企画モノ
願い事はゼロ個
六条家の人々は季節モノに力を入れる。
それは本物のモミの木を飾りつけるクリスマスしかり、大量にジャック・オ・ランタンを作るハロウィンしかり。
もちろん七夕だってそうで、六月の終わりになるとメイドさん達が玄関に大きな笹を飾る。
行き来する人が誰でも自由に飾り付け出来るように、ちゃんと近くにテーブルを出して、短冊と紐と色ペンの入った箱を置く。
ところが結婚したばかりで、まず六条のお家に慣れることを優先していた私は、七夕の夜に大学から帰ってくるまで綺麗サッパリ笹の存在を忘れてたんだよね。
毎日前を通り過ぎていて、チャンスはいつでもあると思ってたのがいけなかったのかもしれない。
気付いた頃には短冊と折り紙はなくなっていた。
いつから補充されていないのか、箱の中を覗き込んでもあるのは白い紐だけ。
「……あ、ないんだ」
幸いに、呟きに反応する人はいない。
仕事を放り出して駆けつけちゃいそうな友美さんも、他のメイドさんも今日はみんなまとめてお休み。折角の七夕だから、と遼くんが気を利かせて有休扱いにしてくれている。
ついでに言えば、旦那さまである遼くんもまだ会社から帰ってきてない。
完全に一人きりだった。
「どうしようかな」
いったん書きたいって思うと、短冊がないくらいじゃ諦めがつかない。
かといって、この広いお屋敷のどこに色紙が仕舞われているのかも分からなくて。結婚して一ヶ月が経とうとしているのに、未だ自分がアウェーであることを強く感じた。
悔しさと未練がましさがごっちゃになって、飾られてる色とりどりの短冊をじっと眺めた。
要するに文字が書ける紙であれば良いんだよね。紐を通す穴ははさみで切って開けられるし。
暫く考えて、それからハッとひらめいて鞄の中身を開けた。
取り出したのはソーイングセットのはさみと、何の変哲もない、白いレポート用紙。
見た目はこの際気にしないことにしよう。どうせ明日のお昼には処分されちゃうんだろうから。
レポート用紙は横に切るとちょうど短冊程度の長さになる。
幾つか作ると当たり障りのない黒を選んで迷いなくペンを走らせ、無記名のまま笹の端の、目立たないところに吊り下げた。
『七夕の夜は晴れて、二人が一緒に過ごせますように』
私は牽牛と離れ離れの織姫よりずっと恵まれてるんだ。
結婚したからと大学を止めさせられることもなく、家事の一切をメイドさんに任せて。自分はのんびり暮らして。
……こんなに満たされた生活をしていて、どうしてわがままを言えるだろう。
初恋の、大好きな人のお嫁さんとして傍にいられるだけで幸せなはず。そうじゃないとおかしいよ。
願うことは、何もなかった。
◇
今日みたいにメイドさん達がお休みの日は、遼くんが帰ってくる前に出かける準備を済ませておくのが暗黙の了解で。
どれだけ私の料理を食べたくないのか、間違っても代わりに夕飯を作ろうなんて思っちゃいけないことになってる。
毎回変わる高級そうなレストラン、あるいは料亭に行って二人で外食。これは婚約時代からずっと続いてた。
準備を終わらせて一階に下りると、遼くんは既に帰って来ていた。
七夕用のテーブルに向かい合って、声をかけるのも躊躇われるような真剣な表情で何かを丸めている。
お団子を作る時の手つきにそっくり。……何をやっているんだろう。
「お帰りなさい」
言いながら近付けば、遼くんは振り向いて笑いかけてくれた。すっごく上機嫌に見える。
「ただいま。ねえ晴乃、そのゴム貸して」
両手を上下に合わせていて使えないせいか、くい、と顎を動かして頭の横を示す。
私が今持ってるゴムというと、耳の下で二つ結びにした髪を括っているやつしかない。自然に手が耳元に伸びた。
「ゴムって、ヘアゴム?」
「そう。出来れば二つともお願い」
さっきまで遼くんの陰になって見えなかったけど、テーブルの上には小さく丸められたポケットティッシュとその包みがあって。
そこから連想できるのは一つだけだった。
「……テルテル坊主」
茶色いヘアゴムを両方とも手の平に乗せて差し出すと、遼くんは「当たり」と言って丸めたティッシュの上にふわりともう一枚被せた。
手際よくゴムを捻ってまとめて、頭の形を整える。
あっという間に出来た一つ目を遼くんは黒ペンと一緒に私へ渡した。……顔を書いてってことだろうな。
まん丸の目と、スマイルマークみたいな曲線を描く口元。ついでに頭の後ろには大きめのリボン。
滲まないように注意して書き、ちょこんとテーブルの上に座らせてもう一つのテルテル坊主が出来上がるのを待つ。二つ目は男の子だった。
「どこが良いと思う?」
「天に近いところ、かなぁ」
短冊用の紐を通し始めたらもう、言われなくても何をしようとしているのか分かる。
遼くんは二つのテルテル坊主を、まるでクリスマスツリーの星みたいに笹の上部に括りつけた。
飾り終え、一息つくと見上げた視界の端に白い短冊が映って。
縦に薄く線が入った、薄っぺらいレポート用紙の短冊は私が書いたものじゃなかった。とすると、間違いなくそれは。
「レポートの短冊にしたんだ」
遼くんも、とは言えない。
私が短冊を作ったんだよって誇示するように聞こえるだろうから。
「昨日の夜書こうかなと思ったんだけど、短冊がなくてさ。ちょうど追加されていてラッキーだったよ」
「そっか。……なら、良かったね」
それなのに、寂しく感じるのは何故だろう。
晴乃は短冊書いたの、って遼くんが聞いてくれないから?
自分に興味を持ってもらえないからって拗ねるなんて本当、子供のやることなのに。
「晴乃」
ふいに遼くんが私を呼んだ。視線を短冊から引き剥がし、横を見ると遼くんの腕にスーツのジャケットが引っ掛けられていて。
それだけでなく、ネクタイも外そうとしていた。
「うん?」
つい、返事に疑問の響きが混じった。
だって外食に出かける時はいつも、遼くんは着替えずにそのまま出て行っている。
「今日はカップラーメンの夕食にしようか。あるいはコンビニ弁当。晴乃も久しぶりだろう。たまには体に悪いもの食べたくならない?」
一瞬瞠目して、それから笑う。
「――うん。そうだね、懐かしい」
遼くんは頭が良い。
私が気落ちしているのが分かるくらいに。
それでいて優しい。
自分なりにその理由を考えて、出来る範囲内で願いを叶えてくれようとするくらいに。
例えば今なら、私が昔の――遼くんと再会する前の生活を恋しがっていると思ってくれたんだろう。
こんなに素敵な旦那さまがいるのに、何を不満に思うことがあるだろう。わがままを言ったら罰が当たる。
願うことは、何も――。
終
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