈍すぎる要だけだ。言葉を言葉通りに受け取るので、人の表情や仕草など見ていない。

「今回の選定考査は遅れを取りましたが、進級考査で巻き返します」
「あは。今回もじゃないー?」
「年明け早々、初詣の途中に熱出して大騒ぎしたかと思えば、半年足らずでまたもや大騒ぎとは気の休まる時がない。病院は何が何でも行きたがらない、粉薬は苦いだのへっぱったこっぱった」
「へ、へっぱった…?」
「下手に意識があれば座薬は嫌がる、押さえつけてぶち込めば毛布に潜り込んでメソメソメソメソ。お前は何処の処女ですか」

立ち上がり、蛇口を捻ってとぷとぷと何杯目の水をグラスに注いだ要は、隼人の額に当たってテーブルに転がった溶けかけの氷を掴んで頬張ると、ごりごりと噛み砕く。潔癖症に見える外見と性格を嘲笑い、流石に地べたに落ちたものは諦める様だが、テーブルの上に落ちた程度では動じないのが錦織要と言う男だった。
放っておくと光熱費が勿体ないと宣い、風呂に入らない様な男だ。見た目が中性的な美貌なだけに、そのギャップに女性は弱い。男はその逆だ。

「ああ、今日は暑い…」
「クーラー効いてるよ?もしかして熱あんじゃない?」
「お前じゃあるまいに」
「俺が来た」

バタンと派手に開いたドアを見やれば、大量のスイカを抱えた髪以外の全てが黒い男が、キラッと白い歯を覗かせている。

「本屋でジャンプを買ったら店番のお婆ちゃんが熱中症で倒れて、近所の病院に運んであげたら福引券を20枚もくれたんだ。特賞と一等と二等が18個当たったから、持ってきた」
「…はあ?20枚で最低が二等18って、どう言うクジ運なわけ?」
「流石です総長!二等がスイカだったんですか?!18個も抱えてくるなんて…!俺は、俺は何だか胸が熱くなって来ました!」

バターンと倒れた要に、隼人以下全ての男が目を見開く。
ひょいひょいとカウンターにスイカとジュエリーケースと温泉旅行券と週刊漫画を放り投げた男は、黒いサングラスを掛けたまま、銀髪に蝉が一匹止まっている事にも構わず要を抱き起こし、携帯を開いたのだ。

「何だ、イチの携帯が繋がらない。説教だな」
「ねえ、ボス。カナメってもしかして熱中症?」
「今日は在庫整理の日だから早めに来たつもりだったんだが、この様子だと要はまた一人で片づけてしまったんだろう?全く、俺だって倉庫の掃除くらいなら出来るのに」

すたすたと要をボックス席に乗せた男は、サングラスを外した。炎天下の中、大量の荷物を抱えていたとは思えない。

「竜。ありったけの氷と、水を張った洗面器かボールにハンドタオルを二枚浸してくれるか。太郎はスイカをとりあえず三玉切ってくれ。それから、隼人」
「え?なに?」
「俺がジャンプを読む間、要に膝枕をしてやってくれ。5分でイイ」
「5分って…ボスのお願いだったら、よいけどさあ」
「俺が楽しみにしてたカルピスを一人で飲んでしまった件は忘れてやるぞ?」
「気づくの早っ!ごめんねえ、最後の1本って何であんなに美味しいんだろうねえ」
「一等の宝石セットは天然石のピアスが40個入ってるらしい。皆で一つずつ分けなさい、俺の耳は一点の穴もないからな」
「足んないよねえ。カルマは46人居るんだよお?」
「47だ」
「は?」
「そろそろ白い犬が来る。もう一人の白い犬には指輪をプレゼントしたからな」

謎めいた台詞に瞬いた隼人は、客席に転がっている要の頭を持ち上げた。ひたりと他人の汗の感覚が掌に感じられたが、この程度で嫌がる様な繊細な心はない。体液などどれも大差ないものだ。

「ボール持ってきたよ〜!カナメさん、さっき水ガバガバ飲んでたから、ちょっと休めば大丈夫だと思うけど〜」
「何と言っても若いからな。落ち着いたらスイカを食べさせれば、すぐに治る。天然の栄養剤だ」
「スイカって昔はあんま好きじゃなかったけど〜、総長が食べたがるから好きになってきたんだ〜。あ、でも冷やした方が美味しくない?」
「そうだな、三玉は味見にしようか。俺達が内緒で食べてしまおう。残りを冷蔵庫で冷やしておけ、それは夜に皆で食べようか」
「やったー、賛成〜!丁度冷蔵庫空っぽだから放り込んでくるね〜。ユウさんが帰ってきたらドン引きすんじゃないかな〜」

話ながらも漫画雑誌をパラパラと捲っていた俊は、最後まで捲り終わると雑誌を閉じた。ものの1分程度だが、前髪を掻き上げた瞬間、頭から飛んでいった蝉が天井辺りでジジジっと鳴く様を見上げている。

「俺についてきたのか。逃がしてやらないと、エアコンの風で弱ってしまう」
「はあ。ボスじゃソファに乗っても届かないでしょ?隼人君が逃がしてあげるから、枕役代わって」
「判った。やっぱり俺のパヤトは優しいワンコだな」

くしゃりと頭を撫でられた。
ボックス席の上に乗り上がった俊より、座っていた隼人の方が高さが低かったからだ。

「あ。コイツ、羽根が透明だよお」
「この辺りでは珍しいな」
「スイカの匂いに寄ってきたのかなあ?だったらカブトムシの方がよいのにねえ」
「カブトムシ?」
「そ。おっきい奴は高値で売れるんだよ」
「何だと…?!」

捕まえた蝉をテラスに続く窓から外へ逃がしてやれば、倒れていた要が飛び起きた。熱中症でダウンしていた割りに、艶やかな表情だ。

「カブトムシなんかが?!」
「カナタ、もう少し横になってなさい。どうしてそんなに儲け話に食いつくんだお前は、お父さんは切ないぞ?」
「ですが総長、カブトムシを売って儲けを出せれば、ユウさんが無駄遣いした分を補填して黒字計上に出来ます」
「今季は赤字なのか?」
「何とか黒字ですが、人件費と、島に懸かる経費などを支払ってしまえば、殆ど残らないんです。それなのにユウさんは俺らの食費を経費で落とそうとしないんですよ。そうすれば節税になるのに。これじゃ、俺達がユウさんの足を引っ張ってるみたいで…」

要なりに佑壱の事を慮っているのかと隼人が目を丸めれば、カットした一玉目のスイカを運んできた榊が馬鹿デカい皿をテーブルへ置く。

「太郎、切り過ぎだ。スイカは四分の一が一番うまい」
「あのサイズじゃ無理ですよファーザー、もう少し嵩張らない物を当ててきて下さい」
「すまん。カナタ、カブトムシを採りに行くならパヤトについてきて貰いなさい。お前は方向音痴だからな」

俊の台詞に全員が首を傾げたが、要だけは幾らか口籠った。

「『親』が方向音痴だと遺伝するらしい。俺の親父の母親が方向音痴だそうだ」

←いやん(*)(#)ばかん→
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