帝王院高等学校
保護者は何を保護するんですか?
「良かったねー秀皇、俊江さんが見つかって…!」
「あれが兄貴の奥様ですか!」
「どう言う事だ平田!姐さんに嵯峨崎零人が覆い被さってるぞ!」
「おみゃあ、耳元でどえらい大声出すんでねーわフォンナート!あた、あだだ、人様のネクタイ引っ張るのやめぇ、おみゃあホモ嫌いだろうが!」

賑やかしい集団が、閑散とした校舎の廊下を爆走している。
その先頭、餌を見つけた野犬ばりに目をぎらつかせている男は、漆黒の髪を靡かせながら凄まじい早さで階段を駆け上った。

「流石はパパシーザー!足めっちゃ早いっスね!」
「秀皇!焦るのは判るから、もう少しスピード落としてよー!僕を幾つだと思ってんの、35だよ?!」
「頑張って下さいボス!」
「こうしちゃいらんねぇ、エルドラドの力を結束する時だ!総員、ボスをお運びしろ!」
「了解っス、総長!」
「よっしゃ、カルマもレジストも役に立たないって事を証明しましょう総長!」
「ほわっ」

がしっとワラショク社長を捕獲したスヌーピーズは、若さと馬鹿さだけを味方に、凄まじい早さで階段を上っていくワラショク課長を追い掛けた。巨体だけに走るのはそれほど得意ではない平田太一は、命からがらついていきつつ、愛しの健吾を思い出したのだ。

「ああ…ケンゴもどえらい早いけど、カルマはどいつもこいつも走るの早ぁてあかんわ、何で松木抱えた梅森が先頭走ってんのよ」
「あー、竹林さんは此所で死にそうだけどな」
「おみゃあは本当にカルマか」
「えー、どっからどう見てもカルマでしょーが。見ろこのオリジナリティー溢れまくった作業着のロゴ、カルマって書いてんだろ?」
「はぁ、はぁ、おみゃあはへアセットにしか興味がないナルシーじゃなかったんかい…はぁ」
「お前ら兄弟は訛りすぎて何言ってるか全く判んなかったけど、洋二の方は頑張ってんな。アイツ、今Eクラスの二番だぜ?勿論、竹林さんが一番だけどなw」
「はぁ、賢い奴は何考えてんのか、よう判らんわ…。はぁ、あー、もー、えらい、えらい、倒れそうだわ、しんど!」
「何考えてるって言われても、何も考えてねぇ訳じゃないんだよなぁ…。産まれた時から知ってたなんて、自分でも頭可笑しいんじゃないかって思ったしなぁ」
「はぁ?」

危ない、と。
誰かが叫んだ瞬間、平田と竹林の視界に崩れ落ちてくる人が見えた。エレベータが
停止していたから仕方がないとしても、狭い螺旋階段だ。誰か一人が足を崩せば、雪崩が起きるのは仕方ない。

「ちょ、」
「え、嘘、何で落ちてくんのよエルドラドさん?!」
「たけこ!」

騒ぎに気づいた仲間が振り返るのを見た男は、殆ど無意識で叫んだのだ。ただただ、本能のままに。

「俺の事は良いから、竜だけ連れてけ梅森!」
「冗談でしょ、にほちゃん」

どさどさと背中から落ちてくる人混みに押し潰されて息が詰まった瞬間、視界が埋もれたのと同時に、伸びてきた手に顔を捕まれた。

「…やっと起きたか」
「あれ?もしかして俺、落ちてた?」
「あー、グースカ寝てたぞ、珍しい事にな。うめこが部屋に居る時は寝た振りして起きてる癖に」
「んー、何か今回は良い夢だった気がするんだ。ゴールに着いた、みたいな」
「は?」
「で、何でエルドラドがにほを襲ってんの?え?何で俺すらまだ押し倒してないにほを押し倒してんの、テメーら全員殺して良い?」

笑顔でスヌーピーズを踏んでいるオレンジの作業着は、晴れやかな笑顔で宣う。残念ながら疾風三重奏で最も強い男の台詞に、ワラショク社長を死に物狂いで庇っていたエルドラド一行は、悲鳴を飲み込んだのだ。

「おやめなさい、おまつ。竹林さん、無駄な喧嘩は嫌いだな」
「やだ、かっちょ良い髭生やしてる癖に神父さんみたいな事言ってるたけりん、くっそ可愛い。そろそろ俺の限界が近いかもよ?」
「今まで我慢したんだから、ずっと我慢しよ?竹林さんはね、プラトニックも大事だと思うんだ」
「大丈夫だよ、竹林君。竹林君がモテる癖に人間不審で童貞極めてても、12歳でとっとと大人になった松木君がね、めくるめく快楽をお約束するからね」

エルドラドと平田はオレンジの作業着に踏まれながら思った、人の上で何の話をしているのかと。思ったが、とても言えそうになかったので沈黙した。180cmのむさ苦しい作業着二匹のメイクラブドラマなど、お茶の間でまったりしている時でも見たくはない。
人間ドミノとして崩れ落ちている今など、論外だ。

「あはは、君達は恋人同士だったのかい?」
「そうです」
「違います」
「ちょっと、何で否定すんのにほ。俺の体に竹林倭ってタトゥー入れたら恋人にしてくれる?」
「やめて、そんなタトゥー入れたらぶっ殺すわよ。大体、何で俺の汚いケツなんか狙ってんだ、オメーは」
「え?にほのお尻は汚くないよ、毛深いけど」
「お黙り!竹林さんは全身の毛が活発なだけだ!」
「あはは、羨ましい話だねー。そんな事より、秀皇を追い掛けたいんだけど?」

ひんやり、世界の温度が下がった気がした。
はたりと動きを止めたカルマ二匹は、先程からちょいちょい会話に入ってくる声の主を探し、エルドラド総長を座布団代わりに敷いている、笑顔のドSを見つけてしまったのだ。

「あ、山田君のお父さん」
「え?山田君のお父さん?にほ、総長のパパさんは何処行ったの?」
「うめこが追っ掛けてる、はず」
「巫山戯んな松木!テメ、いつまで人を足場にしてんだ!降りろ!」
「竹林!テメ、今わざと俺の腹踏んだだろ…っ」

流石に今の今まで寝ていただけあって、フォンナートを含めたエルドラドを笑顔で踏んでいる男らは、下からの罵声は華麗にスルーである。

「マジかー、うめっちかー、あの人体力はあるけど馬鹿だからイマイチ喧嘩弱いんだけど、大丈夫なん?」
「山田君のお父さん、総長のお父さんはお強いんですか?」
「諸々の有段者だけど、一人にするのは不味いかなー、竹林君」
「「不味い?」」
「秀皇はね、天性の方向音痴なんだ。帰巣本能がない犬みたいなもんさ」

晴れやかに親友を馬鹿呼ばわりした社長は、人間椅子の上でゆったり足を組み替えた。

いいから黙ってさっさと俺を運べ、餓鬼共

カルマ二匹を除く全ての男達がゾンビ宜しく起き上がり、無言で社長を抱えていく。ホラーな光景に硬直したオレンジの作業着らは、ぱちぱちと瞬いたのだ。

「…何、あれ」
「ピュー。流石は榛原の当主、山田君程じゃなくて良かったね、おまつ」
「へ?何?」
「何でもない」
「にほちゃん、二人きりになったね。ちょっとその辺の空き部屋に行っちゃう?」
「うん、行っちゃわないかな?」

エロ顔で迫ってくる仲間の股間に強めの蹴りを入れた三重奏リーダーは、顎髭を撫でながら一重瞼の双眸を細めた。

「ぐすぐす、酷いやにほちゃん、俺はこんなにトカゲみたいに冷たいにほちゃんを愛してると言うのに、容赦なく金的蹴りなんて…ぐすぐす」
「後ろ見てみろ、馬鹿松」
「う、後ろ…?!」
「窓の向こうだ、部活棟が傾いてる」
「っ、嘘?!え、何で?!」

非常階段の踊り場の窓に張り付けば、下の方に傾いている建物が見えた。松木は背を向けていたので気づくのが遅れた事もあるが、賢い竹林は見ている所が人とは違うらしい。冷静な素振りで集団から外れたのには、理由があったのだろう。

「やばいよなー、流石に。総長のシナリオにこんな場面なかったもんな…」
「は?総長のシナリオって何?にほ、俺に何か隠してんの?ダーリンに隠し事しちゃったの?」
「何も隠してないっつーの、お前が覚えてなかっただけ。ま、俺とうめこには明神の血が流れてるから仕方ないけどな、悟り世代って奴よ」
「へ?何、ミョージン?誰それ、何それ」
「梅森の祖父さんの名前、知ってる?」
「知る訳ないじゃん」
「宰庄司影勝、昔はかなり金持ちだった家だけど、やらかしたみたいだな。羽柴重工に乗っ取られた」
「羽柴重工…?あー、俺らが産まれた頃にYMDを吸収合併した会社だっけ?」
「おー、博識じゃん、おまつの癖に」
「ちょっと、俺クラス三番なんですけど?」
「とうとう洋二に抜かれたもんな、今年」
「話を摩り替えようとしてるね、竹林君。何でお前と梅森が仲間っぽい発言したのさ、俺と竹林君は前世から結ばれる運命なのに」

にっこり。
疾風三重奏で唯一、藤倉裕也と並んで見劣りしない顔面偏差値の高い男は、笑っていない二重瞼を真っ直ぐに向けてきた。完全に騙されていたのは自分の方だったと、オレンジリーダーは痙き攣ったのだ。

「…前世ってお前、何千年前の話だ」
「ん?俺達がまだ、ユウさんのお腹の中に居た頃かな?」
「マジかー、思い出しちゃったかー」
「俺の『業』って凄いんだよ、大地の下でぐるぐる巻きになってんの。でっかい蛇に巻きつかれてね、現世の俺は命だけしかないんだって」
「そうだね、お前の業は俺に喰われちゃったもんね。はい残念、お前はユウさんがなくした『好奇心』『執着』『恐怖心』のどれかでしかない」
「執着だよね」

窓を開けば、重機の音が聞こえてくる。すぐ近くから、絶えず。

「そんでお前が恐怖心。総長に従う振りして、自分じゃ終わらせられない世界を終わらせようとしてる。馬鹿だね、にほちゃん」
「お前に言われたくない台詞ナンバーツーが、それだったなー」
「ナンバーワンは?」
「『もうお前に興味ない』」
「あー、それ一生言わない台詞かもー。知ってる?俺の親父ね、自分の母親と寝てんの。そんで家政婦にも手を出したの。その家政婦は長野の出身で、東京で一人暮らしてた世間知らずで、シングルマザーなんか望んでなかったから、ある日金と引き換えに息子を売ったんだ」
「500円?」
「えー、もうちょっと高くないと、やだー」
「お前の母親の名前は?」
「有村」
「…有村?」
「自分達が明神だからってさ、仲間外れにしないでよ。何も違わない、お前は宍戸、梅森は宰庄司で、俺は有村だった。それだけ」
「有村って、まさか」
「俺は犬、初めから最後まで空蝉」
「此処に居たか、竜」

何の音もなく、下から聞こえてきた声に目を向ければ、ビシッとスーツを纏った男が佇んでいる。胸元に丸みを帯びた奇妙な形のバッジをつけた、執事風の男だ。

「あれ?あっちゃん、何で学校に居るの?」
「おまつ、誰?」
「ババアの従兄弟。東雲財閥で働いてる」
「村崎様を探しているんだ、見掛けなかったか?」

何処となくイントネーションが関東圏ではなさそうだと竹林が眉を潜めれば、ふるりと頭を振った松木は窓の外を指差す。

「東雲ちゃんは一年Sクラスの担任だから、あの辺に居るんじゃない?携帯出ないの?」
「裏のアンテナがやられて機能してない。敷地内全域圏外なんだ」
「そうだっけ、改造してないスマホは不便だねぇ。おたけ、教員用IDカードのセキュリティマスターコード知ってる?」
「TS850000425HDR」
「呆れた。…お前達はほんまにEクラスかいな」

几帳面そうな顔立ちの男が、苦笑を浮かべるのを見た。口調が変わると途端に印象が変わる。

「あら、関西?」
「おー、来た来た、ヒット。近くに居るみたい、オフラインでもWi-Fiルーターの電源さえ入ってれば、ざっとこんなもんよ」
「流石、竜。最近益々悪どい事に長けてきてんやないけ」
「いやー、秒でハッキングしちゃうハヤトさんにビシバシ鍛えられてるからね〜」

誉められている訳ではなさそうだが、帝王院学園組のカルマメンバーは獅楼を除いて器用貧乏ばかりだ。鍛えても鍛えても結果が出ない獅楼は、近頃とうとう花嫁修行に着手した。彼なりに色々と考えた末、料理なら上手くなれる可能性があると睨んだ様だ。
そこまでは良いのだが、佑壱以上に男らしさを勘違いしている獅楼は、賞味期限だの消費期限だのに重きを置かない。カビが生えた食材でも平気で調理するおおらかさは、南国育ちだからだろうか。たった六歳までの話だが。

「で、東雲先生が何かあったんですか?」
「いや、学園の見回りに出てから一時間以上経つんだが、戻ってこないらしくてな。奥様はともかく、旦那様が心配なさる前に連れ戻しておきたい」
「東雲ちゃん、ああ見えて東雲財閥の跡取りだもんね。たけこ、部活棟行く?」
「えー、やだな、あそこ帝王院が居たじゃん。同級生を陛下とか呼びたくないんだよね、竹林さんは」
「そら気が合うやん、俺も同級生を陛下なんて呼びたなかった。可笑しいやろ、友達を神さんみたいに持て囃すなんて」
「えー、良く判んない。竹林君以外の神様なんて、総長しか居ないもん、俺」

正論だと瞬いた竹林の隣で、松木だけが興味ないとばかりに首を傾げた。
階段を駆け降りていく男の背を仕方なく追い掛けながら、カルマの神様と言えば確かにあの男しか居ないと考える。誰の目で見ても向かうところ敵なしに見える佑壱ですら出玉に取られているのだから、シーザーは人間ではないのだ。

「あ、そうだにほりん」
「にほりん言うな、竹林さんと呼べ」
「いつも同じ夢を見るのに、今日だけ違ったんだ。ゴールに辿り着いた。俺をお前の所まで連れてってくれたの、総長だったよ」
「は?」
「闇に落ちると会えるんだって。月や星が出てると総長じゃなくなるらしい」
「何言ってんだ、オメーは。訳判んないよ竹林さんは」
「竹林君が会った総長ってさ、『どっち』だったの?」

にっこりと、恵まれた顔立ちに笑みを滲ませた幼馴染みが、まるで別人の様に思えるのは何故だろう。

「本物の総長はね、優しくなかったよ。いつもの総長と全く違うんだ。だってさ、にほ」
「何が違うって?」
「総長ね、俺らを全員、捨てるって」

窓の向こうの見事な青空が、酷く白々しく思えた。


























「誰か叫んでるな」

賑やかしい人の声の中、呟いた男は軽く目を閉じて耳を澄ませた。
叫んでいるのか怒鳴っているのか、遠くから聞こえてくる。そして恐らくそれは、一人分ではない。

「担架お願いします…!人数が多くて!」
「こっちにも居ました、1年Sクラスの生徒に間違いありません!」

距離と共にヘルツが弱まると、通常人間が聞き取れる音域ではなくなる。けれど耳の良さだけは自信があった為、閉じていた瞼を開いて喉仏へ手を伸ばした。

「…1年?」
「あんの糞女!何で高等部の制服着てんだ、テメェを幾つだと思ってやがる…!恥を知れ馬鹿が!」
「お?何だ、上から怒鳴ってた奴ら、知り合いだったのか?」
「あ?…ああ、幼馴染みっつーか、帝王院関係っつーか…」
「帝王院?学園長に娘は居なかっただろう?確か、俺が留学する頃に、息子が学園に入学しただの何だの、ニュースになったのを覚えてるぞ」
「…その帝王院秀皇の、嫁があれだ」
「んゃ?視力は年相応で普通に悪いんだ。あれと言われても見えなかったんだが、さっきの騒がしい女が次期会長の嫁ってか?」

ぱちぱち瞬く高野の表情は真顔だ。
さもあらん、言った高坂も未だに半信半疑なのだから、正解は何処にあるのか。帝王院秀皇の名前を知らない同世代は、恐らくこの国には居ないだろう。産まれた時から何かにつけて世間を賑わせてきた、帝王院財閥の一人息子だ。

「しっかし、坊っちゃまは何年か前に失踪したんじゃなかったか?欧米でも話が広まってたぞ」
「失踪っつーか、詳しい所までは実の所知らねぇ。色々面倒なんだよ、あそこは…」
「ほー?ステルス絡みか?」
「な、テメっ」

悪びれず宣った高野の口を慌てて塞いだヤクザは、怒っているのか狼狽えているのか判らない難しい表情で、声なく喘ぐ。誰が聞いているか判らない所で、この世界的芸術家は何を言い出すのか。

「…吐いて良い言葉とそうでない言葉ぐれぇ最低覚えろ、馬鹿か…!」
「良いと判断したから吐いたんだ。Lange nicht gesehen, Herr Fuzikura. Wie geht es Ihnen?」

高坂の肩越し、口を塞いでいた手をパシッと払い除けた男は、そのままその手を持ち上げた。
明らかに日本語ではない響きに目を丸めた高坂は、嫌な予感を感じずにはいられなかったが、軋む首をゆっくり後ろへ回したのだ。


「有り難い事に健康そのものだよ」

ああ、最悪だ。
嫌に眩しい男が二人、まるでクローンの如く同じ顔で見つめあっている。ぽかんと間抜けな表情で固まっている不特定多数の他人に、高坂向日葵はただ、心から同情した。
僅かに離れた所で他人の素振りをしている自棄に雰囲気のある男は、ヨーロッパ最強と言って過言ではないベルリンのベルゼブブではないか。グラーフシュヴァルツ、闇伯爵とも囁かれる、神の忠実な従者。

「…グラーフ、エテルバルド」

向かうところ敵なしだと思えた程、何事に於いても己を貫いた父親が唯一、絶対に敵に回すなとぼやいた男を見たのは、何年振りなのか。

「久しいね、獅子王の息子。君の父親が逝った時以来だから、そろそろ15年になろうか」
「何だ、二人共顔見知り?」
「私は高等部の理事だよ。全く、相変わらず君は面白くないと感じたものを覚えないね、省吾」
「あーあー、面白くないもんなんかこの世から消えちまえ」

どうして、今の今まで下らない話で盛り上がっていた日本人が、ドイツの魔王にも等しい男と談笑しているのだろう。事実は時として遥かに想像を越える。幾ら修羅場を掻い潜っていた極道であれど、理解の範疇を同時に幾つも越えられたら処理しきれないのも無理はないだろう。

ああ、繰り返す様で何だが、最悪だ。
恐ろしいドイツのエメラルドアイズを見たくもないのに見てしまうのは、目線を動かせば、彼よりずっと恐ろしい人間がどうしたって見えてしまうからだ。

「で、カミューさんや。あそこの無駄に足が長い美人はどなた?」
「金髪がノヴァ、もう一人はノアなのだよ。君は面識がなかったね」

白々しい台詞が、耳を通りすぎていった。
























「何だぁ…?どっかで見た面だと思ったら、アイツ…榊のストーカー少年じゃねぇか」
「れーときゅん、うちのまー君知ってんの?」
「まー?あ、榊の事ですか?同い年なんで、顔見知りっつーか」
「へェ?」

にやっと唇を吊り上げた茶髪が、しゅばっと窓辺から離れた。

「パパス、ちょっとシューちゃんを迎えに行ってくるわねィ。ほら、シューちゃん、方向音痴ですし」
「おお、すまんなシエちゃん。だが気をつけて行くんだぞ、制服で大半の者は誤魔化せる筈だが、誰にシエちゃんの顔を知られているか判らんからな」
「はァい。大丈夫ょ、パパス。みーちゃんが言ってたじゃない、私には絶対に誰も手を出さないって」

しかも遠野家最強の鬼母には、李上香と言うボディーガードがついている。正に鬼にこん棒だ。

「ご安心なされ、大殿。貴方と俊江の身は、この大河白燕がお守りしましょう。李、頼んだぞ」
「心得ております、社長」
「そうだと良いんだが…シエちゃんは可愛いからな、ステルス以外の不埒な雄が、」
「パパを迎えに行くわよ、めーちゃん!」
「………足が早いぞシエちゃん、最後までパパスの話を聞いて欲しかったよ…」

砂埃を巻き上げて消えた腐女子と忍者は、どちらも駿河の話を聞いていなかった。申し訳なさそうに頭を下げた大河の傍ら、一気に老け込んだ加賀城は上質な着物の帯に手を当て、微かな息を吐く。

「龍一郎兄、聡明な貴方が貧乏揺すりをするとは知らなかった。何を苛立っておられる」
「駿河の脳が劣化しているからだ。視力検査が必要らしいな、奴の目はどうなっている。それでも帝王院の当主か、嘆かわしい」
「これ龍一郎、宮様を呼び捨てにするとは何事だ。親しい仲は理解するが、それでも冬月の当主か師君は」

冬月の台詞は尤もだと加賀城は思ったが、学園の保険医として潜り込んでいた彼にしてみれば、学園長は雇用主だ。反して今日の今日まで死んでいた事になっていた遠野龍一郎は、究極のニートと言っても過言ではない。

「ふん、いつまで捨てた家に固執するつもりだ愚かしい。だから貴様は馬鹿だと言うんだ神崎龍人」
「…何だと?貴様、死人の分際で儂を馬鹿にするか遠野龍一郎」
「死人は貴様も同然だろうが、そもそも出生と共に葬られた次男は、冬月の家系図に載ってない」

成程、双子揃って死人らしい。口を挟むに挟めない兄弟喧嘩を、加賀城は無言で見守った。

「馬鹿は馬鹿なりに病床の妻を案じて娘をこさえた様だが、その娘が更に馬鹿だったとあってはお前も頭が痛かろう。高々子爵でしかなかった西指宿の末裔に一人娘を汚されるとは、奥方が草葉の陰で悔やんでいよう」
「自分は行方不明で痕跡一つ残さなかった癖に、まめまめしく儂の近辺を探っておったのか!何と言う奴だ、呆れて物が言えんぞ!」
「愚か者が!貴様の愚かな孫は俊に負けて帝君から転落したそうだな、悔しいか!悔しいだろう、俊は秀皇の見た目を継いだ挙げ句、この儂より賢く育った神の子だ!お前の孫なんぞ足元にも及ばんと知れ!」
「黙れ高々日本の外科医如きが!隼人は連日テレビやメディアで人心を掌握しておるスーパースターだぞ!貴様の孫など、茄子に割り箸を刺した精霊馬と見間違うばかりの短足ではないか!」
「聞き捨てならんぞ冬月!貴様、この帝王院駿河の前で我が孫の足を短いとほざいたかァ!俊の何処が短足だ、撤回せねばただではおかんぞ!」
「良し駿河、俺が許す。そやつを殺せ」
「ふ、二人掛かりとは、卑怯だぞ師君ら…!」

日本が誇る短足主人公、遠野俊の祖父がタッグを組んでしまった。スーパースターの祖父は二人から同時に白衣を剥ぎ取られ、脇腹や脇腹や脇腹などをつねられている。
とは言え、嵯峨崎零人は今それどころではなかったのだ。勿論、親馬鹿レベルが高過ぎる学園長や死人外科医に突っ込む暇もない。老双子の喧嘩に至っては、呆れている加賀城と同じく、他人が口を挟める雰囲気ではなかった。

「親父、皇子が見つかったぞ。ついでに高坂さんも下にいる」
「…聞こえてたわよ。信じたくなかったけど。やっぱり今の怒鳴り声はあの子だったのね」
「親父ぃ!ワシが見えますか親父ぃ、脇坂ですァ!ああっ、ご無事で良かった!親父ぃ!助けて下さい親父ぃいいい!」

赤毛親子が何とも言えない表情で顔を突き合わせる傍ら、色々と一杯一杯だったヤクザはす巻きにした『人質』から目を離し、光の早さで窓の外を覗き込む。若年性にも程がある老眼に悩まされていたヤクザは、米粒程の高坂組長を見つけるなり腕を振った。
然し、脇坂の愛するゴッドファーザーはちらっと見上げると、手を振り返す事もなく隣にいた誰かに話し掛けたのだ。

「…あ?誰だあの野郎、畏れ多くも光華会統括に慣れ慣れしくしやがって…!こうしゃいらんねぇ、ぶっ殺す!」
「待たんか脇坂、師君はこやつらを見張っておれ」
「あ?!」

光の早さで飛び出していこうと駆け出したヤクザは、よれよれの白衣に呼び止められた。相手が誰であろうと容赦しない極道の表情で睨み付けたが、保険医の隣で般若か閻魔の如く双眸を細めている鬼を見るなり、じょばっと漏らしたのだ。心の中で。

「…脇坂ァ」
「は、はははいっ、何ですか遠野の親父さん!」
「貴様は儂の話を聞いとらんかったなどと、ほざくつもりではないだろうな」
「き…聞いていました!はい!しっかり聞いていました!勿論ですとも!」
「加賀城と大殿に下手な護衛をつける訳には行かんからのう。悪いが、今のステルスは全て儂らの敵だ。元老院に下った前円卓の12柱が集うまで、暫し力を貸して欲しい」

本音は今すぐにでも向日葵の元へ駆けつけたい所だが、脇坂は肩の力を抜いて背を正した。未だに半信半疑だが、先代の名が出ているからには拒絶は不可能だ。

「自分に出来る事であれば、及ばずながら尽力させて下さい。代わりと言っちゃあ何ですが、会長には…」
「高坂には儂が直接話してこよう。学園内で最も目立つこの場が最も安全である事は、今の所は保証されておる。…ん?龍一郎、ナインとネルヴァはどうした?」
「儂が知るか。大方、秀皇を迎えに行ったんだろう」
「揉めなければ良いんだが、…それで、そいつらはこの場に置いておくのか?」

駿河が目を向けた先、天下のステルシリー幹部が見るも無惨にガムテープで巻かれている姿を見た一同は、それぞれ肩を落とした。

「これで完璧にルーク=ノアを敵に回したわね、クリス」
「仕方ないわ、兄様のお願いなんだもの。兄様から直々に頼み事をされるなんて、思ってもなかったけれど…アリー、そろそろ痛めつけるのはやめた方が良いんじゃない?死んでしまうわよ?」
「ああ、そうか。手加減を忘れていた」

今の今まで誰も目を向けなかった廊下の隅で、最後の最後まで抵抗していた小柄な女を血祭りに上げた金髪は、我に返った様に瞬く。

「見てみろ、クリス。やっぱり男だったろう」
「あら、本当。ファーストもゼロも男臭いから、てっきり女の子だと思ったのに」
「最後の台詞は『キルナイト』だった。恐らくコイツの言うナイトとは、秀隆の事だ。…シェリーに聞かれなくて良かったな」
「見覚えはないけれど、完全崇拝のルーク派って事ね。ノアが変わる事を快く思っていないんだわ」
「どちらにせよ、シェリーに聞かれていたら命はなかった」

気絶したらしい女装姿の半裸の男を、高坂アリアドネはゴミを見る目で手放した。どさりと落ちた体を見下すヘーゼルサファイアの双眸は、冷たい。

「シェリーの手は、人の命を救う為にある。貴様如きの屑じみた血で汚す訳にはいかないんだ、カスが…」
「女には手を出さないと言った癖に、女装だと容赦ないなんて、ふふ」
「イギリスは紳士の国だ、私は国を出るまで男として育てられたからな。幾らステルシリーの犬だろうと、女には手を出さないと決めている。…だが男ならば話は別だ。例え息子の日向だろうと、私に逆らうなら潰すまで」

男共は揃って、じょばっとチビった。
脇坂の寿命が百年程縮まったが、光華会幹部で高坂組の真の支配者を知らないヤクザは居ないので、駿河すら裸足で逃げ出しそうな遠野俊江親衛隊隊長を前に、ハンカチを差し出す勇気があるのは、彼女だけだったと言えよう。

「アリーは本当に俊江の事が好きなのね」

勿論、オカンのオカンだ。

←いやん(*)(#)ばかん→
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