帝王院高等学校
ヤクザは人情がなかったらただのカスです
「ね、姐さん、お怪我は…」
「ない。私の事は良い、お前は奴らを見張っていろ。それより、ひまが居たのか?」
「はい、組長は下に居られます。見覚えのない奴らと一緒の様でして、」
「…男か?」
「え?!は、そ、そうですが、心配する必要はないと思いますぁ!親父は姐さん一筋なんでっ」

脇坂が任侠の世界へ飛び込んだのは、学園を卒業して間もなくだった。
工業科でも成績は上位だった脇坂は、父親が経営していた建設会社が経営難だった事もあり進学は諦めていたが、一足先に卒業し大学へ進学していた向日葵がその辺りの事情を人伝に知り、組長である父親に頭を下げたのだ。
お陰で高坂組から無金利で融資を受け、仕事の世話もして貰える事になった脇坂の実家は経営を建て直し、大学を卒業する事も出来た。高坂親子は脇坂一家の恩人だ。

「お前は手放しで組長の味方だからな、信用ならない」
「そ、そんな殺生な…」
「ふふ。冗談だ、誰かの保護者だろう。もしかしたらクラスメートを見つけたのかも知れない」
「姐さん、お人が悪いですよ…。そこまで判ってて、俺を試したんですか」

脇坂は一人っ子だったが、脇坂が大学在学時に、早くに離婚していた父親が子連れ同士で再婚していた。それと同時に、血の繋がらない弟が増えた事で実家を継ぐ必要はないと考え、世話になった高坂豊幸への恩返しに高坂組へ入った経緯がある。
今では義母の連れ子だった義弟が家業を継いでおり、数年前に他界した父親の後を必死で継いでくれている。
血こそ繋がっていないが、義母を母親の様に慕っているので、気紛れに実家へ帰る事もあった。母と弟からいい加減結婚しろと心配されるのは、辟易するが。

「レイ、高坂さんを迎えに行った方が良いんじゃ?」
「コバックに連絡が取れないんだもの、私達が下手に動くよりはあの子に任せた方が良いと思うわ。高坂はあれでも、本職なのよ?」
「人海戦術、だったかしら?ルークはランクAを一斉招集したんでしょう?だとすれば、何百人が紛れ込んでいるか、判ったものじゃない」

嵯峨崎夫妻の会話を聞き止め、脇坂はす巻きにされた女へ目を向けた。
化粧が派手で肉欲的な体つきをした女は、憎悪に濡れた眼差しでこちらを睨んでくる。然し体も口元も容赦なくガムテープで巻かれている為、呪いの言葉は一つとして音にはならなかった。

「答え難い場合、無視して頂いて構いませんので。嵯峨崎の奥様は、今のステルシリーについてどの辺りまで把握してらっしゃるんですか?」
「ごめんなさい、脇坂さん。私、ルークの円卓の事は何も知らないの」
「クリスはルークが爵位を継いで間もなく、解放されたのよ。引き換えに、セントラルには戻らない約束でね」
「そうだったんですか…」
「キングとルークが入れ替わったのは9年前、ゼロは12歳、ファーストは8歳だった。3年振りに会ったファーストは、私に言ったわ。『料理も出来ない女が何しにきた』って」

囁く様な声音に、脇坂は息を呑んだ。流石は兄妹だ、感情を込めていない喋り方は、前男爵と良く似ている。
今の話を聞いていたのか居ないのか、みっともない兄弟喧嘩をやめていた冬月兄弟が加賀城と共に寄り添っている帝王院駿河は、年甲斐もなく騒いで疲れた表情だったが、顔色は明るい。

「嶺一、良い奥方を貰ったな」
「み、宮様、いきなりどうしたんですか!…仰る通り、私には勿体ない妻です」
「はっは、何だしおらしい事を言う。まさか照れているのか、珍しい。学生時代は何度も守矢の手を煩わせておった癖に、立派な父親になったではないか。少々格好がアレだが」
「も、もう、いつの話をなさってるんですか学園長!俺はもう51歳なんですよ!」

顔を真っ赤に染めた嵯峨崎嶺一に対して、駿河もクリスも揶揄めいた笑みを浮かべた。完全に遊ばれている嵯峨崎財閥会長は、気の毒げな加賀城財閥ご隠居に気づくなり、背筋を整えて咳払い一つ。

「お久し振りです、加賀城会長」
「役は婿に譲った身じゃ。儂は一介の年寄り、気を使わんでくれんか嵯峨崎の」
「余りに早い引退に、驚きました。社長はお孫さんが継がれたと窺いましたが、まさかあのパーティーでそんな事になろうとは…」
「ほっほっ。加賀城の家訓でな、苦労は若い内にしろと教えておる。…甘やかすと、ろくな人間にならんからのう」

切実な感情が込められた声音だった。
ちらりと駿河を見やった嶺一は、駿河の加賀城に対する眼差しに何ら憎しみが感じられない事に、流石だと息を吐いた。
加賀城敏史の実母は加賀城瑞穂の娘だと言われているが、彼を育てたのは、加賀城舞子の身内でもあった、加賀城智子だ。智子は素晴らしい人柄で知られ、最後は山梨県で暮らしていたと言われている。跡取りを失った加賀城宗家は沖縄の離島に移り住んでいた為、敏史は成人を待たずに沖縄へ養子に出されたのだ。

「何か心配事でもあるか、嶺一」
「あ、いえ、そんな」
「可憐小母君は大層気性の強い方だったが、息子のお前が責任を感じる事はないと、昔言っただろう?」

駿河が学園長になったのは、高等部を卒業した18歳の頃だった。
駿河と十離れている嶺一は既に初等部に在籍しており、それまで中央委員会会長だった帝王院駿河が若き学園長として姿を現した時は、意味もなく嬉しかったものだ。
嶺一が入学した頃には既に帝王院鳳凰の姿はなく、嶺一世代の生徒らは皆、駿河の名の元で学んだ生徒だと言えるだろう。何にせよ、聡明で見目麗しく、誰にも分け隔てなく優しい駿河学園長は、数年後に妻を迎えた瞬間から、帝王院学園全生徒らの父になったのだ。

「加賀城」
「はい」
「嵯峨崎」
「は、はい」
「敏史は私の良き友であり兄である。嶺一は私の良き教え子であり、また友である。今では敏史の孫が私の孫の友であり、嶺一の息子は俊の良き先輩であろう。他に我々を形容する言葉など必要ない。…違うか?」
「御意、全ては大殿の御心のままに」
「有難うございます、宮様…」

未だに互いを気遣っている気配は取り除けていないが、目を合わせた加賀城と嵯峨崎の両トップは手を取り合った。事情を先程知ったばかりのクリスが笑顔を零すと、無言で様子を窺っていた零人は頭を掻く。
これでは、加賀城に探りを入れていた自分が馬鹿みたいではないか。旧世代の恨みを、今の世代は少しも引きずっていなかった。何より、恨むべき立場の帝王院駿河その人が、恨むなと言っている。

「学園長」
「ん?何だ零人、腹が減ったか?」
「いやー、この状況で飯なんて喰えませんって。何つーか、俺、学園長の教え子で良かったと思って」
「はぁ?!何を似合わない事言っちゃってんのゼロ、アタシを泣かす気ならはお生憎様!オカマはそ、そんな簡単に、な、泣かないんだからぁ!」
「お、おうおう、どうした嵯峨崎の。年を取ると涙脆くなるのう。ほれ、儂のハンカチを使いなされ」
「何か良く判らんが、今のは褒められたのか?後で俊に自慢しよう、そうしよう。すまんが零人、今の台詞を俊の前でも言って貰えると大変嬉しい」

加賀城と嵯峨崎の狼狽を余所に、帝王院だけは通常営業だった。
顔を見合わせている冬月兄弟は、弟の方は苦笑いを浮かべ、兄の方は興味なさげに耳を掻いていた。

「それがファーストの兄か、シリウス」
「何だ、ファーストには面識があるのか?…ああ、そうか確かカルマだったかのう」
「かるま?」
「何だ、知らんのか?師君の孫が、不良のチームを率いておるだろう?」
「孫?和歌か?確かにあれは弟以外を人間扱いしておらん出来損ないだが、」
「和歌とは直江の子だろう?違う、カルマの総長であるシーザーは、俊の事だ」
「「は?」」
「「あ?」」

龍一郎と駿河、脇坂と嶺一の声がそれぞれ揃った。
嶺一にハンカチを貸してやった加賀城も目を丸めており、カルマと何度か呟いてから、飛び上がったのだ。

「カ、カルマだと?!獅楼がやんちゃしているチームではないか、のう嵯峨崎の!」
「え、ええ、うちの佑壱が経営している喫茶店と同じ名前の、8区を拠点にしたチームです!何で、何でそこに学園長の孫の名前が?!」
「落ち着けって、親父。間違いねぇよ、のびちゃん…じゃねぇ、天の君はカルマの総長だ」
「り、龍一郎…!貴様、私の可愛い俊を不良の道に追いやったのか!」
「誤解だ駿河、儂が俊を不良になどする筈がなかろう!どう言う事だ嵯峨崎零人、一切合切喋らねば物言わぬ人形にしてやるぞ!」
「ええい!師君ら、驚くのは判ったから落ち着かんか!それでも帝王院・冬月の当主かっ、情けないのう!」

ぺしぺし。
先程豪快につねられた恨みからか、スーパースターの祖父は白衣を靡かせながら、丸めた紙筒でオタク祖父をコンボで叩いた。

「儂の調べでは、カルマには加賀城獅楼や嵯峨崎佑壱だけではなく、四重奏に神崎隼人、高野健吾、藤倉裕也、錦織要の名がある!」
「「ブフッ」」

我々は蚊帳の外、とばかりに祭美月が運んできた茶を啜っていた中国チームは、大河白燕とほぼ同時に、美月も茶を吹いた。予期せぬ所で、要と裕也の名が出たからだ。

「な、何だと?何故そこに裕也と青蘭の名が出るんだユエ、まさか貴様、我に隠し事をしておったのか!」
「い、いえ、そんな事は…」

大正解だと、祭美月は心の中で舌打ちした。
ただでさえ、従兄弟同士の藤倉裕也と大河朱雀は仲が良い…悪くはないが、その父親同士は決して友好関係があった訳ではない。互いの妻を失ってからの十年以上、電話する事すらなかったのだから、美月が隠していたのも無理はない。

「ええい、忌々しい!知らんかったのは我だけと言う事か、道理でネルヴァめ、我に気安く話し掛けて来た訳だ…!忌々しい、何と忌々しいのか!然し天の宮様が率いておられるチームであらば、朱雀にも入らせておくべきだろう!大殿、是非とも我が子、朱雀をカルマにお召し下さい!」
「俊に聞いてみないと答えられんな。第一、俊は朱雀と面識がないだろう?」
「ぐ。お待ち下さい、ただいま馬鹿息子に電話を………ん?圏外?」

青蘭こと錦織要は祭の次男であり、大河社長の命でステルシリーに潜入している。当然ながら二葉にも内密にしている事だ。運良く、二葉側から佑壱との接触を言い渡された事が切っ掛けで、以降、要は元老院の数名と度々接触していた。
反して藤倉裕也は大河の外戚ではあるが、ステルシリー最高幹部の息子だ。要に裕也との接触を禁じた祭楼月には、大河社長の機嫌を損ねたくないと言う思惑があった。

「獅楼は佑壱殿に憧れておってのう、髪型や身につけるアクセサリーに至るまで、何でも真似たがるんじゃ。儂も何度、フェニックスの話を聞いたか…」
「そうだったんですか。知らなかったとは言え、申し訳ありません、うちの馬鹿が獅楼君に悪影響を…」
「いやいや、ただその、背中に刺青を入れたいなどと言い出した時は…流石にのう…うん…」
「す、すみません」

見た目はゴツいが中身はうさぎ、加賀城獅楼の祖父は孫の暴走を寸での所で食い止めた様だ。引き換えに、見た目も中身もゴツいが意外とオカン、嵯峨崎佑壱の暴走を止められる者はほぼいない。

「カルマ一同で雑誌に載った事もあるらしいぞ、兄上、大殿。確か写真を撮っておったんだが、…ほれ、あった」
「ど、どれが俊だ?!えっ、まさか真ん中のサングラスを掛けた男前の事か?!ブフッ。い、いかんぞ龍一郎、これでは俊が、女性からモテてしまう!」
「何だと?!何処の馬の骨とも知らん女が俊に言い寄るなど、言語道断だわ!」
「おのれ楼月、帰国したら首を刎ねてやるわ…」
「父の首など幾らでも差し上げますが、遠野夜刀さんの姿がありません」

冷静に話をすり替えた美月の台詞で、カルマの写真をポスターにする事を固く誓った駿河と龍一郎は、既にそのポスターが出回っている事を知らなかった。キョロキョロとだだっ広いホールを見渡し、女型アンドロイドの姿がない事も確かめる。

「ああ、夜刀さんでしたら、さっき理事長達と一緒に出ていきましたよ。もしかしたら俊江さんについていったのかも知れませんが」

人生の大先輩を前に、中々自分を出せないでいる脇坂の台詞で、美月がすり替えた話は終了した。舌打ちしたい気分の祭長男は、然し鼻血を滴らせている駿河が自慢げに大河へ画像を見せつけてくれたお陰で、祭への恨みを忘れてくれたらしいと肩から力を抜いた。
自分の父親がどうなろうと全くどうでも良いが、弟である要にまで被害が向かっては堪らない。大河には、裏切りには家ごと処分すると言う、恐ろしい決まりがあるからだ。

「それで、さっきちらっと話して頂いた件なんですが、先代組長が学園長の従叔父に当たるってのは…?」

俊がカルマの総長だからと言って、何故ここまで狼狽えなければいけないのか判らない脇坂は、自分が学生時代に名を馳せていたABSOLUTELY初代総帥の事を思い出した。とは言え、要領の良かった秀皇は、俊の様に悪目立ちする様な行動は取っていない筈だ。
カルマが余りにも目立つのは一重に、そこに居るだけで目立ってしまう嵯峨崎佑壱以下、変人奇人揃いのカラフルな幹部が存在するからである。
保険医の孫である神崎隼人に至っては、モデルが本職とは言えCM等で連日テレビに映されている芸能人で、錦織要は大河ファミリー、藤倉裕也はステルシリー幹部で、高野健吾は世界的に知られている高野省吾の一人息子。これほど粒揃いで、目立つなと言う方が難しい。

「おお、高坂向日葵は宮様とも儂らとも、近しい血を引いておるからのう。儂もつい先頃聞いたばかりの話だわ、龍一郎が詳しい事を知っておろう」
「…鳳凰公の父上であらせられた、俊秀公の義弟は冬月から落とされた娘が生んだ子だった。儂らの祖父の、従姉の血筋だ」
「龍一郎の祖父と言えば、冬月鶻か」

興奮を抑える為に窓の外を眺めていたが、加賀城に危険だと諭されて渋々振り返った駿河はこてんと首を傾げた。粗方の心配事がなくなって張り詰めていたものが取れたのか、リラックスした表情だ。

「鶻の娘は巳酉、息子は龍流。巳酉は儂らの伯母であり、龍流は儂らの父親だった。幼心に覚えておるのは、欲にまみれた伯父の面と、家の事以外には無関心だった祖父の、横顔くらいかのう」
「龍人は祖父が屋敷に居る間は、地下に閉じ込められていた。生後間もなく、双子は不吉だと死産の届けを出されたのも、祖父の命令だったらしい。…龍流は最後まで反対した様だが、最後は母が止めた」
「息子を社会的に殺されるって時に、受け入れたんですか?母親が?」

脇坂は思わず口にしてしまったが、人には様々な理由がある。自分も離婚した母親に置いていかれた立場だった事もあり、つい口にしてから、しまったと痙き攣った。然し、脇坂の言葉に、当の冬月龍人が気を害した様子はない。

「母はのんびりした女でのう、小さい事には拘らんかった」
「何がのんびりした女だ。あの龍流が尻に敷かれていたくらいだ、まともな女だった筈があるまい」
「ああ、返す言葉がないわ。幼い儂らに、伯父を殺せと言った女だ」

誰もが沈黙した。
母親が子供に人殺しを勧めるなど、どう考えても可笑しい。

「殺さねば殺される事を、冬月糸魚は早くから気づいていた。だから儂は…巳酉伯母さんは…」
「あの男を殺したのは俺だ」

龍人の呟きを遮った龍一郎は、ふんと鼻を鳴らした。

「やはり貴様は馬鹿だ。俺の記憶力とは比べ物にならん、冬月でありながらうろ覚えとは情けない」
「だが龍一郎、儂はあの時…」
「流次は家名没後、持病で死んだ。まともに働けもしない体では、家の再興など夢のまた夢だ。兄に逆らい、義兄に肩入れした報いを受けた。天寿を全うしただけ、有り難く思わせておけ」
「死んだ叔父に対して、何と言う…」

オジと言う単語が飛び交っており、脇坂は暫く混乱したが、口を挟む事はない。双子が揃って殺したと言うオジと、恐らく冬月当主だった龍流に逆らった弟は別人なのだろう。

「経営陣の会合で、私が会長職を早期に継ぐと決定したのは、母上が亡くなり父上が病床に着かれた頃だった」

脇坂の混乱を知ってか知らずか、黙り込んだ双子の代わりに駿河が口を開く。

「全ての気力をなくされていた父上とは、仕事を覚える事を優先し会話する間もなく、亡くなるまでまともに顔を合わせる事もなかった為に、散った空蝉についての話は散漫でな」
「致し方ない。当時は…加賀城本家を塗り替えた頃だった」
「母上の件か、龍一郎兄さん」

龍一郎の台詞で、肩を震わせた加賀城を一瞥した駿河は、ゆったり瞬いた。

「加賀城はそれまで、静岡と山梨に股がって本家と宗家に別れていた。私の祖父、加賀城雄大の屋敷は熱海にあってな、屋敷の敷地内に温泉が湧いていたそうだ。だから母は、風呂が何よりも好きだった。後はそう、小田原の蒲鉾が好物だったな」

大学進学を諦め、慌ただしく社会勉強を始めた駿河には、父親時代の出来事は余り知らされていない。恐らく、亡き父から知らせるなと言われていたのだろう。
幹部として残ってくれた灰皇院の者達も、会長となって暫くが経ち、駿河に余裕が出来た頃には引退し、その息子か娘の世代に移っていた。灰皇院が崩壊してからの世代は、駿河と同じく昔の話を聞かされていない者が大半だったので、知りたいと思った頃には既に、知っている者が居なかったのだ。

「世間知らずと笑う者も居ただろう。結婚するまで、まともに外に出た事がなかった人だったらしい。一人娘だ、加賀城方の祖父母が蝶よ花よと可愛がって、嫁には出すまいと話していた程だったと聞いている」

けれど結婚して暫く経っていた妻と子作りの話が出始めた頃、駿河は龍一郎と出会った。彼が冬月の最後の当主であるべき男と知ってから、実に40年近くが経過している。駿河は二十代、龍一郎は三十代だった。
父親の忠実な従者だった最後の灰皇院であり、引退した会社幹部らが決して口にしなかった出来事を、龍一郎は駿河の求めるまま語り聞かせたのだ。自分が見たまま聞いたまま、全てを。

「我が母は、静岡の温泉地に産まれた一人娘で、名を加賀城舞子と言った。父の名は帝王院鳳凰、50歳を過ぎるまで誰に促されても妻を持とうとしなかった男が、唯一選んだ女性だったと言う。私が知る限り、父上は大層賑やかな方だった」

財閥会長の癖に、仕事を抜け出しては息子の様子を見る為に、堂々と学園へやってくる。その時の大義名分は『嫌だい嫌だい、執務室には帰らないもんね!だって俺は学園長でしょうが!』で、何人の幹部や教師陣が呆れ返った事か。

「私が産まれ数年が経つ頃、祖父様がお亡くなりになられた。幼い頃の朧気な記憶だが、秀皇の顔立ちは私でも父上でもなく、祖父様に似ている様に思う。ああ、但し秀皇の声色は、父上に似たか」
「…俊の声は、俊秀公に瓜二つだ」
「はは。今この場で、祖父俊秀を明確に覚えているのは、龍一郎だけだな。冬月は、父と祖父に面識は?」
「無理を言わんで下され、大殿。儂が帰国したのは馬鹿娘が家出する前でのう、まだ20年程だわ。…先に来日しておったロードの監視もあったが、年々親子らしい会話がなくなった娘から、逃げ出したかっただけかも知れんのう」

誰も彼も、随分苦労したらしい。
任侠の世界では珍しくない話だが、世間的には恵まれた勝者だと思われている帝王院駿河の母親が、実は毒殺されていたなど、知る者は居ない。それに関与したのが加賀城宗家の娘だった事を知る者など、加賀城と、それが切っ掛けで崩壊した灰皇院くらいだ。

「妻そっくりのアンドロイドを作り、家に帰る回数が減っていく事を知っていて、やめられなかった。仕事なんぞ所詮、言い訳だ」
「男は仕事に逃げたがる。判らんでもないな、冬月。私は秀皇を失ってから、隆子を案じてやる余裕がなかった。全てを忘れる様に、社を大きくする事ばかり優先し、」
「過労で倒れたんだ、この馬鹿は」
「何、それでは本当に体調を崩しておられたのか?」
「恥ずかしながら、丸一年ほど満足に起き上がる事も出来なかった」

駿河が入院したのは、十年程前の話だ。
帝王院秀皇が失踪してから実に6年が経っており、その頃、アメリカから爵位を手放した前皇帝が来日した。

「過労そのものは数日休めば回復したが、長年のストレスが表に出た。あの頃は、人と顔を合わせるのも辛かった頃だ…」
「鬱による交感神経の異常が見られた。心底呆れた儂が、長期入院を勧めたんだ。…秀隆には話しておいたが、最後まで見舞いには行かなかった様だな」
「何度か足を運んでくれてはいた様だ。無理もない、息子の苦しみに気づいてやれなかった情けない父親の面など、見たくもなかっただろう」
「駿河が入院している間、帝王院財閥の内情を逐一調べておった儂は、ハーヴィの来日をすぐに知った。だが、その頃はまだ、駿河は話が出来る状態ではなかった」

寝る間も惜しんで何年も仕事に掛かりきりだった男が、突然の入院で気力を失ってしまったのは、どうにもならない話である。
ボロボロだった体を治療する為だと窘めても、駿河は窓の向こうを黙って眺めているばかりで、リハビリにもやる気を見せなかった。このままでは心が先に駄目になってしまうと診断した心療内科の医師に従って、生きる目的を作る事にしたのだ。

「まずは、秀隆が生きている事を伝えた」
「本当にそれだけだったな。俊の事も俊江さんの事も、教えてくれなかった」
「だがやる気は出ただろう?儂の言う通りリハビリを熟せば、回復するのと同時に褒美はやった」
「情報を小出しにしただけだろうが、何が褒美だ。…俊に漸く会えたのは、あの子が6年生になる頃だったか」
「糞程退屈なオペラなどに誘いおって、可哀想に。最後まで起きていた俊が哀れだ」
「な!俺は初めから遊園地にしようと言っただろう?!それを何だかんだいちゃもんをつけて、近場の劇場を選ばせたのはお前だろうが!」
「人の目が多すぎる遊園地に、お前を連れていけるか馬鹿が。自分を誰だと思っている、帝王院駿河」
「…」

余りの正論に沈黙した駿河は、ぼたぼたと大粒の涙を零した。

「俺が帝王院じゃなかったら、今頃シエちゃんや俊と二世帯住宅でのんびり暮らしていたのか…」
「誰がそんな話をした。男の癖に泣くな、愚か者が」
「ぐすんぐすん。自分は三人も孫が居るから判らないんだ!俺は、俺は俊と毎日同じ味噌汁が飲みたい!毎日一緒に風呂に入りたい!狡いぞ龍一郎、自分は毎日じーちゃんじーちゃんと呼ばれて鼻の下を伸ばしていたんだろう?!俺は、俺は秀皇にすら捨てられたのに…!カムバーック!秀皇!俊!」
「…判ったから黙れ、皆が呆れているだろうが馬鹿が」

幼い頃から家族で出掛けた記憶など殆どない駿河は、遊びといったものから縁が遠かった。気づけば開校したばかりの帝王院学園に通っており、当時はまだ今の様に完全な寮制ではなかった為、山奥に作った屋敷と学園を往復していたのだ。通いの生徒は車が迎えに来るので、放課後に山で遊ぶ事もない。
良家の子息ばかりだった事も要因だろう。戦後の、高度経済成長の最中は、学ぶか働くかが子供達に許された選択肢だった。団塊の世代と呼ばれる駿河より前の世代には、長引いた戦争のお陰で生きる事に必死で、学ぶと言う選択肢はなかったと言われている。

「勉強だけが人間を作るものではない。我が母、遠野夜人の言葉だ」
「そうか。…そうだな。その通りだろう、良い母君だ…」
「良いか悪いかで言えば、夜人の頭は悪かった。まともに英語が話せないお陰で、ステルシリーの公用語が日本語と英語になった程だ」
「レヴィ陛下はナイトの尻に見事に敷かれておったからのう、当時の社員には同情するが、難しい人間ばかりだったが、皆総じてナイトを愛しておった」

遠野夜刀の義弟と言う割りには、人柄が良かったのだろう。
口は悪いが夜刀もまた、心底悪い人間ではない様だった。亡き帝王院鳳凰が生涯の親友と言ったそうだが、遠野には猛獣遣いの才能があるのかも知れない。

「ナイトが生きておったら儂らもナインも叱られたろうな、兄上よ。『家族で憎しみ合うなんて、愚か者が!』とな…」

脇坂はアリアドネと目を合わせた。
その台詞は、高坂の前組長が常々口にしていたそれと、良く似ている。

「上に立てる人間ってのは、多かれ少なかれ似た所があるんですかね、姐さん」
「人情を知らない極道はただの屑だと、義父さんは良く言っていたものだ。私が家族の愛を知ったのは、高坂の皆のお陰だろう」
「…駄目ですよ姐さん、俺も40歳なんですぁ。泣かす様な事言わないで下さい」

ヤクザも年を取れば涙脆くなる。
毎度息子の日向に死ねと言われて号泣している高坂向日葵が、良い例だ。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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