01-20
吐息をついて俺は左手を持ち上げると、その手首を見つめる。
この手は昼間に彼女と結ばれていた。逃げてしまったけれど、意識しないわけがない。
あたし様の存在は今も俺の心の中に根強く息衝いている。
身を引いて彼女の幸せを願いつつも、あたし様の方から距離を詰めてくるから困ったもの。
俺がピンチの時は必ず助けに現れてくれる。
それこそ姫を助ける騎士のように。
いつだってそうだった。彼女はいつだって。
これからも俺の危機には猪突猛進の勢いで突っ込んでくるに違いない。
そんな彼女にもっと喜ばせるようなことをしたかったと悔いてならない。
もっと好きと言えばよかった。
今も俺は彼女のことをきっと。
「二人でダイヤモンドダストを見に行こうって約束もしていたのに。温泉も行けなかったな」
苦々しい笑みを浮かべる。
身分さえなかったら、俺は彼女と結ばれたままだったのだろう。お金の壁さえなければ俺達は……。
だけど身分があったからこそ俺は御堂玲という新たな女性と出逢うことができた。
彼女の存在を無視することはできない。
あの人は俺がいつも本当に苦しんでいる時に手を差し伸べて支えてくれたのだから。
借金を負った俺を励まし、財閥の子息としてやっていけるのかと不安を抱く俺に大丈夫だと微笑んでくれた。
そんな彼女を心の底から守りたいと思っている。既に王子に対して友情以上の感情を抱いている。
嗚呼もう、俺ってば女々しい乙女……じゃね、乙男(オツオトコ)ね。
おにゃのこ達に複雑な思いを抱いているのだから。
「大雅先輩……言っていたな。テメェの選ぶ道は厳しいって。本当にそうだ。好きと守りたいはこんなにも違う」
鈴理先輩に好意を寄せていた。一方で御堂先輩を守りたい。なんてジレンマだ。
一層のこと清々しく片方の気持ちを斬り捨ててしまうのも手なのだろうけれど、そんな極端なことができる筈もない。
優柔不断と思われるかもしれないけれど(本当にそうだけど)、誰だって一人を選び、その人だけに想いを寄せる、なんてできやしない。
好意を寄せる人間にも種類がいる。
それは異性であったり、友人だったり、家族だったり。
気持ちは単純化できない。
それが俺なりの感情論だ。
ただ一つ、これだけ言える。
今、優先すべき人間は婚約者なのだと。それが俺の選んだ道であり、望んだ選択だ。
元カノもいざとなればきっと幼馴染を優先するのだろう。
彼は常に元カノの支えとなっていたのだから。
お互いに何も言っていないし、言われていないけれど、優先すべき人間は俺達の中で暗黙の了解となっている。
なんでだろう?
何かしら通じ合うものがあるのかもしれないな。俺にも、鈴理先輩にも。
机の上で腕を組むと欠伸を噛み締め、そろそろと瞼を落とす。
あっちこっち歩き回ったせいか眠い。
土日の疲労が残っているのに不慣れな買い物をしたからだろう。
空腹よりも睡魔が勝った。
夕飯の支度ができ次第、女中さんが呼びに来るだろうから、それまでちょっとだけ。
起きたら明日の家庭教師に向けて英語しなきゃな。
遠のきそうな意識が不安定に夢うつつを行き交いする。
霞がかった夢路をのんびり歩いていた俺の意識は障子を開閉音によって浮上。重たい瞼を持ち上げ、折っていた体を起こす。
夕飯の支度ができたのだろうか。
ぼんやりと障子に目を向けると、「ただいま豊福」ひらひらっと手を振ってくる宝塚の人が。
あ、ちげぇ、麗しき学ラン姿の王子がそこにはいた。
寝ぼけている俺に寝ていたのかい? と王子が笑ってくる。その手にはおやおや? 何やら紙袋らしきものが。
それは何かと尋ねると、「ああ。ファンの子からの差し入れだよ」部活で貰ったと御堂先輩。
チラッと中身を見せてもらったんだけど、あんれ。それは手作りのミサンガ? そちらは手作りブラウニーだと? え、まじで? なにそれ凝っているんだけど!
しかも今日遊びがてらに買い物に行ったらしく友人と色違いのキーホルダーを買ってもらったのだと、いかにも御堂先輩が好きそうな十字架のキーホルダーを見せびらかしてくる。
なんでも主役を取ったお祝いだとか。
ファンの子の差し入れもきっとお祝いなのだろうと御堂先輩は嬉しそうに頬を崩した。
彼等は情報が早いから、と語ってくる彼女に良かったですね、と言葉を掛けつつ、内心の俺はアウチとダメージを受けていた。
バッドタイミングにもほどがある!
まさか、他の方もプレゼントを贈っていたとは!
しかも凝っているときた!
渡しづらいことこの上ないんだども!
隙を見て通学鞄の陰にプレゼントを隠す。
勢いに任せて渡しても良かったのだけれど、持ち前のチキン魂がつい逃げるという道を選択してしまった。くそう、俺のドドドドドドヘタレ! ちったぁ男になれよ!
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