第1章・第3話
ノーデンスはスラム街に入ると、早速街を歩いて回った。
街の建物は石造りを基調とした物が多く並び、昼間だというのに街に活気はなく、時折喧嘩をしている人間や盗みの姿がチラホラと見えた。
頻繁に目に止まったのは、道に見窄らしい人間が地面に座って俯いていたり、寝転んでいる姿だった。
「貧しい所だと聞いてはいたが、こんなに淋しい所とはなぁ」
そんな人を見かけながら、蛇のように街を右へ左へ抜けていくと、何やら怪しい人間達がこの場には到底見合わない物を売っている姿を見かけた。
確か闇商人…そんなのだったかな。
盗品や違法物、正規のルートでは無い様々なモノを売っているとか何とか。
もしかしたらユゴスのおこぼれが売っているかもな。
そんな冗談を考えつつ、興味の唆られる闇商人の元へと足を踏み入れた。
【第1章・第3話 少年】
しかし予想以下。
怪しい薬や麻袋に入った怪しい物など、何となく味気ないものばかりしか見られなかったのだ。
良くて、蜂が瓶詰めにされた液体が、ほどよい狂気に満ちていたぐらいである。
闇商人を名乗るくらいなら、せめて神書や神話生物の目玉くらい置いていて欲しかった物だ。
かぐや姫のお題内容を見習って出直して来い。
ハズレ!そう言い捨ててこの場から去ろうとした時、前方から3人の人間がこちらへ走ってきているのが見えた。
3人は颯爽とノーデンスを横切り、土埃が混じった涼しい風が舞い上がる。
「待て糞ガキ!」
青年…いや、少し大人びた風貌の少年を追いかけている男2人。
治安が悪すぎる。まだ夢の国の方が統治が整っているな。
そんな事を考えの隅に置いて、先程の3人に意識を向けた。
言動や行動から考えると、どうやら少年はあの2人に追いかけられている、という状況のようだ。
さて、どうするか。
***
「待ちやがれ!」
そう言いながら、少年を必死になって追いかける大人2人。
少年は走るスピードを落とすこと無く、坂道を下っていく。
追いかけられているのに、待てと言われて待つ人間なんていないのだ(例外もある)。
少年は男達を撒くために、大通りから脇の裏通りへと進路を変えた。
時々ゴミ箱や通行人にぶつかりながらも、男達はしつこく追ってくる。
次第に少年との距離は縮み始め、あと僅かで捕まろうと思われたその時、また少年は脇道に姿を消した。
男達も続くように脇道へと身体を向けると、驚くような光景が目に入った。
「な、壁だと!?」
しかし男達の目の前には高い壁があるだけだった。
確かにここを曲がったはずなのに、目の前は行き止まり。
男達は空想の話で聞くような、奇妙な出来事に頭を混んがらせた。
だが男達はかなり諦めが悪いようで、闇雲にでも少年を探し始めたのだった。
「ひゅー危ない危ない。間一髪だったね少年」
「誰だお前、離せ」
そう言って、腕を掴むフードを被った人物の手を振り払う少年。
手の甲が顔にバチーンと当たったが、ティンダロスの体当たりよりは痛くない。
助けたのにその態度は酷い!と言うが、青年は鬱陶しい様に言い放った。
「誰も助けろなんて言っていない。
あんな奴等からなんて、簡単に逃げ切れる」
「そうかそうか、凄い凄い。
でもあんな奴等に追いかけられるなんて、大変だろう?
ちょっとしたお節介をしてあげるから、あんまり悪い事をしないようにね」
フード付きコードを着た人はそう言うと、ヒラヒラと手を振ってそこから立ち去って行った。
意外だ。
変な奴だから、てっきり助けた礼を寄越せなんて言いよるかと思ったら、あっさりと行ってしまった。
だが最後の言葉、あれには頭にきた。
ここの事情を知っているだろうに、あの言葉は理解できない。
悪さをするな?
じゃあどうやって生きればいいんだ。
少年は沸々と沸く怒りに、拳を強く握り絞めた。
しかし怒りをぶつける相手は既にいない。
煮え切らない気持ちを押さえ付け、あの男達に見つからないようにその場を立ち去る事にした。
ポケットに手を入れて歩こうとした時、硬い何かが爪先に当たった事に気が付いた。
何だろうと取り出してみると、指先には美しい青色の宝石がキラリと光って摘まれていた。
見たこと無い物がいつの間にか入っていた事に、少年は驚いた。
そしてふと、あの人物が浮かび上がる。
先程の怪しいフードの人間だ。
何かお節介をしたと言っていたが、もしかしなくてもこれの事を言っていたのだろう。
何故こんなことをするのか。
先程までイライラしていた気持ちに、モヤモヤとした気持ちが上乗せされた少年は、美しい青色の宝石を複雑な表情で見ながら帰路に入っていた。
少年が路地を抜けて大通りを歩いていると、先程から若者や大人など多くの人が、急ぎ足で同じ方向に向かっている事に気が付いた。
何かあったのだろうか。
そう疑問に思っていると、道の側で大声で話し合っている2人の話が聞こえてきた。
「おい聞いたかよ、酒場にスゲー奴が来てんだってよ!」
「ああ聞いた。
ポーカー、麻雀、色んな賭事を勝ちまくるすげー博打打ちだってな」
こんな街だ。昼から酒を飲み、賭け事をする奴なんて珍しくはない。だがこの街に、賭け事が飛び抜けて上手い奴がいるなんて聞いたことがない。
何か、引っかかる事がある。
いつの間にか少年は、何かに引っ張られるように酒場へと歩いていた。
***
酒場の窓やドアの付近には、大勢の野次馬が押し掛けていた。
近寄って中の様子を窺うのは難しいだろう。
そう思っていると、窓ガラスを割って椅子が飛んできた。
近くにいた人はそれがぶつかって気絶をしていたり、硝子の破片が刺さったりしていた。
そして筒抜けの窓から、今度は男の怒号が聞こえてきた。
「てめェ!イカサマしてるだろ!」
「イカ様だと!?
君は私をクトゥルーと同類に扱うのか!?んん?!」
男の怒号の次に、何処かで聞き覚えのある声の怒号が聞こえてきた。
「何急におかしな事言ってんだテメーは!
いかれてんのか!?」
「イカイカとやかましい人間だな!
発狂したいのか!?血液をてんとう虫にするぞ!」
「訳わかんねえこと言うんじゃねえ!
金返せこの詐欺師!」
怒り狂った声が聞こえたと思いきや、今度は別の窓から机が窓ガラスを割って飛んできた。
次に酒場のマスターが、ガラスコップを拭きながら飛んできた。
周りにいた人達は謎の連携プレーを発揮し、ガラスコップを無心に磨きながら飛んできたマスターを上手く支えた。
ここはいつから世紀末になったのだろうか。
異端な光景に、少年の思考は上手く回らなかった。
そして今度は何に驚いたのか、ドアの周りにいた人や割れていない窓の付近にいた人達は、慌てて店から少し離れた。
すると先程机が飛んできた窓から、見覚えのあるフードを被った人物が腕をクロスさせて飛び出して来たのを見た。
間違いない、あのフードの人だ。
あっと声を出すと同時に、フードの人物はこちらに気づいたのか、少年の方へと駆け足で向かってきた。
「やあ少年また会ったな!
どうしたんだいこんな所に来て。
君は未成年だから酒場には来ないはずだが…?」
「逃げるんじゃねえ!ぶっ殺してやる!」
「おっと話している暇は無いな…
じゃあ、逃げるか!」
そう言うと、フードを被った人物は少年の腕を引っ張り、建物の脇道へと逃げ出した。
抵抗する暇も無かった少年は体勢を崩したが、直ぐにバランスを整えて、腕を引っ張る手を引っぺがそうと奮闘する。しかし想像以上に力が強く、振り払うことはできなかった。
「どうして俺を巻き込むんだ!」
「え、寧ろ巻き込まれに来たんじゃなかったの?」
意外!それは勘違いッ!そんな顔をして驚く。
どこが意外だ、勘違い甚だしい。
「そんな訳無いだろう!離せ馬鹿野郎!」
「離していいのかな?
私は構わないけど、あの男に追い付かれて、私とグルだと思われて大変な目に会うのではないのかな?」
「誰のせいだと思ってるんだ…!」
賑やかな喧嘩をしているうちに、2人は脇道を抜け出した。
あの男を撒いた事を確認すると、フードを被った人物はやっとで手を離した。
「まあ巻き込んだのは悪いと思っている。
後であの男には話をしておくから、安心してくれ。
じゃあ機会があればまた会おうカイト君!」
そう言い終わると、フードを被った人物は少年を置いて大通りへと走り去ってしまった。
嵐のような事が突拍子もなく何度も起き、呆気に取られていた数秒後、あの人物のとある言葉に少年はゾワッと鳥肌が立った。
「なんで名前知ってるんだ……」
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