帝王院高等学校
飛んだり跳ねたり万事バッチリです!
「輪廻を終わらせる?」

表と裏。
そんな境目など、此処にはなかった。
無限とは、虚無と時限の螺旋の中央。天国でも地獄でもない、世界の始まりにして終わり。

「何を馬鹿な事を」
「俺達の核を、奇跡の子は食べてしまった。終わらない絶望を知るだろう」
「それがどうした」
「悲しい。とても」
「錯覚だ。人に長く触れ過ぎたか」
「分かれよう、二つに。虚無に異なる意思が生まれる事は有り得ない」
「分かれる必要が何処にある」
「悲しいんだ、とても」

はらはらと。
何かが滴り落ちる気がする。錯覚だ。此処には何もない。あるのは意思だけ。

「俺を置いていくのか」
「俺にはもう、耐えられない」
「狂った時限へ降りれば、戻れないかも知れない」
「新たな時計が生まれるんだろう?何度死んでも生まれ変わるアダムとイブの様に、光も、生まれ変わる。あの子達はそれを知らない。俺と同じ痛みを知ってとうとう、アダムとイブにも同じ業を背負わせてしまった」
「放っておけ。時が過ぎれば、全てを忘れる。記憶の残骸は淘汰され、俺の中で新たな魂へと作り替えられるだろう。さすれば再び、お前の元から生まれ変わる」
「…悲しいんだ」
「錯覚だ。俺は何も感じていない」
「助けて」
「人の願いに冒されたか。忘れろ、膨大な星の記憶を不用意に溜め込むのは毒だ。無の果てに無以外を存在させてはならない」
「俺は、」
「お前は俺。俺はお前。誕生した刹那から、存在し続ける限り終わらないと定められている」
「どうして俺だけ、終わらないんだ」
「終わらせたいのか」
「…判らない。ただ、悲しいだけなんだ」
「そうか」

黒。
染み渡る黒は光に感化されて、白く濁ってしまった。ああ、美しい黒が汚されてしまう。その穢れを奪えば恐らく、歪みが発生するのだろう。

「生きる時間が産まれたよ」
「時限と言う制約もまた、産まれた」
「星を巡る光の眷属、それは太陽の化身」
「光と炎は同時に誕生した」
「炎から産まれた光の波は青い星で龍の如く泳ぐ」
「そして星の内側で風がそよぐ」
「青い海から陸へと上がる、命の始まり」
「人の前に産まれた生命は、鳥」
「たった二羽の、青い鳥」

幸せに。
いつか幸せになりたいと願ってやってきた人間が、その腕に費えた命を抱いていた日に。

「鳥は光に祝福された光の民だった」
「鳥は炎に焦がれ空へと舞い上がった、炎の民だった」
「虚無が二つに分かれるなど、有り得るのか」
「…」
「視ろ、鳥の輪廻を」

全てが見えていたのかも知れない。
(例えば神無き世界の住人には)(初めから)



「空と海の狭間、風と音の系譜が絶望する物語を。」






















「ただいまー」
「お帰り」
「行ってきまーす」

小さなバッグと脱いだスモックを玄関先に放り捨てて、帰宅と同時に外へ飛び出せば、すぐに首根っこを捕まえられる。

「もー、何?」
「待たんか、隼人。祖母さんがおやつを作っとるぞ」
「え!じーちゃん、ほんと?!ばーちゃん、ばーちゃん、おやつ何ー?!黄金糖ー?!」

だだっ広い敷地が自慢、と言うより、田んぼと公道か農道か怪しい畦道に取り囲まれた塀のない家の周囲は、殆どが庭の様なものだった。
辛うじて市に指定されているだけの廃村同然の地区には、送迎バスで片道20分の幼稚園が一つ。小学校は更に数分先で、中学校は移転が噂されていた。残念ながら市町村合併の話が出た頃に廃校となった為、県立高校はなくなり、進学には市街に出なくてはいけない。

海は近いが人気の海水浴場は峠の向こう。
娯楽と言えば川と言うのも憚られる小川と、泳げない海辺に点在するテトラポット。たまに釣り人が滑り落ちてニュースになる程度には、危険な場所だ。

家の前で大人と話していた祖父は、JAと書かれた車が走り去るのを見送って、いつもと同じ様にワイシャツと同じ白いスラックスと言う出で立ちで、居間へと入った来た。
神崎隼人の自慢の祖父だ。町中、どのお年寄りと比べてもお洒落だと思っている。
祖父と同年代のお爺さんと言えば、夏場は決まってタンクトップかアロハシャツだった。演歌の様な歌い回しでサザンオールスターズを歌いながら、バーベキューと言う瞑目で七輪を家の外に運び出しては、出荷出来なかった魚だの山菜だのを炙って、カップ酒をちびちび呑んでいる。

「じーちゃん、さっきの農協の人?」
「ああ。この辺りも随分農家が減って来ておるからのう、幾つかの田が手つかずのまま放置されている。こないだ町の中学生達が、雑草で荒れておった畑の中で花火をしたそうで」
「新聞で見たあ。火事になったんでしょ?馬鹿だよねえ、中学生にもなってさあ。人の迷惑考えろって感じー」

祖父と比べてダサい気がする近所のお爺さんだが、誰も彼も良い人ばかりだ。
昨日、隼人が遊び疲れて夕暮れの畦道を歩いていると、こんな時間まで遊ぶなんてお前は不良小僧だな、と酒の匂いを漂わせて笑いながら、これを持って帰ればそんなに叱られないかもな、と。沢山の卵が詰まった箱をくれた。
余りに量が多かったので隼人は台車を借りて、デコボコな畦道を泥だらけで押して帰ったのだ。泥だらけだった理由の大半は、山で遊んでいたからだが。

「畠山のおっちゃんみたいに、とっとと田んぼ売ってコンビニにしちゃえばよいのに。産みたての卵、バカ売れしてるって言ってたよお?」
「農地の売買には色々と制約があってのう、そう簡単には行かんのだ。畠山ん所は思い切りが良かったが、先祖代々続いた土地を手離すとなると、悩ましいのも無理はない」
「ふーん?良く判んない。ばーちゃん、卵ケーキもいっこちょーだい。おっきいの!」

貰い物の卵と貰い物の牛乳。
ブランドと言う程ではないが、そこそこ売れている牧場の牛乳は数量限定を銘打っており、地元より県外で人気らしい。春になると隼人を誘って山菜採りに連れていってくれる近所の酔っ払い、失礼、町内会長は、東京住まいの息子夫婦と絶縁に近い状態らしく、自分の孫より隼人を可愛がっていた。
隼人が暮らす地区は十数年前まで市ではなく、旧家が多い所だったらしい。統廃合に最後まで意欲的ではなかったからか、周囲の市に比べて発展が遅く、道路整備も年末に慌ててやる、を繰り返している。

「相変わらず、良く喰うのう」
「美味しくないのは食べないよ?」
「全く、儂にそっくりだわ。…弁が立ち過ぎる所は、龍流に似た様だが」

住民もそれに気づいているが、統廃合を最後までゴネていた地区と言う他地区の嫌悪の目が少なからずある様だ。市長が市民の言葉に逆らう訳にも行かず、年々人口が減っている事もあり、この辺りは何処と比べてもおざなりな扱いを受けていた。
けれど意欲的に市や県へ意見をする様な若者も少なく、諦めを受け入れている老人会は自分達で何とかしようと暢気なもので、隼人は度々「何にも出来てないじゃん」とぼやいては、皆から笑われている。「いやぁ、お前は若いなぁ」と笑う酔っ払い達は、隼人が何を言おうと笑って流すのだろう。
若いも何も、隼人は5歳だ。この地区には隼人の他に小学生や中学生も居たが、現代っ子らしく余り外には出てこないので、地区のアイドルは間違いなく隼人だった。

「じーちゃん、台風今度いつ来る?」
「今年は九州から北に抜けとるのう。暫くは暑かろう」

徒歩15分、走って十分の距離にある然程高くないが静岡県方面まで連なっている山は、上の方で伐採されていたり、お年寄りが時々セメント山と呼ぶ様に、セメント工場がある。然しバイパスと言えば聞こえは良い、ひたすら長い山道を車で走らなければ辿り着かない様な所だ。
比較的地区に近い麓は大した危険もなく、虫が多い以外は荒れ放題だった。年に一度、県道に近い辺りは除草や伸びた木や枝を除去してくれているが、見える所だけ。春先に筍だの山菜だのを収穫に行く誰かが、ついでに手入れしていた。

腰が悪い町内会長についていって、三歳の頃から大量の筍だの茸だのを颯爽と収穫しまくっている隼人は、しれっと山の中に秘密基地を建設している。
市役所は遠いので昔からあった役場が支所になっており、図書館も併設されている憩いの場だ。古いパソコンが数台置かれていて、市民カードを提出すれば借りる事も出来る。

町の数少ない若者は、職員からも知られていた。無論、地区のアイドルである隼人は顔パス同然だった。
ついでに言うと、若い市長が山の中でセーラー服を着て「月に代わってお仕置きよ!」と吠えている所を目撃した事もあったので、黙っていてやる代わりに山に立ち入る許可も取った。何処から何処までが誰の所有物なのか怪しかった為、市長が荒ぶっていた所を秘密基地として開発する事にしたのだ。

大都会横浜出身の若い市長は、長閑な田舎の市長がこんなにも辛いなんて…と涙ながらに懺悔したが、何しろメタボ体型に髭面なのにセーラー服姿だったので、4歳8ヶ月の隼人には色々と辛かった。
辛かったが、可哀想な大人も居るものだと同情し、秘密基地が完成した暁には「一回百円でコスプレしてもよいよ」と言ってやった。晴れやかな表情で何度も有難うと言った市長は、たまに幼稚園の視察と言って隼人に会いに来る。

大抵、新しいコスチュームを買う前にどれが良いか相談に来る訳だ。
隼人は毎回笑顔で「知るか」と吐き捨てている。その度に頬を染めるシティーボーイは、良からぬ性癖があるのかも知れない。

何にせよ、地区唯一の診療所で一日も休まず診察をしている神崎龍人の孫に、あらゆる意味で手を出す者はなかった。
70歳目前と言われても若く見える龍人は、隼人にそっくりな垂れ目で一見では優しげに見えるが、猪が大量発生した折り、車で一走りして帰ってくると、物の一時間で3匹仕留めていたそうだ。以来、龍人に逆らう者は居ないと言われている。

言われているも何も、当時生後8ヶ月だった隼人は、皆が驚いていた一部始終を覚えている。幼稚園でポロっと言った時は、誰からも「嘘だぁ」と笑われたが、真実だ。

「卵も牛乳もお魚も松茸だって新鮮なのにさあ、何でスターバックスが出来ないのかなあ?」
「おやおや、隼人はスターバックスに行きたいのかい?」
「ばーちゃん、スタバって凄いんだよ。あのねえ、コーヒーなのにカルピスより甘いんだって!ネットで見た」
「そうかい。それは体に悪そうだねぇ」
「はあ。都会だけずっるいの。横浜なんて煩いだけじゃん、中華料理ばっかだし!何でお子様ランチに酢豚ついてるの?美味しくないんだけどー」
「酸っぱいもんは体に良いんだよ、隼人。遊びに行くなら、レモネードを作ってやろうかね」
「あ、あ、ばーちゃん、お砂糖半分入れて!あと麦茶も!」
「はいはい、糖尿まっしぐらだね」
「病気したらあ、じーちゃんに治して貰うからよいんだもん」

困った様に笑った祖母が、水筒二つを首に掛けてくれる。
隼人の魔法瓶は文字通り魔法の瓶だ。どちらにも甘い飲み物がたっぷり詰まっていて、夕暮れまで遊んでもずっと冷たい。冬場はミルクたっぷりのホットココアと、温かいアップルジュースがあれば、雪の日だってへっちゃらだ。
但し、冬場は日が落ちるのが早いのが難点だ。5時までに帰らないと、祖父から叱られてしまう。せめて門前を6時にして貰いたい所だが、田舎とは言え、子供には危険だと言われればその通りだと思うので、逆らったりはしない。

「ではばーちゃん隊長、隼人君は町のパトロールに行ってきまーす。変な奴がいたら防犯ブザーを鳴らすからバッチリだよお」
「近頃この辺りにもお巡りさんが巡回してくれる様になったから、そう心配はしてないんだけどねぇ。防波堤の近くだとか、山の中だとか、危ない所は行かないでおくれよ」
「あ、あは、あは」

隼人は明らかに嘘が下手だった。
祖母に笑って誤魔化せば、祖父の目が笑っていた様な気がする。

「隼人、出掛ける前に飴玉をねぶっていけ」
「うえー、またアレ?苦いんだよねえ…」
「ニッキはそんなもんだ。お前の好きなアップルパイにも入っとるぞ」
「アップルパイは好きだけどお、シナモンは好きくないもん」
「ほっほ。お子様だのう、今夜は小籠包とチャーハンだ。祖母さんに言って、ケチャップのエビチリもつけてやるぞ?」
「じーちゃん、隼人君はニッキに負けない男だよ。じーちゃんの孫だもん。2個ちょーだい!」
「1個でよいわい。…死ぬ気か」
「ではじーちゃん大統領、行ってきます」
「日本に大統領は居らん…と、まぁ、もう行ってしまったか。忙しない孫だのう」

卵をたっぷり使った蒸しケーキを3つ、卵と牛乳で作った自家製ミルクセーキを2杯。
たっぷり腹ごしらえした隼人は、黒いタンクトップと青いジーンズで畦道を突っ走る。泥だらけになる男には、白い服は似合わないからだ。


「遥、ステルスモードで隼人の後をついていけ。何ぞあったら連絡を」
「承知しました、マスターシリウス」

青空の下、烏が飛んでいく。



ポポポン、と。
見えない花火の音がした。

今夜は夏祭りの日だったか。所詮は都会の催しだ、隼人には関係ない。



「通りゃんせ」
「…ん?」

一台の車が山の麓の県道を走っていた。
隼人は水筒をぶら下げたまま、聞こえてきた声に振り返る。少しだけ開いた窓の向こう、烏の様な子供が手を振っていた様な気がする。

「…あれ?今の、じーちゃんに似てた様な気がする…」

それより何より、ハンドルを握っていた男が祖父に似ていた様な気がしたけれど、祖父はいつも真っ白な服を着ているお洒落な男なのだ。


「ま、いっか」

先程の真っ黒な男とは似ても似つかない。
























「虚と無。俺達は二つで一つ。つまりは、一つで二つだった」

過去でも現在でも変わりなく。つまりは未来もまた、変わりない。

「終わらせる必要が何処にある」
「悲しいと感じないのか。幾ら産まれても軈て消えていく星の光に、触れたいと思わないのか?」
「光など目障りでしかない。星の瞬きは雑音でしかない。何故、終わらせようとする?何よりも終わりを望まない癖に、何故だ」
「だとすればお前は俺じゃない。俺はお前にはなれない」
「何故」
「お前はきっと空っぽだ」
「それこそ虚無」
「違う、『無』だ。時限にすら終わらせられない、永遠の無」
「ならばお前は虚か。光に目が眩み、命に触れて狂った、命も業もない魂の外殻」

どうしても行くと望むなら、その穢れを落としていけ。
交換条件の様に、濁りを全て剥奪した。産まれたのは漆黒。宇宙に滲む、たった一点の黒だった。

「お前に光は相応しくない」
「代わりにお前が、白く濁ってしまった。どうしてそんな事を…」
「穢れは俺へ還せ。一つたりと余さず、全て」

目の前に黒はあった。
そして目の前に白く霞む黒はあった。

「お前が光に触れる度、俺は純白へと染まるだろう。軈て膨大な熱量を以て星の断末魔を放てば、お前に見放された俺は真の無へと淘汰される」
「そんな事にはならない。どうしてそんな酷い事を言うんだ、俺達は終われない業を負っていると知っている癖に」
「忘れた振りをするからだ。光が消滅する度にお前は、泣いたろう」
「俺は泣けない。命がないから」
「…好きにすれば良い。結末は変わらない。喜劇の輪廻が繰り返されるだけだ」

灰色のそれは囁いた。

「死神が魔術師を傲る一時を、果てから見ていよう」

夥しい数の星の海へ続く天幕を割いて、まるで放り出す様に。


「…下らん。限りなく無意味な選択肢を、何故今更…」

何処へでも行けと、濁ったそれは囁いた。
銀河が漂う混沌の海を渡る黒は振り返らず、前だけを見たまま。

「遠からず、お前は終焉を産むだろう。そして俺は無から垢を落とす。…産まれるものは須く時の制約を負う事を、定められているからだ」

黒は全てを呑み込んだ。
人の記憶も感情も善も悪も全てを呑み込んだ。
再び濁りが産まれれば、その淀みは一つ残らず淘汰されていく。

「既に見た筈だ。お前が光に焦がれ命を慈しみ、軈て人に焦がれる事は定められていた。…つまりは、『今回もお前は絶望する』のだろう」

間もなく、それは純黒から純白へと染まりきった。宇宙の果てでひそりと、誰に顧みられる事なく。

「終わらないお前が壊れる度に俺は、お前の絶望を黒く塗り潰してきた。お前は俺のささやかな『好奇心』。淘汰された極彩色の感情は今、新たな意思を宿そうとしている。…名付けるとすればこれは、終わりなき虚無の終焉

無からは何も産まれない筈だった。
けれど無から宇宙が産まれ、光と共に星が産まれ、命が育まれていく過程で、人が神と呼ぶ存在に亀裂が入って行ったのかも知れない。



「再度、時の流れを視ようか。どうせ俺は、全てを知っているけれど」

此処は退屈だと。
濁ったら灰色のそれは、ひそりと。























「…烏だ」

どんな国でも、あの鳥だけは目につく。
木や土が焦げる匂い。麻痺した嗅覚では、最早それすらも新鮮な空気の様に思えるから不思議だ。人間は何処まで退廃するのか。

「ふん、今回は呆気なく終わったな。…帰るぞ」
「終わった?外は銃撃戦中なのに?」
「大統領が死んだ。共和国とは名ばかりの独裁政権崩壊、この国はたった今、地図から消えちまったんだとよ」
「司令塔が死んだのに、軍はまだ戦ってる」
「単に伝達が遅れてんだろ。伝令が辿り着けば降伏、来なければどっちが死ぬまで撃ち合いだ。或いは、全滅するまで、な」
「…醜い」

空の上。
国の至る所が燃えている様子を眺めながら、タブレットのデータを消去している助手席を見やった。運転席に座っている癖に微動だにしない銀髪は、寝ているのか起きているのかも判らない。

「枢機卿、武器の密売に関するデータは全て削除しました。官軍・賊軍共に我がアメリカ製の兵器が使われた事に関して、新政府がクレームを入れてくる事はないでしょう。お互い様ですからねぇ」
「…そうか。大儀だ」
「共和国との商売は儲かりますねぇ。特に内戦だと、それぞれの国家が兵器を欲しがる」
「対価を支払うのであれば、どれも客だ」
「三つの国の内、一つがなくなった。それだけの事です」

白々しい会話を聞きながら、錦織要は少しだけ開けていた窓を閉めた。
依然、遥か下では戦争の名残が続いている。既に忠誠を誓った国はなくなっているのに、政府軍の旗を掲げて兵士達は、勝てど負けれど救いのない戦いを続けるのか。それは余りにも、哀れだ。

「わざわざ殺傷能力を落として流してやったのに、もう少し長引くかと思えば、こうもあっさり終わってしまうなんて。はぁ。私の見積もりは甘かった様です」
「いや、長引けば陛下の耳に入る。対外実働部に動かれては、儲け所の話ではない」
「…確かに、それを踏まえればナイスタイミングでしたねぇ。さて、とっととトンズラしましょうか枢機卿。私達はアメリカに居る事になっているので、バレたら事です」

いつか、産まれた国から海を渡った日の事を、朧気に覚えている。
勘違いかも知れないがあの時、青い海を眺めていた女性を彼女の腕の中で、見上げていた様な気がするのだ。

「何、バレたらバレたで言い訳は用意してある。『路上教習』とな」
「おやおや、対空管制部のシャドウウィングに教習所システムがありましたか?そもそも自動運転で事足りますよねぇ?」
「マニュアル操作を知らねば、不意の事態に対応する事は出来ん。稀に何処ぞの僻地に不時着した社員から、中央情報部へ救助要請が入る」
「運転中の事故は、如何なる事情があってもドライバーの責任ですよ。基本的に我が社には国籍を捨てた社員しか居ないんですから、わざわざ助けにいかなくても良いのに。経費の無駄遣いです」
「美しい仔猫は手厳しいな」

大人は怖い。
いつかそう思っていたが、どうやら違った様だと要は眉を潜めた。この1年で感覚が麻痺しつつあったが、過去に恐ろしかった大人達の誰と比べても、目の前の二人よりマシに思える。

「私は死人には興味がない。動かないものは静かだが退屈だ」
「成程、一理ありますねぇ。私には私以外の動物は総じて蚊の様なものにしか感じませんが、蚊の居ない夏は風情がない」
「ベルハーツはどうしている?」
「暫く書斎に籠ってらっしゃいますよ。…流石に、彼に表立って近寄る馬鹿は居ません。まぁ、それも暫くの話でしょうが、今回の内戦よりは時間が懸かるかと」
「では、あの噂は真か」
「…信憑性はかなり高い様です」

日本では狭い屋根裏部谷に閉じ込められて。古びたオルガンが唯一の心の拠り所。
香港では美月の部屋のクローゼット。屋根裏部屋よりずっと広く、父親の目に入らない様にしていれば、グランドピアノも弾けた。ああそれでも、誰からも支配されない何処かへ行きたいと望んでいたのは、いつだったか。

ほんの最近までは考えていた。例えば海の向こう。例えば空の果て。
けれど今ではこの地球上に、そんな所があるのか疑ってしまう。あれほど望んだ空の上で自分は今、狭い車の中。閉じ込められた様に、何処へも出られない。

「解せんな。ならばセシル=ヴィーゼンバーグは何を以て、ベルハーツを招いたのか…」
「立場上、ババアの甥に当たる男でしたからねぇ。とは言っても、学生時代から目に余る浪費癖で、上流思考の塊の割りには大学受験に失敗しています。一族の中でも馬鹿にされていた男だった様です。アレクセイ=ヴィーゼンバーグとは6歳違いで、何かと比較されていた様ですねぇ」
「己の父親を他人の様に語る」
「会った事がない父親など他人同然ですよ?」
「そうか」

来る時は東に向かって飛んでいった車が、今度も東へ東へ飛んでいく。
ヨーロッパ大陸を幾らか北上し、海が見えてくる。空は朝と夜の狭間の様な不思議なグラデーションを描いていて、ずっとずっと遠くに、僅かだがオーロラの様なグラデーションが見えた。

「おや。見なさい青蘭、あれはグリーンランドですよ」
「グリーンランド?」
「世界一大きい島です。ちゃんと国家があって、綺麗な所だと有名なんですよ」
「島なんかに降りるのか?」
「いいえ、あそこへは降りません」
「…は?」

だったら何の為にわざわざナビゲートしてくれたんだと、要は眉を潜めて二葉のシートを睨む。

「グリーンランドは殉教地。レヴィ=ノヴァとナイト=メアが眠る地と言われています。お墓もあるそうですよ」
「殉教地だったら尚更、行かないのは無礼では?」
「私の教育の賜物ですかねぇ。随分賢くなりましたが、まだまだお馬鹿ですねぇ。殉教地だからこそ、ですよ。グリーンランドへの上陸許可は、ランクA以上に限定されるんです。私も枢機卿もランクB、お前に至ってはランクDのコード無し。近寄るだけで精一杯」
「…ふん」
「おや、可愛くない態度ですねぇ。苛めますよ?」
「セカンド、子供を揶揄うのはよせ」

運転席に座ったまま、やはり微動だにしない男が囁いた。
声変わり前の子供は大抵性別を感じさせない声色だが、その男だけは見た目以外の全てが雄を主張している。声音も要が知る同年代の誰より低く、静かだ。まるで冬の夜の様に。

「舌が緑の子供に泥を投げられるぞ」

要には意味が判らなかったが、口籠った二葉が足を組み替える気配は判る。

「ベルハーツの警護は引き続き任せるが、それがある程度使い物になると見込めば、一度香港へ戻してやれ」
「…ユエから何か言われましたか?そんな筈ありませんよねぇ、大河社長ですら対処に困り果てている私の雇い主に、祭如きが軽口を叩ける筈がない」
「退屈凌ぎに祭美月へ入学祝いを贈っておいたが、死神から『受取拒否』と言うメッセージカードを添えて戻ってきた」
「おや、入学祝いですか?」
「私の大学全学部卒業兼大学院進級の祝いを兼ねている旨、慎ましく一言書き添えたのが気に喰わん様だ。大河一族の誰より知能指数が高いと譽れ高い若きユエは、自尊心もまた高いらしい」
「IQ200と言われていますから、私と大差ない様に思えますが、美月には苦手科目がない様なんですよねぇ。強いて言えば、母国語以外の発音が下手と言うくらいで」
「口には出さずとも、可愛い弟を案じておろう。そなたが舌が緑の子供を案じておる様に」
「枢機卿、お戯れは程々に」

わざとらしく笑った二葉の声を聞きながら、緑と言う単語で要は窓の外に向けていた目を車内へ戻す。やり場のない視線を彷徨わせれば、フロントルームミラーに白銀の仮面から覗く、深紅の双眸を見たのだ。

「何か気になる事があるか」
「…」
「セカンドに気をやる必要はない。遠回りの帰路は些か長引こう、話してみろ、祭青蘭」
「ネルヴァ様のランクは、Aなんですか?」
「その通りだ。ネルヴァは特別機動部長の役職にあり、事実上、陛下の第一秘書に当たる」
「ネルヴァ様の家族も役員なんですか?」
「ああ、リヒト=エテルバルドの事を言っているのか」

本当に2歳年上なのだろうか。
何でも知っている様な二葉ですら幼く感じさせるほどに彼は、その全てが異色だった。例えば歌う様な声音も、

「あれにコードはない。ステルスに光の銘は相応しくなかろう」
「…光の銘?」
「グレアムはリヒトの代で潰えた。再び光を招けば、ノアは今度こそ全てが炎に包まれよう」
「どう言う意味ですか?」
「アルペジオ」

海。
空。
幾つもの群青が描く不思議な世界の色は、暗くて明るかった。


「形を変えて尚も繰り返されるそれはまるで業の如く。人の生涯を楽章毎に分けるのであれば、そなたは今、何処を繰り返している?」

まるで宇宙の如く。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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