帝王院高等学校
流れ星に願う暇はございませんっ
「無知な奴が良い」

自分しか知らない、条件はそれだけ。
それがどれほど罪深い事なのか、極力考えない様にしている。

「罪悪感は」
「ない」
「やめるつもりは?」
「今の所」
「続けて」

責める事も、まして肯定する事もない声音は子守唄の様だった。いつも。

「オレしか知らねー女なら、比較対象がない。自分は愛されてる、そう思い込む事に躊躇しない筈だ」
「出来るだけ期限を伸ばす為に」
「…だけど結局は、保って3ヶ月。合うのは週末、土曜日の午前中だけだ。集会が昼からある日は、会わない」
「電話は」
「他人の声を耳元で聞くなんざ、とんでもねー」
「メールは」
「落とすまではそれなりに。落ちたら、後は面倒臭いだけだ」
「面倒臭いか。理由は」
「判ってる。…意思に反する事をやってる自覚もあるっスよ、一連の流れをゲームみたいに思い込んでりゃ、罪悪感を感じずに済むんだ」

ギブアンドテイクだと吐き捨てれば、目の前が霞んだ。
ドライアイだ。冬場に珍しく長く起きている。

「誰でも良い。逆らわない奴、文句を言わない奴、そんな我儘は言わねー。オレ以外を知らない女だったら誰でも良い。オレと他の男を比べた時点でアウト」

あの人はああなのに、あの人はああ言ってくれる、小さな不満を抱いた瞬間、大人しい少女は女へと孵化するのだ。男を従える女王蜂の如く、私は愛されて当然だと主張するに違いない。

「比べるだけ無駄だろ。オレは我慢してるのに、何でアイツらの言い分を聞いてやらなきゃなんねーんだよ。一線は引いてるつもりだ。オレから付き合ってくれって言った訳じゃねー。ちょっと優しい振りをすれば、十人中三人は騙される」
「そうか」
「付き合ってくれって言うから、付き合ったんだ。オレの言い分が通用するとは思ってないっスよ。でも、オレから言う事は絶対ない」
「どうして」
「…気の所為、だって」
「言われたのか」
「男が男を恋愛的に好きになる事は、有り得ない」

自分で言って傷つくのは、笑い話だ。
日が落ちるのが早い季節は、夜になると途端に世界から音が消えてしまう。

「どう思った?」
「男女の恋愛だけが正常なんだって、その時は思った。アイツの言う事は正しいんだ。他の人間は信じられない。身内でも身内を殺そうとする奴らばっかだ」
「そうか」
「オレの居場所はあそこしかなかった。ネットで調べると、男女の恋愛以外にも色んな恋愛があるって書いてあった。でもそんな事を言えば、」
「嫌われる?」
「…」

真っ暗な夜。
空にはぽっかりと満月が一つ、零時まで騒ぎ続けた仲間達は死んだ様に眠っている。起きているのは自分だけ。

「本当に、そうだろうか」

バルコニーに出ると、隣のバルコニーから静かな声が聞こえてきた。だから話をしている。下らない話を、ガラス一枚隔てて眠る仲間には決して言えない話を。

「その程度でお前を嫌う様な男なのか」
「…判んねーけど、試したりしねー。嫌われたら終わりだ」
「終わり」
「我慢すれば良い。どうしようもなくなる前に誰かを抱けば、そん時だけは好きだと思えるんだ。触ってる間だけ。髪が短い女だとかなり好きだと思える。後ろから見たら、似てるだろ」
「成程。随分、自分に自信がないな。好きだから嫌われたくない、一般的な感情だ。だから自分を好きでいてくれる誰かに逃げる。その間、お前は自分なりに努力をしてるつもりなんだろう。愛してくれる誰かを愛する事が出来れば、それ以上の幸せはない」
「は。ろくに連絡もしねーオレが?」
「土曜日以外の時間を、彼女達には割きたくないからだろう?」
「…心の中が読めるんスか。アンタ、超能力者かよ」

静かな夜だ。異常な程に。
誰もが死んだ様に眠っている。寝返りも打たずに、糸が切れた操り人形の様に。

「簡単な話だ。俺にはお前の気持ちが判る」
「んな訳、」
「決して触れられない相手を愛してしまうもどかしさは、騎士にしか判らないものだ」
「あ?」
「お姫様を守る。その代わりに、触れる権利はない。守るだけ。それはどんなに幸せで悲しい事なのか、俺は既に視てしまった」
「総長?」
「王であれば触れられるのか。けれどそれも間違っている。王は万民を慈しむ者だ。たった一人を愛する事は、許されない。俺は時を待っている。王から民へと堕落した子供が、突きつけられた選択肢をどう選ぶのか…」

隣のバルコニーを見れば、手すりと手すりの間に幾らかの隙間を開けて、向こう側には真っ黒な男が座っている。その膝の上には真っ赤な何かが乗っていて、宵闇に紛れた褐色の背中が部屋の中へと伸びているのが見えた。

「…ユウさんが他人の前で寝てんの、初めて見たぜ。一週間くらいなら平気で起きてるんだ、いつも」
「そうか。俺の前では良く寝てる」
「安心してんのかよ。オレらじゃ弱すぎる。ユウさんより強い総長だったら、忍者が攻めてきても平気だろ?」
「忍者は強いぞ、殿様の為にはどんな危険な事もするんだ」
「母ちゃんが、生きてる頃言ってたんスよ。忍者になりたかったんだって、馬鹿みてーな事」
「そうか」
「オレらは殿様の血を継いでるっつーんですよ。母ちゃんのばーちゃんにゃ兄貴がいて、その人は王様になったから、自分は忍者になるんだっつって」
「良いな、だったら俺も忍者になるか。要も忍者。イチはお庭番で、三時になるとおやつを作る」
「マジかよ」
「となると、健吾が殿様だな。倭はご家老で、龍と嵐は小姓だ」
「プ」
「綺麗だな」

さらり、さらり。
赤毛を撫でている男の手を、目を細めて窺っていると、囁く声に誘われた。
つい、と見上げた先、白とも金とも思える不思議な月光が滲むオゾン層はやはり不思議なグラデーション。真円の如き満月が、浮かび上がるばかり。

「都会じゃ、星の光は淡い。街の灯りに消されて、見えるのは月だけだ」
「…山の中じゃ、星は良く見えるっスよ。たまに流れ星も見える」
「星の瞬きはざわめきの様なものだ」
「ざわめき?」
「俺には、月があれば良い。…こうして空を見上げていると、空に落ちそうにならないか?」

ああ、詩的な男だ。同年代とは思えない。
何十歳、或いは何百歳離れている様にさえ思える。そんな筈がないのに、だからこそ警戒心の塊の様な佑壱でさえ、呑み込まれてしまったのだろうか。まるで、夜空の様な男に。

「内緒話に対して、捧げられるものは内緒話しかない、か」
「は?」
「お前の母親の名は、藤倉涼女だろう」
「な、んで、知ってんスか?オレ、言ってねーでしょ」
「明かりは、例え儚くともそこにあった。叶緋連雀、藤倉涼也との間に産まれた娘は藤倉斑鳩」
「…あかり?まどかは確かに、オレのばーちゃんっスけど…」
「緋連雀の兄は白雀。空蝉は空に憧れるものだ。雲雀が誕生と共に名に翼を抱いた時、冬月鶻は己の愚かしさを思い知った」
「アンタ、何の話をしてんスか…?」
「俊秀が何を考えているのか判らず、けれど俊秀を自由にしてやりたかった。鶻こそ俊秀の最大の味方だったんだ。秀之が家を継げば、俊秀は自由になる。寿明もまた、俊秀には生き難い世の中を憂いた。けれど、秀之は兄を差し置いて自分が嫡男になる事を拒絶し、宰庄司へ降りてしまう。この時、冬月は他の三家に睨まれてしまった。裏切ったなんて、とんでもない話だ」

藤倉裕也の目の前に、月はない。
あるのは赤毛を撫でている、黒髪の男だけ。彼はサングラスを掛けていた。こんな真夜中に、一人だけ。

「俊秀は娘にも、息子にも、鳥の名をつけた。冬月鶻、冬月には代々鳥の名が与えられる。けれど鶻は、従兄である俊秀を王の座から遠ざけようとした時に、産まれた我が子に鳥の名は与えなかったんだ。空蝉としては間違った選択肢だと知っていた。神坂と共に俊秀を緋の系譜から解き放とうと足掻いて、罪悪感に苛まれ、引き返す事が出来ないまま…」
「冬月、はやぶさ?誰なんスか、それ」
「俺の体に流れる血の一つ」
「?」
「言っただろう。内緒話に対して、捧げられるものは内緒話だけ。…裕也」
「何、スか」
「帝王院裕也」

月を見上げていた男がサングラスを外し、見つめてきた。
月明かりだけの暗闇の中で、確かにあの時、眼差しに笑みを描いた男を見たのだ。

「内緒、だろう?」
「どうして、何で、アンタが…」
「帝王院朱雀。片方は鳥の銘を継いで、お前は光の銘を継いだのか」
「な、んで…!」
「リヒト」
「っ、だから何でアンタがそれを知ってんだよ!」
「雲隠佑壱」
「おい、答えろや!」
「エアフィールド=グレアム」

ピリピリと、全身に静電気が流れた様な気がする。
もぞりと動いた赤毛が、寝言の様に「にいさま」と囁いた。裕也が息を呑んだ瞬間、笑う様な声が響いてくる。

「もう少ししたら、鳥が飛んでくるだろう。朱雀とは仲が悪かっただろう?それはそうだ、鳥は冬月の当主が名乗るもの。大河の当主候補が偽っていれば、頭に来るのも仕方ない」
「訳、判んねー。何、どんな魔法を使えば、ンな訳の判らない作り話、が…」
「お前達を、そうだな。仮に飛び立っていった鳥の系譜と言うなら、俺は『鳥籠の系譜』だった」
「鳥籠?…アンタ、いや、総長、まさか…」
「帝王院雲雀の弟の名は、鳳凰」

一つ、有り得ない仮定を立てた。
その瞬間、有り得ないものなど何一つない事を知った。忍者になりたいんだと乳飲み子に語って聞かせた母親が、言ったではないか。

「鳳凰の鳥籠を破壊した。閉ざされるのは己だけで十分だと、夜の王と出逢って考え方を変えた男は、間もなく一つの学校を造る事になる。俊秀は孫に駿河と名付けた。遠くへ飛び立ってしまった娘の子孫は、『大河』で羽を休めるだろう。その証に、俊秀の『俊』と『河』を捩った」
「としひで、って、どんな字を書くんスか…」
「俺と、俺の父親の名を合わせると、浮かび上がる」
「…んな、事が」
「内緒話だ」
「…」
「お前は一人だと思っていたか?お前には家族はいないと思っていたか?朱雀の為に、健吾の為に、他人を理由にして死ぬ理由を探すのは疲れただろう?」

心の奥底に。
例えば、鍵を掛けた箱を置いていて。その中に人が本音を宝物の様にしまっていたとすれば、目の前の男は盗賊だ。簡単に鍵を開けて、簡単に中身を見てしまった。

「残念だったな、ユーヤン。お前が死んだら俺は泣くぞ。お前がやった事を知れば朱雀は怒り狂って、勝てる見込みのない喧嘩を売るだろう。叶二葉にはお前でも勝てなかった」
「…身内なのに、勝てる気がしねーんスよ。アイツにも勝てねーのに、王子様に勝てる訳がない。ケンゴの奇跡を再現するとか言われても、オレに出来たのは、身代わりだけだった。ケンゴを解剖するだの、マジでざけんなって思った癖に」
「馬鹿だなァ。子猫は時折馬鹿な事をするものだ。例えば、狸の癖に王様の御簾の中へ潜り込んで、人嫌いな王様と恋に落ちたりする」
「…は?」
「王様の癖に万民を遠ざけた虚無の子は、時限をねじ曲げてまで狸を生き返らせてくれとねだるんだ。死んだ命を生き返らせる事は、神にも不可能な事なのに」

お伽噺なのか、それとも創作なのか。
裕也には判らなかった。判るのは、警戒心の塊である筈の佑壱がこれほど長く話しているのに起きない事と、振り向いた先、ガラス一枚隔てた部屋の中で仲間達が転がっている事。まるでマネキンの如く、ピクリともしない。

「時間が止まってるみてーだ」

無意思に呟けば、笑う声が聞こえてきた。

「俺はやるぞ」
「へ?」
「王様の選択肢を知る為に、少しだけ、悪役を頑張る」
「総長が、悪役?何か、似合わねーっスね」
「そうか?でも、まだ先の話だ」
「いつ?」
「そうだな。お前達が、負けないくらい育ったら」
「オレ、達?」
「家族は集まるものだ。言っただろう、俺達は家族だと」

笑う声に、笑った。
何が楽しいのかは判らない。判るのは、単に、目の前の男こそ、母親が言っていた殿様の子孫なのだと、ただそれだけ。

「殿」
「違う、遠野」
「プ。んだよ、やっぱ殿じゃねーか。あーあ。そうかよ。総長が、そうなんだ…」
「緋の系譜。帝王院は緋の王と呼ばれた」
「そうなんスか?」
「お前が今言ったじゃないか、総長って」
「は?」
「総長と早朝は良く似てる」
「そうちょうと、そうちょう?」
「俺も昔、死ぬ理由を考えた事があった。でもこうして今、生きてる」
「そっスね」
「生きる理由を探せ。簡単だ、毎日『明日は何が起きるか知りたい』と思えばイイ。物語のページを捲る様に、善い事も悪い事も経験して、笑ったり泣いたりしている内に、時間は終わってしまう。時の流れは無慈悲だ。死にたくなくてもいずれ、人は必ず死ぬ」
「…」
「考えた事はないか。もしかしたら明日、お前は幸せになっているかも知れないと」

ああ。
鍵は何処へ行ったのか。鍵がなければ隠せない本音を、無防備に晒している。逃げ場はない。

「羽根が集まるよ。鳥の元に鳥の名前が飛んでくる。幸せを告げる鳥は、青いんだ」
「…何か、カッケーっスね」
「開き直ったB型は最強なんだぞ?」
「オレもB型っスよ」
「知ってる。だから、お前は一人じゃないと言ったんだ。逃げた王様の代わりに家族を助けてくれと言いに来た、優しい子供を知ってる。対価は記憶。初めて光の中を泳ぐ龍に気づいた無垢な子の願いを、闇は拒絶出来なかった」
「願い?」
「だから、二回目の願い事をしてはいけないと思ってるのかも知れない。朝と夜の狭間、俺の代わりに皆の幸福を歌い続ける金糸雀は、自分の幸せがお前の幸せと同じだと知らないんだ」
「全く、判んねー。でもそれ、悪い話じゃない気がするぜ」
「そうだな。悪い話じゃない、筈だ。まだ良く判らない」
「総長が、判んねーんスか」
「俺には判らない事が多すぎる。けどそれは、今だけの話だ。明日の俺は、きっと一味違う」

キリッと宣う男は、撫でていた赤毛から手を離した。

「…気がするんだけど、自信がないんだよなァ。流れ星が見えたらお願いするのにィ。はァ、一皮剥ける予定の俺にご期待下さい」
「台無しじゃねーっスか殿、最後がダサ過ぎだぜ?」
「さーせん。満月の夜の俺は、いつもよりヘタレチキンなんです。あァ、チキンなんて言うから腹が減る」
「おわ?!何だ?!敵襲かコラァ!」

凄まじい腹の音が響き、ガバッと赤毛が飛び起きる。
目を丸めた裕也は、バルコニーガラスの向こう側で目を覚ました要と健吾が見つめてくるのを見た。

「えっ、今の爆音、何なん?!(°Д°;」
「事故ですか?!まさか火事?!金目の物だけ持って避難しましょう、良いですか!押さない駆けない喋らない!」
「いやー!金目の物って何?!にほちゃんかな?うめっち、たけりんは俺が運び出すから先に逃げて!」
「え〜。それって遠回しにオレが邪魔って言ってるよね〜?」
「ちょっと待って、竹林さんはへアセット道具だけ抱えて逃げるから〜」

騒がしい。余りにもいきなり騒がしい。
本当は起きていたのではないかと思える程に、煩い仲間達を裕也は見つめた。

「オメーら、寝起きで元気良すぎだろ」
「イチ、お腹が空きました。空腹度はカツ丼がペロッと入るレベルです」
「めちゃめちゃガッツリ食えるじゃねぇっスか!今何時…3時?!えっ、夜の3時もおやつの時間っスか?!」

恥ずかしげに「成長期なので」と囁いた俊に、パンツ一枚で拳を握り締めた佑壱は光の早さで厨房へと消えていく。

「幾らお中元が余っていたとは言え、11月に夕飯が素麺じゃちょっと物足りないのは俺だけじゃない筈だ」
「まー、それは同感っスけど。殿の腹の音で全員起きちまったっスよ、どうするんスか」
「夜が明けたら、ラジオ体操でもするか?」
「このクソ寒い中、マジかよ」
「えっ、そこ総長居るん?!(*´Q`*)」
「総長総長総長、俺です要です!おはようございます!」
「うん。まだ夜中の3時だが、おはよう」

間もなく、異常に良い匂いが漂ってきた。
余った素麺でチャンプルーなる炒めものを異常に大きなフライパンで大量に拵えた佑壱は、

「クソ!ゴーヤなんかストックしてねぇから、代わりにズッキーニで誤魔化しちまった…」
「「「「「何だこれ、メチャメチャ美味い」」」」」
「がつがつ、むしゃむしゃ、ぷはん!ゲフ。イチ、お代わり」

すっかりなくなったお中元に満足げだったが、軽い腱鞘炎で朝まで苦しんだ様だ。

























例えば。
親が自分に隠し事をしている事に気づいてしまった時に、何人の子供が素直にそれを指摘するのだろうと、考え続けた。

貴方は知らなくて良いの、と。
叱るでも誤魔化すでもなくそう諭された時、何人の子供が素直に頷くのだろう。結果的にその時は従う振りをして、教えてくれないのであれば自分で調べようとする者が居るかも知れないではないか。少なくとも、自分の様に。


「良い加減、何処行くかくらい教えろよ」

頬を限界まで膨らませた少年の横顔が、視界の隅に一瞬だけ映り込んだ。
信号も歩行者もない高速道路を走ればほんの数時間、直線距離でほんの200kmを少し越える程度。一度として停まる事なく走り続ければ、とうとう不貞腐れてしまった助手席の子供は、子供と呼ぶには発育の良い体を何処となく丸めている。

「…って言うか、ご飯食べに行くんじゃなかったんかよ。おれだって暇じゃないんだっつーの!」
「独り言ならもう少し小さい声で言え。頭可笑しいと思われるぞ、加賀城君」
「誰の所為だと思ってんだよ!畜生っ、ユーさんの兄ちゃんじゃなかったらただじゃおかないんだからな!」
「具体的に、どうただじゃおかないんだ?」
「…っ、秘密!」

15歳にしては幼い。
プイッとそっぽ向いた後輩を横目に、ハンドルを握っていた嵯峨崎零人が考えていた事は、自問自答だった。


「…なぁ」

本当にこんな子供が、知っているのか。
本当にこんな子供を育てる様な家が、祖母が恨んだ家なのか。

「お前、可憐って知ってるか」
「…は?カレン?何それ、アイドル?」
「知らねぇなら、良い。腹減ったろ、先に飯食うか。見ろ、富士山が見えるぞ」
「あ!本当だ!」

何がしたかったのかと今更になって問い掛けられれば、言い訳の様に言うのだろうか。隠し事がムカついたからだとか、理由にならない様な言い訳を。

「わ!わわっ!鰻の蒲焼きがある!でっかい蒲鉾も売ってる!凄い、初めて見た、何これっ?」
「…帝王院舞子を殺した女の子孫にしては、アホっぽいよなぁ」
「あ!どうしよう、お金下ろして来ないと現金がない…!クレジットカード持ってくるの忘れてた!これ学籍カードだ、どうしよう!」
「おら、騒ぐな馬鹿餓鬼。後で好きなもん買ってやるから、レストランに入るぞ」
「え?本当に?わーい、ありがとー」

警戒心は欠片もない。
加賀城財閥の後継者には見えない子供を前に、罪悪感は確かにあった。



ただ、やり返してくるとは思わなかっただけだ。





「こんにちは。今日から社長に就任しました、加賀城獅楼と申します」

大人達の前で胸を張り、堂々と自己紹介をする赤毛が目を丸めた皆を見渡して、牙を剥かんばかりに笑ったその時に、

「そこにいらっしゃる嵯峨崎零人さんに助言を頂いて、若輩ながらお役を頂く事に相成りました。…今度とも、加賀城を何卒宜しくお願い致します」

白旗を、掲げたのだろうか。






















夜空。
そこには多かれ少なかれ星が煌めいていて、群青とも褐色とも思えるインクをたっぷり混ぜた様な、不思議な天体の色で塗り潰されている。筈だった。


先に消えたのは色。
次に消えたのは音。
軈て全身の感覚が麻痺して、悉くが雑じり気のない黒へと染まりきっていった。


「食事は家族で一緒に」

白い肌の女が、淡く微笑みながら囁いた記憶。

「やめて下さい、哀れみならとても無慈悲な事…。私は自分の名前すら忘れてしまった女です。私では、お家の名を汚してしまう…」
「んー、家名ねえ?これ以上汚れようがないんじゃないかなあ」
「龍流さん、私は…」
「僕はねえ、知ってるよ?糸魚君の本当の名前。知りたいなら教えてあげてもよいよー」
「…」
「知りたくない事を、知る必要なんか絶対的にないんだよ。君は高森糸魚。高森糸遊の義妹、ね?冬月に嫁ぐ理由なんて、どうにでも組み立ててあげる。僕はあ、言い訳が上手なんだよねえ」

記憶にも色がない。音もない。
けれど自分のものではない台詞は文字の様に、ともすれば電気信号の如く体の何処かを駆け抜けていった。

「龍流さん。お義父様に、閏年に双子を産むなんて正気の沙汰ではないと言われてしまいました」
「憎まれ口を叩かないと孫の誕生も喜べないなんて、馬鹿な男だよねえ。お馬鹿過ぎて笑えてくる」
「遠野さんと言う方から、お祝いのお手紙が届いたんです。お義父様に高森との縁を切れと言われているので、誰かからのお手紙なんて久し振り…」
「糸遊君にお手紙は書かなかったの?妊娠した事も?」
「ええ。私は冬月へ輿入れした女です。高森はもう、私とは無縁の家」

カタカタと、タイプライターが文字を打つ様に。
ピリピリと、電気信号が静電気と化して皮膚を這う様に。

「ジジイの言う事なんか聞かなくてよいのに、って、言うのは簡単なんだよねえ。癖が悪いなあ、もお。義兄さんと流次がさあ、最近異常に仲が良いんだよねえ。何を企んでるかなんてわざわざ考えるまでもないけどさあ」
「お義父様は若い頃に患った結核が元で、体調を崩されてらっしゃるでしょう?」
「うん。わざわざ殺さなくても待ってるだけで死んでくれるなら、よいか」
「私の家族は、龍流さんとこの子達だけ」
「龍一郎と龍人だよ」
「ふふふ。リュートなんて、異国の名前みたいですね…」
「ほら、僕の名前はどう見ても日本人でしょ?でもさあ、糸魚君は米国っぽい名前だもんねえ」
「私の名は、変ですか?」
「入れ換えて読むと、ナイト。英語で、夜って意味なんだよ」
「そうなんですか…」
「冬月のお嫁さんにぴったりだと、思ったんだあ」

他人の思い出。
何の感慨もない。
光のないプラネタリウムの中、オッドマンに寝転んで何もないドームを見上げているかの様に。

「ごめんね、龍人の戸籍だけ守れなかった。こうなってくると、巳酉姉さんは人質みたいなもんだねえ」
「良いんですよ。生きているなら、私はどんな事でも耐えられます。だから、龍流さん」

星も月も無論太陽もない漆黒を漂いながら、



「貴方は私達を残して、死んだりしないで。」

何処へ行くのか。
(何もない)
(何もない)
(目の前で両親を殺された女が泣いている)
(燃え盛る炎の中で決して許すなと)
(燃え盛る炎の中で)(絶望した鳥が泣いている)(あれは誰だ)(妻を殺した全てを憎んでいる?)(違う)(子供を失った悲しみを嘆いている?



「舞子」
「なーに、貴方」
「罪を犯してしまった」
「そうね」
「俺は、光の神と同じ罪を犯した」
「緋の系譜からは逃れられなかったのね。でも大丈夫、夜は必ず訪れるのよ。どんな罪をも塗り潰して、穏やかな眠りを与えてくれる、そんな夜が」
「夜の系譜は、俺を赦すだろうか」
「貴方のお友達は、赦してくれない様な人だったかしら?」


カタカタと。
まるでシネマフィルムが回る様に、カタカタと。


「哀れな人。私を愛してるなんて、嘘だったのね楼月。貴方は奥様を愛しているのよ。例え政略結婚でも、貴方は奥様を愛してしまった」
「黙れ」
「愛して貰えない事に喚いているのよ」
「黙れと言っている!出ていけ、吾の前に二度と現れるでないわ、女郎!」
「それでも私は、愛していたのよ。可哀想な貴方を、心から」


カタカタ。
カタカタ。
カタカタ。


「アダムとイブ。奇跡の子供達。虚無から産まれた有機物。けれど時が過ぎれば死んでいく。そしてまた産まれてくる。奇跡は繰り返された。つまりは絶望も」


色はない。
温度も音もない。
あるのはただ、純粋な黒。

いや、黒と言う色すら本当は、存在していなかったのだろうか?


「泣くんだ。死ぬ度にアイツが、胸を締め付ける様な声で。輪廻はアダムとイブから始まった。輪廻は奇跡が背負った業だった。俺達は時を廻し続ける事しか出来ない。俺は世界を照らす光、アイツは俺を追い掛けてくる。そしてアイツの尾の向こう側に夜がやってくる。

 俺達は二つで一つだった。朝を招いては、夜を招く。世界をたゆたう者。駆ける如く泳ぐ者。それを宿命と言うならどうして、虚無から産まれた命はああもあっけなく、死んでしまうんだろう。

 アイツは泣いた。
 自分達が時を回す度にその時はやってくる。誕生の瞬間に喜んだ分だけ、死ぬ瞬間に絶望してしまう。

 俺は。
 産まれては、生きる意味に疑問も持たず死ぬ可哀想な子供達をどうにか、終わらせない様にしたかった。アイツが悲しまなくて済むなら、何でも良い。



 龍は飛ぶ。
 俺の光は地へ落ちる。

 俺はアダムとイブが暮らす楽園に、一粒の光を落とした。それは忽ち一匹の蛇へと姿を変えた。

 林檎だ。
 赤い赤い、木の実。それは俺達の心臓。知恵の実。星の命。それを喰らえば、無垢な人形は人間に変わるだろう。虚無はそう言った。始まりから終わりまでの全てを知る虚無は、人形に知恵を与えてはいけないと言った。



 けれど俺は、逆らったんだ」








ああ、もう。
光のない世界では何処から何処までが自分だった、か。
(曖昧だ)
(このまま消滅するのだろうか)
(跡形もなく)



(記憶)

(も)










「さようなら、愛を知らなかった子供達。」

←いやん(*)(#)ばかん→
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