帝王院高等学校
保護者が揃ったらラスボスも逃げ出します
「は?父親に騙されて拉致られた?」
「馬鹿じゃないの、アンタら」

父親譲りの美貌を曇らせた山田夕陽の傍ら、山田太陽そっくりな猫目を眇めた巨乳はしゅばっと足を組み替えた。ボリューミーな胸元以外は肉付きの悪い体は、年齢に似合わない幼さを帯びて、何とも言えない色気を放っている。
頬を若干染めて俯いたワラショク常務の隣、眼鏡をくいっと押し上げた専務は巨乳が揺れようが弾もうが顔色一つ変えず、己のジャケットを脱ぐと社長夫人の足元にそれを掛けてやった。

「馬鹿ではありません奥様。この小林、うっかり油断しただけです」
「油断してんじゃないっつーの。で、何でコバのお父さんがそんな真似したわけ?」
「事情は全く判りませんが、どんな事情であれ必ず報復します」
「良く言ったんだわ。やられたらやり返せ、倍返しなんだわ」
「当然です、奥様。嵯峨崎財閥を敵に回す事になりますが、株式会社笑食グループの名に懸けてやられっぱなしではいけません。この一ノ瀬、粉骨砕身、倍返し致します」
「その通りです。この小林にお任せ下さい奥様、嵯峨崎嶺一会長は人格者として知られていますが、所詮中央委員会会長経験があるだけのオカマ野郎です。オカマは台所にあれば良いのです、お米を炊く為のものですからね」

胡乱な眼差しで勝ち誇った様に微笑んだ山田陽子に、常務と専務の二人は眼鏡を押さえながら頷く。恐ろしい笑い声を響かせ、そっくりな夫婦だ。

「小林守矢、ね。名前は覚えたわよ。顔はコバには似てないんでしょ?」
「はい、私はどちらかと言うと母親似です」
「ですが喋り方と佇まいがそっくりなので、一目見ればお判りになるかと」
「だけど、専務の父親は叶出なんだろ?」

山田一家の家訓はやられたらやり返せ。無害な長男不在の今、魔女と次男のタッグは最強最悪だ。
どんな仕返しをしてやろうかと、陽子の悍しい笑みにつられて悪どい笑みを浮かべている小林夫婦を横目に、至極冷静な夕陽は首を傾げた。叶と言えば、山田夕陽が日本で最も嫌っている、あの叶二葉が思い起こされる。

「叶、またその名前が出てくんの。うちはよっぽど叶と縁があんのね」
「どう言う意味ですか、奥様?」
「太陽が二葉君と仲良くしてるそうなんだわ。会ったけど良い子だったわよ、ぱっと見だけは」
「叶二葉ですか。また、とんでもない男と接触なさいましたね、奥様。小林は心臓が止まりそうになりました」
「一ノ瀬の心臓も止まりそうになりました。…叶二葉は、現中央委員会会計です。用もなく一般客に近づいてくるとは思えません」
「風紀委員長も兼業してんでしょ?私も思ったわよ、あんなイケメンがのこのこ近寄ってくるんだもの、何か裏がある筈だわ。結局、大空に用があったみたいだけど」
「おや、坊っちゃんに?」
「それでは奥様、榛原…社長は叶二葉に連れていかれたんですか?!」

くわっと目を見開いた常務の大声に、黙っていた平田洋二は声もなく飛び上がった。
人質になるわよね、と、魔女山田陽子に笑顔で脅された哀れな作業着は、何度も首を振ったが、最終的には小林夫婦が巻かれていたロープです巻きにされている。自業自得だが、一介の高校三年生には太刀打ち出来そうもない。レジスト副総長が童貞だとバレるのだけは、どうにか避けたかった。

兄であるレジスト総長の平田太一は、見た目は熊だがヤリチン熊なのだ。4月生まれと3月生まれの同い年兄弟は、双子を自称しているが、見た目も中身も似ていない。

「会長が呼んでる、っつってたわね。二葉君が会長って言うんだから、中央委員会会長って事なんだわ、多分ね。で、今の中央委員会会長も二葉君と同じ三年生?」
「ええ。ルーク=フェイン=ノア=グレアム。学籍には帝王院神威と記されていますが、ステルシリーソーシャルプラント現会長、つまりグレアムの当主です」
「コバ、判り易く言って」
「『最強男爵』」
「ふ、俄然燃えて来るんだわ。敵は強ければ強いほど、いい」

小林守義の台詞に一ノ瀬と夕陽は口を噤んだが、陽子だけはうっとりと唇を吊り上げる。太陽は完全に陽子のコピーだろう、RPGをプレイしている時の山田太陽に余りにもそっくりな表情だ。

「帝王院って事は、遠野課長の?」
「一応は、息子と言う事になります。母親はサラ=フェイン、彼女は既に死んでいる様ですが、詳しい所は不確かです。私は高等部を卒業し、都内の最上学部キャンバスに通っていた頃でした」
「高等部に進級した頃から、遠野課長は登校していませんでした。サラ=フェインが妊娠したのはその頃ですが、出産したのは社長と私が2年の頃です。それから1年半後、社長と遠野課長は学園から去っています」
「ふーん。そっか、一ノ瀬常務は大空とクラスメートだったんだっけ?つー事はSクラスか、賢いんだわ」
「一ノ瀬は常に三番でした。この小林は常に帝君でしたよ、奥様」
「…事実だけど、今それを言う必要あるのか、守義さん?」

弾ける笑顔の専務に、常務の目が刺さる。
勉強は出来ても人としての色々が全く足りていない専務に何を言った所で、余りにも無意味だ。

「登校してなかったなら、居なくなった事に気づいたのはいつだったの?」
「…卒業式典後でした。愚かな話ですが、それまで二人は学園内に居ると信じていたんです」
「一ノ瀬は半狂乱で私を訪ねて来ました。陛下と坊っちゃんを出せと迫られましたが、勿論、私は行方を存じ上げておりません」
「あー、大空が私の家に上がり込んでた頃か。私が就職して、大空と父さんが会社を作るって盛り上がってたんだわ」
「村井先輩のお力添えがあったからこそ、ワラショクの礎となる小売業の発足に至りました。ふふ、村井顧問はYMDで勤められている間、色々な資格を取得なさっておいででしたからねぇ」
「母親の実家が販売業やってて、そっちの親から婿入りの打診があったそうよ。結局、大手企業を辞めるのはどうかって親戚に嗜められて、もしもの時の為にあれこれライセンスだけは取ろうと思ったって」

陽子の記憶の中では、真面目で優しい父親と少し我儘な所もあったが旦那を愛していた母親の思い出が、少しだけ残っている。姉さん女房気質の尻に敷かれていた父親は、家の中ではただただニコニコしているだけ。男を作って出ていったと聞いた時は、母親に対して怒りを覚える前に、やはりかと言う思いが心の何処かにあったのだ。甘やかすからそうなるのだと、大好きな父親に対して。
だからか、若年性アルツハイマーでぼけた祖母の面倒を根気よく看ていた祖父が、最終的には望まれるまま離婚した時にも同じ様な事を思ったものだ。村井の男は二世代に渡って身勝手な女に振り回されるのかと、苛立った事は忘れない。

「男なんて、つくづく馬鹿な生き物なんだわ」
「おやおや、随分な仰り様ですねぇ。確かに男は、総じて単純な生き物です」
「最強男爵って、どのくらい最強なわけ?カルマのシーザーくらい?」
「仰っているカルマのシーザーが誰なのかは知りませんが、帝王院秀皇の息子と言うだけで、日本では敵なしではありますね」
「遠野課長には子供が居るんじゃなかった?確か、私より先に奥さんが出産したとか何とか…。そうだわ、遠野総合病院の鬼畜女医!」
「ええ、外科医でらした奥様は、息子をお産みになられました。ご子息の名前は遠野俊、現一年Sクラス帝君であり、太陽坊っちゃんが所属している左席委員会会長でらっしゃいます」
「最強かどうかは謎だけど、立場だけなら帝王院中央委員会会長に並ぶと思うよ。僕としては、あんな気色悪いオタク野郎、アキちゃんの上司なんて認めないけどね」
「夕陽の個人的な評価は話半分聞いとくんだわ。アンタは太陽以外どうでもいいブラコンだし、太陽に近づく奴を片っ端から敵視し過ぎ」

次男の個人的な意見を信じていない陽子は、す巻きにされている平田を見つめ、口を塞いでいるロープだけ外してやった。

「ラスボス蹴散らせば終わるんだったら、簡単だわね。ただこの場合、ステルシリーが敵なのか、グレアムが敵なのか、正確な所はどうなのよ」
「それについては、この小林にも判りません。どうやら理事長が陛下を丸め込もうとしている様ですが、事の発端はキング=ノア=グレアムです」
「キングねー。コバは主観しか言わないから、常務はどう思ってる?」
「じ、自分、ですか?どうと言われても…そう面識がある訳ではないので、申し訳ありません奥様…」

口ごもった一ノ瀬に眉を跳ねたものの、小林専務に比べれば常識的な一ノ瀬が隠すと言う事は、それなりの理由がある筈だ。
三年生だと言う平田ならば、遠野俊はともかく、帝王院神威の事には幾らか覚えがあるだろうと陽子は目を向けた。

「平田君や。ちょっと聞きたいんだけど、その帝王院会長ってどんな子?」
「どんな子と言われても、俺ら同じクラスじゃないんで…」
「同級生でしょ?初等部から一緒だったんじゃないの?」
「ち、違いますよ!帝王院は中等部の終わり頃に、イギリス分校から来たって聞いてます!つーか、初めから帝君だった様な奴と接点なんかありませんって!」
「帝君って、首席の事か。コバみたくめちゃめちゃ頭が良い訳ね。はん、どうせモテないガリ勉眼鏡でしょ」
「生憎、モテないガリ勉眼鏡は遠野左席委員会会長の方だよ、母さん」
「イケメン過ぎて近寄りたくもない課長の息子なのに、本気で言ってんの?」

夕陽と平田の台詞で混乱した陽子は不細工な表情で沈黙したが、挙動不審な一ノ瀬に気づくなり、眉を寄せる。

「常務、キョロキョロして何?おしっこ?」
「違います!あの、その、奥様、良ければ…これを…」
「何?」

観念した様にスマホを差し出してきた一ノ瀬に促されるまま、陽子はディスプレイを見やった。いやにきらびやかな雑誌の表紙を写した画像データのフォルダが表示されているが、フィーチャーフォン世代の陽子には操作が出来ない。

「ヤス、やって」
「ったく、いつまでも古い携帯使ってるからだよ。アキちゃんの携帯なんて、未だに母さんが昔使ってたお子様携帯じゃん」
「壊れてないから勿体ないじゃないのよ。太陽に新しい携帯買えって小遣い渡しても、すぐゲームに使い込むんだから」
「一ノ瀬常務、これってもしかして、ABSOLUTELY?」
「あぶそるーとりー?」

どうやら太陽の英語力もまた、母親からの遺伝らしかった。
旦那からの視線をビシバシ感じながら、一ノ瀬は静かに頷く。

「実は、その、自分は歴代ABSOLUTELYの記事を集めているんです…」
「どう言う事ですか薫、お前は私と言う亭主がありながらこんな若造にお尻を振っていたなんて…。今夜はじっくり話し合う必要があります」
「ないよ!馬鹿、守義さんが作ったチームだからじゃないか!お、俺だって、ABSOLUTELYに入りたかったのに…!」
「合気道を少し囓った程度のお前を街に連れ出すなんて、冗談ではありません。第一、あの頃は私を毛嫌いしていたではありませんか。それ所か、陛下に相手にして貰えなくて、親衛隊を引き連れて勝手に抜け出していたでしょう?」
「ちょ、知ってたのかよ!」
「ええ、まぁ。お前の悪い所など数えればキリがありませんが、良い所も知っていますよ」
「空気読めバカップル、いちゃついてんじゃないんだわ」

べしべしっと専務夫婦の頭を叩いた社長夫人は、データフォルダを一通り確認した後に、勝ち誇った様に着ているTシャツを撫でたのだ。バーンと胸を張り、弾けんばかりの乳をたぷんと揺らす。

「こっちの黒髪の細い子は二葉君だわね。顔を隠したって体で判るんだわ」
「叶二葉は昔からこんな感じだったけど、181cmもあるのか。クソ、デカければ良いってもんじゃないし…」

太陽より大きいとは言え、細身の双子は共通している。170cmを越えていても、太陽と同じく少食で太らない夕陽は舌打ちした。坊主憎ければ袈裟まで憎いと言うが、夕陽は二葉に関わる全てが憎いのだ。二葉が吐き出す二酸化炭素すら憎い。

「こっちの金髪が、中央委員会副会長の高坂日向だよ。うちのヘタレ副会長に比べれば、人格者って言えなくもないかもね。ホスト校の代表としてちゃんとやってるし、居丈高な帝王院会長に比べたら、雲泥の差」
「は。アンタが失礼な態度取ったから怒ってんじゃない?」
「何を馬鹿な事。大体、向かうところ敵なしのグレアムの当主が、一般人に感情を剥き出しにしたりしないだろ」
「中央委員会が生徒自治会の総纏め役で、左席委員会が自治会の監査役ねー。学生の頃から政治家みたいな事やらせて、将来的な指導者を育てる校風は素晴らしいんだわ。でも存外、コバみたいな腹黒に育つってね」
「どう言う意味ですか奥様、小林の胃も肺も黒くはありませんよ?」
「守義さん…」

非喫煙者の小林専務は眉を潜めたが、妻は無言で首を振る。そう意味ではない事は、恐らく本人も判っている筈だ。彼なりのジョークのつもりの様だが、だからこそ腹黒いと言われるのだと言ってやりたい。冗談が冗談に聞こえない人種と言うのが、間違いなく小林守義なのだ。

「大空が遠野課長と一緒に出てっちゃった事で、もしかしたら恨んでるかも知んないって事でしょ?違う?」
「帝王院が?ふん、自棄に口数の少ない雰囲気だけはある男だったけど、ガリ勉ばっか喋って存在感薄かったよ。顔はその画像みたいに隠してた」
「素顔は意外と地味だったりすんのよ。その点、シーザーはサングラス掛けてても判るやばめの色気があんの。見なさい常務、これがシーザーなんだわ!」

しゅばっとガラケーを取り出した女は、ピポパと携帯を弄る。
カルマの写真なら平田も財布の中に隠し持っているが、言わない方が良いだろう。プレミアがついており、見つかったら盗まれる可能性もある黒髪シーザーの写真だからだ。

「はぁ、カルマの総長も銀髪なんですか?何か…ABSOLUTELYの総帥の方がスマートに見える様な…」
「薫は面食いならぬ体食いですからねぇ。程好く絞まっていて、黒髪の男なら誰でも良いんでしょう?」
「ちょ、それ偏見だぞ!偶々そんなのが多かっただけで…っ!」
「どっから見ても白人ですぅ、なこっちの子より、シーザーのが断然いいに決まってんだわ!シーザーに!シーザーに触ったこの手は、洗わないと決めたんだから…!」

己の右手を擦りながら、感極まった表情で宣った女は悶えた。
彼女の愛するシーザーが、まさか太陽にハァハァしている変態腐男子である事など、勿論知る訳がない。太陽以外には興味がない夕陽は、派手な髪色が揃っているカルマのポスター画像を横目に、鼻を鳴らした。

「シーザーは確かに有名だけど、引退して他の奴に総長を譲ったって話だよ。ソルディオだか何だか。あくまで噂だから、正式なカルマの発表なのかは怪しいけどね」
「はん、何処の馬の骨だか知らないけど、シーザーの後釜が務まるとは思えないわね」

お前の息子の事だとは、誰も突っ込まない。
何処の馬の骨だか呼ばわりされている当の山田太陽は、現在地下で命の危険に晒されている所だ。

「あぶそるーとりーだかサントリーだか知んないけど、その程度のイケメンなんかシーザーの前じゃ毛虫の糞みたいなもんだわ。アンタら、シーザー見たらやばいわよ。妊娠するんだわ」
「しないよ、母さんじゃあるまいし」
「然し今のABSOLUTELYはこうしてメディアが張りつくほどメジャーなチームでもありますし、副総帥は光華会最大派閥高坂君の跡取りでもあるんです、奥様」
「イギリス王室の流れでもあるヴィーゼンバーグ公爵家は、ヨーロッパではエテルバルド伯爵家より有名ですからねぇ」
「びーぜんばーぐ?知らないんだわ、そんなの」
「流石でございます奥様、相変わらず世情に疎い」
「うっさい。カルマのライバルに、あぶそるーとりーとか言うチームの名前が上がるのは知ってるけど、こんなチャラついたロン毛とシーザーと一緒にしないで欲しいんだわ」

仮面で顔を隠した銀髪の隠し撮り写真から目を離した魔女は、つかつかとロッジから出ていく。

「あ、コバ、平田君を離しといて。こんな所に放置しといたら可哀想なんだわ」
「然しこの少年は父の言いなりですよ。逃がせばまた何を仕掛けてくるか、」
「平田く〜ん」

むにゅん。
巨乳を押し付けてきた平凡顔に凍りついた作業着は、熊そっくりな兄に似ず男前な顔立ちを凍らせたまま、恐る恐る魔女を見上げた。

「陽子お姉ちゃん、シーザーに会いたいの。カルマの副総長は平田君の後輩だわよねー?」
「ぐ、紅蓮の君に頼めって事っスか?!俺が?!」
「嵯峨崎佑壱君、良いわよねー。あのエッチうまそうな感じ。言葉攻めとかしてくるわよ、あれ。あっちもこっちもムチムチしてた、想像通り脱いだら凄かったわよ」
「奥様、何故嵯峨崎財閥次男の体を知ってるんですか?まさか社長の目を盗んで…」
「守義さん!奥様がそんな卑猥な事をなさる筈がないだろう!奥様は、奥様はワラショクの女神だぞ…!」

根っからのゲイだからか、女性に夢を見すぎている節のある一ノ瀬に全員が顔を見合わせた。

「は。私を女神なんて、猫被ってた頃の大空も言わなかった台詞だ事。常務、専務に嫌気が差したらいつでも教えて、再婚するなら立候補するから」
「ええ?!そ、そんな、ご冗談を奥様、いけません!」
「はー、勿体ないんだわー。男なんか星の数ほど居るってのに、何でよりによってコバなのよ。つーか常務、まさか昔、大空とヤってたりしないわよね?」
「しません!奥様、何て事を…!」
「坊っちゃんとはしてませんが、遠野課長とはしたみたいですよ?」

空気が全く読めない専務の台詞で、山田親子は珍しく固まった。
ぎょっと目を剥いた平田洋二は忙しなく瞬いた挙げ句、赤いのか青いのか判らない顔色で失語症を発症した一ノ瀬を暫く見つめると、何処から出たか判らない奇声をあげたのだ。

「カ、カカカ、カルマのシーザーの父親と、ややや、やったんスか?!」

素頓狂な台詞を吐きながら外へ出た平田の台詞で、全員が顔を見合わせる。

「カルマの」
「シーザーの」
「父親ぁ?」
「お前、何言ってんの?平田だっけ、詳しく聞かせてくれる?」

ブリザード吹き荒れる西園寺学園のツンデレ王子は、怯える童貞を見据えた。然しながら山田夕陽は自他共に認める童貞だった。
そこだけが山田家の双子の、唯一の共通点だと言えるだろう。
















所変わって、自他共に認める童貞長男と言えば。

「おーい、ネイちゃん。そこに居るかい?」
「安心しろ、しっかり抱き締めてる」
「あ、後ろに居てくれたんだねー。真っ暗で何にも見えないから、どっか行ったかと思ったよー」

まったりした声音が、墨を落とした様な世界をたゆたう。母親から何処の馬の骨とも知れないと吐き捨てられた、山田太陽の声音だ。

「こう言うのって、精神世界って言うんだよねー。俺の精神ってこんな暗いのかなー」
「シーザーの精神を反映してるからだろう。アキは何処に居ても輝いてる。マイフェアリー」
「そのフェアリーって、妖精って意味だろ?妖精ってキャラじゃないと思うんだよねー」

万物の物理を悉く嘲笑うかの如く、そこには天地がない。360度、見渡す限りの全てがただただ、黒だった。すぐ後ろから聞こえてくる二葉の声がなければ、太陽は一人ぼっちだと錯覚しただろう。

「俺らがさっきまで居た所って、かなり明るかったんだねー」
「地獄に落ちたらこんな感じかもな」
「えー、俺は死んだら天国に行く予定なんだけどー」
「それなら俺より先に死ぬしかない」
「へ?」

床があるかと思えばなく、上だと思えばそうでもない、無重力空間の様な星の海をよじよじと泳いで、ブラックホールに突入したまでは手応えがあった気がしないでもない。けれどそれ以降は、ひたすら黒が続くばかりだ。

「俺がアキより先に死んだら、確実に三途の川で待ち伏せる」
「ちょいと、ホラー通り越して怖さを感じない話はおやめ。待ち伏せてないで、とっとと成仏しなよ」
「ふ…」
「ん?」
「ふふ…ふふふ…」
「ネイちゃん?」
「私を置いて何処へ行くと言うのです、太郎兄さん」

つつつ、と。うなじを撫でる様な冷ややかな声音だった。
何故かいつもの丁寧語ではなく、女性の声の様にも聞こえる。俺の恋人はどうなってしまったのかと、太陽はぱちぱち瞬いた。つもりだ。真っ暗で自分が目を開いているのか、閉じているのかも判らない。

「太郎、って、それ俺が弟じゃなかったっけ?」
「黄泉比良坂は此処と同じ、闇の深淵…。もう一人で逝くのは嫌なんです、愛しい人」
「ひょえ!」

オカルトチックな二葉の声に飛び上がった訳ではなく、太陽のデコに何かが当たったから叫んだのだ。と言っても、精神が異世界に飛んでいるらしい二葉は、気づかない。

「ふふふ、題名は『陥落した男の最期』」
「ちょ、ちょいちょいちょい、」
「『世界』に閉じ込められた哀れな大和の王を、私が必ず救い出して差し上げますよ」
「え、何、ちょ、此処に何か、」
「約束したでしょう、帝」
「ほわっ」
「約束したでしょう、芙蓉さん」

ああ。
イってしまっている二葉に何を言っても無駄だと判っているが、背後からぐいぐいと二葉に抱き着かれているらしい太陽は、デコをぐいぐいと何かに押しつけられたまま、今にもプチっと潰れそうだった。

「私は二度、貴方より先に逝きました。イブから名を変えた女、名のない獣が姿を変えた猫、三度目も貴方を残してしまった事を、怒っているんですね」
「判った、判ったからちょいと俺の話を聞、」
「ふ…ふふふ…私には見える。お父様から頂いた魂が、お父様から頂いた血が、お父様から頂いた体が、真っ黒な影をずっと見ていた…」
「二葉!」

息を吸い込み、鋭く名を呼んだ。
はたりと口を閉ざした二葉が、微かな息を吐いた気配が判る。

「…おや?えっと、どうしたんですか?」
「戻ったかい。どうやら今のお前さんは、俺とは真逆みたいだね」
「え?」
「お前さんは業に犯された魂そのもので、俺は業を奪われた空っぽな魂、って事さ。二葉先輩ですら前世と今の区別がつかなくなってるって事は、現実の俺はどうなってんだろ」

二葉からの圧迫感がなくなった為、太陽はくるりと後ろを振り向いた。つもりだ。両手を伸ばして二葉の輪郭を確かめても尚、真っ黒な世界は何も教えてくれない。熱も、色も、存在さえも。

「今のお前さんは、地獄の女王様でも狸が化けた猫でも、まして帝王院雲雀でもない。俺だってそうだ、日本の父でも帝でも、まして十口芙蓉でもない」
「…」
「お前さんは俺が欲しいのかい、それとも俺の過去だけが欲しいの?」

見えないと言う事は、何と不便なのだ。山田太陽と言う平凡な子供の生身だったら、今頃絶望に暮れているだろう。
高々ルームメートだった元クラスメートに襲われただけで、他人を全て掃き捨てた様な、弱い子供のままだったら。

「俺は過去なんて要らないね。一つも。過去なんてさ、思い出して懐かしむ為のもんだ。悔やんだって無意味だよ。時間の無駄」
「…時間の無駄、か。だけど俺は、過去も未来も全部が欲しい」
「それが本音?」
「…」
「何だかなー、二葉先輩の理性は無口だねー。いつもあんだけベラベラ嫌味言ってくる癖に、あれかな。本性の方はお喋りなのかな」

けれど太陽はあの日、この男に助けられた。青銅の仮面を被った黒いコートの男、それがあの白百合だとは勿論、考えもしなかった事だ。
あの日、事情聴取をすると風紀室へ連れていかれて、どれほど恥ずかしかったか。高等部進学科の純金バッジをつけた帰国子女は、有り得ないほど綺麗な顔に微笑みを湛えて、宣ったのだ。

『こんな平凡顔に数人掛かりで暴行しようだなんて、世も末ですねぇ』

思い出してもムカッとする台詞だが、恐らくあれは、嫉妬していたのだと思う。二葉の本性が迂闊な台詞を吐かない様に理性が働いていたとすれば、あの時、綺麗な笑みを浮かべた二葉の内心は、穏やかではなかった筈だ。

「ふーちゃんや。林原に酷い事してない?」
「…」
「あーあ、無言って事は、したんだ」
「殺してない」
「ん。良く我慢したね」
「一族全員、血祭りに上げてやりたかった」

二度と太陽に嘘は吐かないと宣言しただけに、二葉は素直に吐露してくれる。実際、命は取らなかったと言う一点は真実だろうが、深く掘り下げて聞けば心が痛む様な目には遭わせていそうだ。ならばわざわざ知る必要はない。

「俺の初恋は幼稚園の先生だったけど、今好きなのは二葉先輩だけだよ」
「俺は初恋も今好きなのもアキだけなのに」
「あはは。俺はさ、今、この世界で生きてるお前さんだけでいい。アンタは違う?」
「…違わない」
「だよね!だったらもうさ、…ん?んん?ちょいと二葉先輩、此処に何かある」
「何?」
「判んない。けど、何かある」
「見えない」
「ん、俺も見えないんだけど…何だろ、これ。何か柔らかいよーな」

見えない世界を平泳ぎの様な動きで進んでいた太陽は、黒を掻いていた手に触れた何かに眉を潜めた。腰に巻きついている二葉の腕が片方だけ離れ、太陽の腕を伝って指先に辿り着く感触を見えないながらも感じる。

「確かに、何かある」
「ちょ、耳元で囁くのやめてってば!いつもの口調に戻してくれるっ?」
「おや、どうしてですか?」
「ときめいちゃうから」
「だったら戻す必要はねぇな」
「ちょ、突如として俺様発揮すんな!コラ、腹撫でるのやめなさい」
「は?俺は触ってない。ほら、手は此処だ」

二葉の右手が太陽の右手を掴み、左手は左側の骨盤を撫でた。それならば、臍の辺りに感じる手は、誰のものだろう。

「え?待って、誰か居る?!ほら、また!俺のお臍をつついてるの、誰?!」
「…んだと?誰のもんに触ってやがる、ぶっ殺すぞ」
「だって目の前にあるから、触りたくなるの仕方ない…」

女の声だ。
皆無に等しい漆黒の視界、鼓膜だけが女の存在を知った。

「ふ…ふふ…。榛原ぁ…。榛原の男はどうしてこんなに細いのかしら…ふふふ…」
「ひ!ふ、二葉先輩っ、太股!太股触られてるー!」
「何だと?!こっちに来いアキ、…っ?!」

太陽を引き寄せた二葉が動きを止める。
股間を鷲掴む手の感触に凍りついた二葉は、うっかり「大胆ですねぇ」と呟き掛けたが、ひしっとしがみついてくる太陽の両手の感触が肩にあったので、耐えたのだ。

「ふ、ハイバラ、トクチィ…。女の胸を触っておいて逃げようなんて…ふふ…ふふふふふ…」

ああ。
こんな恐ろしい女の笑い声など、未だかつて聞いた事があっただろうか。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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