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ヴォイス
 君の声を独り占めしたい。
 でも、そう思った頃にはもう遅かった。


 外に出るとむっとする熱気、頬を撫でる生温い風。耳に煩い蝉の音。
 肌を焼く攻撃的な日差し。
 
 午前十一時。
 空調の効いた放課後の音楽室に、歌声が響いていた。
 高音でも全く震えることの無い安定したソプラノ、時にその声を引き立て、時に引き立てられるテノール。妙なる音を作り出す二重唱が天井に響き、空気を震わせ、やがて曲はクライマックスに入る。

 息の合った完璧なタイミングで掛け合いが続き、いつしか音が消えていく。しん、と一瞬音楽室は静寂に染まる。
 それから聞こえるのは彼女の息遣いと、割れんばかりの拍手。

「良かったよ、奈々。流石ソプラノのbP」
「……ありがと、でも芹沢くんのおかげがほとんどだよ。ね?」

 ソプラノのパートリーダーが、一番最初に駆け寄って彼女に声をかけた。
 彼女――香坂奈々の友人の中でも最も親しい一人。よく廊下を一緒に歩いているのを目にする。文化祭の公演では僕と同じく、彼女との二重唱が予定されていた。

 二人の顔がこちらに向く。一人は同意を求めるように少し首を傾げて、もう一人は挑戦的な笑みを浮かべて。

「どうかな。香坂に引っ張られてるとこもあるしね」
「うわー、君がそれ言ったら終わりな気がするー」
「私もそう思うー。頼りにしてるよ、相方っ」

 けらけらと笑って言われた冗談に彼女が乗り、歌うように二つの声が合わさった。この二人の歌はどこか怪しいという評をする同級生もいるが、嫉妬してしまうほど仲が良い。

「そうそう、これからカラオケ行く予定なんだけど奈々、どうする?」
 
 話は僕抜きに進められていく。どうやら話題が変わったらしく、僕は椅子に腰掛けるふりをしながらこっそり聞き耳を立てた。
 彼女の答えは今度も即答だった。カラ、と聞いたところですぐさま断言する。「無理」と、一言。

「また? たまには付き合ってよ、一曲も歌わなくていいから」

 言葉とは裏腹に顔の前で両手を組み、きつく目を瞑り必死なようだ。
 パートリーダーも大変だ。どんなに汚い役割でもとりあえずは引き受けなければならない。この場合はそれが彼女の説得だった。

 彼女は苦笑して頭を縦に振った。耳に蛸が出来るほどよく言い、そして確実に実行する台詞と共に。

「うーん、じゃあそれなら。ただし、私は絶対に歌わないからね」


 香坂奈々は、歌わない。

 きちんと歌い、ソプラノbPの実力を発揮するのは部活中だけだ。
 後は誰かが口ずさんでいるのに合わせる、授業で歌う、練習をする。それ以外には絶対に歌わない。彼女がカラオケに行ったり、誰かのために歌ったという話は全く聞かなかった。


 香坂奈々は、躊躇が無い。

 柔らかな物腰から何にでも寛容な、優しい子に見えるのは「歌え」と要求されない限り。彼女との約束を守っている限り。
 彼女に自分のためだけに歌ってもらおうと考えると、声を独占したいと考えると、彼女はひらりと手の平を返す。迷いなく切り捨てる。
 男女問わず、どれだけの人間が泣いたことだか。

 入学から二年も経てばどんなに鈍感でも、相手がどういう性格だか掴めてくる。そして分かったのは、彼女は声に関して異様なこだわり、筋を通しているということだった。

 けれど、蝶が花に惹きつけられるように。
 彼女の声を望む者もそう少なくはない。

 僕も、また同じだ。

「分かってるわよ。奈々の声は奈々のものじゃないんだものねー」
「まあね?」

 くすくすとからかい混じりに交わされる言葉。周りの皆も、おそらくパートリーダーの彼女も気付いていないだろうが、核心をずばりとついている。
 一年生の頃呟いたそれに、彼女が反応して数秒だけ表情を固まらせていた。

 僕は二人の声をシャットアウトした。

 もう止めよう、不毛だ。香坂の声を独り占めしたいなんて、思ってもいけない。
 ばれたら最後、同じように切り捨てられるのがオチなのだから。


 しかし、チャンスの女神は気紛れで。

「あ、なら芹沢くんも来ない? 男子何人か誘って。合唱とかじゃない芹沢くんの歌、聞いてみたい」

 楽しげに紡がれる、美しいソプラノヴォイス。
 誰もを魅了するその声に、僕はそっと目元を緩めた。


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