帝王院高等学校
大事件!錦織要は二人いる?!
「ハニー、此処は危険なので外に出ましょう。ファントムウィングに乗って下さい」
「だから駄目だって。何人か見つかってないって言ったろ?イチ先輩と高坂先輩は教室に閉じ込められてるって話だったのに、どうも運び出された中にはいなかったみたいだし」

漆黒のバイクが照らす光の中、泥だらけになりながら瓦礫を漁っている山田太陽のデコに小さな擦り傷を見つけ、叶二葉はフレームの歪んだ眼鏡を掛ける事を諦めた。
弱視とは言え、ある程度の光源があれば見えない事もないと我慢勝負に出た様だが、幼い頃から二葉の視力は平均より低い。然し眼鏡を掛けていれば見たくもない太陽の怪我が目に入るので、妥協するしかないのだ。

「然し、此処にファントムウィングが1台しかないと言う事は、天の君が乗ってらしたバイクは地下に落ちたんでしょうかねぇ。…んん?おやおや?どうも私のファントムウィングではない様な」
「多分それ、俊とヤトじいのアンドロイドが乗ってた方だと思う。俺達が乗ってた方のバイクは、座席がもうちょい高かったし」
「ええ、私に合わせた車高ですからねぇ。…然し、特別機動部マスターの私以外に乗れる人間と言えば、言うまでもなくあの方しか…」

しつこく乗れと迫って鬱陶しがられるのは本意ではないので、案外我を通したがる性分の太陽を口で説得するのは、諦めるしかなかった。
とは言え、いつ崩壊しても可笑しくはない状況は変わらず、外からの救助を待つにしても、小刻みな震動が続いている所を見るに重機で地面を掘っているのだろう。向こうからはこちらの状況が判らない今、手探りの作業だと思われた。何時間懸かるか、考えたくもない。

「無作法な工業科に命運を握られているかと思うと、やるせない気持ちになりますねぇ。ハニー、大きな瓦礫は私が支えますから手を離して下さい、怪我をしますよ」
「全員の無事が判って助け出せれば、壊れようがどうなろうが構わないだろ?」
「正論ですが、生徒の氏名も判らずに搬送したと言うんですから、手懸かりはないも同然ですよ?」

ちらりと裸眼の二葉が目を細めて振り向いた先、太陽と同じくドカンドカンと瓦礫を蹴散らしながら生存者を探している白衣は、太陽と二葉の会話が聞こえていたのか肩を竦めた。

「名前は判らないが、数は覚えてるっつったろ?眼鏡掛けてたのはお前ともう四人、そいつらは先に運び出した」
「黒縁眼鏡はいなかったんですよねー」
「赤い眼鏡が三人と、レンズだけの眼鏡掛けてる奴だったょ」
「溝江君、宰庄司君、武蔵野君に野上君だ」
「待って下さいハニー、そう言えば天の君は眼鏡を掛けていましたか?」

浴衣の袖に手を突っ込んだまま呟いた二葉に、はたりと目を丸めた太陽は天井を見上げる。剥き出しのスライドレールが、地上が振動する度に壁を削っていくのが見えた。バラバラと散るコンクリートの粉末が、収まっていた湿った匂いを巻き上がらせる。

「そう言えば、朝早くに風呂入ったんだよねー。そん時、眼鏡掛けてなかったよーな」
「お風呂ですって?天の君と入ったんですか、この私を差し置いて…」
「学園長と理事長、ついでにお前さんのお兄さんもいたけど?」
「文仁?!」
「違う」
「…ああ、冬臣兄さんですか。それなら安心です」
「は?何が安心だって?文仁さんよりずっと恐いんだけど、俺としては。プロポーズされたし」
「は?プロポーズ?まさか、冬臣兄さんが、ですか?」
「そうだよ?」
「そんな筈が…」
「どゆこと?」

表情を曇らせた二葉に、瞬いた太陽は首を傾げた。二葉が太陽を疑う事はない筈だが、それにしては信じられないと言った表情だ。

「兄さんは勃たないんです」
「へ?」
「調べたので間違いありません。お陰様でヴィーゼンバーグの老害共を黙らせる切っ掛けになったんですが…」
「何それ、どゆこと?冬臣さんが不能なのとお前さんがどう関係あんの?」
「実は私、産まれた頃は女だと思われていたそうでしてねぇ」

二葉が呟いた台詞で、太陽の眉がピクッと動いた。確かに二葉は可愛い。面食いの太陽がそう思うくらいだから、二葉の性格を知らない他人は十割方二葉を褒めるだろう。

「顔がかわいかったからだろ。貴葉さんもめちゃめちゃ美人だし…」
「いえ、子宮があったんです」
「………はい?」

山田太陽は感電した。ビリビリと。
呆気に取られた太陽の表情を真顔で見つめる二葉は、恐らく心のファインダーを連写か録画モードに切り替えている。びくりともしない。

「お前さん、立派なモンぶら下げといて子宮って、どゆこと?え?聞き間違い?おかしいな、俺はこの目で見たっつーか、触ったっつーか、…ちょいと確かめさせて貰いますねー」

恥ずかしさがないのか、二葉に近づいた太陽は笑顔で二葉の裾を剥いだ。がばっと。

「生えとるやないか〜い」

そして下品な突っ込み一発、股間から目を離し暫く二葉の太股の付け根を眺め、満足げに手を離した。

「ナイス切れ込み。先輩の骨盤と太股を繋ぐ鼠径部は、多分俺の為にある」
「そうですか、それは宜しい。目を逸らしたくなるお気持ちは判らなくもありませんが、落ち着いて下さいハニー」
「これが落ち着いていられるってんだ!何なの、お前さんはこんな立派な鼠径部に凄まじいモンぶら下げといて、女の子だったのかい?!」
「いえ、卵巣はありません。子宮らしきものがあっただけです」
「ちっとも判りません!」
「半陰陽だろィ?」

床を見つめては屈み込んでいた白衣が、背中を向けたまま宣う。
ぴたりと動きを止めた太陽の傍ら、近眼の二葉はやはり目を眇めたまま首を傾げる。

「半陰陽?」
「中性って奴。昔読んだ医学書に何か書いてあった気がするんだが、すっかり忘れちまったなァ」
「アンドロジナスとも呼ばれ、男でも女でもない存在として知られています」

進学科の生徒が卒業後に医学部へ進む事はままあるが、医療関係の進学に強い専門カリキュラムは二年生からの選択科目に入っている。余程興味がない限り、図書館に幾らか置かれている医学書を読んだ事のある生徒は然程いない。
勿論、基本教科の英語と数学に苦しめられている太陽も、選択科目は暗記系のものを主に取っていた。テスト前以外はゲームで睡眠時間が削られる太陽に、図書館へ通う日課はない。

「多くはどちらかに性転換するそうでしてねぇ。私の場合は転換するまでもなく性器は男性器しかありませんし、精巣もしっかり発達していた為、数年前まで体内に子宮と思われる未発達の外殻が残っていました」
「数年前までって事は、今はないの?」
「ええ、ありません。母親の胎内でどんな誤作動があったのか判りませんが、染色体検査でもXYの男性体である事は証明されています。然し、私の名が二葉である様に、母も姉も、私が女だと思っていたのかも知れませんね」
「冬臣、文仁、二葉、こんなに揃っててそれはないんじゃない?」
「貴葉姉さんの名前は父がつけたそうです。兄二人は存命だった祖父が名づけたそうですがねぇ、文仁から聞いた話ですが、母の桔梗と言う名から頭文字を取ったと」
「だから、キハか。だけど実際はタカハ?」
「ええ。おっちょこちょいだったんでしょうね、ヴィーゼンバーグの前公爵は。それか、日本語が下手だったのか」
「確か貴葉さんがそんなことを言ってたよ」

背伸びした太陽に頭を撫でられた二葉は、やや腰を曲げた。身長差から額に近い所を撫でられたからだが、太陽の頬がぷくりと膨れる。拗ねたらしい。

「何が子宮だよ、無駄に180cmもあるとか…」
「181です」
「くそ羨ましい。足ちょんぎって分けてくれてもいいよ」
「的確に痛そうな所を狙いますねぇ。まぁ、分けるのは吝かではありませんが…」
「吝かだろ、そこは。危ないことしないでよ?」
「うふふ」
「駄目だこの人、かわいさで俺を騙そうとしてる。こんにゃろめ、お前さんは俺の後ろに隠れてなさい。かわいいんだから」
「はいハニー、私がぴったり張りついて守ってあげますからねぇ」
「お前らの会話、イマイチ噛み合ってねェよなァ?」

呆れ混じりの突っ込みに、太陽も二葉も聞こえない振りをした。都合の悪い現実からさらっと目を背けられるのが、二人の共通した特技と言えるだろう。

「それにしても、貴方は本当に医師免許をお持ちではないんですか?」
「あ、それ俺も思った。何か見れば見るほど、テンション高めな振りして意外とツッコミっぽいとことか、若い方のヤトじいに似てる気がするし」
「…そりゃそうだろィ」
「へ?」
「や、何でもねェ。まァ、お互いそんな話は後にしようぜ、山田太陽。無事こっから出る事を考えとけ。お前、何か危なっかしいしよ」
「お前言うな」
「その通り!畏れ多くも左席委員会副会長に向かって危なっかしいとは何事ですか、危なっかしいのは私の理性だけですよ!傷だらけのハニーにときめく気持ちを押さえられそうにないのですからねぇ、ええ!」
「おい中央委員会会計、お前さんの今の発言に対して不信任案叩きつけるよー、こら」

うっかり素直な本心をペロッと吐き出してしまった二葉は、笑顔の太陽に足を踏まれながら口を覆った。今までこれほど迂闊な失言をした事がなかった二葉は、一体何が起きているのかと眉を潜めたが、荒ぶる左席副会長に踏まれた足を痛がる余裕がない。

「危なっかしいのは皆同じでしょ。何でもいいけど、俺は人にお前とかアンタとか代名詞を使うのが苦手なんです。名前くらい教えて下さいよ、じゃないと怪しい奴って呼びますからねー」

ノーダメージそうな二葉に舌足らずな舌打ちを放った平凡は、苛々している自分に気づいて息を吸い込んだ。一度剥がれた理性を幾ら取り繕った所で、ぼろ切れでしかないと言う事は判っている。

「怪しい奴って…確かに否定出来ないけど、かなり酷いぞ?」
「怪しくないなら証明して欲しいもんですけど。こんな時じゃなかったら」
「名前…名前かァ。あー、じゃあ、リヴァイ?」
「りばい?」
「ヤコブの子ですか」

首を傾げる太陽の傍らで、わざとらしく眉を跳ねた二葉は蒼い瞳だけ器用に眇めた。

「お前、目が青っこいな。晴れた空みてェ」
「あ、判ります?二葉先輩はお父さんがイギリス人なんですよー」
「昔さァ、真っ赤な目をした奴を見た事があんだ。俺の兄貴にべったりくっついて、本気で殺してやろうかと思った事もあったっけ」
「へ?!殺す?!」
「おやおや、物騒ですねぇ」

飛び上がった太陽の肩を宥めながら、リヴァイと言う言葉を口の中に含めた二葉は眼差しを細める。しげしげと、窺う様な表情だ。

「だから赤い奴は嫌いだけど、蒼い奴は好きだぜ。俺の嫁さんも両目が蒼かったんだ」
「りばいさん、結婚してるんですか?」
「…駄目だ、舌足らずなアキが可愛すぎて勃起しそう」
「何か言ったかい中央委員会会計」
「あ。やっぱ音が聞こえるなァ」

はたりと足を止め、床を見つめた男が呟いた。
二度目の失言で太陽の頭突きを食らった二葉は、流石に痛みこそないが目から火花を散らし動きを止めたので、白衣の男が呟いた「音」は聞いていない。

「下からですか?もしかして人の声?」
「誰かが怒鳴ってんな、多分。…どっかで聞いた様な声だが、60年経ってて有り得る筈がねェよなァ…」
「え?」
「ちょっとこっち、照らして貰えるかィ?」

ひらりと白衣を靡かせて大きめな穴から下を眺めた男は、太陽の傍らにあったバイクの光を二葉によって向けさせると、顔を限界まで穴に近寄らせた。

「…あ?」
「何か見えますか、りばいさん?」
「アイツ…まさか?!」
「ほわ!」

しゅばっと体を起こした男は、穴を覗き込もうとした太陽の体を二葉目掛けて突き飛ばすと、足を振り上げたのだ。

「テメェ!その面ァ80年前から見忘れてねェぞ、雲隠陽炎ォオオオ!!!」

躊躇わず穴の中へ足を踏み出した男の白衣が、すぽんと消えていく。
目を限界まで見開いた太陽は背中を二葉に支えられたまま、ぱちぱちと忙しなく瞬いた末、呟いた。

「あ、あやつは阿呆か…?!」
「いえ、そうでもないかも知れませんよ」
「何だと?!何の役もない下賤の分際で、余を突き飛ばしおったあやつがか!」
「ハニー、ミュージカルブームが到来したんですか?もしかして左席の出し物ですか?しっかり録画させて貰いますからねぇ」
「何を戯れ言を…!」
「リヴァイとは聖書に乗っているレビの末裔を指す、レヴィ族の英訳です。ヘブライ語ではレヴィ、英語ではリヴァイ。…イエス=キリストの高祖父であると記されています」

肩を怒らせていた太陽の頬を撫でながら、淡い笑みを浮かべた二葉の双眸が床へと向けられる。太陽に向けた優しい眼差しとは真逆に、冷めた目だ。

「中央情報部のサーバーに、今尚その名が残っています。立場上は十代男爵の祖父、理事長の帝王院帝都の実父に当たりますねぇ」
「…それって、レヴィ=グレアムのこと?」
「ええ。それにしても困ったものです、私のハニーにステルシリーの重要情報を垂れ込んだ人間が居るとは…」
「俺、ブラックジャックになれって言われた。理事長に」
「コードからして怪しい事この上ない。コードに『黒』を名乗れるのは、クイーンだけだと言われているのに」
「クイーン…。あ、それってメア?男爵の奥さんのこと?」
「ナイト=メア=グレアム、レヴィ=グレアムの最後の伴侶は日本人です」
「ちょいと待って。待って待って待って、んんん?どう見たって日本人だったよね、りばいさん?」
「ハニーがりばいさんと言う度に私のアレが『やばいさん』になります」
「…」
「おや、そんなに冷たい目で見ないで下さい。自分でも今のは酷かったと思っていますから…」

笑顔が崩れた二葉が目を逸らし、太陽は息を吐いた。素直な事は良い事だ。が、時と場合による。

「お前さんのやばいさんはともかく、日本人が『レヴィ』を名乗った事が気になるんだね?」
「ええ。ですが、キング=グレアムが即位したのは、社のデータベースによると60年前だそうです」
「60年…!ほんと、理事長の若作りが凄過ぎる」
「ええ、あれは正に化け物ですよ。ですから、陛下は過去に己をキングのクローンではないかと考えてました」
「シンフォニー…じゃなかった、えっと、シンフォニア?とか言うやつ?」
「ええ。然し完全なクローンは難しいでしょう。
 キング=グレアムには、先天的な欠陥が余りにも多かった」



























「離しなさい!っ、コラ!何処を触ってるんだ!離せと言ってるだろうが…!」

ぬめぬめと、何とも言えない感触に包まれた錦織要は、得体の知れない虹色の物体へ叫んだ。金属の様な硬質な煌めきが混じる濃い色合いは、レインボーと言うより、何処か玉虫を思わせる。見るからに毒々しく、触るのは愚か、本来なら目に写したくもない。

「俺を何処に連れていくつもりですか!ええい、離して下さい!聞いてるのか、おい!」
「ららら、らら〜♪」
「総長の声真似で油断させるなんて、卑怯な…!」
「今夜はご馳走、今夜はご馳走♪ららら〜ん♪」

遠野俊そっくりな声音を放つ、明らかに人の形ではないそれは、ゼリー状の様な瑞々しい感触を除けば金属のオブジェに見えない事もないだろう。感触はつきたての餅に似ているが、弾力感はそれだが粘着力は微塵もない。ぬちぬちした物体に、くるんと挟まれていると言えるだろうか。

「黐線蜘蛛條蜘蛛絲黐住ロ左枝樹枝…」

ずりずりと這う様に樹海を突き進む物体に運ばれながら、視界に空か木々しか映らない仰向け姿で要は呟いた。その呟きに意味はほぼない。ただの現実逃避だ。

「くっろ!くっろ!真っ黒くろすけ、出ておいで〜♪ららら、ら〜♪ほぇ、楽しいにょ。さァさァ、一緒にお歌を歌いま、」
「ロ羊事呀?(…んだと?)」
「ぷはん。さーせん。ららら〜♪」

ああ、何がどうなったらこんな事になってしまうのだろう。待てど暮らせど獅楼や北緯の声は聞こえず、要は早々と悟った。自分が人に好かれる性格ではない事は、とうに知っている。
だからと言って、声音だけテンションが高すぎる俊そっくりな何とも言えない物体に、ドナドナの如く運ばれたくはなかった。こつこつ貯めてきた貯金の半分を投げ出しても、助けて欲しかった。

仕事以外では基本的に動かない、叶二葉と言う二重人格鬼畜野郎に何度も『ロイヤルミルクティー買ってこい』とパシられ、おつりを毎回せこせこ貯め、中等部に進学した頃から本格的に株を始めてから数年、祭家からの送金には一円も手をつけていない。初等部へ入学した頃から、実のところ祭の金には手をつけた事がなかった。
それこそ入学費用や授業料は数年前まで甘えたが、食費に関しては給食制の初等部では授業料に含まれており、自炊に切り替わる中等部からは実費負担だが、株で利益が入るまでの僅かな日数だけ切り詰めたが、以降は今に至るまで食う寝る遊ぶに苦労はしていない。

要には自立している自覚があった。確かな自信に基づいた確信は、同じく自力で生活費を稼いでいる神崎隼人に何一つ負けていないと思っているからだ。成績も炊事能力も何なら身長も完敗しているが、圧倒的に隼人より強靭な体がある。魔王白百合にビシバシ苛められてきた過去は、伊達ではないのだ。
但し二葉に腕相撲で勝った事は、一度もない。人と手を繋ぐと言う行為を笑顔で『キモい』と吐き捨てる潔癖症は、例え幼い頃から知っている弟同然の要であっても、犬の糞程度にしか思っていないのだろう。要が知る限り、二葉が嫌がらせ以外で人に『ハニー』や『ダーリン』などと宣う事は、まずない。それも相手は親しい人間に限定される為、大半が高坂日向か雇い主の帝王院神威相手だ。

そんな性格と人格に多大な致命傷を負っている二葉が、弾けんばかりの笑顔で隼人と要にお茶を淹れてくれた。それも自室に招いて、だ。
あの時、恐らく要は三度は死んだと思う。終始口数が少なかった隼人に至っては、差し出された湯飲みに最後まで口をつけなかった程だ。自分が飲むジュースも人をパシらせる様な男が、手ずから淹れてくれた湯飲みに、毒が入っていると疑わない人間が果たして存在するのか。聡明な要にも判らない。
躊躇なくガバガバとお代わりを繰り返した山田太陽は、今や要の中で『ある意味最強の馬鹿』と言う地位を欲しいままにしている。少なくとも獅楼ですら口をつけたりしないだろう。


そんな世界に一人居ても持て余す様な存在である二葉の、クローンが現れた。要が真っ先に逃げ出したのも無理はないだろう。幸いだったのは、二葉同士が一触即発状態だった事だ。二葉は真っ先にその場で最も強い相手を捕捉する癖があるので、あの場では間違いなく二葉が最も強い男だった。

二人の二葉が睨み合っている事を逆手に取り、東條を皆から引き離したまでは計算通りだ。
夢の中にしては生々しい状況で、考えなければならない事は山積みだったが、わざわざ二葉の前でカルマの暗号を使って伝えてきた東條の真意を、手始めに知っておく必要がある。要はそう判断した。

『俺の母が生きていると、総長から伝言があった。どう言う意味か判りますか?』

佑壱が自らスカウトした唯一の二年生は、計らずもそれを知らなかった隼人が佑壱と同じく声を掛け、左席委員会代理役員に当てている。隼人が左席委員会会長権限に値するクロノスリングを手に入れたのは、昇校間もなくの事だった様なので、隼人がカルマに入る前の話だ。
指輪と共に封筒に入れられていた手紙に、東條清志郎をパートナーにしろと書かれていた。初めは流石に不審に思った隼人も、指輪が本物だと知ると好奇心が勝った様だ。住み慣れた地元から離れ、親しい人間のいない本校の生活に退屈していたのではないかと、要は思う。隼人が昇校した頃は、帝君を逃した要が如何に食費を捻出するか頭を悩ませていた頃なので、余り覚えていない。

とは言え、隼人程ではないが大食漢だらけのカルマに属する要は、当時佑壱が気紛れにくれたおやつや、大河朱雀と言う馬鹿だが気前の良い幼馴染みに堂々と『奢ってくれ』と詰め寄って、事なきを得た。
引き替えにヤらせろと詰め寄られたものだが、喧嘩の腕前は隼人と同程度の朱雀に負ける事はない。流石に大河の嫡男を殺す訳にはいかないので、軽くシャープペンで太股をぶっ刺す程度だ。

要にとっては些細な日常茶飯事だが、一般的には事件である。


変に疑り深い隼人が何だかんだ3年間も隠してきたパートナーだけあって、東條も口が固い男だ。四重奏トップの要に敬意を向けてくれている様だが、最近まで左席委員会の事は一言も喋らなかった。
そんな男が、現状を例え夢の中と思っていたとして、二葉の前で自らカルマだと証す様な真似をしたのは単に、狼狽していたからだろう。事実、ダブル二葉から離れた所まで逃げた要が、後を追ってきた東條と合流した時、彼の表情は複雑そうの一言だった。

『アゼルバイジャン側の愛人から母を隠す準備の途中に、先手を打たれた筈だったんです』
『それは本当に総長からのメッセージですか?』
『恐らく、としか。声は間違いなくシーザーだったと思いますが、声色を変えるくらいは誰にでも出来る』
『…ええ、サブマジェスティが良い例ですよ。光王子の声帯は、俺が今まで確認しただけで6オクターブ可変します』
『閣下の声真似は、それを知っている俺でも現場を見ていないと本人のものだと思ってしまう。だとしても、だったら俺を騙して誰が得をするのか考えると…』
『確かに答えは出ないでしょうね。判りました、念の為、俺から総長に尋ねてみます』

東條との会話はそれまで。騒がしい足音に妨げられ、振り返れば何と言う事はない、ABSOLUTELY幹部の姿があるではないか。子供を追いかけてきたと言う獅楼と北緯は、何故か西指宿まで連れてきてくれたのだ。
あの状況では仕方ないと思えたが、東條が親友だと噂されている西指宿に何処まで話しているのか確かめずに、カルマの話は出せない。最早手遅れと言う気がしないでもなかったが、隼人の腹違いの兄とは言え、ウエストはABSOLUTELYランクBのリーダーだ。これからどうすると言った西指宿に対して、要は先手を打つ。この場では俺がリーダーだと宣言しておけば、後々動き易くなると踏んだからだ。現状、二葉と西指宿は邪魔でしかない。

そして、一同は子供のものと思われる悲鳴を聞いた。
樹海の中、突如として姿を現した虹色の沼に腹の辺りまで漬かっていた子供が泣きじゃくっているのを認め、真っ先に飛び出したのは北緯と獅楼だった。然し丁度その時、沼だと思っていた虹色のそれが、巨大な生物である事を知ったのだ。

『ららら〜♪おいし〜♪美味しいご飯、取ったど〜♪』

どろどろとマグマが沸き上がる様に盛り上がっていった虹色は、獅楼達の視界を塞いだ。
あの子が巻き込まれると言って飛び込んだ東條と西指宿は、俊の声で歌う得体の知れない虹色に呑まれて見えなくなり、勇ましく巨大なゼリーと応戦していた北緯が何とか引きずり出した子供を慌てて抱き止めた要は、次の瞬間には、ゼリーにパクッと巻かれていた。

助け出した子供が何処かで見た顔をしていた気がするが、今はそれ所ではない。まさか自分に似ていたなどと、有り得る筈がないからだ。有り得ないと信じたい。

それにしても、何処まで連れていかれるのだろう。



「何処」

音だ。いや、人の声だったかも知れない。
す巻きにされていた要がコロンと地面に転がされて、辺りを見回せば巨大な大樹が繁らせた葉で空が見えない樹海の最奥に居る。生命の音は何もしない。虹色の姿もない。
自棄に静かだと考えた刹那、大樹の太い幹から伸びた太い枝に腰掛ける、仮面の男を見たのだ。

「っ、陛下?!」
「や、み、に」
「…は?」

ぷつぷつと、古びたレコード盤の如く途切れる声音だった。目で見ていなければ声だと判らない程のノイズだ。

「闇、に、溶けな、い、と、月は見、えな、い」

一音一音ごとに、遠くから、近くから、複数の音声を混ぜた様な声音が鼓膜を震わせる。髪も服も余すところなく真っ黒な男の、顔を覆う金属質な仮面だけが、悍しい程に白い。
ああ、神に似ている。少なくともこの威圧感と仮面は。けれど色合いは、真逆ではないか。

「な、何なんですか…?!」
「偶発的な歪みに意図的な雑音が紛れた」
「っ?!」

一瞬、壊れたラジオの様な男の声が、明瞭な響きで届く。
まさかと目を見開いた要の視界には、ゆらゆらと、今にも消えそうな陽炎の様な風体で揺れる人の形があった。

「騙されるな。俺は神でも父でもない」
「その、声は…」
「業とは虚ろ。あると思えばあり、ないと思えばない。業とは偽り。魂と命は表裏一体。否と負は表裏一体。否定するも負うも、全ては虚ろ」

歌う。
歌う。
その声は静かに、何の感情も滲まない声音で、まるであの男の様に。

「騙されるな。俺は空蝉、俺の魂は既に存在しない。魂と言う理性を失った体は本能のまま、定められた『自由』に囚われた。俺は空蝉。何処へも還れない、誰の魂も救えない、人の形をした成り損ないだ」

けれどその声はあの男とは違う、別の男のものとそっくりだ。聞き間違える筈がない。例え、夢の中だとしても。
虹色の沼地が漆黒へと染め上げられていく過程、木々も空も全てが色を失って灰色へと変わっていくのを見ている。声もなく。

「朝の中で人は月を見つけられない。…そうだろう、要」

ゆらゆらと、揺れる男の声が戦慄いた。
酷いハウリングに顔を歪めた要の目の前で、片腕を持ち上げた黒は、宙に三角を二つ、描いたのだ。

「裏と表に重ねた三角は、ほんの一瞬、星を描くだろう。お前を正しく導く為に」
「そ、うちょ」

ああ。
灰色の世界から色が消えていく。



「Rebirth your eyes、
 …さァ、光さえ呑み込む黒日へ征こう。」


最後に見たのは星だったのか、月だったのか。

←いやん(*)(#)ばかん→
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