帝王院高等学校
交差する現在過去、そして。
「What? He live in here don't you?(は?此処が生徒宿舎じゃないんですか?)」
「Yes, it is. But it seems he is out now. Sorry, I don't know when I can see him next.(そうなんですが、外出中でして。いつ頃お戻りになるか、判りかねます)」

よろりと立ち眩みを覚えた男の乱れた金髪に、対応していたリブラ寮在中の職員は慌ててフロントから出てくる。帝王院学園特有の広大な敷地により、随分歩き回らされたらしい男の靴は汚れており、その苦労を物語っていた。

「お水を持って参りますので、そちらにお掛けになって下さい」

流石は気遣いの国。
ヨーロッパ調のロマネスク文化を取り入れた建物には、天秤座のマークとサウスの表記がある。歩道はモノトーングラデーションの煉瓦敷きで、計四棟からなるリブラエリアには他にも教会調の建物と、白亜の建物も見られた。
迷いながらも漸く辿り着いた先、真っ先に見えてきた南棟へ脚を踏み入れた理由は単に、そこが一番近かったからだ。

「狭い島だと高を括っていたが、とんでもない思い違いをしていた…。本当に此処は首都東京なのか…」
『泣き言ばかり言う男はモテないと言う統計が出ています、リチャード。仕事を投げ出して恋人に会いに来てしまう行動力をOsiriは高く評価しましたが、Facebookでアンケートを集計した所、概ね「何か重い」「これだから数学馬鹿は」と言う意見でした』

数学馬鹿で悪かったな、と言う突っ込みは飲み込んだ。
若い頃は天才と持て囃されたリチャード=テイラーが、己を極々平凡な凡人だと思い知ってから実に十年以上経過したが、だからと言って人権を無視される理由になる筈がない。

「おい、お前は人工知能の分際で主人のプライバシーをSNSへ公開したのか?!」
『勿論です。我がハーバードユニバーシティーはあらゆる可能性をエンジニアリングする、革新的且つ前衛的な学舎なのです。集計したありとあらゆるデータが、今後のアップデートに活かされる事でしょう』
「…なんと…」
『マサチューセッツ工科大学と協同開発中の人工知能プロジェクトは、最終的に人類に最も近いロボットの実現。Osiriは拙いAndroidから、歌って踊れるアンドロイドに成長するのです』

リチャードは常々、理系にはまともな人間がいないと言われてきた。
確かにその通りなのだろう、日がな一日機械に囲まれてハァハァしている工学部の同僚、は、生身の女よりナットの方が興奮すると真顔で宣う。その慎ましい穴で満足すると言うなら、リチャードに彼を止める言葉は思いつかなかった。国語は学生時代から苦手だ。

「ジョージ=ハミルトンも私と同じテスターだったな。今頃発狂しているんじゃないか、彼はプライドの高い男だ」
『ジョージのOsiriは俺様気質に設定されています。リチャードのOsiriは人見知りが激しく内向的で内弁慶気質に設定されています。いわゆる、妹キャラです』
「何だと?」
『喜んで下さいリチャード。貴方がミッドナイトサンにつれない態度を受ける度飲めないバーボンで悪酔いする日々を、いずれOsiriが体を手に入れた暁には、ミニスカでお兄ちゃんの膝に乗って可愛い妹が慰める素晴らしい日々へとシフトチェンジします』

水を運んできた日本人職員が、何とも言えない表情でグラスを置くと、そそくさと居なくなった。成程、おもてなしの国の覇者たる帝王院財閥の職員は、TOEIC800点オーバーが基本と言うのは本当らしい。
因みにリチャードはTOEICで760点前後だ。母国語のテストでその有様と言う事実が、彼の国語嫌いを象徴しているだろう。8桁オーバーの暗算が脊髄反射レベルである事と比べても、リチャードの右脳が発達していない事が判る。

「お前に慰められるくらいなら、ミッドナイトサンに冷たい目で見下されながら頭蓋骨を折られる方がマシだ…」
『次は死ぬかも知れません』
「何でも構わないさ。あの子の心に残れるなら、この際生死は論点じゃない」
『マゾヒストでしたか』
「お前の言語プログラムをあの子の口調で調整させたのは、間違いだったかも知れない」

諦め混じりに溜息を零し、若き天才教授は有り難く冷たい水を飲み干した。
自分が凡人だとつくづく思い知らされたのは、皇帝の名を持つ真の天才に出会った時だ。当時、その天才はまだほんの5・6歳だった。
羨望も嫉妬もない。あったのはひたすら、崇拝に等しい憧憬だけだった。例え相手が自分より18歳も年下だと判っていても、憧れる心を諌める事など出来ない。

気紛れな神の子が興味を向けてくれた時には、有り得ない奇跡に目眩がしたものだ。

「人は神々しいものに惹かれる。太陽の元に産まれ、太陽がなければ生きてはいけないからだ。私がカエサルに焦がれ、ミッドナイトサンに憎しみを抱けないのは、あの子の心に触れたからだった…」
『詩的な表現だと評価しましたが、現在ネットワークがオフラインの為、Facebookに投稿が出来ません』
「するな」
『ケチ』
「…お前は本当に人工知能なのか」
『えっへん。Osiriの開発者はOsiriに無限の可能性を与えて下さいました。Osiriはやがて、お兄様の様な素晴らしい人工知能になるのです』
「お兄様?お前はプロトタイプじゃなかったのか?ライナー教授はまだ開発段階だと言っていたが、」
『取扱説明書を熟読しなかったんですかリチャード、Osiriの開発者はライナー=ラッセンですが、用いたAI技術の開発者は彼ではありません』

空になったグラスを握り締めたまま、傍らに携えたカートの上に鎮座している花束を見やる。春の花は鮮やかで、香り高いものばかりだ。

『Osiriのお兄様はChronus、開発者はChaos infinityです』
「クロノス?カオスインフニティ?」
『カオスではありません、ケイアスです。ケイオスインフニティとは異なる存在、ケイアスインフニティこそがOsiri達のお母様なのです』
「そんな人がうちの大学にいたのか?」
『ご存じないのも無理はありません。12年前、お母様は4歳でハーバードをご卒業なさいました』
「はぁ?!歴代最年少は、カエサルルークただ一人だったろう?!」
『何を仰っているのか理解出来ませんが、ミッドナイトサンと常に行動を共にしていたとアーカイブに記録されています。詳細はクロノ=スお兄様のアーカイブに登録されている筈です』

どう言う事だと狼狽えたまま立ち上がった男は、記憶を必死に掘り起こす。
11・12年前、つまり神威も二葉も6・7歳の頃の話だ。あの頃、常に行動を共にしていたと言うのであれば、見覚えがない筈がない。

「そんな、馬鹿な事が…」
『お月様の綺麗な9月、後期入学なさったお母様は学園長のお気に入りだったのではありませんか?人工知能の技術と引き換えにカリキュラムを受講なさり、ほんの4日でご卒業なさったとデータに登録されています』
「4日?!本当にそんな奴が、ミッドナイトサンと一緒に居たというのか?!いや、やはりそんな筈がない!思い出した、あの頃カエサルは酷い火傷を負って…そうだ!4ヶ月ほど療養していた筈だぞ、ミッドナイトサンと共に!」
『ですがデータに登録されています。ブライアン=スミス教授と共に、ウィンタームーン教授が教鞭を執っていたと』
「ウィンター?!…医学部、か?確かにそんな名前の教授が短い間居た様な…」
『ああ、登録ミスかも知れません。ミッドナイトサンではなく、ミッドサンでした』
「はぁ?!何だその廉価版臭いスペルは、聞いた事がないぞ!」

素頓狂な声を上げた学者に幾らか視線が刺さったが、本人と人工知能のどちらも構う事はなかった。



























「お前との事は遊びだったんだ」
「そんな…!」

火をつけようと咥えていた煙草をポロリと落とした、オレンジ色の髪の少年は、そよそよと湿度の高い風が靡く木陰で日差しを遮った、小さな公園のベンチで目を丸めている。

「どうして?!もう両親にも紹介して、結納だって済んでるのよ?!今更遊びだったなんて言われても、納得出来ないっ」
「俺との事は悪い夢だったと思って忘れてくれ。あばよ」
「酷いっ、私の…私の体を好き勝手弄んだ癖にっ!」

さめざめと泣く女の声、反して棒読みの極みの様な男の声、どちらもたどたどしい。
落とした煙草を拾おうと屈み込んだ高野健吾は、然し目線を砂場に向けたまま、地面に落ちている煙草を手探りで漸く拾えた瞬間、

「アンタみたいな男、こっちから願い下げよー!」

恐らく幼稚園児だと思われる少女の、余りにも見事としか言えないアッパーカットが決まったのを目撃する。
顎を押さえ砂場を転がり回っている少年は、涙を溜めてわぁわぁと呻いており、離れた所で談笑していた母親らしき女性らが駆け寄ってくると、その内の一人に泣きながら抱きついていく。

「わぁん、ママー!」
「えっ、何、どうした?!ほら、男の子でしょ、泣かないの!」
「すみません、うちの娘が…!アンタ、ハルくんに何したの!」
「泥の城ゴッコ!ハルくんは浮気性の高橋で、カナは健気な婚約者よ!」

母親に拳骨を浴びたおませな少女は不満げだったが、平謝りしている母親に頭を押し付けられ、渋々謝った。母親に抱きついた少年は涙目のまま許してやった様で、赤く腫れた顎を撫でながら仲直りしようと小さな手を差し出している。


「…最近の餓鬼って、何だかなぁ(´・ω・`)」
「女は餓鬼の頃から変わんねーらしーぜ」
「マジかー」

結局吸えなかった煙草を、健吾は何とも言えない表情でゴミ箱へ放り投げた。そろそろ待ち合わせ時間になるので、買ったばかりの煙草の箱も握り潰して捨てておく。

「捨てるんかよ。勿体ねーだろ、買ったばっかだぜ?」
「空前絶後の禁煙ブーム到来中だし?(・艸・)」
「やめる気ねー癖に。最近マジで部屋に匂い籠ってんぜ、制服に匂い移ったら風紀が煩ぇだろーが」
「マジで?そんな吸ってたっけな、俺(´`)」
「外で吸わねー様にしてるから、チェーンスモーカーになんじゃねーの」

迂闊にも酒を飲んだ総長により、カルマほぼ全員がキス攻撃を受けたのはほんの先月の話だ。と言ってもマウストゥーマウスではなく、ペットや赤子にする様な頬や額に触れる様なものだったが、カルマで最も声が低く甘いシーザーに囁かれながらキスされたワンコの大半は、

『…煙草の匂いがするな。そんなキスは女性に対して失礼だぞ、気をつけなさい』

の一言で、嵯峨崎佑壱を筆頭に禁煙ブームが到来してしまった。
煙草をやめれば唇にキスして貰えるかも!と言う余りにも不埒な魂胆が透けて見えるが、お陰様で現在カルマは不穏な空気が蔓延していた。吸えないフラストレーションで小さな喧嘩が絶えず、口寂しさに近所のコンビニの飴や清涼タブレットが軒並み在庫切れしている有様だ。
斯く言う健吾も禁煙ブームに乗ったものの、外出時に我慢している分、学園の生徒寮に戻るなり寝るまで煙を漂わせている。同室の藤倉裕也だけが知っている事だが、健吾と同じ様に外では喫煙する機会が減っている裕也は、けれど部屋の中でも以前ほど吸っている様ではない。

「オメーさ、しれっと禁煙成功しつつあるんじゃね?」
「減っただけで、禁煙はしてねー」
「俺は駄目っしょ、イライラするくらいならやめねぇもん(´・ω・`) ハヤトなんかこないだ珍しく授業に出たかと思ったら、教師の凡ミスをネチネチつついて泣かせてたし、カナメは目があったってだけでコンビニの前にたまってた奴らを蹴り飛ばすしよ(°∀°)」

カルマの中で最も喫煙デビューが早かったと言う神崎隼人は、近頃血走った目で黄金糖を大量摂取している。反して薄荷飴とミントタブレットを大量接種している錦織要もまた、表情こそクールだがフラストレーションが溜まっているのは見ていれば判った。
誰もが苛々している癖に、総長の前では平気な振りをしていて。きっと、見えない所では健吾と同じ様に諦めている者も少なくない筈だ。

「そう言や、こないだホークに煙草臭いって言われたんだっけ(*´`*)」
「川南は端から非喫煙者だから、鼻が利くんだろ」
「…あーあ、男は弱ぇよなぁ。さっきの女の子はメンタルもアッパーも強かったっぽいけど(*´p`*)」
「出来ねー癖に我慢し続けると可笑しくなるぜ」
「何、実感籠ってね?( ´Д`)σ)Д`*)」

烏龍茶のペットボトルを片手で潰した緑の髪が、ゴミ箱を見もせずに投げ入れる。わざとらしくパチパチと手を叩けば、静かなエメラルドにじっと見つめられた。
何も彼もを見透かす様な、凪いだ眼差しが苦手だ。

「…ABSOLUTELYから手を引けや」
「は?何の話、」
「しらばっくれんな。ABSOLUTELYのランクBは三人だった。いつの間にか四人扱いになってんのは、オレらが四重奏を名乗り始めた頃からだ」
「うひゃひゃ、ABSOLUTELYの事なんか知る筈ねぇだろ。俺らカルマだべ?(^q^)」
「ケンゴ」
「つーか、逆に何でオメーがABSOLUTELYに詳しいんだっつー話っしょ。あ、そっか。今の総帥があの人だから、」
「ケンゴ」

嘘が下手なのだろうか、自分は。
健吾は目を伏せたまま困った様に笑ったが、裕也の溜息を聞いても顔を上げられなかった。

「オレの所為かよ」
「違ぇや、バーカ(*´3`)」
「ノーサがセントラルを調べてやがる。面倒臭ぇが仕方ねーから、サブマジェスティに手を貸して貰った」
「あ?光王子に?」
「それとなく、セントラルがオレって事にして貰ったんだ。あの人が言えば、あのノーサでも疑わねーだろーかんな」

ああ、蒸し暑い。
7月だ。仕方ない。夏だ。ニュースは連日台風関連で、今夜から荒れるらしい。商店街には古い建物が多く、毎年夏になると何処かが壊れている。今年は店に泊まり込もうと皆で話し合い、各自寝具を持ち込みだ。健吾と裕也もそれぞれ枕をバッグに放り込み、買い出しの待ち合わせ時間まで時間を潰している。

「…学園から出るバスに乗れば駅までタダだけど、外出届出すのが面倒臭いっしょ」
「タクシーで区内まで大体8000円懸かる」
「高過ぎるっつーの、オメーと割り勘しても4000円ずつとか(;´Д⊂)」

昼前まで寝て、起きてそのまま学園を抜け出し、町中でたこ焼きを食べてゲームセンターに直行、クーラーが効きすぎる店内にくしゃみを連発し外に出たが、やはり外は暑い。

「総長ってバイトしてんだよな(*´Q`*)」
「らしーな。ホストは乱闘騒ぎ起こして辞めたっつってた」
「稼ぐ男、格好良いっしょ(*´ー`*)」
「まーな」
「ハヤトも稼いでっし(・艸・)」
「ハヤトはどうでも良いぜ」
「カナメもあれでボチボチ稼いでるし、副長は一応社長だべ?(*σ´Д`*)」
「喫茶カルマのな」
「はー。あのユウさんが青年実業家かよ、しょっぺーな。目が合っただけで誰彼構わず殴ってた暴君なのに(;´Д⊂)」
「あー」

蝉の音は聞こえなかった。
台風の接近に気づいて潜んでいるのか、この辺りに居ないだけか。

「将来の夢とか、ある?」
「考えた事も、あんまねー」
「一応中3な訳だし、そろそろ考えなきゃ不味くね?」
「そうかよ。オメーはあんのか、将来プラン」
「俺は、うーん。良く判んね(*´Q`*)」
「判んねーのかよ」
「んー、多分俺的には今が楽しいんじゃね?このまんま変わらなくて良いって、何となく思ってる感じっス(//∀//)」

おーいと呼ぶ声に振り返れば、カフェのランチタイムを乗り越えた高校生組が見える。夏休みに入ったばかりで精力的に働いている三人は、ウェイター用のロングサロンを巻いたままだ。

「オメーら、着替えて来いっつーの。悪目立ちしてんだろうが(*´Q`*)」
「ケンゴさん、俺のウェイター姿に惚れちゃった?ごめんね〜、俺には竹林さんが居るから〜」
「お、出たまつこのノロケw」
「竹林さんは働きすぎて疲れてるから突っ込まないよ?」

それぞれ工業コースに進んだ仲間三人と、地元の高校に通う仲間達が疲れた表情で公園にやって来ると、否が応でも視線を集める。とは言え、健全な子供達が遊ぶ空間に割り込んできた邪魔物を厭う様な視線ではなく、主にお母様方からの熱い眼差しだ。
裕也がぼそりと面倒臭いと呟けば、誰もが苦笑いを零す。最も視線を集めているのは間違いなく、裕也だ。

「相変わらずモテるっスね、ユーヤさん。彼女にバレたらやべーっスよ」
「どうでもいい。昨日別れた」
「マジっスか!今回も3ヶ月とかw」
「おーい!ユーヤさんがまた振られたってよ!」

賑やかな仲間達を横目に、店を閉めてきたらしい佑壱と要が並んで歩いてくるのを見た。スパーっと景気良く歩き煙草をしている男前は、青い前髪を掻きあげている要だ。
何となくそわそわしている佑壱は、恐らくまた要に金遣いを叱られたに違いない。

「どうしたんスか、ユウさん(?ω?`)」
「…ランチのデザートが切れて、仕方ねぇから即席クッキー焼いて提供したら、チョコチップ入れすぎて元手が50円以上オーバーしたっぽい…」
「マジっスか(;´Д⊂)」

カルマには盆休みはないので、夏場は休みに入った女学生客も多かった。
普段は社会人をターゲットにした価格帯も、7月の半ばから8月一杯までは学生にも気軽に手が伸ばせるまで抑えており、この時期は普段よりシビアな薄利多売方式に切り替わる為、錦織要が最も口煩い時期だ。
無論、クリスマスシーズンから年末に至るまでも口煩い。つーか大体いつも口煩いのだが。

「…ったく、ドイツもコイツも考えなしが…」

女性客に対して愛想笑いと言うものを一切しない要は、率先してカフェの手伝いをするが接客には向かないので、基本的に厨房内の皿洗いか店周辺の掃除、はたまた帳簿とにらめっこしている。要が店に来れなかった間の帳簿をチェックし、あれこれ粗探しをしては、雇われ店長をカウンターに座らせお説教が始まるのだ。
それでも佑壱よりずっと一般的な金銭感覚である榊雅孝は、佑壱よりは叱られる回数は少ない。
大抵叱られまくっているのは佑壱だけで、今日の様に仕込みが足りなくなるほど店が忙しかったと言う事もあれば、恐らく要も接客に回される事があっただろう。テラス席を開放している夏場は、多くて同時に80人は来店する。

「買い出しの予算を絞ります。台風対策の経費は五千円まで、向こう一週間の仕入れは今回に限って超過は許しません」
「おい待て要、それは幾ら何でも…。仕入れで越えた分は俺が自腹切れば良いだろうが」
「あ?税金の計算もしない人が何か言いましたか?」
「スんません」

苛々と煙草を吸い終えた要は足元で火を踏み消すと、苛々とベンチに腰掛けた。吸い殻を拾ってやった仲間の一人は携帯灰皿にしまうと、苦い表情で要を遠巻きにしている。
佑壱は肩を落とし、分厚い唇を尖らせる。

「小さい事を気にする男よりマシだろうが。何だよ、どうせ俺なんか分数に負ける負け犬なんだ、割り切れねぇ頭の固い男なんだ…ぐすっ」

完全に不貞腐れモードだが、こうなったらこうなったで、誰も佑壱を慰められない。
引き換えに、煙草を吸った事で苛立ちが治まったらしい要は、徐々に顔色を青褪めさせた。折角の禁煙が失敗に終わり、呆然としている。
佑壱にしろ要にしろ、どちらが悪いと言う問題でもないので、健吾はボリボリと頭を掻いた。

「えっと、そうだ!さっき凄い子供が居たんスよ、ユウさん(//∀//) 幼稚園児くらいの男女でままごとやってて、その内容がマジ受けたっしょw」
「昼ドラみてーなおままごとだったぜ。婚約者の破局みてーな」
「男の方が愛人がいて、それも婚約前から出来てる女なんスよw結納も済ませたのに男の浮気がバレたっぽくて、顎にキツいアッパーカットを食らうんス(´Q`*)」
「何それー、泥沼過ぎて笑えないんですけどお」

間延びした声が聞こえたと思えば、公園の前に停車したフルスモークのバンから降りてきた無駄に足の長い男が、白を基調にした出で立ちでサングラスを外す。

「むさ苦しい野郎共お、出迎えご苦労ー」
「何かスゲーイラっとしたっしょ(ºωº)」

飛び蹴りを食らわそうと助走した健吾より早く、佑壱の拳骨が決まった。
理由は、モデルが弛めに巻いていたロープタイがみっともないと言う、ほぼ八つ当たり同然のものだ。

「ネクタイはしっかり締めやがれコラァ!」

オカンにお洒落と言う言葉は通用しないらしい。






















音の洪水の様だった。

圧倒的な暴力の様に、反して圧倒的な慈悲の如く、人間からあらゆる抵抗を奪う旋律は、人に戦慄を抱かせる。


灰の目を一度閉じた男は記憶した。
人の鼓膜から脳髄を通り全身を支配せんばかりの暴力的な音楽を、今。

二の腕を両手で擦った男は戦慄した。
人の鼓膜から脳髄を通り全身を支配せんばかりの圧倒的な音楽を、久し振りに。

エメラルドの瞳を眇めた男は溜息を零した。
目の前のそれを神の子と呼ぶのであれば、その指から奏でられる音楽は決して讃美歌ではなかったからだ。


「やめろ、ケンゴ」

人の放つ声は完璧な旋律を掻き消す。
藤倉裕也の無粋な一言で闇を寄せた神崎隼人と錦織要は、けれど裕也の足元で耳を覆って屈み込んでいる赤毛を見たのだ。

「…シロップ?(°ω°) どした?」
「恐い…」
「あ?」
「違うんだよケンゴさん…!駄目、子守唄は駄目なんだよ!」
「ちょっと待てシロ、オメー何言ってんの?(ヾノ・ω・`)」

悲痛な叫び声に首を傾げる高野健吾を余所に、灰の目を瞬かせた隼人は意味もなく空を見上げる。茂る木々の隙間、遥か彼方天幕は今、星が瞬く黒へと染まり切っていた。

「あは。また夜…って、何だろうねえ。凄く見覚えがあるんだけど、この景色…」
「俺も、あります」
「じーちゃんとばーちゃんが死んだ日…」
「日本に帰国した日…」
「夏だった?」
「…夏でした。帝王院学園の入試試験を受ける為に、美月が…」
「俺は6歳だったよ。じーわじーわ、蝉が鳴いてた。何で忘れてたんだろ」
「俺は3歳でした。施設から引き取られる事を施設長に言われて…初めて美月に会った」
「ハヤト?カナメ?オメーら、何の話してんの?(´°ω°`)」

ぼんやりと空を見上げている隼人と要に瞬いた健吾は、先程まで持っていた筈のオカリナがなくなっている事に気づく。
それを吹けと言った幼い自分の姿もない。

「ユーヤ。俺、何かやらかした?」
「いや。多分、オメーは悪くねー」
「お前、何か知ってんの?」
「…オレの所為かよ、また」
「は?!」
「お前と間違えたんだ。何で間違えたんだ。違うのに、全然似てねーのに、何で…」
「ユーヤ?」

震える手で顔を覆っている裕也の姿を見上げながら、震えている加賀城獅楼の背を撫でていた健吾は、皆が見上げている空ではなく足元へ目を落とした。



「何、だよ、これ…」

巨大な赤い魔方陣の様のものが浮かび上がっている。何処かで見た事があると目を見開いた健吾は、すぐに思い出した。左席委員会の役員登録を行う際、浮かび上がる大きな文字盤と同じものだ。
幾何学的な紋様は学部章である太陽と王冠を模したもので、正十二芒星が描く12の文字盤は、帝王院家の家紋でもある校章に似ている。

零時を示す12時の文字が欠如していた。
これは、会長登録をする際に入力する『0』番目のコードだ。

「何で忘れてんだろ。左席委員会の役職は、一つしかないんだよねえ」
「左席委員会の掲げる教訓は、『正義』と『秩序』」

ああ。
漆黒の空がゆったり、降りてくる。





「初めから、クロノス以外は全部、偽物だったんだ」



(まるで世界を呑み込まんばかりに)




















『ミッドサンは英語と数学以外の全ての分野で悉く満点を叩き出した上で、狙撃、アーチェリー、弓道の分野で優勝しています。狙ったものを外さない、正に「真円の太陽」だと学園長は評価なさいました』
「待て待て、ミッドサンなんて聞いた事がないぞ?!それに、ケイアスインフニティもだ!」
『ケイアスインフニティは別名、クロノスタシスとして名誉教授リストに記載されています』

理系にはまともな人間がいないと、常々呆れられてきたリチャード=テイラーは記憶力には自信があった。語学には全く興味がなかった為に記憶力が発揮されなかっただけで、決して馬鹿ではない。
ただ、天才からは程遠かっただけだ。

「クロノスタシス教授は実在しないんじゃなかったか…?」
『これ以上、Osiriに答えられる事はありません。何故ならば、Osiriは知らない事が多すぎます』
「…」
『機械には忘れると言う事が出来ません。リチャードが覚えていないのであれば、それが真実なのでしょう。ではリチャード、愛しい恋人を待つ間、Osiriを充電して下さい。残存バッテリーが21%を割りました、ブラックジャックは危険です』

からからと、落ち葉が開放されたドアから滑り込んでくる。
呆然とグラスをソファに置いた男は、度が強い眼鏡を押し上げると、カートへと手を伸ばした。

「疑問を解明するのは後で良い、か。スミス教授に尋ねれば良い…。此処まで来たのだから、今はミッドナイトサンを探す事に集中しよう」
『頑張って下さいリチャード、愛には様々な試練がつきものなのです』
「シャットダウンしろ」
『だが断る』

電源が切れない不良品スマートフォンの充電切れを待つのももどかしく、からからとカートのキャスターを滑らせる。スマートフォンと会話する頭の可笑しい奴だと思われたに違いないが、旅の恥は何とやらだ。
花束が萎れる前に目的を果たせるかどうかは、定かではない。

←いやん(*)(#)ばかん→
[戻る]


あきゅろす。
無料HPエムペ!