帝王院高等学校
スライディング土下座で重傷必至!
「いつ死んでも構わないんだけど、どうせなら派手に死にたいんですよ」

その日は機嫌が良かった。
下らない質問に答えてやろうと思うくらいには、世界が輝いて見えたものだ。

「俺は実の姉を殺した犯罪者だから、地味な死に方では納得しない人が大勢いらっしゃる、ってねぇ。俺が産まれてきた事を快く思わない奴らは、数え切れねぇほど居る訳だ。それこそ天文学的数値で」
「悲しい事を笑顔で言うものではないよ、ミッドナイトサン」
「事実を有り体に言っただけですよ。悲しむ要素は一つとして存在しない。人間は単純な生き物でしょう、ブライアン?」
「…それが本音かい?テイラーを心身共に痛めつけて、君の心は平気だと?」
「哲学的な事を言いますねぇ、枢機卿の血縁者とは思えませんよミスター。妻子を捨てて仕事を選んだ男とは、とても思えない」

穏やかな男だ。いつもは。
激しい嫌悪を滲ませた眼差しを見たのは、それが初めてだった。教え子でもある同僚が入院したと聞いて、余程心を痛めたのだろう。だからと言って、被害者と加害者を混同して貰っては困る。

「枢機卿を熱心に崇拝していたIQ130程度の研究員が、何を狂ったのか一回り以上年の離れた子供に手を出した。俺が何をしたって、警察の判断は『正当防衛』、覆る事はない」
「…君は」
「例えば俺が、枢機卿が戯れで相手にしてゴミ同然に興味を失った哀れな研究員を、優しく宥めてやって、それで奴が思い違いをしたとしても」
「君には、心がないのか?」
「9歳の餓鬼に捨てられて、9歳の餓鬼に手を出した犯罪者が頭蓋骨陥没で全治半年に陥ろうが、俺が裁かれる事はない。2年前に地図から消えた国の内戦が終わって、喜んだ人間は多かったが、絶望した人間は果たして存在したか?」

論破する事。
つまりは方程式を解いてしまう事。
それ以上の幸せなど、数学の世界には存在しない。ただただ、あるがままを受け入れて、ゴールと言う名の回答を弾き出す。そこに余計な抵抗は必要ないのだ。

「例えば俺が、テロリスト達の拠点だった町の水源にバケツ一杯の水銀を流したとして。例えばそれで、テロリスト以外の被害者が幾らか存在したとして。誰が俺を裁く?」
「…」
「人は歓喜した。神なんか何処にも存在しない。ドイツ軍が救援に行った小さな国の戦争を、終わらせろと命じたのは神その人だった。ブライアン=シーザー=スミス、聡明な物理学教授の見立てを是非とも伺いたいですねぇ」
「私の、何を聞きたいんだ?」
「既にこの世には居ない女が大切にしていた、幼児への読み聞かせに用いる絵本の中には、王子様とお姫様のハッピーエンドばかりがしたためられていたそうです」
「!」
「アイリーン=フェインが彼女の形見を送ってきました。一度で良いから会わせて欲しいと懇願していますが、枢機卿がそれに応える事はないでしょう。何故ならば彼は、コード:イクスではなく、コード:ルーク。名実共に、グレアム男爵になられましたからねぇ」
「…カエサルは、テイラーの事を知っていたのか?」
「ええ。枢機卿はただの退屈凌ぎでリチャードの求愛に応えられただけ、それ以前に、貴方の同僚でもある文学部教授が枢機卿に手を出したのはご存じですか?」
「何と言う…」

無知は罪だ。
知らなかったと言う言い訳が通用する様な、生易しい世界だったなら、誰もが幸せになれたのだろうか。或いは、誰もが不幸だったのか。平等に。

「全身を撫でられたが、何がしたかったのか判らなかった。と、枢機卿は仰いました。なので私は『精通したら判るのでは?』と申し上げた。何も彼も平然とこなしてしまうあの方は、間もなく精通したと仰いました」

ああ。
何て不平等な世界だろう。秩序など僅かも存在していない。
自分がいつか『太陽』を失った様に、等しく全ての人間が暗い暗い夜の世界に落ちてしまえば良いのに。月も星もない、真っ暗な世界で嘆き苦しめば良いのに。

「何人に声を掛けたのかは定かではありませんが、その後たった三日で五人と寝た事は把握しています。六人目に偶々、向こうから分厚い手紙を渡してきたリチャード=テイラーが陛下の退屈凌ぎの相手になっただけ。然し性別が違うと勝手が違ったのか、とうとう勃たなかったそうです。無理もない、リチャードは陛下にラブレターを渡すまでヘテロだったそうですからねぇ」
「…ああ、神よ」
「哀れな馬鹿は、優しく宥めてきた私に言いました。馬鹿なりに、馬鹿な事を。自分が下手だったから捨てられたのだと、ああ、思い出すだに愉快ですねぇ!笑ってしまいそうになるのを何度堪えた事か。私は彼の気持ちが判ると言いました。同性に対して募らせてしまった恋心を、」
「もう良い、次の質問に答えてくれるかね」
「最後まで聞かなくても宜しいのですか、お祖父様?」
「私は君の祖父ではないよ、ミッドナイトサン」
「ええ、知っています」

くすくすと、叶二葉は忍び笑いを零した。
長い溜め息を零した目の前の男は、いつもの能天気な笑みを忘れてしまっている。

「俺の事を知りたいんでしたねぇ。ケルベロス教授は辞表も出さずに旅立ってしまわれて、貴方の研究材料が減ってしまった」
「研究材料なんて思ってはいない。私の質問には何の意図も込められていない。君達と親しくなりたいだけなんだ」
「おやおや、嬉しい事を仰いますねぇ。だからと言って、どうなっても構わないんだけど、本当はねぇ」

ああ。
何て不平等で無慈悲な世界だろう。一秒一秒、針の筵を歩かされている様だ。

「会いたくて堪らない人が居るんです」
「会えないのかい?」
「…待ってたけど、どうせあの時は怪我が酷くて近寄れなかった。俺の顔が好きだって言ってたのに、顔に包帯巻いてちゃ見せられない」
「君にそんな相手がいたと言うのは、初耳だな」
「だけど怪我はとっくに治った。でもきっと、こんな俺を知ったら嫌われる。だから会いたいのに会いたくない。退院した事を知って、出逢った場所でずっと待ってたけど、サマーバケーションは終わった。歳を一つ取った。誕生日を祝う習慣なんか、少なくとも俺にはない」
「誕生日?」
「日本に居たがる俺と、日本に飽きた飼い主が賭けをした。6歳の誕生日プレゼントは、空に近づける飛行機。そうだ、アイツが居なくなった」
「アイツ?」
「エアフィールド。奴は空軍でもない癖に飛んでいって、俺は空軍を手に入れたのに、太陽には近づけない。秋が過ぎて冬になった。だからアキは何処にもいない」
「?」

日本語では通じないのも無理はない。
日本人にしか判らない事を言ったからだ。

「俺には誕生日を祝う習慣なんかなかった。けど、初めて他人の誕生日を祝おうと思った。傷は漸く綺麗に消えて、あの時だったら会う勇気が出ると思ったんだ」

けれどその日。
6歳だった1月30日、日本は雪だった。
寒い中、花屋の在庫は酷いもので、寄せ集めの花束を抱えて病院へ行ったのだ。住所を知らなかったから、カルテを失敬しようと思っただけ。

けれど山田太陽と書かれた患者のカルテに記載されていたのは、軽度記憶障害の文字だった。事件直前の数週間を覚えておらず、退院後も暫く通院していたが、記憶が戻る気配はないと。

「会う勇気なんて消えてしまったんですよ。寧ろ安堵すら感じました。俺を見てもあの子はきっと、その他大勢の他人と混同するんです」
「悲しかったのか?」
「いいえ。もし会えたとしても、きっと俺は知らない振りをしてしまうでしょう。だけどやはり、忘れられた事を恨んでいるのですよ。みっともないでしょう?あんなに恐い思いをして、一週間も意識がなかったなら、仕方ない事なのに」

男は首を傾げた。
無理もない、二葉の台詞には足りない言葉が多すぎる。けれどそれを指摘しても二葉が素直に答えない事を、彼は良く知っていた。少ない言葉から何とか理解しようと、握ったペンでメモをトントンと叩いている。

「判っていても、納得は出来ないと言う事か」
「毎日毎日、無性に腹が立ってならない。理由なんて本当はないんです。更年期障害のババア共と一緒なんですよ。死んでしまえば良いのに。醜い癖に綺麗な思い出に必死でしがみついてる、阿呆な俺なんか」
「…他人を傷つける事で、自分より劣る人間が居ると思い込みたいのか。けれどそれは、誰の為にもならない事だよミッドナイトサン」
「ええ、何の利益もない、ですからとんだ笑い話でしょう?笑っても良いんですよ。数学の様に美しい存在でいられない醜い人間など、消えてしまえば良いのに…って。少なくとも私はそう思います」

教授は沈黙していた。
あの時、何を言われていてもどうせ言い返していただろうから、彼の選択は正しかったのだ。

























何故、お前はいつも嘲笑わない。
何故、お前は私を恨もうとしない。

愛されて産まれたお前は、幸福でなくてはならないのに。


考えた事はないか。
私さえ存在しなければお前は幸福だったのだ、と。
私さえ存在しなければ良いと。


私のつまらぬ退屈凌ぎで、お前は酷く苛立っただろう。
私はお前の兄などではない。

お前に、憎まれる事さえない。
お前に、求められる事もない。
お前が呼ぶ『兄』は、私ではないのだから。

永劫、この渇きは満たされない。

私とお前に対等なものなど何一つ存在しない。
私は心底、お前が憎いのだ。
失ってばかりの私とは違って、お前は全てを手にしていた。与えられた事のない私とは違って、お前は全てを与えられていた。正に神の子。王の駒。


太陽の島国からやって来た、侍の子。王の器。
その統率符は『ナイト』。私にはとうとう与えられなかったその銘は、お前を神の元へと導くだろう。

なのに何故。
どうして信頼を押し付けようとする?
疑っている癖に、そんなに辛い表情をするのなら、どうして笑っていられる?



常に与える立場であるお前が、愛しさと取り違えるほどに、私は憎い。
けれどそれは身勝手な考えだった。



神の子よ。
私をいつか兄と呼んでくれた、心優しい王の子よ。


あの日、お前は18歳だった。
あの日、気高く美しいお前の魂を殺意で染めてしまった冬の日に、時を巻き戻せるのであれば。


私は秀隆より先に、この手で私を屠るだろう。
穢れなき子供達を誰一人傷つける事なく、深紅の蠍の下で深紅の体液を散らした暁に、それまでの罪が全て購えるのであれば。














(その時こそ、お前は兄と、呼んでくれるだろうか)












「何だあれ、かっちょいい…!」

色とりどりの緑に隠された、深紅の煉瓦が見えてきた。
芝生の上に突如として現れた、魔方陣じみた煉瓦道の中央、聳える深紅の塔は木々の隙間からほんの少しだけ、空へと頭を覗かせている。

「あれがスコーピオ、学園に時間を報せる時計台だ。上の方に羅針盤の形をした時計が飾られてるのが見える…ほら、あそこ」
「あの青い奴?デケェ…!」
「この辺りは人が少ない筈だ。学園長と理事会役員以外は、基本的に用がない場所だからな」

塔は煉瓦道から続く煉瓦の階段で、芝生よりずっと高い位置に入口がある様だった。真っ直ぐにその階段を登るものだと思っていた斉藤千明は、階段ではなく芝生の上を歩いて裏手へと進んでいく背に目を丸める。

「あ、おい、榊、何処行くんだよ。中に入るんじゃねぇの?」
「…いや、入らない。問題がない事を確かめるだけだ」
「問題?」
「ステルスが紛れ込んでいないか」

しなやかな背中は振り返る事なく、榊が歩いて行く方向へと斉藤は足を動かした。静かな所だ。そよそよと木々を撫でる風の音が聞こえてくる。さくさくと芝生を踏む足音も、都会では聞き慣れない音だった。

「もしも紛れ込んでたら?」

肩越しに振り返った男の口元は見えなかった。
木漏れ日を反射させた眼鏡が光って、目元もまた、良く見えない。

けれど笑っている様に思えた。
とても穏やかに、一切の邪気なく、ゆったりと。

「………あんまやり過ぎんなよ?」
「何を」
「ロード」

芝生が鳴いている。
風鳴りに共鳴して、ざわざわと。
ぴたりと足を止めた男の背中を見た。振り向くのを待ったが、振り向いてくれる様子はない。

「キングが言ってたろ。俺的には『道』?って感じだったけど、お前、指が震えてたの知ってるか」
「…さぁ」
「俺が知ってる事なんてさ、超少ねぇんだ。高校の時に嵯峨崎会長と知り合って、秀隆さんの様子を教えてくれって言われてちょっとしたスパイになった気分だった。餓鬼みてぇだろ、事態が全然判ってない」
「知らない方が良い事もある。今回のは間違いなく知る必要は、」
「秀隆さんに何か事情がありそうなのは、初めから知ってたんだ。俊江さんは遠野総合病院の娘で、外科医で、8区にそれを知らねぇ大人なんか居なくて、秀隆さんは年下で、遠野だから婿入りしてる訳だろ?なのにボロアパートに住んでて、宝くじが当たったから引っ越してきたっつー訳よ。近所の餓鬼は、宝くじ御殿なんて言う馬鹿も居やがる」

森の中、ぽっかりと開けた煉瓦と芝の上は風が躍る舞台の様に。
囁く様な声音を拐っていく。次から次へと。目の前の背中に届けては、大気へと帰る。

「俊が小学校で遠巻きにされた理由の一つだろうが、本人は何とも思ってねぇ。寧ろ自分から一人になりたがってた様に見える。同年代の誰と比べても体がデカくて、大人びてて、ランドセルが似合わなかったな」
「…」
「だからお前が真っ先に俺に話し掛けてきた理由、今なら判るんだ。あの時は余計なお節介焼きやがってヤンキーの癖に、なんてビビりながら思ったけど、嵯峨崎会長と同じなんだろ?」
「…」
「秀隆さんが気になった?」
「ああ」
「理由は多分、罪悪感」
「…事情を知らない割りに、鋭いじゃないか」
「だけどカルマに入り込んだ理由は違うんじゃねぇ?カフェの中でのお前は餓鬼共とは一線引いてるっぽいけど、一人だけ例外があるよな?」

諦めた様な溜息が聞こえてきた。微かに。
すたすたと歩き出した背中を追い掛けて、深紅の建物の裏手に出てみれば、石造りの壁の上に手すりの様なものが見える。上にバルコニーかテラスでもあるのかも知れない。
暫く手すりを見上げていた榊は、石壁に背を預けてスラックスのポケットを漁った。取り出した煙草のパッケージを覗き込み、舌打ちと共に握り潰している。

「煙草くれ」
「ねぇよ、高校卒業と同時に辞めたっつーの。知ってんだろうが」
「餓鬼の癖に中学から喫煙しやがって」
「もう二十歳ですぅ、選挙権もあるし免許も持ってますぅ。今日はババアが車使ってるから、持ってきてねぇけど」
「母親をババア呼ばわりするな。バチが当たるぞ。いや、寧ろ当たれ」
「向こうも糞息子っつってっから、良いんだよ。つーかお前、最近煙草の量増えすぎだぞ?カルマは全員禁煙してんだろ?すんこはそう言うところ口煩いからな、金が勿体ないからやめろやめろってさ」
「健康を損なう恐れがあるからだろう」
「馬鹿、俊江さんのパーフェクト節約術を知らねぇからだよ。無駄遣いしたら殺されるぞ」
「…殺される、か。殺されるだろうな」
「は?」
「俊江がシンフォニアだと、オリオンは言った。けれどそれは間違いだ」

話が擦り変わった。
斉藤はそう思ったが、榊にとっては擦り変えたつもりはない様だ。

「遠野夜刀が直前で阻害したそうだ。オリオンの用意したDNAサンプルを取り替えて、榊夫婦に保管させた」
「オニオン…じゃなくて、オリオン?」
「かつて天才と呼ばれた男だ。キングの円卓で唯一ランクSを許された、コード:ケイアスインフィニティ」
「ランクSって、男爵以外に貰えるのかよ?」
「つまり、メアの立場に等しい。配偶者ではないからメアの銘は与えられていないが、60年前レヴィ=ノアが死んだ際、爵位を継承したキングが作った円卓の1位枢機卿が、特別機動部マスターオリオンだった」
「…どう見ても還暦過ぎてる様には見えなかったよな、お前の兄ちゃん。30代で普通に通用すんぞ、マジで」
「オリオンはレヴィ=ノアの円卓で特別機動部員だった頃に、技術班を創設した。弟のシリウスと共に、彼らが携わった研究題材はシンフォニア計画。その実情は、キング=ノアの延命だったらしい」
「…延命」

その辺りは多少、知っていた。
グレアム一族には代々、アルビノが産まれて来たそうだ。レヴィ=グレアムは日常生活こそ出来たもののやはり重度で、曇った日や雨の日に好んで出掛けたと言われている。
対外実働部副部長の権限で調べられるのはその程度で、興味があっても嶺一に尋ねるのは憚られた。スパイの真似事を子供にさせている事を悔やんでいた嶺一は、事ある事に『やめても良いわよ』と言ったものだ。

「始まりは、兄様の臓器を取り替える為に。いつしか技術班では、脳移植まで議題に上った。兄様に近いDNAを持った体を産み出し、脳を移し変えれば」
「クローン?」
「少し違う。完全な複製では、障害を取り除く事は出来ないだろう?当初はクローンで実験した様だが、全て失敗した様だ。そもそも、人として誕生する事も出来なかったと聞いた」
「誰に」
「オリオン本人から」
「…はぁ。で、お前は頭に来ないのか?」
「俺が?」
「そのオリオンの所為で産まれたんだろ、お前らは」
「ああ、そうとも言えるな。だが、俺とクリスティーナを作ったのはシリウスだ」
「オリオンの弟?」
「ああ。オリオンは神の領域に踏み込む事を恐れ、ステルシリーを去った。レヴィ=ノアとナイト=メアが死んで間もなく、天の定めた寿命に逆らう事は不可能だと痛感したそうだ」
「何か、医者みてぇな事言ってんな…」
「そう。その失敗から、オリオンは医者になる事を決意した。彼の亡き父親は、全財産を捨てて診療所を作ろうとした男だったらしい。志半ばで、身内に殺された」

ドラマかよ、と。
呟いた斉藤は座り込む。榊が握っている潰れた煙草のパッケージを奪い取り、ズボンのポケットへ突っ込んだ。ゴミはゴミ箱へ、だ。

「じゃ、オリオンはアメリカから逃げて、どっかで医者になったんだな」
「そう言う事だ」
「弟はアメリカに残って、研究を続けた」
「ああ」
「クローンが無理ならお前は何なんだよ」
「レヴィ=ノアとマチルダ=ヴィーゼンバーグの残ったDNAを培養し、人工的にDNAの欠損を補わせて、代理母に出産させたのが妹。レヴィ=ノアとナイト=メアのDNA配列を結合し、マチルダと同じ血液型の女の卵子にインサートして誕生したのが、俺だ」
「訳が判らない。ちょっと待て、それじゃ、お前と妹は腹違いて種違いで、兄妹なのに兄妹じゃない感じ?」
「一緒に育てば、家族だ」
「そりゃそうだろうけど、倫理的に駄目じゃん、色々と…」
「だろうな」
「お前の妹…クリス何とかだっけ?元気なの?」
「ああ。子供が二人もいる」
「マジか」
「片方はエアリーが産んだ」
「はぁ?!」

大声で叫んだ斉藤の口元を、榊は慌てて押さえた。
キョロキョロと辺りを見やったが、警備員の姿などは見えない。

「声がデカい…!」
「ご、ごめ…。ちょっと待て、エアリーが産んだって、もしかしてそれもお前の…?」
「違う、俺の子じゃない。エアリーが産んだのはクリスティーナの子だ。母胎を貸しただけ、と言えば判るか。当時クリスティーナはまだ13歳だった。産める産めないの話じゃない、アビス=レイがクリスティーナに手を出していたら殺している」
「…シスコン…」
「煩い」
「アビスレイっつったな、対外実働部副部長の前で。迂闊だぞバカキ、俺は判ってしまったんですからね」
「…」
「嵯峨崎零人の事かよ」
「…」
「お前にとっては甥になる訳だ。なし崩しに、フェニックスも」

斉藤はガリガリと頭を掻いた。
深い深い溜息を零し、空を見上げる。

「だよなぁ。考えない様にしてたけど、フェニックスはステルシリーの右元帥だもんなぁ。カルマじゃ厳ついおっかさんみたいだから忘れてたぜ…。何だかなぁ、すんこに尻尾振ってるサーファーがいきなり上司とか言われても、俺参っちゃうよ。大体、ネクサスが毎日張り付いてる筈なのに、俺を見ても知らん顔しやがったもんな、嵯峨崎佑壱君は…」
「他人の顔に興味がないんだ。それと、オーナーは鼻と耳が良い。アンドロイドは無臭だが、人には体臭がある」
「やだ、犬みてぇな見分け方されてるなんて知りたくなかった」

乾いた台詞がまた、風に拐われていく。
暫くの沈黙の後、長い溜息を吐いたのはどちらだったか。

「…痕跡を」
「ん?」
「残しておく訳にはいかないと思った」
「此処に?」
「ああ。俺にとっては神にも父にも等しい、それでも実際は未成年の子供でしかないファーザーが、年相応に生活出来る事が望みになっていた」
「そっか」
「綺麗事に聞こえるか」
「ちょっと…っつーか大分?盲目過ぎない?」
「だろうな。然し、狭い視野が広がる事はない」
「三つ子の魂、百まで」
「初めは嬉しかった事を覚えてる」
「ん?」
「妹と引き離されて、兄様とは結局、殆ど会話出来ないまま。初めて訪れた異国の地で、俺を兄の様に慕ってくれる子供が居た」
「えっと、それって…」
「初めは良かった。心優しい夫婦は、前以て用意していた形式上の挨拶だけで他人を家へ招き、あまつさえ、国籍がなければ不自由だろうと名前まで与えてくれた」
「…」
「帝王院の地が都と思えるように、帝都。ミカド。代理母から産まれた妹には名があったが、完全なシンフォニアだった俺には検体名しかなかった」
「ロードは?」
「ただのコードだ。ランクA〜Dのどれにも記されない、コードだけの存在。ランクSキング=ノアの影、ブラックシープだ」
「黒羊?」
「『仲間外れ』と言う意味がある。コードがあるのに名はない、俺はそんな存在だった」
「それまでの名前は?」
「検体名はアダム01。性別で変わる、ただのサンプルタグだがな」
「…何つーか、流石はステルシリーって感じだな。色々酷すぎる、映画より非道」

素直な意見だと思った。
感覚が麻痺している自分には思いつかない言葉だ。一般的ではないのは理解しているが、ありのままに受け入れてきた。いつも、全てを。一切の権利なく。

「秀皇は優秀だった。兄様へ報告する度に兄様が喜んでいるのが判って、何故秀皇ばかりと思う様になった。秀皇が兄と呼ぶのは俺で、だけどそれは兄様の事で、本当は俺の事じゃない」
「頭がこんがらがってきたけど、判る。何も言えねぇよな、それ。俺だって千景に俺以外の兄貴がいたら、確実に揉めるもんな…」
「秀皇から兄と呼ばれる度に苛立つ様になった。秀皇が築いた権利を奪い、資産を貯める己に飽きれもしたが、日が経つにつれて麻痺していくんだ。…私が何をしても疑いもしない秀皇が、憎らしかった。兄様への報告の頻度も減っていったが、怪しまれない程度には連絡を入れておいた。少なくとも、帝王院学園に私以外のステルスが紛れ込む事はないと判っていたからだ」
「何で?」
「ステルシリーには幾つかの社訓がある。グリーンランドは殉教地、日本は聖地として定められ、何人も国を汚してはならない決まりだ。監視の目が少ない事を良い事に、軈て帝王院財閥の経営にも携わる事になった」
「義父の人から言われたのか?」
「ああ。駿河様は多忙な方だった。秀皇が成人していれば側に置きたかっただろうが、学生の間は自由にさせたいと、財閥絡みで息子を呼びつける事は殆どなかったと思う。俺には叩き込まれたある程度の経営学の知識があったから、駿河様は手を貸して欲しいと仰られた」
「認められてんじゃん」
「その時はそうは思わなかったんだ。所詮、俺は秀皇の代わりだろうと。…妬んでさえいた」
「坊主憎くけりゃ袈裟まで憎いって奴か〜。もー、しょうがねぇよお前、色々一杯一杯だったんだって」

丸めた煙草のパッケージをぽんぽんと手の中で弄びながら言う、随分年の離れた青年へ目を向ける。ただの慰めかと思えば、どうもそうではないらしい。

「振られたり、兄ちゃんとのコミュニケーション不足だったり、慣れない国で生活したり、お前、めちゃくちゃ頑張ってたじゃん。今の俺とそんな歳も変わんねぇのにさ、頑張り過ぎてたんだよ」
「…」
「どんな理由があるにせよ、死ななきゃなんねぇ奴なんか居ねぇと思う。ま、俺の持論だけどな。俊にも言ったけど、お前にも言ってやるよ、榊」

伸びてきた指が、額をパシッと突いた。
何だと目を丸めれば、酷く真剣な眼差しが目の前にある。

「人を羨んでばっかだったお前は、俺がたった今ぶっ殺した。だから今からは、人に羨まれる様な男になれ。これは命令だ」
「…本当に、それをファーザーに言ったのか?」
「おう、言ってやったとも。自殺すると地縛霊っつー恐いお化けに魂を喰われちまって、金玉しか残らねぇぞってな。…凄い顔でビビってやがったぞ?」
「ぶふっ」

真面目な顔で言われ、怯えたと言う俊には悪いが、唇が勝手に吹き出した。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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