赤い月
窓からは赤く染まったような月が見える。
星は無い。ただ闇を切り取った夜空があり、部屋の中へと視線を移せば半年前、赤い月の夜に出会った苺がいた。
苺が杯の中にさらさらと白い粉を入れていくのを、国王、ジゼルは黙って見ている。
苺は楽しげに笑みすら浮かべて、ピンク色の液体をくるくるとかき回していた。
その笑みに、邪悪な物など何も無い。
(――…この女に、殺されるのも悪くない)
大人四人が楽に眠れそうなほど大きなベッドに腰掛け、ジゼルは頬杖をつく。
国王の寝室には、ジゼルと苺以外誰もいなかった。
不思議なことに、この赤い目を持つ少女。苺はこの半年ですっかり王宮内の信頼を築いていた。
貴族からの後見があり、教養も高く見目麗しい。
そんな苺を王自ら料理場の下働きから引き抜いて昇進させ、自分の侍女にした。
乱心かと騒いでいた貴族達もでしゃばらず、それでも垣間見える苺の有能ぶりに目を見張り、今ではこぞって自分の息子の嫁に欲しがる始末。
「王。この国の為、これを飲んで下さいますか」
出来た、と呟いてから苺はにこりと笑って、ピンク色の液体が入った杯を差し出した。
ジゼルは杯を受け取り、じっと液体を見つめる。
広がる甘い苺の香りの中に、常人では分からない程度。僅かに違和感がある香りが混ざっていた。
「……私が耐性をつけていない毒など、よく仕入れられたな。手に入れるのも難しかったであろうに」
苺ジュースに入れた白い粉はおそらく液体と反応してピンク色に染まる遅効性の毒。
苦しむことは無い。安らかに眠るようにごくゆっくりと、けれど確実に死に至らしめる。
混ぜられた毒は諸国から命を狙われ、幼い頃から毒を少しずつ飲まされ続けたジゼルでさえもまだ耐性をつけていないものだった。
「ふふ、そうでしょう。……ねえ王、この国の未来を聞きたいですか」
苺はふわふわと沈むベッドに両肘をつき、組んだ手の上に顎を乗せる。廊下の兵も気付いていないようだ。
ジゼルは部屋の外の気配に注意を払いながら、苺にほんの僅かな隙も無いことに気付く。
(……どうして、気付かなかったのだろうか。この女、もしや)
「王が死んだ後、弟王子のフェリックス様が後を継ぐでしょう。民や兵からの人望も厚く、大貴族からの干渉も防ぐことが出来る。国を更に繁栄させ、少なくとも今後百年は安泰です」
苺はうっとりと目を閉じて、淀みなく諳んじていく。
ジゼルは苺の漆黒の髪に指を滑らせ、手の平から零れていく柔らかな感触を楽しんだ。
死ななかったら、と苺は別の可能性の未来を告げる。
「王が死ななかったら、半年以内に内乱が起きるでしょう。貴族の言いなりになる王への反発による、民衆からのクーデターです。
兄王を慕うフェリックス様は民衆の願いどおり王位につこうとせず、死を選ぶでしょう。
僅かな王族は二人して殺害されることになり、安定は出来ずにこの国は内乱が続く……そしてその内、他国から侵略されます。以上です、よく出来ているでしょう?」
苺は目を開けるとベッドに両手をついて身を乗り出し、誉めてっ、と言わんばかりに目をキラキラと輝かせた。
ジゼルは甘く苦笑を漏らして杯を揺らし、透き通ったピンク色を楽しむ。
「そうだな。……それで?」
「――…死んで下さい、王。この国の未来と、安泰の為に」
ジゼルはそっと苺の首に両手をかけた。力を入れればこのまま首を絞めてしまうことも出来るだろう。
しかし苺は反抗しようともせず、ただ機嫌の良い猫のように、ただ満足げに目を細めている。
ジゼルは殺す気も薄れ、小さく息を吐いた。
「飲んでやっても良いぞ。ただし苺、条件がある」
「……? なんでしょうか」
苺は心底不思議そうに首を傾げる。
ジゼルはゆっくりと微笑んで、首から苺の頭へと手を移動させた。
幼い子供にするように頭を両手で挟んで、小声で問い掛け。
「お前の、本当の名は?」
「私の、本当の名前は――…」
こっそりと耳打ちされた名前に、やはりな、と小さく笑うとジゼルはぐっと杯を傾け、液体を飲み干した。そのまま倒れるように横になり、ベッドの脇に座る苺へと手を伸ばす。
苺は今にも泣きそうな顔でジゼルの手を自分の頬へと導き、きゅっと唇を噛み締めた。
ふ、と意識が遠のき……ジゼルは目を瞑る。
「……王さまじゃ、なかったら良かったのに」
冷たい何かがジゼルの頬に触れた、と感じたのが最期だった。
―――そして次の日、苺と名乗った少女は王宮から姿を消していた。
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