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連鎖【1】
 月日は確実に、人を変える。


 紫苑学園高等部は系列の幼等部から大学院までの全てを代表すると言われる。

 何故ならばいっぱしの判断力を身につけ、かつ大学に実力でのし上がって入学した学生達と合流する直前の三年間は最も『紫苑らしさ』が色濃く出ているからで、夏夜は入学してすぐに口うるさく高等部に行けと言われた理由を理解した。

 ここは富裕層が集まる小さな社交サロンで求められたのは外交。
 皮肉なことに夏夜はそれが嫌いではなく、それどころかたった一年半で――。


「酸っぱ……!」

 ほぼ同時に口に含んだ二人の女生徒のうち一人は大げさに口元を抑えて前屈みになり、もう一人は比較的冷静に、無言で甘い衣を纏う赤い実を唇から離した。
 尋常でなく酸っぱい。
 すももではない飴を選んだか、あるいは甘いもの自体が苦手だと言い食べなかった男子生徒三人は温度の差はあれど一斉にそちらへ視線を投げる。

 学園祭の二日目は始まったばかり。
 まだ本格的に昼食を食べる時間ではなく、フルーツ飴屋には小腹を満たすような甘味――それも普段食べられない庶民の味――を求める人々がひっきりなしに訪れていた。

 この仲良し五人組も例に漏れず、『一度やってみたかった』ということで廊下に立って飴を食べている。
 冷静だった方の少女は未だに泣きそうな顔つきである隣の背中を摩りながら、すもも飴の割り箸をくるくると回した。

 砂糖で中和されないすももが酸っぱいことを手短に伝え、はて、と首を傾げる。
 これはどこかで食べたような気がするぞ。

「何て言うんだっけ、昔食べた駄菓子に味が似ていない?」

 それを受け、もう一人の少女が弱々しく呟く。

「日の丸弁当の真ん中に入ってるアレみたいだわ……名前は出てこないけれど、っ!」
「カリカリ梅だね」

 答えとなる、春を告げる小鳥の囀りのような囁きは耳元から聞こえてきた。
 無駄に可愛らしく明るく、足りない色っぽさはシチュエーションでカバーしている。

 微かな吐息と肩にかかる指先の重みで、もし振り返れば非常に彼女と顔が近付いていて色んな意味で危ないことが分かる。
 更に目の前にはおそらく彼女が持っているのだろう食べかけのりんご飴があり、少女の動きを封じ込めるのに一役買っていた。

 友人達が口々に彼女の愛称を呼ぶ。

 彼女は少女に抱きついたまま「みんな、ごきげんようっ」とにこやかに返事した。
 声から予想がついてはいたが、矢張り思った通りの人物だった。

 この五人と同じ学年、つまり紫苑学園高等部の二年生で学園祭の役割ゆえに『リンドウの君』とも呼ばれる人物。

「夏、でなくてリンドウの君。知ってらっしゃるの」

 窘めるように言われた夏夜はオーバーに肩を竦め、密着していた少女の体から一歩分離れて笑った。

 花の売り子であることを示すリンドウの花の髪飾りと制服姿。確かに格好だけで言うのなら今は売り子バージョンである。
 とはいえ花を売りに来ているのではなく、何かの事情があってシフトが終わってからも髪飾りを外さなかっただけなのだろう。

「知ってたんだけどちょっと意地悪しちゃった。水飴と一緒に食べないからそうなるんだよ。それに普通に名前で呼んでってばー。あの時ならまだしもさ、今は違うんだから」

 少女の追及から逃れるようにすらすら述べれば、夏夜の現在のクラスメイトでもある男子がタイミング良く話題を逸らせるような質問を向けた。

「お前って筋金入りのお嬢だったよな。前に食べたことがあるのか?」

 証拠にスプーンを使って実に上手くりんご飴を食べている。
 自嘲気味に夏夜の口角がくっと吊り上がったが、見間違いかと考えているうちに太陽を思わせる明るい笑みにかき消されてしまった。

「私はりんご飴派だけどねー。すももは大きさに釣られて買ってもらったら、皆と同じように失敗しちゃって。一度はそういう経験しておいた方が良いかなって口出さないでおいたの」 
「ひどいひと、言って下さって良かったのに。りんご飴は美味しいのかしら?」

 甘酸っぱいすもも飴を歯を立てて齧る。
 物欲しそうに見えたのだろうか、夏夜は鷹揚に頷いて少女にりんご飴を差し出した。
 齧っていない方が口元に来るように割り箸で微調整までして。

「美味しいよー。良ければ一口どう?」

 夏夜が言うととても美味しそうに聞こえるしそのように見えてくる。
 淑女らしからぬ行いも学園祭の今日であれば許されるかもしれない。少女は迷った。

 しかし自分達から数メートル離れた、階段近くの壁に寄りかかる男子を見つけると素早く隣の少女と視線を交し合った。
 今度は少女達が夏夜の肩に手を乗せて方向転換させる。

「遠慮しておくわ。夏夜さんを独り占めしていると彼氏に睨まれちゃう」
「あ……」

 即決だった。
 夏夜は肩越しに少女達を見ると軽く会釈した。

「ごめんね、お先に失礼します」

 急いでいるにしても早足に留めてその場を立ち去る友人に成長を感じて仕方ない。
 昔の夏夜なら躊躇なく走り出したよね――そう言い合って、かつてのアイドルを肴に笑った。



 あくまで友人。
 彼氏ではない。
 だがそうかと聞かれたら否定はしない、肯定もしない。

 夏夜としては否定したかったがそれだけは止めてと懇願され今の関係に落ち着いている、というのが夏夜とエルの現状だった。
 本音を言えば友人と言って許されるのかも分からない。夏夜はエルの本名を知らなかった。

 知っているのは同学年であること。従兄の一成とは違った西洋的な美しさがあるということと、とんでもなく夏夜に優しいこと。
 エルは夏夜に自分のことをあまり話したがらなかった。

 学園祭の準備期間中は会う機会が減っていたため、夏夜は何となく新鮮な気持ちでエルの前に立った。

 りんご飴を買うのに手間取り、懐かしさから友人達とお喋りまでして結果的に待ち合わせの時間に遅れてしまった。
 一成ならばカンカンに怒っていただろうが、向けられた柔らかな微笑みにほっとする。

 エルはおもむろに壁から背中を離した。

「おかえり」
「ただいま、エルくん。……遅れてごめんなさい」

 頭を下げると、耳の横を流れ落ちた髪をエルが掬って後ろに戻す。

「別に構わないよ。無理言ってリンドウの君を連れまわすのは僕でしょう? リンドウの君は花売りにクラスの出店に忙しいんだし。ああ、それと茶道部にも呼ばれてるんだっけ」

 誘われるままに階段を降り始めた。目的地は別棟にある。

「リンドウの君の僅かな自由時間を頂こうとしてるんだから、怒る方がおかしい」
「そう連呼されると恥ずかしいよ。わざとやってる?」
「まさか。二年連続記録を達成したリンドウの君にそんなこと出来るわけないじゃないか」

 夏夜は押し黙った。

 各学年から三名ずつミスコン形式で選ばれる、学園祭で花を売る役目の女生徒――去年幸運にもその仕事に就いたことから『リンドウの君』というあだ名を頂戴してしまった。
 正直自分が呼ばれている気がしないので、出来れば名前できちんと呼んで欲しいしエルにも伝えているのだが、これは絶対にわざとだ。

「気付かなかったこと、怒ってる?」

 自分よりも一段下を歩くエルと視線の高さがほぼ同じになった。
 高校に入って射抜かれるようなと形容されることの増えた目で見つめれば、りんご飴を持っていないほうの手をそっと握られた。

 夏夜はようやく階段の危険性を理解した。
 段差のせいでエルから目を逸らせないし足を踏み外せば落ちてしまう。危険極まりない。

「りんご飴一口で許そうかな。ご主人様、あーんって言ってくれたら最高」

 それはつまり、夏夜の手で食べさせろと言っているのか。

「……」

 冷静に考えてみた。
 普段からふざけて女友達にやっているし、食べさせることに対しては否はない。
 夏夜のクラスではメイド喫茶をすることになっていたため、今更『ご主人様』への抵抗はない。

 では何が気になるのか? それはここが誰に見られているか分からない場所だからで、ならば人前でなければ良いことになる。
 考えた挙句、夏夜は急いで一番近くの特別教室にエルを連れ込んだ。

 一応展示はされているが全く人がいない空間。
 店番の生徒すら休憩中なのか出て行っている。

「ご主人様、あーんして」

 恥ずかしげもなく口元に運ぶとりんご飴を食べることもせず、あろうことかエルは顔を背けて笑い出した。
 お腹を抱えてひーひー言っている。

「ちょっと、笑うってひどい! 私は大真面目にやってるのに!」
「もういいよ。ありがとう。夏夜にこんなこと要求しても無意味ってことがよく分かった。慣らされてるんだね」

 ゆっくりと首を傾げた。

「……エルくんは私に、恥ずかしがって欲しかった?」

 エルはめっと小さい子供を叱るように眦を吊り上げ、上から割り箸に手を添えてりんご飴を夏夜の元へと戻した。
 りんご飴でも、夏夜を恥ずかしがらせたかったのでもないらしい。

「人の意向を聞いて決めないの。夏夜は人形みたいに可愛いけど人形じゃないんだから」

 エルは時々、訳の分からないことを言う。そしてちゃんと説明もしてくれないのだ。


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