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小説
『老人と少年C』
伊勢川氏は困っていた。

「いけません伊勢川さん。あの人のことを、貴方の守護霊は危険だと言っていますわ」
「…しかし」

紫音の言葉に、頷けないのは当然である。相楽氏は伊勢川氏の古くからの友人で、今までも助けられてきた。紫音は信用する人間だが、だからこそ困る。

「近づけてはなりません」
「失礼します、旦那様」
「なんだ」

紫音をジロッと睨んだあと、昔から屋敷に勤めてくれている家政婦は淡々と告げた。

「相楽様の御親戚を名乗る方がお出でです」
「相楽の?」
「追い返す前に話を聞いてほしいと。どうされますか」

相楽でなければ大丈夫なのではなかろうか。伊勢川氏は通してくれるよう指示をした。

☆…☆…☆

やって来たのは高校生くらいの少年で、やたら綺麗な、美丈夫という感じの少年だった。

「はじめまして伊勢川さん。宮村和哉と申します」
「…相楽の親戚だと聞いたが、何の用だろうか」
「い、伊勢川さん!」

紫音が裏返った声をあげ、和哉を指差した。その様子に、伊勢川氏は目を丸くする。

「死神です! お、追い出してくださいませ!!」
「なんだと?」

紫音の叫びにも、伊勢川氏の鋭い目にも、和哉は怯まない。
その人形のような顔に笑みを浮かべ、紫音を見た。

「死神ときましたか。ひどいですねぇ紫音さん。いえ、早田さん?」
「早田…?」
「その口を閉じなさい!」
「いいえ黙りません。積もる話でもしようではありませんか。皆で一緒に、殺されかかった仲でしょう?」

紫音がぎくりと身体をこわばらせた。

「君は、なんなのかね? なぜ相楽の親戚が、私を訪ねる」
「ああ、それは通してもらうための方便ですよ。俺は柏木礼治さんの部下です」
「柏木礼治…柏木礼一君の弟か」
「はい」

訪問の意味が、それを聞いてやっとわかった。柏木礼治、確か調査事務所か何かをしていたはずだ。

「…相楽に頼まれて、彼女を追い出させにでも来たのかね」
「いーえ。相楽さんからの依頼は、紫音さんが信用に足る人物かどうかの調査ですよ。今日も本当は相楽さんが来るはずだったんですけど」

和哉は真っ青な顔の紫音を見て、綺麗な笑みが恐ろしい笑みに変わった。

先ほどまでの優しい笑みとは違い、まるで猫が鼠を追い詰めたような、そんな笑みだ。

「先日、紫音さんの映像を撮ってきてもらったんですよ。特徴を聞いた時にまさかと思ってましたが、本当に早田さんとはね」
「し、知りません。あなたなんて知りません!」
「往生際が悪い。あなたは旅館『かえで』で結婚詐欺をしていた早田さんです」
「…結婚詐欺?」
「ち、違います!」
「じゃあ、調査結果その1」

ぴらんと出されたのは一枚の写真。並んだ男女の女性の方は、今とは違う雰囲気の紫音だ。

「男性は…君かね?」
「去年の夏に撮った物です。ほらこれで俺と紫音さんが初対面じゃないことになる」

その2といって、今度は2枚の紙を出した。どうやらどちらも書類のコピーだ。

「片方は提出されなかった入籍の届け、片方は詐欺の被害届けです。見ますか? なんなら紫音さんの字と一緒にして筆跡鑑定だしてもいいですよ」
「…紫音さん」
「違います!」
「じゃあ、その3」

はい、と紫音に差し出されたのは携帯電話。紫音は怯えながらもそれを耳にあてた。

「…いやぁぁぁっ!」

凄まじい叫び声をあげて、紫音が部屋を飛び出した。

「紫音さん!?」
「追わないほうがいいですよ。まったく放り投げるとは…もしもし?」

和哉が携帯電話を拾い上げ、やはり耳にあてた。どうやら通話は切れていないらしい。
「はい、はい。ありがとうございました。それでは」
「…騙されていたのか」

電話を切った和哉は、伊勢川のつぶやきにうなずいた。

「紫音さん、本名は飯田ひろ子さんて言うんですが、詐欺師なんですよ」
「詐欺師…」
「少し前までは結婚詐欺をやってたんですが、それで指名手配されちゃったから変えたんでしょう」
「電話の相手は」
「飯田さんを追ってる被害者の方です。結婚を諦めてないそうで」

和哉は真面目な顔になると、伊勢川氏に言った。

「本当なら調査結果を報告して終わりでした。あえてここまでしたのは、飯田さんが厄介な“元夫”に追いかけられているからです」
「…」
「俺はこれで失礼します」

和哉はそれだけ言って、部屋から出ていった。

残された伊勢川は、そのまま1人で静かに考え続けた。

☆…☆…☆

相楽老人は屋敷から出てきた和哉に駆け寄った。紫音が血相を変えて逃げていったのを見ていただけに、心配していたのである。

「宮村君」
「もう紫音さんは伊勢川さんに近づきませんよ。“元夫”にバレたの知ってますからね」
「そうか…」

詳しい話は教えてもらえなかったが、和哉は紫音を知っていたのだという。そして彼女の弱点もわかっていた。

「伊勢川は大丈夫だろうか」
「まあしばらくはガックリくるでしょうし、もしかしたら“元夫”が来るかもしれませんが、強い人なんでしょう?」

なら大丈夫と、和哉は笑う。

「折れたら弱くなるといいますけど、折れたからこそ生まれる何かもありますよ。伊勢川さんには相楽さんという友達もいるんですから」
「…本当に助かった。君たちには感謝している」

後日、相楽老人が伊勢川氏に会いに行くと、氏の周りには以前のように子どもや孫がいたという。

伊勢川氏の事件以来、相楽氏が宮村和哉に会うことはないように思われた。

しかし、縁とはわからないもので…。














「申し訳ありませんが、調査が終了まで、外出なさらぬようお願い致します」

刑事の言葉に、相楽夫人が怯えた様子を見せた。

旅先での事件、不安なのだろうと元気づけようとしたとき。

「…相楽さん?」
「…宮村君じゃないか!」

老人と少年が再会するのは、当分先の話である。

【了】

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