小説 『老人と少年@』 年をとると億劫になることの一つに、庭仕事というものがある。庭に愛着をもち、かつ自ら手入れすることを好むものにとって、それは大変悲しい現実であると言えよう。 相楽老人にとっても、それは変わらないことであった。 相楽氏にとって、良い仕事をする庭師を雇うのは簡単なことである。なにせ大変なお金持ち ― それも働かなくとも勝手に収入が増えるような ― であったし、人脈に関しては自信があった。 しかし問題は、その庭師の手入れに、決して満足が出来ないとわかっている点である。 彼はささやかな自分の中庭を少しも変えたくなかったのだ。 「職人は自分の思い通りにしたがるものだ。特に腕に自信のあるものは」 相楽夫人がいくら「そんなことはありませんよ」と言っても、氏は頷かなかった。 そして今日も、手入れの満足にできない庭を尻目にパーティーに出かけるのである。 ☆…☆…☆ それはガーデンパーティーだった。手入れの行き届いた、気持ちの良い庭で、招待客がおしゃべりを楽しんでいる。 「良い庭だな」 「ええ、そうですね。あの灌木など、手入れが大変難しいですけれど」 「代々同じ庭師を雇っておるに違いない。建物と引き立てあっておる」 相楽夫人は満足気な夫にこっそり微笑むと、友人に挨拶をしに離れた。主催者に挨拶が終わったから気楽なものである。 相楽老人はといえば、知人と談笑しながら庭に感心し通しだった。 「そうだ相楽さん、聞きましたか? 伊勢川さんのことですが」 「なんですかな?」 「遺言状をすっかり書き直して、息子さん達に何も残さないことにしてしまったんだそうですよ」 「…なんですとな?」 伊勢川氏は相楽老人の旧友で、その息子や娘の人柄も勿論知っている。伊勢川氏が理由も無しにそんなことをするはずがないが、親子仲は大変よかったはずであった。 「なにかあったのですか」 「それが…相楽さん、私はどうにも理解できないのですが」 知人も困惑しているのか、首をかしげつつ驚くことを口にした。 「霊媒師に全額というのですよ。ただ法律上で残さなくてはならない額もあるでしょう」 「れ、霊媒師?」 「はい。伊勢川さんの家に出入りしているようで…」 知人の話はそこで終わったが、相楽氏の受けた衝撃は相当なものだった。 伊勢川氏は大変きっぱりとした人で、自分の目で見たものしか信じない人でもある。 血の繋がった子供よりも、霊媒師に全てを残したいと思うほどに、何かを見たのだろうか。 「なんにせよ、一度会わねばなるまい」 相楽老人は1人頷くと、頭を切り替えて池の方に向かった。 しかし、忘れていたのは自分の足腰についてである。うっかりつまずいてしまったのだ。目の前は水面。いくら夏とはいえ遠慮願いたい。 「っぶない!」 バシャッと水音がして、しかし落ちたのは相楽老人ではなかった。 「…ひゃ〜、ギリギリセーフですね。大丈夫ですか?」 「も、申し訳ない」 相楽老人を支えたのは、ずいぶん若い男性だった。池の中に両足を突っ込んで、老人を受け止めるようにしている。 「いえいえー。水辺は滑りやすいですから仕方ないですよ。あ、立てますか?」 「大丈夫だ」 なんとか両足で立って、救世主の顔を見て愕然とした。 なんとも形容し難い、簡単に言えば大変美しい少年である。どこぞの俳優だろうか。しかし相手が誰にしろ言うべきことがある。 「ありがとう。…申し訳ない、服が濡れてしまったか」 「大丈夫ですよ。そんな高いもんじゃありませんから」 少年は池からあがり、靴をぬいでひっくり返した。 「わしは相楽という。何か代わりを…」 「和哉?」 聞き覚えのある静かな声に、相楽氏はおやと目を見開いた。 「相楽さん?」 「柏木君」 現れた青年は相楽老人と少年とを見て納得したようにうなずいた。 「和哉」 「はいなんでしょう」 「お手柄」 「君のお連れさんだったか」 柏木礼治は相楽氏が懇意にしている女性の孫である。その女性譲りのつり目を少し細めて、柏木は「ええ」と答えた。 「僕の親戚の友人で、宮村和哉といいます。親戚と和哉は植物が好きなので、こういう時は連れてくるのです」 「それはそれは…話が合いそうだ」 「僕もそう思います。ぜひ来週にでもおいでください。先日夏の庭を整えたところです」 仕事で呼び出されたという礼治は、和哉と親戚の少年とを連れて帰っていった。 ☆…☆…☆ 招待の言葉は本当で、相楽氏はパーティーの次の週には礼治の住まいである柏木家別邸を訪れていた。 しかし残念ながら相楽氏の気分は優れない。なにせ来る前に立ち寄った場所で、言い表しようのないショックを受けたばかりなのである。 「あ、ようこそいらっしゃいました。相楽さん」 出迎えたのは和哉だった。パーティーの時とは違い、Tシャツにジーパンとラフな服である。 「おや、君はここに下宿しているのかね」 「別邸が一部下宿ってご存じなんですね」 柏木家別邸は広い。礼治は建物が痛むからと、使わない部屋の一部と離れの建物を、下宿として貸し出しているのである。 「やれ思いきったことをするものだと、最初は話の種にしたものでな」 「ちょっと家にいられなくなりまして、夏休み入ってからお世話になってるんですよ」 「住み心地は?」 「楽しいです。さて、柏木さんのとこにご案内します」 [*前へ][次へ#] |