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企画モノ
桜さんと僕
「桜さん」

 呼びかけると桜さんはきちんと僕を見て首を傾げた。きちんと、ってことはそれまで桜さんがどこか心あらずの状態にあったってことで、僕は面白くない。話している時くらい顔を見て欲しいものだ。

「ん? なぁに?」
「今日って桜さんの誕生日? 隠さないで教えてよ」
「……何でそう思うの?」

 手っ取り早く当たっているのかいないのか教えてくれれば良いのに、わざとはぐらかして問い返す。
 僕はふんと鼻を鳴らして舶来のかすていらとかいうお菓子が乗った白いテーブルに頬杖をつき、玄関をびしりと指差した。白薔薇のアーチの先には今は誰もいないが、僕は知っている。

「毎年、決まってこの日にお花を持ってくる男の人がいるよね。去年は白薔薇、一昨年は桜」

 違うとは言わせない。
 桜さんがこの洋館に引っ越してきてから、少なくとも二十四回は同じ男の人が桜さんに会いにやって来ている。つまり月に一回の計算だ。そして二十四回中二回、男の人は花を持って来て桜さんに突っ返されている。どうだ、ここまで分かってるんだ。下手に誤魔化そうったって無駄だからな。

 ところが桜さんは「あら」と意外そうに目を見張った。良くも悪くもそれだけだった。

「よく覚えているのね。でも違うわ、私の誕生日はもっと先なの」

 教えてくれた誕生日は、僕にはもっと先になんか思えなかった。十分近いじゃないか。

「何で? 誕生日に渡しに来れば良いのに」

 誕生日に贈り物をするという習慣は少しずつ定着し始めている。桜さんみたいな大人の女性に対して、男の人が花の贈り物をするだけなら、微妙な気分だけど全然変じゃない。突っ返されるのは日頃の行いが悪いんだろう。
 それなのに桜さんは違うと言う。正確にはあの花は贈り物ではないのだと。

「そうね、ちょっと耳を貸して。これは秘密の話だから」

 椅子ごと隣に移動すると、桜さんは僕の耳にラッパ型の、流行遅れの蓄音機みたいに両手を添えてきた。

「あの人はね、私に求婚しに来ているの」

 僕は口だけ開けて、でも何も言えなかった。質問を言葉にするより状況を整理しようと考える方が優先されたんだ。「金魚みたい」なんて桜さんはくすくす笑ってるけど構いやしない。

 町外れの洋館に一人暮らし始めた桜さん。年齢不詳、多分二十代半ばくらい。
 名前を訊くと夏目漱石みたいなことを言って僕に名前を考えさせ、広い庭の隅に桜の木があるから『桜さん』になった不思議なひと。

 町の大人達は桜さんに親切にして、そして心の中では境界線を引いている。出来るだけ関わらないようにしている。
 それは桜さんが誰だか分からないからだ。大金持ちの愛人なのか、大金持ちの未亡人なのか、はたまた行き遅れのお嬢様なのか、さっぱり分からない。
 実のところ、自分について何も教えてくれない桜さんに僕は苛立っていた。かといってその情報が嬉しいかと言えば答えは否である。

「……桜さんは、その人と結婚するのは嫌なんだね?」

 そうだと頷いて欲しかった。桜さんは誰のものにもなっちゃいけない。
 桜さんは、桜さんが言うところのティーカップに手を伸ばしてお茶を少し飲んだ。深い紅が艶やかな唇に吸い込まれ、こくんと嚥下され消えていく。
 ゆっくりとした動作がとても綺麗で、やっぱり桜さんは裕福な家の育ちなのだと改めて思う。

 ややして、桜さんは微笑んだ。

「あの人のことは好きよ。でも駄目なの、彼は約束を果たしてないから」

 ここまで聞かされれば答えは一つしかない。

「その約束って今日と関係ある?」
「当たり。君は頭が良いわね」

 誰もいないと確認するかのように左右を見て、それから唇の前に人差し指を立てて言った。

「私がお嫁に行っても良いのは、毎年この日にとある花を持ってきてくれた人だけなの」

 要するに、あの男の人は花選びに二回連続で失敗しているということだ。
 そんな無茶苦茶な約束が通るのなら桜さんが未だ未婚でも仕方ない気がするけど、誰が決めたんだよそれは。まるで桜さんを結婚させたくないと言わんばかりだ。

 憤慨する僕の頭を、桜さんは宥めるように数回撫でた。子供扱いするなってば。

「うーん、誰にも言わないって約束してくれる?」
「もちろん」
「私が生まれた時にそういうお告げがあったんですって。嗚呼、可哀相な桜の娘。己の意思で結婚相手を決めることも出来ぬ――」

 はあ、とため息をつく。

「桜さん、それ嘘でしょ。今の世の中みんなそうじゃないか」

 親同士が結婚相手を決める話はいくらでも、それこそ掘ったら必ずと言って良いほどわんさか出てくる。ありふれたことをわざわざお告げにする意味がないし、桜さんの名前は偽名だ。僕が付けたんだから忘れるはずない。
 よって今の歌は九割嘘だ。残り一割は桜さんの声が綺麗ってことくらいである。

 桜さんは唇を尖らせてむくれてみせた。簡単に見破られたのが面白くないらしい。

「当たり。少しくらい騙されてくれても良いのに」

 そんな分かり易い嘘、騙される方が難しいだろう。
 言いたかったけど火に油を注ぎそうだから止めて、しれっと聞き流した風を装いかすていらの皮を剥がした。黄色い生地を摘んで口に放り入れる。

「で、その約束を設定したのは桜さんじゃないんだね」

 両思いで求婚までされているのに結婚を遅らせるなんて、桜さん自身には良いことはない。良いことがないどころか、町の人達には変な目で見られるし僕みたいな好奇心に任せた子供は寄って来るし。負の方向に傾くに決まってる。

「その通り」
「じゃあ誰?」
「昔の旦那よ。もう七年くらい前に亡くなったけれど」

 愕然とした。
 それは桜さんが未亡人だった事実じゃなくて、さっき考えた――まるで桜さんを結婚させたくないと言わんばかり――ことが当たっていたと分かったからだ。死んだならすっぱり諦めて奥さんの幸せを願ってあげれば良いのに、なんて酷い旦那さんなんだ。

 動揺して桜さんに視線を戻すと、顎の線で切り揃えられた黒髪をくるくる指で捩じらせて遊んでいた。危機感が全くない。

「…………桜さんは、『とある花』が何なのか知っているの?」

 旦那さんが設定した約束では、花の正体を知っている人が証人として必要だ。それに最適なのは桜さん本人である。

「知っているわ」

 それは、桜さんの意思で旦那さんとの約束を反故にすることが可能だからだ。

「意地悪しないで教えてあげたら良いじゃないか! そうしないと桜さん、いつまで経っても再婚出来ないよ」 
「教えてあげない方が親切だもの」

 事も無げに言った桜さんは、寂しさの中に微かな嬉しさを含んでいるように見えた。

「あのね、とある花は『蓮の花』なのよ。それも本物の。造花や宝石華ではいけないの。……蓮の花の開花期は初夏からよ、四月に間に合うはずはないわ」

 確かにあの男の人に教えない方が親切だった。教えなければ、いつか桜さんを手に入れる希望だけは持っていられる。

 けれど本当は、誰も――。

「もし未来の今日、君にその花を捧げる男がいたら、死後の僕は喜んで君を譲ろう。彼はそう私に言ったわ」

 桜さんと再婚することは、この長い将来を正式に傍にいて守ってあげることは、出来ない。

 僕はふいに、大声を上げて泣きたい気持ちに囚われた。きっと桜さんは旦那さんの約束を破り、勝手に再婚してしまうことはないだろう。それは桜さんが誠実だからじゃなくて、旦那さんを好きだったからだ――。

 ぎり、と奥歯を噛み締めた。
 亡くなった旦那さんは桜さんに何をしたいんだ。縛り付けて忘れないようにさせて、それで桜さんが幸せだと思っているのか。そりゃあすぐに忘れて次の男に走られるのは嫌だと僕も思うけど、ここまでする必要はないはずだ。

 風がざわめき、緑の葉が揺れる。
 四月だというのに白い清涼服を着ていた桜さんが、目を伏せて亀みたいに首を縮める。まるで誰かに後ろから抱きしめられてるみたいだ。
 それを見ながら、僕は今日この洋館に来た最初の目的を思い出した。

「――桜さん、今日と桜さん自身には何の関係もないんだね? 結婚記念日とか初めて会った日とか」

 桜さんは少し考えて呟いた。もし僕の予想が正しかったら、旦那さんの真意はまるっきり違うものになる。

「ないわ」
「他に、旦那さんは何か言ってた?」
「特には何も。泥の中で美しく咲く蓮は他の何よりも君に似合うだろう、とだけ」 
「そう。ねえ桜さん、エイプリルフゥルという言葉を知ってる?」
「え?」

 眉を顰めて訊き返す様子からして、この言葉を聞いたことがないようだった。まあ仕方ないか、この家って新聞取ってないし。つくづく世間と断絶しているんだ。
 僕は声を大きくして続けた。

「四月一日のことなんだ。今日なんだ。外国から伝わってきた風習なんだけどね、一年のうち今日だけは嘘をついても良いんだよ」

 旦那さんが亡くなったのが七年前。最近になってようやく広がり始めた言葉だけど、七年前なら、知識の多い人だったなら知っていてもおかしくない。

「だから、もしかしてその約束は――」

 エイプリルフゥルの嘘だったと考えるとどうなるだろう。

 桜さんは旦那さんの言葉を信じて再婚しない、でも数年経てば真実が自然と広まっていく。もし桜さんが知らなくても、からくりに気付いた、例えば僕のような人間が桜さんに教えてしまう。
 自分の存在を妻に忘れ去られず、数年後には優しく解放してあげられる。旦那さんの思惑通りだ。

 見る見るうちに、桜さんの目に涙が溜まっていった。指先で雫を掬い取り、代わりにぽつりと零すように旦那さんの名前を呼ぶ。

「……ありがとう」

 ううん、と僕は頭を振った。
 桜さんが求めている手が、桜さんを慰める手が僕のものでないことが悔しかった。



 数ヵ月後、桜さんは引っ越していった。あの男の人の奥さんになったのかどうかは分からない。本音を言えばどっちでも良い。奥さんになったのでも実家に戻ったのでも仕事を見つけたのでも何でも。

 ただ僕は、桜さんが幸せであれば良いと思う。




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