帝王院高等学校
天才と天災は紙一重でございますにょ
「ほら、判るか」

とても目映い場所を覚えている。
とても温かい腕の中、とても大切に抱かれたささやかな思い出ばかり、繰り返し。繰り返し。

「お祖父様がお前の為に用意して下さった、空中庭園だ。…桜が綺麗だろう」
「あ!いた!」
「あ、見つかった」
「もー、駄目だろ秀皇!その子はちょっとした事で火傷しちゃうんだから、明るい内は何があっても外に出すなって言われただろ?!」
「閉じ込めてばかりじゃ可哀想だろう」
「そんな問題じゃないの!ったく、お前さんは父親としての自覚が足りなさすぎるよっ!」
「父上が用意して下さったんだ。見ろオオゾラ、此処のアクリルルーフは、UVフルコート仕様だそうだ」
「うぇ?」

光が踊っている。
白とも赤ともつかぬ花びらが踊っている。
世界は極彩色に染め上げられて、醜いものは存在しなかった。一つとして。

「ゆーぶい…って事は…」
「真っ昼間の太陽も、でかいLEDみたいなものと言う事だ」
「あ、そう。…いやいやいや、それだとしてもその子は紫外線に対しての感受性が強いんだよ、夜でも皮膚癌になる可能性が0じゃないんだ」
「地球に産まれたからには、紫外線から逃れる事なんか出来やしない。俺は、外に怯えながら生きていくより、受け入れる事で折り合いをつけながら育っていって欲しいんだ」
「偽善にしか聞こえないんだけど!もう、服着せてるのにおくるみに包みすぎじゃないかい?ほんと駄目な父親、ちょいと、何か抱き方も雑じゃない?貸して、僕が抱っこするから!」
「手厳しいな」

優しい腕から、優しい腕へ。
移されて、僅かに目を開けば、ぐりぐりと頬ずりをされる。

「ふぁ〜〜〜。神威はちっちゃいですね〜〜〜、きゃわいい〜〜〜」
「診断書に書いてあったのは、4440グラムだがな」
「こんなにちっちゃいのにこの男は優しさがないでちゅよね〜〜〜。こんな中央委員会会長に似たら駄目でちゅよー?パパがー、こんな奴はー、リコールしまちゅからね〜〜〜」
「オオゾラ。赤ちゃんにそう言う言葉遣いで話し掛けるのは良くないと言ったのは、お前じゃなかったか?」
「は?そんなコト言ったっけ?」
「お前な」
「ほら、神威は僕とお昼寝しとくから。…最近ちょっと大変だったもんね、お前さんもたまには心の休息が必要だと思う」
「心の休息?」
「地下駐車場にハイヤー用意してる」

ゆったりと時が流れている、午後だった。

「他の生徒が授業中の内に、行けば。…お前さんの大好きな義兄さんに見つからない様に・ね」
「オオゾラ…」
「今後の事は、落ち着いてから考えればいい。卒業まで我慢してたら、ほんとにあの女と結婚させられちゃうかも知れないよ。お前さんは、それでいいのかい?」
「…」
「秀隆」
「ワン!」
「意気地なしの秀皇を連れて、ドライブに行ってくれる?そうだね、7区の遠野総合病院辺りまで」
「ワフン」

パタパタと、光の中で揺れた黒い尻尾と赤い首輪を見ただろう。
ひらひらと、舞い落ちる花弁と万華鏡の如く乱反射する光を覚えているだろう。


「あーあ、やっと行った」
「行った」
「こら、神威。お前さんが喋れる事はまだ内緒だって言ったろ?お父さんがもし振られてきたら、その時は慰めてあげるんだ。パパって言える?」
「パパ」
「あ、やっぱパパは可愛すぎる!秀皇に聞かせるのは勿体ない〜〜〜。僕を見てもっかい言える?パパって!」
「パパ」
「はー。きゃわいいっ!赤ちゃんって、首が据わる前から喋れるもんなんだねー。それとも神威が賢いからかな?んー、もー、ぷにぷにほっぺにチューしちゃうぞー」

晴れやかな春の日差しが世界を彩り、

「…あの女なんかに、あんな男なんかに秀皇を譲ってやるもんか。神威、お前さんの為にも、お母さんは馬鹿女より外科女医の方がいいよね?お前さんのアルビノだって、治してくれるかもしれないよ」

何処までも何処までも、醜いものは存在しなかった。

「って言うか、同じ日本人に取られた方が諦めがつく気がするだけなんだけどねー。弱いパパでごめんね、神威。お腹空いたろ、お前さん2222グラムしかなかった割りにミルクの量多いもんねー。将来、秀皇よりおっきくなるかも」
「おっきくなるかも」
「秀皇に言ったら『面映ゆい』って言いそうだねー」
「面映ゆい」
「あはは、そう!似てる似てる!」

ほんの少しの隙間もないくらい。


















「ああ」

車椅子の老人が、まず真っ先に見えた。
胸を押さえて背中を丸めている彼を、男達が囲んでいる。光の下を歩く度に思い出してしまう過去は、けれどあの頃より遥かに色褪せていた。今。18年間で風化し、正常な形は恐らくしていない。

「実に面映ゆい状況だ」

女の姿が見えた。
彼女以外の二人は目に見えて焦りが見えるが、彼女だけは平然としている。一般的な人間であれば焦るだろう状況で、実に冷静な表情だった。

「ヤト殿が苦しみ始めたんです。どうしたら良いんでしょう、マジェスティ」
「『本体』は何処へ落としてきた、ジェネラルフライア」
「キハは僕が保管してます。だって、戦争に巻き込まれたら困るでしょう?」
「成程。主人の保護を最優先に行動するのは、人が作りしAIの最大特徴だ。お前らは決して、主人を裏切らない」
「だって、アンドロイドプロジェクトの名前は『ノアの騎士』」

脂汗が酷い。
加齢による白髪は、メラニンを微かに残していた。自分のものとは違う事を、帝王院神威は知っている。

「小林守矢、並びに東雲村崎。そなたらの魂胆はおよそ検討がついておるが、直ちにこの場から立ち去れ」
「言われなくともそのつもりですよ。それより、彼の状態が…」
「仕方ない、急いで冬月先生を探します」

男は全てが消えた。
残った女はサファイアの瞳と唇に笑みを刻んだまま、去っていく車椅子を見送っている。

「時が止まる事はない。予定通り、水害は絶望を呼び寄せるでしょう」
「ああ」
「陛下が爵位と共に譲り受けた、ヴォイニッチ手稿原本に記載されている楽園の完成は、いつ頃に?」
「既に全てが終わっている。この国はそなたらナイトオブノアの墓標を据えるに、十二分の土地となろう」
「アダムには脳、イブには『心』。僕の内側に、リヴァイ=グレアムと遠野夜人の心臓が埋め込まれているんですからねぇ」
「愚かな男だ。私の想像より遥かに、愚鈍だった。カオスインフィニティは光を失ったオリオンの残骸として、ノヴァとなり一抹の光として闇に還った老い耄れと共に消え失せるだろう。最早この国には、俊を汚すものは一つとして存在しない」

ふわりと、それは微笑んだ。

「大切な弟を傷つけた全てを殺し、大切な弟を復活させる計画は当初の予定通り十年も懸かりませんでしたねぇ」

女から聞こえていた男の声が、別の男のそれへと変わる。

「…リヴァイアサンか。状況はどうだ」
「ええ、須く予定通りです」
「ならば良い。後は、私が一時的に預かっていたに過ぎない帝王院財閥全権の名義を、一字減らすだけ」
「帝王院神威から、帝王院神へ」
「ああ」
「ですがステルスは、これを期に天の君に執着を残す事になりましょう。黒髪の『ナイト』となれば、レヴィ=ノアとナイト=メアを思い起こさせるには十二分ですからねぇ」

笑う。
嗤う。
サファイアの瞳の下、唇が奏でる声はスピーカー越しに、幾らかのハウリングを残した。

「遠野俊、延いては帝王院神こそが文字通り『神』であると、少なくとも人事監査部は満場一致している様ですよ」
「真なる神を生きながらに埋葬する、それほど愚かな真似は他にあるか」
「おや。セントラルは言わば、ノアの為の広大な墓場だと?」

恐らく地下にいるのであろう叶冬臣の声音を聞きながら、色濃いディープゴールドの双眸で静かに瓦礫の山を見据えた男は、動かない表情をそのままに。

「そなたは私の計画に従っておれ。予定にない真似をすれば、そなたが守り続けた悉くが無へと還るだけの事だ」
「…恐ろしい人だ。叶の主である私を脅迫する人間など、貴方を除いて存在しない。長く陽の元で暮らす内に、少しは大人しくなっているかと期待していましたがねぇ、ルーク坊っちゃん」

耳を澄ませるばかり。
ああ、近づいてくるのが判った。自分とは明らかに違う様で、余りにも似ているその足音が、遠くから。

「…真なる神は、人を支配する事などあるまい」
「はい?」
「そなたの要求通り、セカンドはこの国へ帰した。異論はあるか」
「いいえ。それ即ち、唯一神の冥府揺るがす威光を須く知らしめんが為に」



近づいてくる。
近づいてくる。
導かれるままに、愚かな魂が還ってくる。

(耳障りでならなかった)(いつか)(体を失い業を抱いたまま魂を蝕まれて尚、強欲だった人の王を記憶している)(誰が?)(耳障りでならなかった)(まるで泣きやまない真夏の蝉の如く)(歌い続けるそれが)(あの時)



あの時?











もういいかい



それは鳥居を越えてきた。傲慢にも。
煤汚れた衣、腕に抱いた獣の躯だけが綺麗だっただろうか。

「もういいかい」
「…」
「もういいかい」
「…黙れ。いつまで存在している」
「俺の時は止まったんだ。無には戻れない。日蝕で蝕まれた。月蝕までは眠れないんだって」
「耳障りだ」
「知ってるよ。寂しがり屋なお前さんの話し相手になれって、約束したんだ」
「消えろ」
「お前さんが世界から『時』を消してしまえば、すぐに消えるよ。でも出来ないだろう?」

笑う声を覚えているか。
嘲笑うその声はまるで、まるで。

「可笑しな話だね。虚無の癖に執着を覚えたのかい。時の番人は先ばかりを見ているね。だって、過去へは戻れない事を知っているから」
「…」
「二人きりの世界はまるで永遠の様だったろう。だけど神よ、永遠なんて本当は存在しない。お前さんの作り出した時計は壊れるまで廻り続ける。可哀想に。可哀想に。可哀想に」
「黙れ」
「お前さんだけが例外なんだ。仲間外れ。可哀想に。お前さんは終わらない。だって、」
「消えろ、雑音」
「だって俺は、可哀想なお前さんの為に用意された『友達』なんだ。俺の輪廻は時に依存してる。お前さんが時を終わらせられない限り、俺は何処へも還れない」

まるで、己を映す鏡の様だった。








「お前さんは始まる事も出来ないんだもんね、一人ぼっちの神様。」


















瓦礫の影から姿を現した二人の男を出迎えた。頭痛なのか耳鳴りなのか判らない痛みに襲われたが、ほんの数秒の事だと思う。
姿形は違えど、どちらも同時に眉を寄せたのが判る。鮮やかなほど、豊かな表情だ。羨ましくもあろうか。

「げ」
「おや」
「無事だったかセカンド。相も変わらず子守りとは、中央委員会会計らしからぬ愚行ではないか」

こめかみを軽く押さえていた手を離し、伏せた目を上げた。双子の如く同じ表情の男達に対して、感じたものは特にない。

「出たな神帝」
「出てきたのはそちらの方だろう」
「屁理屈お断り。お天道様の下で素顔で歩き回るなんて、火傷したいのかい」
「失敬にも程がある陛下に対してお優しいですねぇ、ハニー。大丈夫ですよ、陛下は夜行性ですが紫外線への対策は万全なのです。心から技術班を煩わしく思いますよ、早く死ねば良いのにと」
「お前などに案じられるとあっては、俺の名折れと言うより他あるまい。雑用と大差ない名ばかりの左席副会長が、斯様な場所で大人の手を煩わせるな」
「はい?何今の、日本語?役立たずはどっか行けって言われた様な気がすんだけどなー」

どす黒いオーラを撒き散らす山田太陽は何処までも笑顔だ。
傍らで微笑みながら手を叩いている叶二葉に至っては、最早寝返った事を隠すつもりもないらしい。

「そんな事はありません、時の君が居ない帝王院学園などミルクの入っていないロイヤルミルクティーも同然です」
「それもうただのティーだよねー。ロイヤルでも何でもないよねー」
「そなたらの漫才に興味はない。俊は無事か」
「俊ならまだだよー。イチ先輩達が連れてきてくれるはず」
「それはそうと、随分面白い方に会いましたよマジェスティ」

ぴったりと太陽の傍らに張り付いた男は、己が誰の秘書であるか忘れたかの様に、揶揄いを滲ませた眼差しで笑った。

「貴方のお祖父様だそうです」
「ほう」
「もしかしたら、お父様かも知れませんがねぇ」
「それがどうした」
「おや」
「リヴァイであろうとハーヴェストであろうと、ノヴァとは星が最期に放つ僅かばかりの光に過ぎん。私の銘の前では、何ら意味をなさない」

二葉の隣、面白くなさげな笑みを零した太陽の眼差しが細められる。

「ルーク=フェイン=ノア=グレアム、お前さんは俊以外には興味ないのかい?」
「いや。俊以外に価値を感じられんだけだ。不服があるか、サブクロノス」
「そらもう、不服だらけさ」

太陽の左目が、一瞬瞬いた。
呟きながら不思議そうに己の右手へ目を落とした太陽は、ぽつりと『あ、帰ってきた』と零すと、静かな眼差しを向けてきたのだ。

「お前さん、絶望した事はあるかい」
「答える必要はない」
「『神』に会ったよ。神様は何処にも居なかったんだ。可哀想に」

その声を、帝王院神威は記憶している。
少しもそうは思っていない声音で、可哀想にと囁いた男を。

「水害から逃れる船を作った一族は、今回、何処へ流されるんだろうね」

悪魔と呼ばれた宰相が珍しい表情をした。
探る様な眼差しで己の傍らを見やる眼差しを、何故、哀れだと思ったのか。

























例えば、考える訳だ。
己と言う人間が如何に脆弱で可哀想な人間だったかを、今にして。

生きる目的、意味、理由。
人間が尊いと掲げるそれらは、人間社会以外では価値がない。人の作った全ては、人の中にあってこそ真価を発揮するのだと気づいたなら、人が獣を飼い慣らす事が出来る筈もないと判るだろう。


彼らは従ってなどいない。
家族になったつもりで、まるで彼らの親になった様な錯覚を覚えて、いつか彼らの牙で貫かれるまで現実から目を逸らしたまま、強欲な人間は己に都合の良い社会の枠組みの中でのうのうと酸素を汚す。繰り返し、繰り返し。

俺は地球に生まれ、世界と言う物語と出会った。生きとし生ける全ての命が奏でる脚本は、詩の様で歌の様にも思えたものだ。
紛れもなく、奇跡的な出会いだったと言えるだろう。


俺と言う人間は本当にどうしようもなくつまらない人間だ。いや、つまらない人間だった。
けれどそれに気づいたのは、極々最近の話だ。

然しその人生に疑問を抱かなかったのは紛れもなく自分自身であり、ある日唐突にノストラダムスが乗り移っただとか、街角で怪しげな壺をお値打ち価格で買えただとか、右腕に眠っていた魔力が目覚めたからだとか…、とにかくそんな思春期にありがちな可愛らしい理由ではない事を先に述べておく。
極々つまらない人間で、大変申し訳ない。


俺の人生は甚だ平凡だ。
と言うにはやや心許ない。中々にアレがアレした人生だった。

ひとえに、俺は可愛くない人間なのだ。いや、然しながらやはり平凡な生き物なのだ。思春期には誰しもそんな時があると思う。何かにつけて反抗したくなる、そんな時が。

15歳にして初恋すら知らない時点で、一介の雄にもなれない馬鹿だとも言えるかも知れない。だが運命の恋愛と言うものは、そうそうやって来ないものではないか?

俺にだって告白された経験くらいならあるが、相手が化粧バッチリ・ミニスカバッチリな婦女子だったら何よりもまず先に、


『あ、揶揄われてるのか』

と考えるだろう?
だから平凡な俺は涙を飲んでお断りするのだ。必死で涙を我慢して、


「俺を飼い慣らしたいならやめておけ。男は等しく全て狼の様なものだ。なァ、イチ」
「…そうっスね、総長。総長を飼い慣らす女が『まともな遺体で葬式を挙げられる』かどうか、俺には判りません。カルマには、まともな犬が居ないんで」
「あは、ユウさん知らないのー?今の世の中、ぐちゃぐちゃな死体でも復元出来るらしいよお?」
「エンバーミングですね。映画で流行ったんでしたか」

何故か婦女子達は青冷めて。



…はてさて、中学生に本気で戦いを挑んでくる大人気ない高校生・あらゆる意味でのフリーター・はたまたあらゆる意味での本職の方らを相手に、毎日必死で正当防衛をしている内に、元来面倒臭がりな俺は閃いた。B型は熱し易く冷め易いのだそうだ。


「…俺らはまだ、アンタを総長とは認めてない」
「俺らの総長はユウさんだ。部外者のアンタを認めちまったら、カルマがカルマじゃなくなっちまう!」

血気盛んな若者達に囲まれて、満月の夜は明るかった。
カフェから出て真っ直ぐ歩いた先、商店街の出口で待ち構えていた彼らは、堅い意思を宿した眼差しで、震える拳を握り締めている。

「そう思っているのは全員だと思っていたが、そこにいるのは全員じゃない様だ」
「っ。カナメさんがンな真似すっかよ!」
「ケンゴとユーヤは様子見っつったけど、俺らは我慢なんねぇんだ!」
「出てけよ、カルマから…!」
「テメェが汚い手ぇ使ってユウさんを騙したのは判ってんだ!」

敵が多すぎるなら、『全て味方にしてやろう』。
つまり、…そう言う事である。九時を回れば店の明かりが消えている寂れた商店街とは言え、夜間に長々騒ぐ訳にはいかない。彼らがイチを大切に思っている事は、その様子を見れば痛いほど理解出来たからだ。

「そうだ。俺は汚い手でイチを騙した。…さァ、許せない奴からおいで」

彼らもまた、獣だったのだろう。
弾かれた様に駆け寄ってきた男らを前に、右手を掲げた。手加減は必要ない。男と男の戦いだ、一対一ではないから何だと言う?そんな綺麗事は、人間社会以外では何の意味もないと言っただろう?

「ただ残念ながら、お前達の飼い主が俺の犬だっただけだ。己の飼い主の飼い主の顔くらいは覚えておけ、愚か者が」

デカイものは頭を潰せば良い。地域一番の極悪不良を命からがら倒した俺は、13歳にして地域一番の平凡不良に転身だ。
親や学校に知れたらマズイ事この上ない。



「Open your eyes.(おはよう)」

ぱちりと。
指を鳴らした。

静かな満月の夜だった。とても静かな、満月なのに星のない夜だった。

「そう。俺はイチと『契約』した。地中に穿たれた鳥を、地を這う犬へと再生する為に」

人生には、大きく分けて3つの時期がある。

「そう。俺は仔猫と『契約』した。永遠に等しい天獄で時を待ち続けたあの子を、今度こそ『お姫様』にしてあげる」

物心つくまでの成長期、それから青春と呼ばれる思春期、それを越えた先の安定期。人生は短い様で長いが、安定期に入るまでは余りにも短い。ほんの十数年だ。

「そう。俺は神と『契約』した。約束を果たせば俺は、平凡な男だった過去を捨てて生まれ変わるだろう」

大切な仲間と出会い、高校受験を前に奇跡的な出会いを果たすまで、満たされているながら何処か満たされない日々を送りながら、


「嵯峨崎佑壱と叶二葉。1から2へと続いた契約は、対価として3の4れんを」

息を潜めている。時が満ちるまで、密やかに。

「『燦の試練』は偽りの光を裁くだろう。罪を負い、空から見放された『光』が闇に満たされる時、パンドラの箱は満たされる」

ああ、
俺の人生とは本当に、何とつまらないものだったのだろうか。然しそれは有難い事に過去形である。

「おはよう、私の決して可愛らしいとは思えない孫。今夜も帰りが遅かったな」
「獣と戦ってきた」
「その割りには傷一つない様だ」
「体の調子は?」
「ああ、悪くない。この時代の機械技術は随分発展している。顔がないままでは鏡を見ても生きている実感が湧かない事だけが、残念だ」
「顔か。夜人の顔は写真が残っていたから復元出来たが、お前の顔を俺は知らない」
「ああ、私の顔であれば夜人が覚えている筈だ。脳に刻まれた記憶を具現化する方法はないのか?」
「無理を言うな、12歳には微妙にハードルが高過ぎる」
「為せば成る。始める前から諦めると、夜人にまた叱られるぞ」
「はァ。判った、どうせ中学には通うつもりがないから、頑張ってみる」

もう一度言おう。

「頑張ってみたら何か3年弱で出来たぞ。気づいたら受験シーズン真っ只中なのに、俺は脳の勉強しかしてない」
「ふむ。確かに生前の私の顔にそっくりだ」
「試作段階で夜人に何度も手直しを求められて、ゲシュタルト崩壊寸前だった。俺は何を作っていたんだったか…」
「ロードはナインのシンフォニアだったのだろう?私の顔は似ていなかったか?」
「最初は似てると思った様な気がする。ただ手直しが108回を越えた辺りから、記憶が曖昧だ」
「成程、夜人に眠らせて貰えなかったのか」
「夜人は新月から十六夜まで夢の中にも出てきた。強迫観念を覚えそうです、チキンに拍車が掛かったら吊るぞ。首を」
「ナインの弟である秀皇の子は私の孫も同然だ。残念だが、易々と死なせられない」
「流石は『神』、優しい」
「夜人はお前に目を掛けているからな。出来が悪いほど可愛いそうだが、私は理解に苦しむ。お前の様な『全てに興味がない人間』の何処が可愛いのか」

俺は生まれ変わったのだ。

「それより、我が子の成長はどうなっている?」
「さァ?大分前に会った気がするけど、顔は見てない。お面を被ってたから、後から気づいたからな」
「髪を伸ばしていたと言ったな。まるで在りし日の兄上の様だが、ブロンドではない事が悔やまれる」
「アルビノが遺伝したから仕方ない」
「ふ。母親に似れば良かったものを、哀れな…」
「そろそろ寝る。明日は忙しいんだ」

退屈な生活なんてものは、何処にもない。
男とは、男の真理を追求しながら生きていく哀れな獣なのだ。

「ああ、明日は誕生日だったな。15歳おめでとう、今年こそ恋人を連れておいで」
「ハードルが高過ぎる」
「ファーストはモテるのだろう?オリオンもシリウスも女に不自由はしなかった筈だが、お前は誰に似たのか」
「母」
「秀皇に叱られるのではないか?」
「父の様な物好きはそうそう居ねェっつーんだょ、…むにゅむにゅ、グースカピー」
「全く。一度寝たら腹が減るまで起きない所は夜人にそっくりだが、」

繰り返す。
俺は生まれ変わった。

求め続ける内に求められる事の意味を忘れ、求められる事を初めて強く自覚したその日、その瞬間に、今までの人生が全て色褪せてしまった。
そうなるともう、望みは一つだけだ。他の全てがそれまでの人生と共に灰へと消えた刹那に、俺と言う人間は死んだのだろうと思う。



例えば考える訳だ。
俺は今まで生きながら死んでいたのだとすれば、征ける所など何処にもなかったのだと。
雄として産まれながら雄ではなかったのだと痛感した時、強く願ってしまったのだから、それしかもう、見えなかった。

だから全てを終わらせようと思う。
俺はあの時死んだのだ。死んだ人間はもう何処にもいない。何故ならば俺は、生きながら死んでいたのだから。



さァ。
俺と言う男の物語は始まる前に終わっていた。だからこそ繰り返そう、何度でも声高に。


言っただろう、覚えているか?














俺は、生まれ変わるのだ。








(回せ)
(廻せ)
(歯車を逆回転)
(終わったらなら始めるだけ)
(何度でも何度でも)
(終わりがスタートライン)
(終わりの向こうに何もないと言うのなら)
(俺は終わりの向こうではなく、終わりのずっと手前まで逃げてやる)





(始まる瞬間に戻れたなら)
(何ら恥ずべき理由はない、生まれ直すだけ)










(今度こそ君だけの騎士になると誓うから)













「…寝相の悪いお前に見せてやりたいものだ。満月の夜は、窓の向こうに幽霊が現れる」

キラキラと。
窓の向こう、大きな月が漂う夜空にそれは現れた。

「暫し見ない間に、顔が出来たか」
「お陰様で、遊ぶ事に忙しいこの子は顔を作るだけで2年4ヶ月掛かったが、悪くないだろう?」
「確かめてみるか」

キラキラと。
ハニームーンを反射させる長い髪が揺れている。8月の熱帯夜、窓を開けたままベッドに転がっている部屋の主は、健やかな寝息を発てて、無防備に。

キラキラと。
月光を反射させた鉄の塊が、青白い手で外されるのを見た。


「…ああ」

鏡を見ている様だ。

「私より幾らか、目付きが悪いな」
「母親に似たのではないか?」
「名は?」
「私に名はない。月が見せる束の間の『夢』の様なものだ」
「ヴォイニッチ手稿はその手にあるのか」
「ああ。この体が黒に染まったその瞬間から」
「真なる神の依代よ。一つ尋ねても良いか」
「何なりと」
「この子はいずれ、積み上げてきた全てを手離すだろう。何ら躊躇いなく、己の命でさえ惜しまずに」
「幾ら針を回そうと、時は必ず0へと還る宿命」

記憶とは、何処に蓄積されるか知っているか。


「その時、舟を手離す事があれば。哀れなノアに、ナイトの手稿を渡して欲しい」
「?」
「目には見えない言葉を紡いだ、ノアの為だけにある黒の書だ」

目には見えないそれを、証明する方法が存在するのだろうか。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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