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GOSSIP 3(完結)
多分誰よりも一番気にしている。あの週刊誌の記事のことを。ジーノとあのモデルの女性との関係を。ジーノが今何を思っているのかを。誰よりも自分が一番気にしているのだろう。達海の頭の中では、ここ最近ずっとフットボールとそのことばかりがぐるぐると巡っていた。まるで出口のない迷路に迷い込んでしまったかのように、ぐるぐるとだ。気にして気になって悪い想像が簡単に膨らんでいって、そして勝手に傷付いて。年齢を重ねて大人になるにつれて、人は弱くなってしまうものなのだろうか。それとも弱くなってしまったのは、自分だけなのだろうか。自分以外に誰も居ない狭い部屋の中では小さな溜め息すらも殊更大きく響いてしまう。達海は愛用の黒のパーカー姿でパイプベッドの上に仰向けになり、再び溜め息を吐いた。


「あーもう、何やってんの、俺…」


目を閉じても閉じていなくても、ジーノの顔がちらついてしまって考えが上手くまとまらなかった。小さなテーブルの上には今すぐにでも目を通さなければならない資料が積まれているし、コーチ陣に用意してもらった他チームの試合のDVDには手も付けていなかった。達海はベッドに寝ころんだまま首だけをゆっくりと動かすと、すっかり見慣れてしまった殺風景な天井を見つめた。


「…俺って、馬鹿だよ。」


ジーノは全く気にしていないように見えた。週刊誌のことも。下世話な野次馬達のことも。チクチクとした胸の痛みに耐えている達海と違って、ジーノはいつも通りの笑みを浮かべる見慣れた王子様のままだった。


『最近、真面目に練習してるよね、お前。』

『真面目に練習するのはいいことだからね。後半もその調子で行けよー。』


本当はあの時にちゃんと尋ねようと思ったのに、練習頑張ってるね、とありきたりなことしか口にすることができなかった。ジーノを目の前にしたら、結局怖くなって訊けなくなってしまったのだ。真相を知ることを拒絶するかのように体が震えて。公開練習の日の自身の不甲斐なさを嫌でも思い出してしまい、達海は沈みそうになる気持ちを振り払おうとギュッと目を瞑った。


「ジーノ。」


ジーノは気にしてなどいないのだ。あれから週刊誌のことを口にすることもなく、普段通りの柔らかな雰囲気で達海に接していた。だから達海も気にしてなどいない無関心なふりをした。そうすることで、自分の心を守ろうとしたのだ。弱い弱い自分の心を。最早そうしなければ耐えられないほどに達海はジーノのことが好きだった。


「もう、やだ。」


2人きりで話した時に見た、どこか傷付いたようなジーノの笑みを思い出してしまい、達海は苦しさに眉を寄せた。でもあれは、きっと自分の見間違いだったのだ。自分が傷付いていたから、だから目の前に居たジーノの顔もあんな風に見えてしまっただけなのだ。ジーノは自分と違って週刊誌のことなど気にしていないのだから、あの時自分が告げた言葉に反応するはずがないというのに。プライベートには口出ししないと言ったくせに、ジーノが隣に居ないことが達海にとってはこんなにも悲しくて。達海は重く感じる体を動かしてうつ伏せになると、このまま無理矢理にでも寝てしまおうと思った。だが、やはり瞼の裏には愛しい人が居て。これ以上はもう無理だった。ジーノのこともフットボールのことも何も考えていたくはなくて。達海はゆっくりとベッドから起き上がった。今の自分には気分転換が必要だ。達海は気持ちを切り替える為にそのように判断した。そして、とりあえずは散歩でもして気分でも変えようと、部屋のドアを開けたのだった。



*****
何となく気になってクラブハウスを出る前に事務所を覗いてみたら、友人の背中が見えた。達海は事務所の入り口近くに立って、おーいとその背中に呼び掛けてみた。


「後藤、まだ残ってたんだ。GMも大変だねー。」


達海ののんびりとした声に大きな背中が揺れ、パソコンに向かっていた後藤が作業していた手を止めてこちらに振り返った。達海は勝手知ったる様子でそのまま事務所の中に足を踏み入れると、目に付いた職員の誰かの椅子を移動させて、よいしょと後藤の隣に座った。


「達海か。ああ、まぁな。王子の件でな。」

「…そう。」


ETUは弱小クラブである為に常に人材不足と財政不足に悩まされている。だからGMである後藤も今回の騒動の対応に協力していることは考えてみれば当たり前のことなのかもしれなかった。そりゃご苦労さんだなと達海は後藤に労いの言葉を掛けたが、先ほどまで騒動の中心に居る人物のことを考えて苦しい気持ちになっていたせいか、その声は小さく震えてしまった。何やってんだと内心酷く焦ったが、後藤は達海の変化に特に気付いたようには見えなかったので、達海はばれなくて良かったと安心した。


「後藤さー、自分の仕事もあるってんのに、やることたくさんになっちまったね。」

「いや、別にそれはいいんだが、王子が今回のこと気にしてたからな。あれからどうなってるんだい?って色々訊かれたんだよ。前に似たようなことがあった時は、全然気にする様子もなくて、ほったらかしだったんだけどな。」

「あいつ、気にしてんの…?」


ジーノは週刊誌の記事のことを気にしている。達海は後藤の言葉に耳を疑った。ジーノは今も気にしているというのか。2人きりで話した時には少しばかり参っているように見えたが、それ以降はいつもと変わらない王子然な笑みを浮かべ、気にしている素振りなど全く見せてはいなかったというのに。本当は違っていたのだ。達海は自分だけが週刊誌の記事を気にしていると思っていた。自分だけが誰にも知られない所で真剣に悩んでいると思っていた。けれどもそうではなくて、ジーノも悩んでいたのだとしたら。それは、つまり。週刊誌のモデルは、やはりジーノの彼女なのだろう。彼女のことを考えて、早く事態を収拾させたいと思っているのではないのだろうか。もしくは本命は別の女性であり、その彼女に誤解されない為に必死になっているのかもしれない。きっとそうなのだろう。分かっている。どちらにしろ最初から自分に望みなどありはしないのだから。


「達海、どうしたんだ?」

「えっ…?」


不意に後藤に声を掛けられ、深く沈みそうになっていた意識が浮上した。


「顔色が悪いぞ。忙しいからって無理してるんじゃないのか?」

「や、別に俺は…」

「頼りないかもしれないが、何かあった時はちゃんと相談するんだぞ。お前の世話は昔から慣れてるから、俺は平気だよ。」

「後藤…」


旧友の温かな優しさが嬉しかった。後藤は昔からそうだ。年下の達海のことを気にかけて、フットボール以外のことでも何かと面倒を見てくれたのだ。10年の月日が流れて変わってしまった物はたくさんあるが、変わらない物も確かにある。親友の優しさは今も何ら変わっていないと達海は思った。それでも、胸の内をさらけ出すことはできやしない。ジーノのことを好きになってしまって馬鹿みたいに悩んでいる。いくら気心の知れた親友であろうが、相談に乗ってもらうことなどどう考えても無理な話だった。


「心配しなくて大丈夫だよ、後藤。俺、別に悩んでなんかねぇから。」

「そうか、それならいいんだが。」


思う所はあったのかもしれないが、後藤はそれ以上何も言ってこなかった。達海は後藤を一瞥すると、じゃあ俺はそろそろ散歩に行こっかなと呟いて、跨るように座っていた椅子から立ち上がった。


「散歩に行く途中だったのか。」

「うん、息抜きに。廊下歩いてたらさ、お前見つけて。だからちょっと寄っただけ。どっかの王子様のせいで余計に増えた仕事頑張ってね、後藤。バイバイ。」


達海はいつもの自分を演じながら後藤に手を振った。そしてそのままのんびりと歩き出したが、人気のない廊下の曲がり角を曲がった所で歩みを止めると、廊下の壁に身を預けるようにしてずるずるとしゃがみ込んだ。


「あーあ、聞きたくなんかなかったのに。」


後藤は決して悪くはない。悪いのは。馬鹿なのは。ジーノを好きになった自分だ。監督のくせに気まぐれなファンタジスタを好きになってしまった自分。自分なのだ。こんな気持ちになっても思い出してしまうのは端正な顔を綻ばせた微笑みで。達海は唇の端を吊り上げて自嘲気味に笑った。


「ジーノ。」


それでも、どうしても、ジーノのことが好きだった。



*****
声を掛けることも。監督の立場を利用して2人きりの時間を作ることも。偶然廊下であった時に笑うことも。何一つできないまま、もどかしくも時間だけが過ぎて行った。達海とジーノの関係が変わることはなかったが、ジーノの周りには大きな変化があった。有里を中心とした広報の働きに加えて人の噂も何とやらで、取材や野次馬の数が大きく減っていたのだ。そのような状況でさらにラッキーなことが重なったのだ。大物女優の熱愛のスクープが世間を賑わせることとなり、今までジーノを追っていた記者やレポーター達は皆揃ってそちらに飛び付いていった。人気があるといってもプロチームに所属する一介のサッカー選手より、テレビや映画で大活躍する女優の熱愛を記事にした方がマスコミ側にとっては勿論良いに決まっている。事態は確実に収束の方向へと向かうこととなり、ETUのクラブハウスには再び穏やかな時間が流れ始めたのだった。


その日は練習が終わった後にコーチ陣とミーティングをすることになっていた。達海は選手達に今日の練習での評価する点と反省点や課題を告げると、ロッカールームに引き上げ始めた彼らに背を向けた。クラブハウスに戻った達海はコーチの松原と共にミーティングを行う為の会議室へと向かっていた。


「タッツミー。」


背後から名前を呼ばれて、らしくもなく肩が揺れた。このクラブの中ではジーノだけがこんな風に愛称で呼んでくる。久しぶりにその高めの声を耳にした気がして、達海は心が震える思いだった。


「何か用?」

「話があるんだ。とても大切な。」


君に絶対に伝えなければならないんだ。ジーノははっきりとそう言った。大事な話とは一体何なのだろうか。達海はすぐに見当がつかなかった。ただはっきりと分かることはジーノの纏っている雰囲気がいつもと違うことだった。それにいつも人一倍身なりを気にする彼が私服に着替えることなく練習着姿のままであったことも珍しかった。


「話?…悪ぃけど、今からミーティングがあるんだ。」

「終わるまで待っているよ。」

「今日は長いから、いつ終わるか分かんないし。」

「待っているよ、タッツミー。」


真剣な瞳だった。ここまで真剣な瞳を見るのは初めてのことで、どうしてそのような瞳を自分に向けてくるのか分からず、達海は困惑した。真っすぐ瞳から逃れるように何とか視線を逸らして、そういうの困るんだけどと絞り出すような声で口にするのが精一杯だった。


「タッツ。」


視線を逸らしても無駄なことなど分かっている。達海は小さく息を吐いた。


「今日はほんとに無理だから。……明日だったら、いいよ。空けとく。」

「…分かった。明日の練習が終わったら君の部屋に行くよ。」


ジーノはホッとしたような表情になると、ミーティング頑張ってね、とふわりと笑顔を浮かべて去って行った。


「監督、良かったんですか?」

「何が?」

「王子、何だかいつになく真剣な様子でしたし…。我々は少しくらい時間がずれても構わなかったんですけど。」

「…いいよ、別に。明日話すから。松ちゃんは気にしなくていいの。」


さっさと行くよと、達海は小太りのコーチの背中を押した。会議室へと向かいながら、達海は窓の外の空を見つめた。もう逃げられないことなど分かっていた。ジーノが好きなはずなのに、2人きりになることが怖くて。無駄な抵抗であろうとも少しでも先延ばしにしたかった。



*****
昨日約束したのだから、今日の夕方になってジーノが来ることは当たり前であるというのに、ドアのノックの音に達海は寝転んでいたベッドから弾かれたように飛び起きた。すぐにでも開けなければならい。けれどもなかなかドアの前に近付くことができずにパイプベッドの上で逡巡していると、再度ノックの音が部屋の中に響いた。この部屋を訪れる後藤や有里、村越のノックとは異なる軽やかな音。ノックまで音楽を奏でるように優雅だなんて本当にジーノらしくて、何だかおかしかった。達海は小さく笑った後、目を閉じて自分自身のこと考えた。ジーノのことが好きで、このままではいけないと思っていた。だから怖くても前に進まなければいけないのかもしれない。それなのに今こんなにも胸が苦しくて。苦しくてどうしようもなかった。 パーカーの下に着ているタンクトップを無意識に握り締めていた達海の耳にタッツミー、ボクだよと涼やかな声が届いた。達海はゆっくりと瞼を開くと、入っていいよとドアの向こうに居るジーノに声を掛けた。やあ、今日はありがとう、と片手を挙げて入って来た達海の想い人は、やはり昨日と同じようにどこか真剣な面持ちだった。


「えーとね、後藤が言ってたんだけどさ、今回のことはもう大丈夫だろうって。で、俺に話って何?やっぱ足のこと?今度の試合休みたいの?…もしかしてお前、大事だって言ってたから、長期離脱とかじゃ…ねぇよな?もしそうなら、俺も色々と考えないと…」


話し続けていなければみっともない所を見せてしまいそうで、達海は息継ぎすることなくそのまま言葉を続けた。


「心配しなくても調子はいいから大丈夫だよ。確かにそういうことも大切な話にはなるだろうけど、ボクが今日君に伝えたいこととは違うんだ。」

「っ、じゃあ、大事な話って…」

「……タッツミー、君に振り向いて欲しくて、焦って、勝手に軽率な行動を取ったボクを許して欲しいんだ。」

「ジーノ、今なんて…!?」

「事故だったとしても、週刊誌に撮られるような軽率な行動を取ってしまったから…」

「その前…」

「君に振り向いて…欲しくて。」

「え…」


信じられなかった。たった今ジーノが紡いだ言葉が。ジーノの言葉の意味が。達海は大きく目を見開いてジーノを見た。


「ボクは、タッツミー、君が好きなんだ。ずっとずっと君が好きだったんだ。」

「ジー、ノ。」


君があの週刊誌の記事を読んでどう思ったのか、そう考えただけで悲しくてつらくて胸が痛くて堪らなかった。どうにかしなければいけない、ボクの中にある想いを伝えなければいけないって思っていた。それなのに、怖くて今日まで伝えることができなかったんだ。だけど、やっと伝えることができた。ボクの大切な大切な想いを。初めて見る、ふにゃりとした年相応のジーノの笑顔。それが、全てだった。それが、達海が欲しかったジーノの愛だった。


「…前にお前のプライベートには踏み込まないって言ったけど、」

「タッツミー?」

「俺だって、お前のことが…」


その先の言葉は口にしなくても、ジーノは達海の表情から十分に分かったのだろう。何故ならば気が付けば達海はジーノに強く抱き締められていたのだから。


「あの記事読んで、すげー悲しくなって。お前が気にしてるって知って、ああやっぱり俺には無理なんだって思ってた。」


ジーノの腕の中でそっと呟くと、本当にごめんねと、少しだけ泣きそうな声が返って来た。あれは本当に偶然の事故だったんだよ、それに記事に書かれているようなことも絶対にないからと必死なジーノが何だか可愛く見えてしまって、達海の口元に笑みが浮かんだ。


「お前は俺のこと気にして、そんで俺のこと、考えてくれてたんだ。…あー、何かうじうじして損した。結局お前に振り回された し。」

「ごめんね、タッツミー。君を悲しませるようなことをして。どうかボクを許しておくれよ。」

「仕方ないから、許してやる。だから、これからも隣で笑ってろよな、王子様。」

「タッツミー!」


全身で大好きだよと伝えてくる大切な人の背中に腕を回しながら、達海はそっと目を閉じてジーノの温もりをいつまでも感じていたのだった。






END






あとがき
ジノタツで一度は考えてみたい、ジーノのゴシップネタのお話でした。このような設定は書いていて楽しかったのですが、タッツミーが乙女ですみません…事件をきっかけにして想いが通じ合って、らぶらぶになるジノタツ最高ですね^^


最後まで読んで下さってありがとうございました♪

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あきゅろす。
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