恋愛小説
『牡丹の華』
『牡丹の華』
こぼれ落ちそうな月光に、長い髪が照らされていた。
「比女(ヒメ)…」
彼女の名前を呼んだ津草(ツグサ)は、伸ばしかけた手を留めた。
「ねぇ、津草……」
無感情な声で呟いた比女は振り返って言った。
私は…――。
*****
「比女!そんなに走り回っては父様に叱られますよ!!」
顔に幼さが残る津草が叫んだ。「秘密よ!」
天照の様な笑顔を向ける比女は、とても綺麗だった。
ふと、津草は威圧感を感じた。後ろを振り向くと比女の父である比胡(ヒコ)が居た。
「比女、何をしている」
無表情で言った比胡に比女は怯えた表情を向けた。
「父様……」
津草は比胡の前に出ると、頭を下げた。
「私が至りませんでした!」
津草を前に比胡は侮蔑の視線を向けた。
そして、去って行った。
*****
十月十日、比女は神に嫁ぐ。
生まれながらの比女の定めであった。
比女が嫁ぐ前夜、津草は比女に付き添っていた。
比女は美しく飾られていた。
「ねぇ、津草……
私は……物じゃないわ。」
無表情でいる比女が、津草には泣いている様にに見えた。
「私は津草が好き」
比女が言ったその言葉は、透き通る様に津草に届いた。
しかし、津草は比女に触れる事無く部屋を出た。
******
「比女、行くのだ。」
そう言った比胡に従い、比女は社に向かった。
津草はその様子を見つめていた。
「父様…」
比女の言葉に比胡は目を吊り上げた。
「早く行け。」
比女は無表情で後ろを向くと、背後にいる父に向かって何かを言った。
「何をする気だ!」
比胡がそう叫んだのもつかの間、比女は自らの簪を抜くと胸に突き立てた。
慌てる群集と比胡。
その中で津草は比女の口元を見ていた。
(つぐさ…)
そう形作った比女は津草を見ていた。
綺麗で、泣きそうな…
そんな彼女が津草を見ていた。
無言で駆け出した津草は比胡を押し退け、比女を抱えて走り出した。
「私も、愛しています。」
弱くしがみつく彼女に津草はそう言った。
「ずっと…一緒よ」
事切れる前にそう言った彼女に津草は頷いた。
そして、
二人の恋人は荒波に消えていった。
END
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