帝王院高等学校
黒く深い時の海を流るるノアの方舟
黒。
何も彼もが真っ暗だ。果てしなく。

「…」

誰かが泣く声がする。
ああ、これは蝉の泣き声だろうか。それとも、大切だった、誰かの。

「愚か者が」
「…は?」

酷く近くから、その声は聞こえてきた。
自分を含めた悉くが黒一色の世界に、それもまた、全てが黒い。

「描き続けた物語に感情移入して、自分をキャストだと思い込んだ馬鹿が」
「お前、は」
「本当の俺なんて、初めから何処にも居ない。産まれる前から何処にも居ない。欲張って手繰り寄せた何人もの人生が、ただの物語ではなくなった瞬間から」
「俺、なのか?」
「ほぇ?チミの様な地味平凡弱虫と一緒にしないで欲しいにょ、僕は世界的オンリーワンの地味平凡ウジ虫なんですから」

黒だ。
果てしなく黒。他の色など一つとして存在しない。物語すら呑み込んで、全ての時間を圧縮して、此処は存在しない世界。あるのは終焉のない、虚無だけ。

「チミは遠野俊。僕は遠野俊。一緒にしないで欲しいにょ」
「…だったら本当の俺は何処に居るんだ」
「何処にも居ない」
「どうして」
「12年前に消えてしまったから」
「どうして」
「心は全て、あの人のもの」
「…ならば体は?」
「脱け殻のまま、主人公だと思い込んでしまった」
「人の業で、か」
「僕には業なんてない。初めから。死ぬ為だけに産まれてきた」
「違う」
「違わない」
「俺は、皆を幸せに…」
「嘘つき」

ゆらゆらと。
黒が揺らめいている。

「僕の望みは僕の幸せ」
「俺の望みは皆の幸せ」
「それはどうして」
「皆が嬉しいと、俺も嬉しいからだ」
「嘘つき。結局は自分の為なり」

自分を誤魔化せないのは自分だけだ。
自分を偽れないのは自分だけだ。
それならば今、否定の台詞を吐いた自分はきっと、真実を語っている。

「綺麗事を並べ立てるのは気持ちイイにょ。まるで、物語のヒーローになったみたいな気持ちになるねィ」
「…」
「でも、主人公なんて何処にも居ない」
「俺、は」
「チミは人に擬態した偽りの理性。僕は人に擬態した偽りの本能。本当の僕なんて何処にも居ない。本当の俺なんて何処にも居ない。だってまだ、12年経ってないんだもの」
「約束の日は、夏だった」
「月が満ちる夜に」
「…無理だ。俺はまた、逃げ出すだろう」
「そう。あんなに綺麗なものに近づくには、僕はなんて見窄らしい男なのかしら」

ほら、また。

「堪えられないにょ。死ぬ為だけに産まれてきた筈なのに、生きる理由を探してしまうのはとても惨め。守る為に生きてきたのに、騎士になる前に王になる方法を探してしまうのは、余りにも格好悪い。足掻いてる。死ぬ為だけに作り出した溺れる方法は、水の中で足掻く事」
「…」
「母ちゃんに教えて貰った苦手なものは、他にもあるにょ。例えば糠漬け。怒った母ちゃんに押し入れに閉じ込められた時、一緒に放り込まれた糠漬けの壷は、異臭を放ってたにょ。夏場だったもの」
「…」
「怒った母ちゃんに沈められた狭い風呂の中で、思い出したのはお腹の中に居た時の事。受精卵ごと取り出された僕は、歌ったでしょう?」

悔いている白衣姿の男の前で、人の形を為す前に。

「月のない夜に。12ヶ月の時を越えて産まれる為に」
「…」
「月は太陽を映す鏡。黒を染める夜の明かり。星の全て」
「…つまり俺は、この日を待っていたのか」
「自分で自分を壊す為に。違う時の流れを終わらせる為に。あの人を自由にする為に」
「俺の所為で、囚われた」
「可哀想なカイちゃん。12の文字盤は二つ欠けてしまった。10しかない時計じゃ、正常な時は刻めないもの」
「イチと、日向?」
「知ってた癖に。イチと日向が心配だった癖に。楽園から居なくなってしまった光の夫婦は、人の世界に降りてしまった。判っていた癖に。日向が子供達に罪を犯させてしまう事を、僕は初めから知ってた」
「それが物語の始まりだったからだ」
「光が狂った日の大洪水も」
「光の届かない雲の下へ、方舟を落とす事も」
「全部、自分の描いた物語のままに」

認める以外に何が出来るのだろう。
真っ暗な世界には何も見えない。壊れた遠野俊の残骸が還る場所。崩壊した楽園の末路、あったものがなくなった果て。

「そうだ」
「それは僕の業」
「それが俺のカルマ」
「見ているばかりで助けられない定めを破ってしまった」
「俺が作った俺の身代わりが、グレアム」
「けれどグレアムは消されてしまった」
「俺を恨んだ、日向に」
「ヴィーゼンバーグは魔を裁く、光十字の家」
「…新たなクロノスは俺を憎んでいる。月に向かって歌う姿を見た日に、俺は知ってしまった」
「全ての興味を奪われた」
「そして、全ての物語が色褪せてしまった。俺はもう、誰も救えない」
「僕は初めから、カイちゃんの為に存在するにょ」
「…」
「だから魂がなくなっても、変わらないにょ。人でも人の形をした別の何かでも」
「お前は、ポーンだ」
「お前も、ポーンでしょ?」

カチリ、と。
何処かで鈍く軋む音が聞こえた気がする。

「俺には何も見えない」
「僕にはお月様が見えたにょ。でも今は何にも見えない」
「俺はカルマを解放するのか」
「僕はカルマを解放するにょ」
「…終わらせる為に」
「始める為に」
「そうか」
「そーょ。僕らは初めから、何処にも居ないんだもの」
「だったら本当の俺は何処に居るんだ」

ああ。
頬を撫でる手の感触がする。温度はない。姿もない。存在が存在出来ない世界では、自分の輪郭すら曖昧だ。

「だから言ったのに。Close my eyes、見なければ悲しまないで済むでしょう?」
「…」
「本当の僕は産まれてこれなかった。帝王院神、だってそれは、奪われてしまったんだもの」
「…カイに?」
「自業自得。僕の所為で自由を奪われた時計は時を失って、十字架になってしまった。イクス=ナイト=グレアムの身代わり」
「帝王院神の身代わり」
「グレアムに光が産まれてしまったその日から、運命は狂ってしまったのょ」
「俺の所為か」
「他の誰の所為?」

クロノス。クラウンを裁く、左席委員会。
つまり裁かれるクラウンはきっと、帝王院神威ではないのだろう。



「ね。太陽に愛された日本から出ていくのは、僕の方でしょう?」






















ああ。
世界が(目の前が)暗闇だった。(酷く唐突に)(色が消えてしまった)(全ての)(森羅万象が見えない)


「出鱈目だ。全部」

呟いている。唇から、自分に良く似た声だ。
見蕩れる程の黒が、音もなく傾ぐ様を他人事の様に見ていた。宙を舞う黒髪は世界の暗さに同化し、耳障りな水音を撒き散らして消えていく。

ああ。
赤い。
燃える様なそれが、黒へと黒へと傾いていくのを見た。

「駄目だ」

足元は墨で塗り固めた様な、黒い水辺。
掻き分ける様に足を踏み出したが、まとわりついてくる水圧が邪魔をしている。(何故か酷く騒がしい)(ミーンミーン)(これはいつかの蝉の声)(必死で伴侶を探している哀れな雄の)(求愛の歌)

「戻ってこい」

伸ばした手は、届く前に見失った。
真っ赤なそれを奪っていった黒は水飛沫を幾らかあげると、どぷりと。全てを呑み込んだのだ。

「戻って、」

ざばり、ざばり。
掻き分ける黒い水が酷く重く感じる。何かに足を取られた。握っているルーターを向ければ、たゆたう黒が見える。


「…俊?」

世界は音で埋め尽くされていて(ひたすら鳴り止まない蝉の声が)網膜に映る全てのものが(ただの一つとして)正確に理解するまでに(酷く)時間が懸かった。

蝉の声だ。夏にはまだ早い。(ならば何故)
蝉の声だ。誰を呼んでいるのだろう。(この黒の世界で)

「ちっ、また溺れてんのか」
「Don't be afraid.」

漸く、網膜に映る光景を現実のものとして認識した高坂日向が、腰元にまとわりついている水の底へ潜り込み、沈んでいる俊を引きずりあげると、抱えた腕の中、彼は囁いた。
その瞬間、蝉の幻聴は忽ち消え果てたのだ。恐ろしい程の静寂の中、濡れそぼる黒髪の下、漆黒の眼差しが笑っているのが見える。

「…お前の約束はそろそろ果たされる。俺が今、そう決めた」
「俊、だよな」
「『俺』はお前に同情した。理由は単純に、お前が俺に似ていたからだ。取引に於ける等価交換を、俺はお前には呈示しなかった」
「…何の話をしてる?まさか、」
「誰かに聞かれなかったか。何故お前だけが、あの日の事を正確に覚えているのか」

静かだ。自棄に。

「『俺』はお前達に罪悪感を抱いた。俺の目の前で壊れてしまったお前達を、救ってやれなかったその時に。救うつもりもなかった癖に」

腕から離れていく黒、いつもの遠野俊とは少しも似ていない無表情で見つめてくる男を見つめ返したまま、重苦しい水に抱かれて。何処にも行けない様な気がする。

「作者は眺めるばかり、それが業だ。けれど『俺』は物語に関わってしまった。それは何故か?」

ざばり、と。
動く度に揺れる水面は、黒に塗り潰されたまま。握り締めたルーターの光は、掌に隠されて。

「人に近づきすぎたからだ」
「何が言いたい?」
「帝からはその全ての権限と感情を。猫からは強かな程の勇気を。奪った俺は、生涯猫からは嫌われたまま」
「猫、だと?」
「お前にやったろう。叶二葉から奪った業を俺は、地獄の底で炎に巻かれたお前に」
「何を」
「嵯峨崎佑壱から執着心を奪った。だからイチは手放したものに未練を覚えない。だからお前は決して捕まってはいけない。…それとも、同じ輪廻を繰り返すのか?」
「輪廻…」
「お前達は犬だった。二匹だけの。お前達だけが犬だった。あの日」

言葉が鼓膜をすり抜けていく。静寂に呑み込まれていく。
次から次へと、ブラックホールの様に。

「けれど輪廻は引き裂かれた。時が狂ったからだ。俺が歌を手放したその瞬間に、犬だったお前達は子孫を残して堕落した。世を恨んだ東屋の番。お前達は東の守護者。二匹だけの緋の系譜。『俺』はお前に同情した。何故ならばイチだけが、黄昏に取り残されたまま、黎明を知らないからだ」
「嵯峨崎だけ、役目から離れたって事か?」
「そうだ。お前を奪った俺を恨んでいただろう。だから、お前に偽りの業を着せて、興味を逸らした」
「…何で、そんな事を」
「お前が哀れだったからだ。始まりの子供」
「は?」
「お前は一番目」

笑っている。
(その声は誰かに良く似ている)
(何の感情も感じない、静かな声音だ)
(あまりにもそっくりだった)
(今では向こうの方が余程、人間らしく思える)



「嵯峨崎佑壱は0。世界はお前から始まり、イチで終わる」

(真紅の双眸から透明な雫を零した、神の成れの果て)
























「理事長に欠陥がある?」

この時、叶二葉はささやかな違和感を覚えた。
山田太陽と言う男は、ある意味で誰よりも強引な所があるが、基本的には気遣い性が抜けきらない、お人好しでもある。

「…ええ。これは私が陛下の円卓に迎えられた後、つまり特別機動部と言う部署の責任者になってから調べた事で、社用アーカイブにも記載されていません」
「良く調べたね、それってかなりの機密データだろ?」
「そうなりますねぇ」

だからこそ、初等部時代から度々同級生を馬鹿にした様な発言を繰り返していたらしい林原に対して、彼が降格するまでの丸一年、揉める事なくルームメートであれたのだ。然し日和見主義の副作用かも知れない。
転入以降、二葉の目で見ても大人しく暮らしていた太陽は、Sクラスでも問題児の部類に入ったであろう林原に対し、揉め事を嫌って下手に出た。
恐らくその所為で、林原は太陽を格下として認識したのだと思われる。自分がいないとどうにもならない奴、と言う思い違いを信じて疑わなかった林原は、自分が降格し、太陽が降格しなかった事に的外れな怒りを覚えたのだ。

「切っ掛けは、陛下との血縁関係を明らかにする事でした」
「へ?えっと、でもカイ君の父親って…」
「それまでは帝王院秀皇だと、半ば頑なに信じようとしていた様ですがねぇ。渡米以来、頑なに仮面を被って素顔を晒さない様にしていた最たる理由は、己がキング=ノアにそっくりだったからでしょう。ああ、これは私の推測でしかありませんが」

風紀の取り調べの最中、太陽への恨み節を宣っていた彼の表情は、己が太陽より劣る事を認めたくない風に見えた。事件直後、連行した加害者への聴取に対応した風紀委員は誰もが呆れ顔だったが、二葉は林原の気持ちが判らなくもなかったのだ。
同級生から爪弾き者扱いを受けていた彼は、親戚でありクラスメートの宰庄司影虎に一度として勝った事がなく、且つクラス内でも裕福な家庭に育った溝江信綱の友人の座にも入れなかった。林原がコンプレックスの塊に成長した理由は、恐らくその辺りが起因していると思われる。
また、初等部五年生で本校に転入してきた初代外部生は、当時噂の的だった筈だ。下級生や上級生ですら一目見ようと詰めかけていた所を目撃している二葉は、同級生の盛り上がりはそれ以上だっただろうと推測している。初等部時代、太陽と林原が同じクラスになる事はなかった。5組まであるのだから、無理もないだろう。

その二年間で太陽と接点のなかった林原が、中等部で同じSクラスに在籍する事になった席順で劣る太陽に対して、初めは好奇心で接していただろう事は、見なくても判る。
あれほど噂になった外部生が、大人しく、その上、へりくだって接してくる事に、彼は舞い上がっただろう。実際、初めて二葉が太陽に話し掛けた時、あれでいて太陽はまだまだ人見知りを発揮していた。太陽に絡まれる事になったのは、神威の警護と言う名の暇潰しで、面白くもない公園に毎日足を運ぶようになってからだ。
いつもベンチに座っている二葉が一人である事を知って、太陽なりに心配したのか、はたまた可哀想に思ったのかは定かではない。蝉の抜け殻を拾っていると言った初対面の太陽は、泥だらけの面白い顔だったが、次の日からは汚れる前に二葉を見つけると、真っ直ぐ走り寄ってきたものだ。余りに面倒になった二葉が追い払う事すら放棄し無視すると、頬を膨らませて何処かへ行ってしまう。次に見る時にはぐちゃぐちゃのドロドロで、何があったと突っ込まずには居られない状況になっているのだ。
そんな事が二度三度と続けば、二葉が居候している従兄弟の日向よりずっと、傍にいる時間は長くなる。何度つれない態度でそっぽ向いても、二葉を見つけると必ず笑顔で駆け寄ってくるのだから、最後はこちらが目で探す様な状態だった。早起き過ぎる神威は夜明け間もなく高坂邸を出て行くので、それに気づいて気を使ったアリアドネ叔母が早朝に用意してくれる朝食を有り難く腹に収めてから、二葉と神威は外へと繰り出すのだ。

「そっか、遠野課長との血縁関係は本人が居なきゃ調べようがないから、先に理事長とは無関係だって証明したかったんだね?」
「そうだと思います。男爵の爵位を引き継ぐまで、陛下は中央情報部の責任者でした。ステルシリーの全データを取り扱える立場にありながら、そんな陛下ですら知る事が出来なかった情報を、男爵になるなり、真っ先に調査したんです」

一方、早起きは苦手だと自信満々に宣っていた当時の太陽は、九時過ぎにパートへ出掛ける母親に手を引かれて、うつらうつらしながら公園にやって来る。太陽にいつも張り付いている夕陽はしっかり身だしなみを整えていたが、公園へと一歩足を踏み入れるなり太陽の『蝉の抜け殻4個以上見つけたら仲間にしてやる』と言う意味の判らない命令に従って、日が暮れる頃には泥だらけだ。泥に愛された双子だった。
双子と言われなければ判らないほど太陽より細く小さかった夕陽は、今でこそ首を絞めてやりたくなるほどムカつく男に成長したが、当時は太陽の舎弟か奴隷扱いだった様に記憶している。二葉は一度、それについて尋ねてみた。弟を苛めているのか、とか、そんな台詞だっただろうか。それに対して、太陽はお気に入りだった抹茶味のアイスキャンディーを溶ける端から舐め取りながら、神妙な表情で首を振ったのだ。夕陽は体が弱いから鍛えているのだと、偉そうな事を言っていた様に思う。
あの当時は信用していなかったが、結果的に今の強かな山田夕陽が存在しているのだから、太陽の叩き上げ過ぎる苛めは、虐めではなくトレーニングだったと言う事になる。

「前男爵のDNAサンプルを手に入れるのは至極容易でした」
「本人には当然内緒だよね?」
「ええ。然し特別機動部には、男爵の全てが残っています」
「全て?」
「…ですから、『シンフォニア計画』ですよ」

ああ、まただ。
一度得た違和感はなくならない。いつもならば気にしないでおこうと無視出来るものを、今日はいつもと勝手が違う様だ。暫くまともに寝ていないからだろうかと二葉は他人事の様に考えたが、その所為で会話が途切れてしまい、太陽の眉が寄るのを見た。まただ。小さな違和感が何故、こうも気に掛かる?

「あの計画は単なるクローン開発ではありません。シンフォニー、響きあうもの、共鳴する音。交響曲。…その真実は、神の復元」
「復元」
「9代男爵キングは、生後間もなく高カリウム血症が認められました。父親のアルビノを遺伝しなかった代わりに腎臓を主に、多臓器不全が見られた。当時の技術班は、薬師だったグレアムの財産を元に、キングの延命に尽力したと言う内容の記述が残っています。特別機動部直下である技術班の始まりは、医療班だった訳です」
「何だかきな臭い感じがする。…特別機動部って、どんな仕事をするの?」

ほら、まただ。
いつもの太陽であれば、知りたそうにしていても中々疑問を口にしない。聡い男だ。それも他人の顔色を良く見ている部類の、気弱と控えめの境が曖昧な、少なくとも今まで二葉は太陽の事をそう評価していた。太陽が怒りを顕にするのはほぼ他人絡みで、自分の事に対しては声を荒らげたりはしない。例えば気にしている身長や薄毛の事であっても、冗談交じりに怒った振りをする事はあっても、いつまでも根に持ったりはしていない筈だ。

「男爵の親衛隊みたいなものです。基本的にはお側で警護をしたり、秘書の様な役回りを。勿論、勅命があれば側を離れる事もありますよ」
「イギリスに行ったみたいに?」
「おや、良くご存知でしたねぇ」
「だって、イギリス分校から昇校してきたんじゃん」
「私が来日した頃から気に掛けて下さっていたんですか?」
「噂、聞いただけ。俺が学園に入ったのは五年からだったけど、時期外れだった。俺が編入する前にイギリスから来た昇校生が二人、二学年上の帝君と同じ満点を取って、でも片方は不登校で、片方は始業式翌日の小テストで月華の君より何点か足りなくて、次席扱いになってるって」
「不登校とは、酷い言い方ですねぇ。色々準備に手間取っていたんですよ、イギリスに居た頃は本社に戻るのは簡単でしたが、日本に渡ってしまえばそうも行かない。然し私がアメリカで仕事に掛かりきりだった間に、事件が起きていたんです」
「『中等部1年Sクラスの帝君が風紀委員長を暴行した』」
「…やはり、箝口令は完璧ではありませんでしたか」
「完璧だったよ。俺は林原から聞いたんだ、聞いてもいないのにね。お節介振って、毎回つまんないネタで話しかけてきたよ」
「そうですか」

確信めいた予感を、何とか振り払う。
目の前で歪な笑みを浮かべているそれは、紛れもなくいつも見ている山田太陽だ。声も姿形もいつも通り、一つも可笑しい所はない。

「キングの円卓を支えた12人の枢機卿の願いは、常に一つでした。神の延命を。神の復元を」
「欠陥を補って健康体にしたいんだ?つまり、彼らにとっての神様を完全な神様に」
「ええ」
「その為にクローンを作ったのかい。壊れた神の複製なんて、成功率はどれほどのものだろうねー」
「出来なかったんですよ」
「は?」
「キングが生き延びてこられたのは、文字通り奇跡だったんです。キングシンフォニアは一人も成長しませんでした。そもそもキング=ノヴァには、私とは真逆の意味で染色体に異常がありました」
「半陰陽、って奴?」
「いいえ、幼少時の多臓器不全が元で腫瘍が出来てしまった。当時の技術班は不完全な臓器を継ぎ接ぎするより、取り除く事を優先した様です。幾度も移植を果たしましたが適合せず、致し方なくクローン計画を発動した。当時の元老院は、全面的に協力していた様です」
「そりゃ、次期社長に死なれたら困るよね」
「いいえ、そうではありません」
「は?」
「キングはマジェスティ=レヴィ=ノヴァの9番目の子供でした。例え死んでいたとして、十番目を作れば良い」

酷い話だと、いつもの太陽なら眉を潜める筈だ。
けれどどうだろう、二葉の網膜に映る太陽は幾つか頷くと、そりゃそうだなどと納得を示した。

「うん、そっちの方が合理的だ。壊れた物を直して使い続けても、一度壊れたものは元通りにはなんないもんねー」
「ええ、…そうですね」
「だったら、9番目を殺せない理由があったんだ。8人も子供を亡くしてる男爵様が、唐突に親心が芽生えたって理由じゃないなら、他に理由がある」

ああ。楽しそうだ。
いつも八の字に下がり気味の眉から力を抜いて、朗らかに笑う顔は愛らしいの一言に尽きる。ほんの月始めまでは、二葉はこの笑顔を自分に向けられた事はなかった。少なくとも、帝王院学園内では。

それなのに始業式典当日まで入寮を引き延ばし、実家へ帰省したままだった太陽は、今か今かと太陽の到着を待っていた二葉の目を盗み、あっと言う間に外部生をナンパしていたのだ。もし逆にナンパされていたのだとしたら、勝てないと判っていてもシーザー相手に戦争を挑む覚悟なので、とりあえず俊をナンパしたのは太陽と言う事にしておく。

初めは、外部生同士で意気投合しただけだと思った。
二葉が二人を見つけたのはヴァルゴ並木道の南端、グランドゲートに程近い所だ。職員宿舎であるリブラ南棟周辺に設置された、クラス分け発表掲示板を見ている可能性は低いと、尋ねる前に判っていた。
だからあの時、太陽はまだ、遠野俊を帝君とは認識していなかったと思われる。Sクラスの生徒が、クラスメート以外と交流を持つ機会は基本的にないので、真新しい来訪者に好奇心が湧いたのだと。二葉はそう理解した。

ただでさえクラスで親しい友人など居ない太陽は、孤独を好む進学科の中でも異端中の異端であったし、例え俊がFクラスの生徒であったとしても、太陽は話し掛けたかも知れない。何せ、外部生だ。高等部にやってきた外からの入学者など、東京本校には過去に例がない。
けれど初等部時代に外部生として騒がれた経験のある太陽は、高等部外部生の意味を正しく理解していなくても、可笑しい話ではなかった。高等部に一般受験で入学してくる生徒がSクラスでない筈がないと言う事を、あの時、太陽が思い至っていたか否かで言えば、間違いなく後者だろう。

けれど二人の友情は、掲示板を見た瞬間に終わる筈だった。少なくとも、二葉の計算では。
例え俊が太陽を受け入れたとしても、太陽の方が尻込みすると思ったのだ。帝君と降格圏内の21番では、余りにも隔たりがあり過ぎる。



けれど、結果はどうだ。
次に二葉が太陽を見た時、太陽は俊の前で大口を開けて笑っていた。苦笑いですら殆ど見なくなっていた頃だったにも関わらず、出会って数時間の俊の前で、声を発てて快活に笑っていたのだ。

それだけならまだしも、何故かその輪の中に、嵯峨崎佑壱の姿まである。事ある事に二葉を「中央委員会の閣下様」だの、「風紀委員長様」だの、「白百合様」だの、ただの一度もまともに呼ばなかった太陽は、何故か佑壱をイチ先輩と呼んでいる。
そこに瓦があったなら、二葉は何万枚割ったか知れない。一撃で木っ端微塵にする自信があった。

佑壱だって中央委員会書記ではないか。
何ならカルマの副総長様で、紅蓮の君様だ。黄昏閣下様だ。どうして二葉は「叶先輩」で、佑壱が「イチ先輩」なのか。
誰がどう見たって高坂日向と言う視力と美的感覚に重大な障害がある馬鹿男以外は、十割の確率で佑壱より二葉の方が「美しい」と評価する筈だろう。確実に佑壱よりは品がある。確実に佑壱よりは優しげな微笑みを浮かべている。ついでに、確実に俊よりはあらゆるスペックで勝っている筈だ。足の長さなど比べるべくもない。寧ろ二葉が俊の隣に並んでは、俊に失礼だ。

「で、お前はその理由を知ってるのかい?」

にこりと。
笑顔を浮かべた太陽を網膜に映したまま、二葉は口元を押さえた。吐き気がする。言おうとも思っていない言葉が、今にも意思に反して飛び出しそうだ。

「…キング=ノヴァの意思は、彼以外に知りようがないでしょう?」
「ふん。邪馬台国の土を踏み、王を詐称する虫に意思などあろうものか」
「一年Sクラス山田太陽君」
「何だい、二葉先輩」
「アイスキャンディーは、当たりましたか?」

二葉の目の前で、愛しい人と全く同じ姿形をしたそれは、首を傾げた。

「何の?」
「…いえ。リヴァイを追いましょう、怒鳴り声が聞こえます」

叶二葉は仮定を一つ定める。
彼の方程式は然し、解かれないままだ。

←いやん(*)(#)ばかん→
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