帝王院高等学校
導きを淘汰した者の通過点
それは子供の姿をしていた。

「右は穏やかな風。心を乱す事も、体を傷つける事もない永久の平穏」

いつか見た赤子を覚えている。
とても優しく、気高く、王の様だった男が抱いていた産まれたばかりの、小さな子供を。

「左は荒れ狂う風。心身共に癒える事のない傷を、絶えず刻みつける刃」

それは子供の姿をしていた。
今まで見た誰よりも儚げな姿をしたそれは、『龍神』と謳われる男の前で何処までも静かに、


「さぁ、そなたはどちらを選ぶ?」

選択肢のない取引を、持ち掛けてきたのだ。



















さようなら
さようなら

幸せを知る為に旅立った僕は
いつしか自分の幸せに目が眩んで

そんな自分に絶望し
全てを捨てる決意をしたけれど

捨てた心の代わりに
空っぽの体はそれでもまだ



輪廻の上で躍っていたのです












It is Kings last gate.













さようなら
さようなら

二度と交わせない小指を
どうか忘れてくれますか


つまらない男だったと笑って
思い出す事もない記憶の底に淘汰して

その時やっと帰依するでしょう

貴方が背負った『空虚』である『業』は
僕が全て持っていってしまうから





Dear.
世界の一つにして僕の全てだった人

この小指に赤い糸が繋がっていたなら、
それは冥府の楔と繋がっていました。
黒は黒以外にはなれないのです。
初めから判っていた事でした。
なのにどうして、期待する事をやめられなかったのでしょう。

忘れてくれますか。
嘘つきだと罵られても構わないから、思い出さないで。








貴方を護る騎士にはなれなかった、馬鹿な男を。













(寂しいですか?)
(もしもそうだとしたら)
(紡ぎ続けた『空色の絆』がそこにあるから)
(孤独を忘れさせる蝉の鳴き声は貴方を包むでしょう)

(黒い羊は何処にもいない)



(いつか月の下で歌っていた貴方が、太陽の下で笑う日を夢見て)









(悪夢は虚無へと帰りましょう。)
















「セイちゃん、寝苦しそぅ。汗掻いてる、拭いてあげょ」
「ふわ〜ぁ。あ、安部河。イーストはまだ起きてない系?」
「ぁ、はい川南先輩。王呀の君も、まだ?」
「ウエストは刺されても死にゃしない系のしつこい奴だから、腹が減ったら起きるだろ。ったく、お陰で保健室がまんぱんだよ、どうなってんのほんと」

中央校舎と西側の離宮校舎が停電している今、一般クラスが犇めいている東側の第2離宮一階は部活棟から搬送された一年生が収容されている。工業科が広げた穴から突入した警備員らが発見し、次から次に運び込んでいる様だ。
怪我をしている生徒もいた様だが、どれも比較的軽いらしいのは僥倖と言えるだろう。人手は幾らあっても構うまいと、川南北斗は風紀委員総出で警備員の手伝いに走り回っていたが、残るところ救出が必要なのは数名と見られ、また場所が場所だけに生徒は危険だと大人に任せる事になっている。

「揃いも揃って寝てるみたいだけど、一年Sクラスは一晩中教室を動かしてたらしいから、ただの睡眠不足的な感じってとこ。北緯もまだ見つかってないし、兄としては心配なんだけど〜。ふわ〜ぁ」
「眠たそぅですねぇ、ちょっと休んだ方が良ぃですよぅ」
「昨夜西園寺の生徒をもてなす食事会があって、司会だったんだよ〜。ウエストにやらせたら片っ端から口説いてトラブりそうだし、イーストは外の待機所を任せてたから、仕方ないんだけどさ〜。っと、何かごめん、愚痴っぽい男は嫌われる系」
「お疲れ様ですぅ。先輩のお陰で僕ら安心して式典に参加出来るんですからぁ、僕で良かったら幾らでも愚痴って下さぃ」

にこり。
邪気のない安部河桜の笑みで、北斗はカラーコンタクトをはめた瞳を瞬かせた。ふらふら〜と誘われるままに桜の目の前で座り込み、ふくよかな腹回りを暫く眺めると、顔からポフンとダイブする。
ぱちぱちと瞬いた桜は首を傾げたが、ぐりぐりと桜の腹に額を擦り付けている水色の髪は、ぴんびんと躍る様に跳ねた。楽しそうだ。

「ふぁ、ふぁあああ〜。何これ凄い、凄い〜〜〜ぃ」
「ぁ、ぁはは、お好きにどぅぞ…」
「良いなぁ、イーストが羨ましい系」
「ぇ?セイちゃん、ですかぁ?」
「ん。だって、付き合ってんだろ?」
「はぃ?」
「え?イーストと安部河って、違うの?」

北斗の台詞で、桜はただでさえ円らな瞳を丸め、腹の辺りで顔を上げた北斗を見やった。北斗もまた、青いカラコンをはめた双眸を僅かに丸めている。

「僕とセイちゃん?」
「付き合ってる」
「ぇ。えぇぇ?!何でですかぁ、付き合ってなぃですよぉ!」
「あら?そうなんだ?ごめんごめん、…イーストの片思いか。ふっ、こいつは特ダネ系」

ほくそ笑む北斗を他所に、難しい表情で魘されている東條清志郎の額に滲む汗を拭いてやった桜は、新たに運び込まれてきた男へと目を向けた。警備員が二人掛かりで丁寧に運んできた担架から、長い足が飛び出ている。

「あれ?はっくんだぁ」
「神崎、何で脱がされてる系?」
「こちらの生徒は脇腹に怪我がありまして、先に手当てを施して貰ったんです。意識はありませんがバイタルはしっかりしている様なので、意識が戻り次第病院に運ぶか検討しようと」
「そぅですかぁ。有難うございましたぁ、僕クラスメートなので後の事は任せて下さぁぃ」
「助かります。それでは自分等はこれで」
「ご苦労様でしたぁ」

警備員が抱き上げた神崎隼人は、何の因果か西指宿麻飛の隣のベッドに転がされた。
一度に30人以上の人間が保健室を占拠する事などまずないので、各校舎の大抵一階にある保健室は今、足の踏み場もない。非常時の簡易ベッドやパイプ椅子を並べた即席ベッドも用意されていたが、とうとう足りずに床にシートを敷いて寝かされている生徒もいる。
目に見える怪我は養護教諭総出で手当てをしているが、医師の資格を持つ冬月教諭と連絡が取れない今、病院へ搬送するべきかの判断は養護教諭らに委ねられていた。

「うわぁ、はっくん、何があったらこんな怪我しちゃうんだろぉ。大人しく寝てるけどぉ、痛そぅだなぁ…」
「遠野総合病気の院長が来てる系だって話だから、何かあったらそっちにお願いしたら良いんでない?」
「ぁ、俊君の叔父さんですよねぇ。西園寺の生徒会長のぉ、お父さん」
「らしいね。とにかく、中央委員会執行部三役の全員と連絡が取れないんだから、僕が倒れたら終わりだよ〜。あ〜でも眠たい〜〜〜ぃ、やっぱりちょっと寝る〜」
「セイちゃんの隣、空いてますよぉ」
「イーストの隣なんかやだよ、ウエストのがマシ。万一寝惚けて俺…あ、もう俺で良いや、眠い。俺を押し倒したらさぁ、それをネタに脅せる系じゃん」

へらへらと悪びれない北斗の台詞に苦笑を浮かべた桜は、ひょいっと隼人を西指宿の隣から抱えた北斗に瞬く。細身に見えて、力が強い様だ。

「凄ぃ、軽々…」
「神崎って、デカい割りに軽いな〜。意識がない人間って普通は重いんだけど、こんくらい平気だって。俺こう見えても昔さ、柔道やってたんだ」
「えっ、そぅなんですかぁ?」
「うち、実家が柔道一家なの。じゃないと、報道部なんて所詮は文化部じゃん。恨みを買って狙われるなんて日常茶飯事だけど、俺は?」
「えっと、ぁ!ABSOLUTELYのノーサさん!」
「そう言う事。幹部の中で一番弱いと思われてるのは癪だけど、喧嘩売ってきた奴らを片っ端から潰して弱味握るの、やめらんない系なんだよね〜的な?」
「ぁはは…。凄ぃ…」
「幹部で一番弱いのはそこのアホさ、自治会長の癖に。ウエストが俺に逆らわないのは、コイツの初恋の相手を知ってるからなんだよ?内緒だけどね☆」
「えっ、そぅなんですかぁ?」

特に興味はないが、ライトノベルやティーンノベルを愛読している桜は、恋ばなに目を輝かせた。下半身ゆるゆるな王呀の君の恋愛など、どうせろくなものではないだろうが。

「はっくんが知ったらぁ、面白い事になりそぅですねぇ」
「あら。安部河も結構、サド?」
「ぇ〜、違いますよぉ」

笑いながら首を振る桜には悪いが、あの山田太陽が尻に敷かれている気配があるだけに、恐らく北斗の指摘は間違ってはいない。隼人を東條の隣に寝かせ、空いた西指宿の隣のベッド潜り込んだ北斗は、わざとらしく己の体を西指宿の腕の中へと潜らせた。
ただでさえ狭い床を広げる為に全てのベッドがぴっちり寄せられている為、寝返りを打てば隣のベッドに転がりそうな状況だ。

「う…う〜ん」
「麻飛く〜ん、間違えて僕に襲い掛かって来ても良いよ〜?ケツの穴が閉まらなくなるくらい掘ってやるからさ〜」
「わぁ…。川南先輩って、そっちだったんです?」
「ん?いや、俺はノーマルだよ。たださ、穴なんてどれも一緒じゃん。やるのは同じなんだから、男でも女でも変わんないと思ってるだけ。流石に男と付き合った事はないよ〜」
「ぇ、彼女さん居るんですかぁ?」
「んー、彼女っつーか、許嫁?みたいなのは居るかな。ただ親が勝手に盛り上がってるだけだから、相手は俺でも北緯でも構わん系だと思う。実際、向こうは北緯の事が好きみたいだし」
「ふぁ〜。そぅなんですかぁ。ぇ?それじゃ、許嫁さんは、北緯先輩とお付き合いしてるんですかぁ?」
「まっさか。あの超絶ニブチンな北緯に限って、告白されるまで気づきもしないよ。つっても、北緯には気になる相手がいるみたいだけど」
「気になる相手?」

それは大変気になる。
チャラチャラしている西指宿はともかく、桜の目で見ても可愛らしい顔立ちをしている北緯は、然し見た目と違ってかなり硬派だ。クールで、あまり喋らないので北緯の人となりを桜は余り知らない。
ただ、左席の夜間パトロールの担当の時は、誰よりも気合いが入っている様に思えた。部屋着に着替えてカメラを構え、部屋でゴロゴロしている俊を迎えに来る時の北緯は、何処となく目が輝いていた気がする。佑壱ですら面倒そうなのを隠さずに、然し俊には逆らえず渋々出ていくと言うのにだ。

「柔道一家って言ったろ?母さんはオリンピック候補だったんだけど、親父も大学まではやってた訳。だから俺らも三歳からやらされてて、うち実家東北なんだけど、母方の実家が埼玉で道場やってるからそっちで暮らしてたんだ。親父はその頃から帝王院に入れるつもりでいたみたい」
「ああ、習い事やってると面接で心証が良くなるってぇ、うちの親も言ってましたぁ」
「だろ?北緯は俺より筋が良くて、将来はオリンピックかって親が騒いでたの覚えてる。だけど、初めて出たちびっこ柔道の関東大会で、初戦で当たった相手に開始三秒で負けてさ。それが、確か5歳の時」
「三秒…。それはトラウマになっちゃいますねぇ…」
「最近それ思い出してさ〜。一昨日、あの時の初戦の相手の事を調べたんだ。つっても、親に電話で聞いたんだけど」
「何か判ったんですかぁ?」
「とーの」
「へ?」

西指宿の胸の上に顎を乗せた北斗は、へらへらと笑っている。但し、その目は笑っていない様に見えた。

「相手の名前。トーノだったらしい。何か知らないけど、決勝まで残った癖に準決勝が終わってすぐに帰っちゃったらしくて、決勝の相手は不戦勝だったそうだよ。北緯は自分が負けた相手が決勝に出るって聞いて待ってたみたいだけど、結局それっきり」
「とーの…って、まさか」
「だろ〜?俺もそう思って、めちゃくちゃ調べたんだけどさ〜。ただのちびっこ柔道大会の記事なんて新聞にも載ってないし、優勝した訳でもないから、調べようがない系だよね〜」

笑いながら、多分きっと人違いだと言った北斗は目を閉じる。
疲れた表情を見やり口を閉ざした桜は、東條の眉間に刻まれた皺を人差し指で伸ばしながら、小さく息を吐いた。





























今年もまた、大地の下で蝉が鳴いている。
力強い鳴き声と、汗ばむほどの暑さが支配する世界は、例年になく湿度が高い。

「良い天気ですねぇ、殿下。天気予報を見ましたか?」
「天気速報ではなかったか?」
「まぁ、どちらも同じものですよ。今日は『炎天下風味午後からスコール』だそうです。技術班が大型降雨システムを実用化させた様で、この湿度はオプションの様ですよ」
「そうか」

夏の朝は早く、七時を回れば間もなく強い日差しが世界を照りつけた。

「南米統括部の領地で採れたフルーツを、総合営業部で販売しているそうです。丸々太ったスイカを見掛けましたが、持ち合わせが足りなかったんですよねぇ。大体、これだけオートメーションの中央区で、買い物が未だに現金払いのみと言うのは間違っています」
「クレジットカードは外界のシステムだ。電子マネーも然り。独自システムを構築すれば可能だろうが、万一外部に流出する事になれば、ステルシリーの存在が広まりかねない」
「外部の人間が簡単に解読出来ないセキュリティを付加すれば良いんです。枢機卿、爵位を継承した暁には、真っ先に実用化を希望しますよ」
「財布を持ち歩けば良いのではないか?」
「私は500円以上の重さのものを持ち歩きたくないんです。私を彩る存在は私だけで良い、判りますか?」
「身動きが取れなくなる荷物を抱えたくないと」
「その通りです。人殺しに必要なのは兵器と知恵であって、小銭ではない」

素晴らしい説得力だが、財布を持つのが面倒だからどうにかしろと言っているだけだ。話の密度の割りに、その本心は薄い。

「栞代わりに一万ドル紙幣を挟んでおった。どれ、これで好きなだけ買ってくると良い」
「わぁい、有難うございますダーリン。お釣りは?」
「好きにしろ」
「ああ、そう言えばユエが来日した様です。と言っても、まだ六歳の子供の方ですがねぇ」

涼しげな声音は黒一色の服で痩身を包み、か細い声で暑い暑いと時折呟きながら項垂れている、バス停への旅人を横目に別世界の住人だ。その男の周りだけ冷気が漂っている様にさえ思えたが、喩えにしても出来が悪い。
口にする事さえ面倒だと思わせる程には。

「区内バスの運行本数が増えましたねぇ。対陸情報部が今のマスターに変わってから、公用車の貸し出しが渋くなったそうです。ファントムウィングなら低燃費でしょうし、ランクBくらいまでには貸し出せば良いと思いませんか?」
「ランクBまでであれば、キャノンの中に個室を用意されているだろう。そもそも区内で暮らしているのは、大半がランクCだ」
「ああ、そうなんですか。急にこんな炎天下を通勤する羽目になるなんて、お気の毒ですねぇ」
「誰かが区画保全部の意見箱に『夏の設定が甘い、日本の風流を学べ』と言う投書を入れた所為ではないだろうか」
「日本と言えば、帝王院学園の受験は、海外国籍の場合に限り9月と定められているそうです。試験は免除ですが簡単な面接があるので、日本語が喋れると言う一点が最低条件ですかねぇ」
「来季から定員が増えたそうだ」
「…学園長の帝王院駿河と言う男は、中々やり手の様ですねぇ」

知っている癖に知らない振りが出来るのは、聡明である事の証明だと思う。
知識を披露したがる者よりはずっと。

「そなたが素直に評価するのは、珍しいな」
「ステルシリーが唯一手を出していない先進国で、彼は間違いなく日本の王と呼べるでしょう。反して、中国は相変わらずマフィアが乱立しています。いわゆる与党が弱すぎるんですよ」
「それぞれの家に繋がる組織が反目し合っている、と言う事か。濫立すれば1600年の二の舞になろう」
「有名な関ヶ原ですか。確かに、昨日までの味方が裏切らないとも限りませんからねぇ。今の書記が長く務めているだけに、反感が多いのもまた事実。中華人民共和国は王政ではなく、民主政権であるのだと」
「真の王である大河は、此度も傍観に徹するか」
「ええ。最も強大な大河と直属の王家を除き、李黄虎と朴玄武は河北・河南のそれぞれお目付け役扱いですが、年寄りの目が届かない所で馬鹿は幾らでも蔓延っていると言う訳です」
「祭美月が日本を選択した理由を聞こう。幾らか愉快な話の様だ」

腕時計へわざとらしく目を落とした男は、緑色の右目を眇めた。
世間一般の子供とは明らかに異なる生い立ちからか、オッドアイは不吉の象徴だと言う根も葉もない噂が広まりつつあろうと、本人は気にしていない様だ。

「アジア銀行がごたついた最たる理由は、ネルヴァと大河白燕による大規模な粛正が行われたからです。ネルヴァが消した組織は野党側の議員に関連した家で、大河が粛正したのは中国全土の組織でした。与党側はこれを期に野党の勢力を砕くのが狙いだった様ですが、勿論、他党もそうはさせない。各党の重要拠点である地方地方で多額の融資を求める声が上がり、大都市香港・北京は混乱しています。主に、表社会の方がねぇ」
「株の乱高下に些か興味がなくもないが、一時的な事だ」

外界の政治には然程興味がない。
極一部の人間の勝手な決定で生活が揺さぶられる一般人ならまだしも、此処は大地の下だ。空の下にある法律も、倫理も、黒の皇国には通用しない。

「私もそう思います。大恐慌もオイルショックも、人は乗り越える事が出来る。絶望するも、強さを増すも、当人次第と言う事です。然し馬鹿はいつの世にも存在しました。祭楼月の様に、変に悪運が強い馬鹿は、馬鹿な癖に生への執着が強い」
「此度は、どんな愉快事を企んでおるのか」
「与野党の議員が金取り合戦を起こし、李大老と朴大老がてんやわんやで目が向かない今こそ、祭の立場を強めようと企んでいる様です」
「ほう。つまらん浅知恵だ、大河がユエの魂胆に気づかん訳があるまい」
「ええ。今回の一件も、ユエが直接的に関わっていない裏は取れています。辛うじて助かった命を、今度はどう粗末にするつもりなのか。愉快ですねぇ、馬鹿が考える振りをする様は」

にこにこと、本心から笑っているのか、愛想笑いか。
笑顔が基本の男は、ミネラルウォーターのボトルにサラサラと緑色の粉を投入し、しゃかしゃかと振っている。

「粉茶か?」
「青汁です。アメリカは今、未だかつてないヘルスブームですよ枢機卿。貴方が中央情報部員の癖に対空管制部に入り込み、たった二日でシャドウウィングの操作を覚えてしまってから半年と四日が経ちました」
「良い記憶力だ」
「中国を離れた朱雀はシアトルに送られたそうですが、そう言えば、来年の春にパーティーが行われるそうです。その場に、大河が招かれています」
「西海岸だったな」
「おや、もうご存じでしたか」
「世間一般では子供でしかない私達に出来る事は限られてくる。陛下が招かれているその場で、何が起きようとも」

瞳を僅かに輝かせた叶二葉は、獰猛な狼の如く笑った。

「愉快な事が起きそうですねぇ、陛下」
「私をそう呼ぶのは相応しくない」
「失礼致しました枢機卿。でもいずれそう呼ぶ様になるのですから、良いでしょう?練習みたいなものですよ」
「そうか」
「月に一度の暗殺計画が毎回失敗していて、退屈なんです。もう日本は梅雨が空けましたよ陛下、サマータイムを楽しく過ごしたい気分なんです、私は」
「ネイキッドらしい、ありのままの意見の様だ」
「おや?私はいつも本音しか言いませんよ」
「準備は出来ている。来週末、慰安旅行に行こう」
「本当ですか?」
「ああ。来月末はそなたの誕生日があろう、祝いだ」
「やったー、嬉しいなー。あ、でもスケジュールは大丈夫ですかねぇ、私の」

棒読みだ、清々する程に。
手帳を取り出し、あってない予定を確かめる振りをしている横顔を見やる。

「私のスケジュールがそなたの肌の如く白いのは記憶しているが?」
「ふぅ、来週は大学で文学部の講義があります。暇人のブライアンがファーストにめげず何度も話し掛けては馬鹿にされて、とうとう日本語を勉強すると言い出し、生徒に混ざって文学部のカリキュラムに参加しているんですよ」
「ほう、確かに暇人の様だ」
「と言うか、ご存じですか枢機卿。ブライアンはスミス家の一人息子だった様ですよ?彼の父親も学者だった様ですが、研究一辺倒でお家を潰した様ですねぇ」
「マイケル=スミスは養子だ」
「おや?そうなんですか?」

きょとんと首を傾げ、左手に握ったペンをくるくると回している二葉は、本当に知らない様だ。考え事をしている時は何らかの手遊びをしている男は、己の癖に気づいていない。例えば嘘を吐く時は右手の中指で頬を掻く癖がある事など、一体何人の人間が気づいているのだろうか。

「ほう、そこは調べてはおらんか。マイケル=スミスの本名は、マクシミリアン=ヴィーゼンバーグ。マチルダ=ヴィーゼンバーグがレヴィ=グレアムとの離婚後に再婚した後、愛人との間に出来た息子だそうだ」
「おやおや、怖いですねぇ、大人の性欲は。私の様に清らかな天使は存在しないんでしょうか。恋だの愛だの、人間には不要な感情です」
「そなたは情熱的な男だ。そんな男ほど、恋だの愛だのと言った感情に躍る」
「まさか。うふふ、私に愛を乞う者は掃いて捨てるほど居ますが、私が愛を乞う事などある筈がないでしょう?」
「そなたの様に美しい仔猫であれば、愛を乞わぬ者はなかろう」
「そうでしょう、そうでしょう。私はいずれ陛下と共に世界を制覇する仔猫ですからねぇ、恋愛などにうつつを抜かしている暇はありません」
「旅先は日本」

ピタリと動きを止めた二葉は、完璧な笑顔のままペットボトルを煽った。
ごくごくと緑色の液体を喉へ流し込み、ぷはーっと長い息を軽快に吐き出す。

「おや、日本ですか。フジヤマブラボー、カミナリモンアメージングと叫びますかねぇ…」
「手始めに京都、更に首都東京を予定している。他に行きたい所はあるか、セカンド」
「おやおや、旅のしおりを作らねばなりませんか?」
「叶の屋敷へ案内しろ。そなたの保護者に用がある」
「龍の宮に会ってどうするんですか。そんな面白味のない旅先より、痴漢がしょっちゅう出ると言う山手線に乗りましょうよ。正当防衛と言う台詞一つあれば、うっかり人前で殺してしまっても許されるのか、是非とも試してみたいんですよねぇ」
「ネイキッド」

饒舌な二葉を、己で名付けた名前で呼んだ。
ピタリと口を噤んだ二葉は笑みを消し、手渡した紙幣を降りながら不機嫌そうに足を組む。

「うぜぇ、日本なんざ富士山しかねぇだろうが」
「足を運んだ事はあるのか」
「テレビでな」
「それを行ったと言えるか、甚だ疑問ではあるな」
「叶方には俺がアメリカにいる事は伝えてあるが、お前の愛人になってる事は知らせてねぇんだよ。無能な楼月は無能だが、己に不利な事は言わねぇ野郎だ」
「だからこそ、挨拶に行っておこうと思ったまで。何か不服があるか?」
「…文仁を相手にしたくない」
「次男か。相当な修羅場を潜っている様だが、それほど腕が立つか」
「冬臣兄さんについては知ってる事のが少ねぇけどな、文仁が糞程強いのは知ってる。…目の前で見た」
「ほう」
「冗談じゃねぇぞ、お前なんざ確実に殺されるからな」
「それは面映ゆい」
「言ってる場合か!」
「心配しているのか?」

揶揄いを含めて囁けば、目を丸めた二葉は奇妙な表情だ。
そんな訳あるかと吐き捨ててそっぽを向いているが、自覚はないらしい。

「やはり、叶冬臣に会っておこう。案じるな、今までの所、私を殺せた者はない」
「…どうなっても知らねぇからな」
「ああ。平和的に済ませる、期待しておけ」
「死ねカス」
「行きたい所はあるか、セカンド」
「…別に」
「そなたの誕生日だ、そなたが好きに選んで良い」

言えば、二葉は暫く考えていた。
折り畳んだ紙幣を握った手の甲で、トントンと組んだ足の膝を叩いている事からも、明らかだ。

「本場のヤクザの家」
「ほう」
「俺の実家とどっちがデケェのか、興味がある。資産価値も査定したい」
「そなたは余程計算が好きと見える。経理監査部向きか」
「ほざけ。俺の仕事が早すぎて、ネルヴァから経理部には近寄るなと釘を刺されたばっかだっつったろ。経費切り詰めて浮いた金をアンタの口座に流したら、一時間でバレた」
「私には給与がない。送金があれば誰もが怪しもう」
「小遣い貰ってんじゃねぇのか?」
「一度きりの事だ。日本を離れて間もなく、私の保護者を気取りたいのであれば小遣いを寄越せと言った事がある。キングは表情一つ変えず、私に一億ドルを与えた」
「一億ドル…?!」
「当時のレートで日本円換算すると、140億余りになったか」
「そら、三万ドルの送金なんざ、屁ともねぇわな…」
「それを元手に、ランクB相手に金を貸している。金利は一般の銀行同等だが、私に返済しない者はない。儲かる一方だ」
「成程…嫌われてる割りに命を狙ってくる奴が居ねぇと思ったら、そう言う仕掛けか。…呆れた、今度からボーナス寄越せ」
「良かろう」

蝉が空に影を作った。
偽りの人工物でも、太陽は何と目映い存在だろうか。

←いやん(*)(#)ばかん→
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