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「なあなあ、奴良ぁ〜」
学校の休憩時間。
まだ昼間だというのに、卑しい笑いを引っ提げて近寄る男子が数名。
「どうしたの?」
気の良いリクオは警戒心を悟られないように、笑顔で応える。
彼らはリクオに顔を近づけると、小声でこそこそと尋ねた。
「奴良と及川さんって、どこまでいったんだ?」
何の話かと尋ねるまでもなく、隠しきれていない卑しい笑みが下世話な内容を暗示している。
リクオと氷麗は居候(同棲)している恋人同士という設定になっている。
遅かれ早かれ、こういう内容は予想できた。
ただ願わくば、氷麗が不快な思いをしていませんように。
「どこまでって……」
リクオは少し考え込むように顎に指をやると、どこまで暴露しようかを迷っているという体(てい)を装った。
「そりゃ、一緒に住んでるし。夜に僕の部屋に来ることもあるし。僕だって男だし。
……島くんは知ってるよね?僕の部屋が少し奥まったところにあって、あまり人気(ひとけ)がないこと」
こういうことに興味のある年頃だ。
当然のように聞き耳を立てている島に話を振ると、彼は青い顔をしながらも、しっかりと肯定した。
それを確認して、リクオはにっこりと微笑む。
「まあ、そんな部屋で朝まで抱き合ったこともあったし」
嘘は一つも言っていない。
一緒に住んでいることは言わずもがなとして、夜にリクオの部屋に訪れることがあるのもまた事実だ。
それは主に布団を敷くためだが、ときどき急な要件を話に来たり、夜のときには晩酌の相手を頼むこともある。
さすがに一緒に寝たことはないが(幼い頃のお守りを除いて)、朝まで抱き合ったこともあるというのも本当だ。
氷麗がラブレターを貰い、熱を出した後の深夜。
たまたま寝衣のままで散歩をしていた彼女を部屋に入らせ、不意に抱きしめたら離れ難くなり、安堵のためか、結局抱き締め合ったまま眠ってしまったのだ。
だから、ただ単に事実に含みを持たせただけだ。
年頃の男の子は扱いやすく、たったそれだけで勝手に誤解をしてくれる。
確かに、わざとそうなるような言い方をしているのは認めるけれど、非は彼にはない。
むしろ騙すのがぬらりひょんという妖怪の本分だ。
「なな、どんななんだ?彼女」
にやにや、どきどき、わくわくとどこか浮き足立って尋ねる男連中。
期待されているのは百も承知だけれど、これに関してのコメントは決めている。
リクオは彼の子分たちなら頬を染めそうなほど極上に笑む。
そして、男たちの期待が極限まで達したところで、リクオはその一言を放った。
「教えないよ」
その直後、リクオの教室から裏切りと落胆の絶叫が響いたのは、言うまでもない。



「家長さんはええん?奴良くん、取られてまうで」
リクオの席の方から轟いた雄叫びを聞き流しながら、ゆらはカナに訊く。
「……別に、リクオくんは私のものじゃないし」
いじけたように、カナは不貞腐れた表情でおにぎりを一口囓(かじ)った。
「またそないな意地張って〜」
「だって!」
図星を突かれて頭に血が昇ったのか、カナはゆらの言葉を打ち切るように、声を荒げた。
ざわついた教室の視線を集めるほどではなかったものの、ゆらは押し黙る。
カナはおにぎりを手に持ったまま、うなだれるように俯いた。
「嫌だけど……。幼馴染だからこそ分かるの。リクオくんの一番が誰なのか……」
毎日噂を耳にするカップル。
彼らはカナから見ても仲睦まじく、そこに付け入る隙はないように思われた。
「まあ、そうは言うても、あの女はただの側近やしなあ」
彼女らの中で一人だけリクオと氷麗の本性と実態を知っているゆらは、慰めのような励ましのようなよく分からないことを言う。
カナはふうっと溜息を吐くと、腕に顔を埋めた。
「ただ傍にいるだけじゃないの。及川さんが、リクオくんを好きなだけじゃないの__」



「__そう、家長さんは言うとったけど、ほんまのところどうなん?」
幾分暖かくなっているとはいえ、この季節の外気は人間にはまだ寒い。
屋上に出る気にもならなくて、彼らは教室棟の廊下の端、非常階段の手前のところで向き合っていた。
暖房のかかっている教室に比べれば廊下も肌寒く、人通りはほとんどない。
リクオは後頭部に手を当てながら、あははと苦笑した。
「やっぱりカナちゃんにはバレちゃうよね」
それは確かに肯定だった。
「合うとるっちゅうことか」
ゆらは低く呟くと、腰に手を当て溜息を一つ零す。
少し眉尻の下がっているその表情は、彼女が呆れている証拠だった。
「あんた、彼女のこと惚れさせよってからに、そこんとこはどないするつもりなん?」
「どうもしないよ。僕(夜)が惚れさせようと狙ったわけじゃない。ただ、助けただけだよ」
恋のきっかけの一つに、吊橋効果というものがある。
これは吊橋を渡るときの恐怖やら興奮やらによる胸のどきどきを恋と勘違いしてしまい、吊橋で出会った異性に恋をしてしまうというものである。
カナの夜リクオに対する気持ちは、おそらくそういう類ではないかと思われるのだ。
命の危機に現れては救ってくれる。
これだけ好条件が揃いもすれば、勘違いするのも頷ける。
ゆらはゆっくりと息を吐き出した。
こいつ、乙女を舐めとるなとは思いもしたものの、だからと言ってゆら自身、応援する気もないのだからどうしようもない。
「まあ、あんたはええ妖怪やけどな。やっぱり主やから。百鬼夜行の主の嫁が人間やったら、何かと大変やろ。彼女は肝心なところで覚悟がないから、無理やな。ウチかて彼女を応援するつもりはない。早う目ぇ覚まさせたって」
一時期はリクオにもその気があるのかと疑ったものだが、彼の気持ちは別の女に向いていることを確認したばかりだ。
彼に人間の彼女を嫁にする気がないのなら、ゆらの出る幕はもうない。
そう言い残して教室に戻ろうとするゆらを、リクオが制する。
「あのさ。氷麗のことを独り占めするには、どうしたらいいのかな?」
不安も悩みも全て押し隠そうとする彼にしては珍しい弱気な発言に、ゆらは振り返り、即答した。
「『特別』にしたらええんちゃう?」
きょとんと鸚鵡返しに呟くリクオに、ゆらはそうや、と続けた。
「表面は嘘で塗り固めても、ほんまは まだ側近と主の関係なんやろ。それでも充分独り占めしてると思うけどな。周りは騙せても自分は嘘だと知ってるから、物足りひんく思たり、虚しくなるんやろ。学校での嘘だけで足りひん言うんなら、いっそ本当のことにしてしまったらええんと違う?」
ゆらの言葉はとても真っ直ぐだった。
さも簡単そうに言うそれは、しかし、ひどく難しいことをリクオは知っていた。
「__………そうだね……」
幾分か沈黙した後、彼はそれだけを囁いた。







さくり、と土を踏む。
今日はいつもより闇が明るい。
「あれ…」
庭から月を見上げようとして、氷麗はまだ花の咲いていない枝垂桜を見て、声を上げた。
その一本の枝に座る人影。
それを見つけて、氷麗は駆け寄った。
「そのお姿はお久しぶりですね、リクオさま」
声に振り向く彼は、夜にしか会えない百鬼夜行の主。
銀と黒の混ざった髪を風に棚引かせて微笑む極上の男。
幹の根元から見上げつつ声をかけると、耳に心地いい低い声が鼓膜を揺する。
「よぅ、雪女か。久しぶりだな。このところあいつが気を張ってて、寝ねぇと出てこられなかったからな」
そう笑って、リクオは暗い夜空に赤々と光る金色の月を見上げた。
「でも、今日は満月だ。さすがにあいつも呑まれちまったからな」
満月の夜は自然と妖気が昂ぶるのだ。
いつもは昼と赦し合って交代をするのに、今回ばかりはそんな間もなく身体の支配権を奪ってしまった。
最近何やら考え込んでいる様子だったから、怒っているだろうかと思考を巡らす。
無理やり支配権を略奪したためか、満月の影響が思いの外強いのか、心の中でも昼の声は聞こえない。
氷麗も促されるように月を仰いで、その眩しさに目を細めた。
「そうですね。私も眠れなくて散歩を少々。ほとんどの人たちは向こうで宴会をしてますよ。行かないんですか?」
「せっかく二人きりだってのに、んな無粋な真似するかよ」
その小声は、氷麗には届かない。
ふわりとまるで風の精霊のように、リクオは桜の枝から地に降り立った。
草履と土が立てる音が、遠くからの宴会のざわめきに混じって静寂を乱す。
氷麗の前まで歩を進めると、彼は腰を屈めて彼女を覗き込んだ。
「なぁ、雪女。このまま二人で出かけるかい?」
口元に刻まれるのは妖しい笑み。
妖怪を惹きつけて止まない、極上の表情。
それをただ一人に向けれられて、氷麗は思わず頬を染めた。
「お供いたします、リクオさま」
微笑む彼女の頬を夜風が撫でる。
それが通りすぎるよりも早く、氷麗はリクオに抱き上げられ、上空に身を投げていた。



向かう冷たい風を切って夜空に身を踊らせる。
暴れる髪を片手で押さえ、もう片方の手は落ちないようにリクオの首に回される。
耳元で過ぎ去る風の音を雑音に、氷麗は行き先を尋ねた。
「どちらに?」
「さて……」
いつものように化け猫横町にと思っていたが、今日は満月だ。
どの妖怪も気が昂ぶっているから、そんなところに氷麗を連れて行くのは狼の群れに子羊を一匹投げ出すようなもの。
ならば、と考えを巡らせた結果、導き出された答えは氷麗の予想の範疇を遥かに超えていた。
「夜景でも見にいくかい」
にっと笑うリクオに、氷麗は瞬きを繰り返した。
「……夜景、ですか?」
リクオはどんどん街中へと進んでいるが、リクオと空しか見上げていない氷麗はその下に広がる明かりに気づいていない。
「人間のせいで今や夜も明るくなった。空気も汚れ、星もあまり見えなくなったが、闇に浮かぶ明かりは綺麗だという話を聞いてな。風情はないが、物は試しだ。見てみるかい」
そういえば、クラスの女子たちがデートというものについて話しているとき、『夜景の見えるレストラン』という設定は憧れると盛り上がっていた。
妖怪は闇を好み光を避ける生き物だから、夜まで明るいところには興味はなかったが、リクオに誘われればむくむくと興味が湧いてきた。
氷麗は元気よく はい、と答えると、リクオは得意そうにまた笑う。
そして、ひとつの高層建築に降りると、氷麗を腕から降ろした。
「ほら、見てみな。氷麗」
「__わ、あ……」
リクオが促す前方に視線を投げ、氷麗は顔を綻ばせた。
目の前に広がるのは闇に点々と輝く光たち。
もう深夜であるから、眩しいほどの明かりではなく、それが逆に闇と光を際立たせている。
「……夜は暗い方が好きなんですが、こういうのも、なんだか幻想的で綺麗ですね。なんだか、地上で光る星みたい……」
言われれば、確かにそれは夜空に瞬く星の輝きのようだった。
リクオは思いも寄らない表現に目を瞠り、そして氷麗に優しい目を向けた。
夜景を綺麗だと感じる者は多くとも、そういう捉え方をできる者はほとんどいないだろう。
とても素直で澄んだ心を持っているから、そのような表現ができるのだろう。
氷麗らしい。
リクオはふっと微笑した。
この女と共にいると、こんなに心が安らぐのは何故だろう。
それは自然と笑みが零れるほどに。
「気に入ったかい」
「はい。連れてきてくださってありがとうございました」
笑顔で振り返った氷麗だが、肩を抱かれ、間近で微笑みを向けられ、その近さに思わず固まった。
鼓動がどきりと音を立て、頬が紅潮するのが自分でも分かる。
頬に当てた手が冷たく感じるほど、頬の熱が上がっていた。
俯いた氷麗に、せっかくだから夜景を見な、とリクオがまた笑う。
はい、と答えて、氷麗は頬の赤さを気づかれないように髪で隠し、夜景を見下ろした。
リクオは肩を抱く腕の力を強め、身体を寄せる。
氷麗は高鳴る鼓動がリクオに聞こえてしまわないかと心配するが、彼の暖かさが心地よい。
その心地よさと景色にうっとりとしていると、気の緩んだ先から眠気に侵される。
リクオはいつからか氷麗が瞼を擦っていることに気づいた。
「どうした、眠いのかい?」
「いえ、そんなことは……」
強がる声も覇気がなく、振り返った瞳は今にも閉じそうになっている。
睡魔に負けぬよう、氷麗は小さく唸った。
妖怪は基本的に夜行性だ。
リクオが学校に行くから、本家の妖怪たちは朝早くから起き出すが、日が高い昼などはたいてい呑気に昼寝をしている。
氷麗はリクオの護衛のために朝から夕方まで学校にいるのだ。
夏も冬も、人間に合わせてある教室は雪女には暑いだろう。
しかも変化(へんげ)をしているから、屋敷にいれば使わない力を余計に使っている。
疲れて当たり前だろう。
眠らないと妖力も体力も回復しない。
ただでさえ疲れているところを連れ回したのだ。
リクオのために働いてくれている彼女を無理させる状況ではない。
いくら満月で気が昂ぶっていようとも、身体の疲れが眠気を誘うのだ。
「氷麗、眠ってもいいぜ。今日も疲れたろう。ちゃんと連れ帰ってやるから、お前ぇは休め」
「……いえ、私は…若の、護衛を……__」
そうは言うものの、瞼は重く、意識が次第に闇に沈んでいく。
リクオの腕に抱かれながら、その腕の暖かさに身体を預けた。
その身体から力が抜けたのを確認して、リクオは氷麗を抱き上げた。

黄金の瞳は隠され、薄く開いた唇から寝息が零れる。
漆黒の長い髪が夜風に流れて戯れる。
リクオは彼女の愛しさに目を細めて見つめると、その白い額に唇を押し当てた。








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