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ヒカリ
 晴乃のヒカリが失われていく。
 それはゆっくりと、少しずつ、誰もが気付かない夕日が完全に沈んでいく瞬間のように。

 けれど、確実に。


 前々から気付いてはいたことだった。つか、こんだけ変わってて気付かないのってどうかしてる。
 ただのお隣さんだった昔の晴乃、遼と再会した頃の晴乃、六条の嫁としての修行を受けて結婚した今の晴乃。ゆっくり、でも確実に変わっていく。

 しっかりした、と言われるようになった。相応しい、遼にお似合いだと親族からちらほら聞くようになった。
 じゃあ晴乃に元々あった明るさはどこに行った?

 少しずつ本当に少しずつ、光が失われていくようで。
 六条の名という鳥かごに閉じ込められた晴乃が、日に日に弱っていっているようで。
 まぁ、それだけならはっきり言って俺もどーでも良かった。

 気にすることも無いと思ってたんだよね、本人が幸せならそれでいーじゃん。周りの人間がとやかく言う必要なんて無い。
 ……と、思ってたんだけど。


 見るからに気が強そうな女だった。

 赤いパンプス、結ばれていない黒髪。やや吊り目なのが猫のようとも言える。片手には使えなさそーに小さく、それなりに高そうな光沢のある赤いバッグ。
 一人用のソファに座り、自信満々な微笑みを晴乃に向けている。

 自分こそがこの家の主人だ、とでも思っているかのようなリラックス振り。自分のこと言えないけどさ、こいつに緊張と遠慮ってものはないわけ?
 こっそりと小声で安沢に聞いてみると俺と同じ意見だった。「何か嫌な感じよね!」よしよし、言いたいことをよく分かってる。
 
「単刀直入に言うけど、何で貴女なの?」
 紅薔薇に似てる、と安沢が呟く。
 一人掛けのソファに女、その向かいにある三人掛けのソファに晴乃。俺と安沢は少し離れた場所から壁に凭れかかりつつそれを見ている。

 招かれざる客人と家の女主人の為に紅茶を二つ、盆に乗せているメイド――友美さん、と晴乃が呼んでたっけ――は、唐突に発せられたその言葉に固まっていた。当然だよな。

 呆然としていた晴乃が、あっちの世界から戻ってくるのは早かった。
「……あの、いきなりそれを仰られて」
 も。
「六条さんの奥さんは、何で貴女じゃなきゃいけなかったの?」

 晴乃が最後まで言い切らないうちに、業を煮やした失礼な女は重ねて言う。
 そういや、こいつ自分の名前も名乗ってないんじゃね?
 俺が遼だったら今すぐ出て行け、の一喝で済むだろうけど、生憎この家の主人は今ここにいない。もう一人は生真面目にこの女と話そうとしているし、俺が出る幕は無い、ある程度までは。

 晴乃は、膝の上でスカートをぎゅっと強く握っていた。表面だけ、にこやかに笑いかける。
「――すみませんが、その質問にお答えする前にお名前を聞いても宜しいでしょうか。
貴女、と呼ばれ続けるのには慣れておりませんので」
「御堂あおい。名前は名乗らなくて良いわ、晴乃さんでしょ?」

 女は鮮やかに微笑んだ。顔だけは美人なことを最大限に生かしていると思う。
 そうですか。晴乃は小さく呟いて、それから未だ固まったままのメイドに目を向ける。
 胸の前、くいくいと手招く動作。

 ようやくメイドも気が付いたようで、静かに二人へ歩み寄り、テーブルの上に紅茶を置く。入れたての湯気が立ち上った。
「先にお断りしておきますけど」
 紅茶のカップを唇に付けてから、晴乃が口を開く。

「私達にとって、六条当主の命令は絶対です。
次期跡取りの主人に関してもそれは同じ。主人は、普通の子供がごく当たり前に手に入れられる全てと引き換えに、権利と義務を有しています」

 ……なぁ、遼。
 晴乃ってこんな子だったっけ?

「身元が確かであること。
金勘定がしっかりしていること。
信用できること。
主人が結婚の際、相手に出した条件だそうです。私はそれに一番当て嵌まった。だからです」

 取り繕ってはいる。でも、晴乃の横顔が今にも泣きそうに見えて。淀みなく言葉を紡ぐ声が、今にもひっくり返りそうに見えて。

「……そう」
 女は小さく呟き、同じように紅茶を口につける。
 そして、安沢の目も見開かれた。
 素早く瞬きが繰り返され、必死に何かを考えている表情。何を考えているのか大体分かってしまうものだから呆れるもんだ。

「安沢」
「はい」
 返事は短く簡潔だった。
 けど、俺が何が言いたいのかは分かっているらしい。
「私でしたら、遼さまを六条晴乃の夫の座から外します」
 すぐに、思っていた通りの発言が聞こえてきたからだ。

 安沢と俺はその場から立ち去った。まぁリビングから二階の廊下に移動しただけだけど。
 その後、晴乃が何を言ったかは分からなかった。が、音だけでもよく分かる。

 まずはがしゃんと陶器(多分ティーカップ)の割れる音、そして「私、貴女から六条さんを奪ってみせる!」との発言が聞こえてきた。
 その後すぐに、荒々しくドアが開け閉めされる。
 
 女……御堂だっけ。馬鹿じゃねぇの。
 それよりも、問題は。
「安沢」
「――何」

 二人は会話に、もう一人は紅茶を運んでいただけとはいえさっきは人目があった。
 数分前とは正反対の傲岸不遜なもの言いで、壁に凭れていた安沢はうろんな眼差しを向ける。

「この先、この状態が悪化するなら。
六条という存在が、遼が晴乃に害を与えるなら。晴乃の為に俺はそれを取り除きたい」
「好きなようにすれば? 状況次第で協力してあげるから」

 安沢はふ、と口角だけを吊り上げて微笑む。交渉成立。
 このままじゃダメだ。
 今の二人が自分達で解決出来ないと言うのなら、無理にでも外から何かアクションを起こすしかない。

 ……例えば、新年総会とかでね。


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あきゅろす。
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