本心
遠い遠い昔、まだ幼馴染みだった頃から。
貴方の手を握るのが当たり前だと思っていた。それが当然で、自然なこと。
それ以外の選択肢なんて、あってないものだとすら思っていた。
でも今は砂上の楼閣のように、それすらも危うく、消えてしまいそうに思える。
久しぶりの食卓は、なんだかぎくしゃくしていたようにも見えた。
私はあの――駅のプラットホームでのことを見てしまったから、どうにも上手く、いつもの晴乃らしく会話が出来なくて。
彼は彼で、仕事が忙しくて疲れているのかな、さっきから溜息ばかり。
箸を持つ手も進んでいなくて、少し食べて止めて、また少し食べて。それをずっと繰り返している。
同席している旭くんも、わざわざ会話を弾ませようなんてこと、当然してくれなかった。
時折話を私に振って、それを私が答える。でもすぐ、その会話は途絶えてしまう。
そしてまた、場を支配するのは沈黙。
重苦しくて仕方がなかった。
……もしかしたら、私がおかしいだけなのかも。
二人はこんな状況が普通だったの?
笑顔も会話もない、ただ食べるだけの食卓(って言っても充分細長いテーブルだけど!)が。
そんなの悲しすぎる。
でも私は、だからってそれを改善できなかった。
あぁ――本当に。
あおいさんの、旭くんの言っていた通り。私には彼の妻でいる資格など、ないのかもしれない。
「ごちそうさま。……ごめんなさい、ちょっと気分優れなくて。部屋に行ってるね」
「りょーかい。なんか用あったら行くよ」
返事を返してくれたのは旭くんだった。でも、その声もいつもと違って元気がないように聞こえる。
六条関連だという彼の仕事を手伝っているらしいし、旭くんも疲れているのかな。
本当に、気を遣わせてごめんね。
けれど今、どうしても。彼と話す気にはなれなかった。
■
晴乃が完全にいなくなったのを見計らって、話を切り出す。
「遼」
「何?」
俺の真向かいに座っている兄、遼は冷たく答えた。否、顔は一見笑っているようだが、目は笑ってない。
訳もなく遼が見合い相手の選別をしていた時を思い出して、背筋がぞっとする。……怖っ。
こんな状態の遼には、とにかく逆らわないことが得策。
でも、そんなこと言ってる場合じゃないし。仕方なくね?
「あのこと、晴乃に話さなくて良いわけ」
思ったより声が冷ややかに響いた。
メイド達は険悪な雰囲気を察したのか、ささっと自分の部屋か仕事に引っ込んでいた。二人きりのダイニングでは声がよく通る。
おぉ、やっぱり俺にも遼と同じ血が流れてるんだな――というか、声までそっくりだから本気で遼が言ってるみたいだ。
遼の眉が持ち上がる。これは不機嫌な時の合図。
「僕が何とかするから、晴乃は知らなくて良いの。余計なことを知って、これ以上彼女が変わってしまうよりも、ね」
なんつー傲慢。我侭、自己中。ってか、遼も気付いてたんだ。……まぁ気付くか。
でも今の、問題発言じゃねーの?
六条の本家(もちろん分家もだけど、めんどいから省略)の人間には、必ず物心ついた時から誰か判定者がついている。
現在、遼の秘書として働いている安沢瞳は俺の判定者、というよか監視役だ。
つまり、いつどこで誰が見てるか分かんないわけ。
極端な話、忍者みたいに床下に隠れてるかもしんないし、メイドの中に潜んでるかもだし。でも、俺らはそれに気付いても追い払うことは出来ない。
俺が安沢の存在に気付いても、遼の秘書として傍に置いてるのと同じだ。
……おっと、話がずれた。
「あのさぁ」
ずっと聞いてみたかったんだけど。
そう続けたら、遼は一度箸を置いた。話を聞く気はあるようだ。
「晴乃のこと、本当に好きなの? ってかさ、何で晴乃にしたわけ?」
にした、って言ってる時点で最悪だ。
事実上『遼が選んだ』ことになっていても、それは口に出して言うもんじゃない。ま、これで安沢にバレて勘当されたって俺は構わないから、良いんだけど。
遼は押し黙って、それから喋り出した。
「好きだよ。身元が確かでしっかりしていて、信用出来る。家族として妹みたいな存在として、彼女を好きだ」
うわー、こいつ俺より最悪。
思いっきり眉を顰めたのに気付いたのかそうでないのか、遼はあっさりとした口調で続けていく。
「でも、今は」
その後に言われた言葉で、俺は無理やり納得させられることにした。不本意だけど。
でもそれを晴乃が聞いていたなんて、まったく考えが及ばなかったわけで――。
■
……聞いて、しまった。
何よりもまず、自分がショックを受けていることに気付いてげんなりする。最初から分かっていたのに、彼が自分で言っていたのに。
彼が私を選んだのは信用があって気心が知れていて、それ以上もそれ以下もないからだって。
妹みたいに大切にして貰っていても。恋愛感情なんてないんだって、分かっていたのに。
ゆったりと流れる優しい時間の中で、勝手に誤解していたんだと思う。
一縷の望みを抱いていたんだと思う。
「……これじゃあ、入っていけないよね」
旭くんに用事があったことを思い出したのがきっかけ。
二人の邪魔をしないようにそうっと階段を下りようとしたら、彼の声がダイニングに響いてた。
もう、何でこんな時に限って聞こえちゃうんだろう。
いつもはもっとメイドさん達もいて、こんなに静かじゃなくて……話している内容なんて聞こえないのにね。
慌てて階段を上って、二人に見えないように壁を背にして座り込む。
声のトーンを落としたからか、二人の声は聞こえなくなった。
「期待しちゃいけなかったんだよ」
馬鹿な私。
それなのに、何をやってるんだろう。
彼が誰と仲が良さそうにしていたって、仕事ばっかりになっていたって、私には口を挟む資格なんかない。
今までと何も変わらない、そしてこれからも。彼の気持ちが私に向くことなんか、きっとない。
分かってる、それで良い。
……でも少し、落ち着く時間が欲しかった。
彼の顔をまともに見て話すことなんて、今は出来ない。
目次
[*前へ][次へ#]
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!