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幸せのベクトル
何番煎じな勘違いネタです



今日の夜はボクの部屋で一緒に食べようよ。練習終わりにジーノにこっそりと耳打ちされた時、達海は久々にジーノの部屋で過ごせることに嬉しさを感じた。ここ最近は次の対戦チームの研究に時間を割いてしまっていて、ジーノと恋人らしいことも碌にできていなかったからだ。それなのに彼は文句の一つも言わずにいつも自分に笑顔を向けてくれる。自分はジーノを散々放っておいてばかりなのに、ジーノはそんな達海の側に変わらず居てくれるのだ。こんなフットボールだけの俺なんかやめていいんだよ、本当はお前にはもっと相応しい人が居るはずなのに、と心のどこかで考えてしまうことがある。勿論達海はジーノのことが好きで、できるならばずっと一緒に居たいが、彼の幸せの方が自分の幸せよりも優先すべきことだと思っている。ジーノが好きだからこそ、その時が来れば未練がましいことなどせずに、潔く身を引く覚悟もできている。いつかジーノが自分に飽きて新しい恋を始めた時には、今までこんな自分のことを好きでいてくれてありがとう、と笑ってさよならをしようと思っているのだ。だがその日がやって来るまでの間は、束の間でもいい、ジーノがくれる温かな幸せを目一杯独り占めしていよう。ジーノと付き合うようになってから、達海は心の中でそんな風に考えていた。


その時が来るまでは、ジーノの側に居て温かな幸せを感じていたいと。



*****
「タッツミー、ボクの料理は美味しいかい?」


ジーノが食べる手を止めてニコニコと楽しそうに達海の顔を見る。達海は目の前の端正な顔を見つめ返すと、うん、美味しいよと頷いた。名前など自分には全く分からないが、見た目も味も申し分ないイタリアの家庭料理がデザインの良い皿に綺麗に盛り付けられている。ジーノが自分の為だけに作ってくれたのだと考えるだけで、何だかくすぐったいような気持ちになり、ただ幸せで堪らなかった。


今日も普段と変わらない練習が終わった後、達海はジーノの愛車で彼の自宅である高級マンションに連れて来られ、手作りの料理を振る舞われていた。ジーノのマンションにはそう何度も来たことはないのだが、来る度にこの豪華な部屋はつくづくジーノに合っているなと思ってしまう。達海は料理を口に運びながら、ダイニングテーブルの向かいに座って優雅に料理を食べているジーノをちらりと見た。自分よりもずっと若くて、選手としても華々しい才能があって、そして恋人にうんと優しくて。本当に自分には勿体ない。何で俺なんかと付き合ってくれてるんだろうな、そう思わずにはいられない。だがジーノが自分のことを好きでいてくれることが泣きそうになるほど嬉しくて、無理だと分かっているのに手離したくない。本当に自分は欲張りだと感じながら、達海は恋人の手作りの味を心に刻むように味わった。そのまま食事が半分ほど済んだ所で、ジーノがミネラルウォーターの注がれたグラスを手に持って、小さくうんと頷いた。


「ねぇ、タッツ。ボク、赤ワインも飲もうかと思うんだけどさ…」

「だったら俺は…」

「ちゃんと分かっているよ。タッツミーはビールでしょ?」


少し待っててね。ジーノは達海に微笑んでから静かに席を立った。ほどなくしてワイングラスと缶ビールを手にしたジーノが戻って来る。はいどうぞ、と差し出された缶を受け取ってそのままビールを飲んだ。自分の部屋で良く飲む安物の発泡酒よりずっと美味しくて、達海は満足げに目を細めた。


「あっ、そうだ。…タッツミーにね、新しい彼女を紹介したいんだ。」

「えっ…?」


それはまるで今日は晴れだね、と天気の話をしているかのような何気ない口ぶりで。達海はジーノから告げられた言葉が一瞬理解できなかった。新しい彼女。頭がその意味を漸く理解した時には、缶を持つ手が小さく震えていた。


「そっ、か…」


達海はジーノに届かないように小さく呟いた。今日が、その日だった。いつかやって来ると思っていた日が今日だったのだ。ならば自分は、笑顔でジーノを送り出さなければならない。今まで俺に幸せをくれてありがとうと、笑ってさよならを言わなければならない。ジーノのことが好きでまだ側に居たくても、何よりも彼の幸せを願わなければならない。


「…ジーノ、俺と別れても楽しくやれよ。…それと今まで、ありがと。」


自分でも驚くほどみっともないくらいに声は震えて、笑顔を作るどころかジーノの顔すら見ることもできず、達海は下を向いたままだった。自分は何をやっているのだろうと自嘲したくなる。達海だって頭ではちゃんと分かっているのだ。だが心は厄介なくらい正直で、本当はジーノと別れたくないと叫んでいる。その時が来れば、笑って別れる覚悟はできていたはずなのに、自分の覚悟はこんなにもちっぽけなものだったのかと思い知らされた。


「タッツミー。別れるって、それは一体…」


真剣な声に我に返り、達海はゆっくりと顔を上げてジーノを見た。ジーノはテーブルに身を乗り出すようにして、意味が分からないという表情で眉根を寄せていた。


「だって…ジーノ、お前さ、新しく彼女ができたんだろ?だからもう…」

「タッツミーがボクと別れる必要なんてないよ。それは彼女に会えばすぐに分かることさ。今、向こうの部屋に居るんだ。だからタッツも是非彼女に会うといいよ。」


ジーノの口から発せられた言葉に達海の全身が冷たくなった。今ここにジーノの新しい彼女が居る?先ほどまでのジーノとの楽しい食事の思い出が一気に灰色に染まった。ジーノは達海に別れる必要はないと言ってくれたが、彼女はそう思うはずはない。仮にジーノが複数の人間と付き合うことを許すような女性だったとしても、達海の方が耐えられそうになかった。ジーノが自分以外の誰かにも優しく微笑んでいると考えただけで、心臓の辺りが痛くて堪らない。だから無理なのだ。絶対に会いたくない。気が付けば、綺麗な笑みと共に差し出された手を強く振り払っていた。ジーノに悪気などないことは分かっているのに、もうこれ以上はやめて欲しかった。悲しくて辛くてやり切れない思いは、もうたくさんだから。


「俺、そろそろ帰るね。邪魔しちゃ悪いし…お前とは、別れたってことでいいんだよね?…今日は本当にありがとう。…ご飯、美味しかった。」


振り払われた手を見つめているジーノが、今どんな顔しているのか知るのが怖くて、達海は俯いたまま席を立つと、ジーノに背を向けて足早に部屋を出ようとした。だが突然腕が引っ張られる感覚がして、逃れることもできずにそのまま背後から抱きすくめられていた。


「タッツミー、待ってよ。ボクの話をちゃんと最後まで聞いて。」

「やだ。もういいって。…これ以上は、俺が惨めになるだけじゃん。」

「タッツミーは絶対に酷い勘違いをしているよ。彼女っていうのは…」

「やめろよ。もう俺には関係ないだろ?」


その先を聞きたくなくて耳を塞いでしまいたいのに、抱き締めるジーノの腕が頑としてそれを許してくれなかった。達海は諦めたように目を閉じると、ジーノの言葉を待った。


「彼女っていうのは、椅子のことだよ、タッツミー。」

「は?えっ、何それ…?」

耳元でどこか楽しそうな声が響く。予想もしていなかった言葉に肩の力が抜けてしまった達海は、そのままジーノの体にもたれ掛かってしまった。


「お前、無機物まで…そんなに守備範囲広かったんだ。」


ジーノに新しい彼女など居なかったことに酷く嬉しさや安心感を感じている自分が気恥ずかしくて、達海はそれらの感情を隠すように冗談を言った。もう、酷いなぁとむくれた声がして、腕を解いたジーノが達海の目の前に来た。


「タッツミーも知っていると思うけれど、ボク、椅子を集めるのが趣味でね。最近新しくコレクションが増えたんだ。その椅子はね、脚の部分の曲線や全体のフォルムが、それはもう女性のように美しくてね…」


うっとりとした表情で椅子の話を始めたジーノに、内心椅子のことは良く分からないんだけどな〜と思いながら、達海は一通り彼の話を聞いてやった。


「ジーノ。本当に紛らわしいんだよ、お前は。俺が勘違いしても仕方ないと思うけどね。」

「え〜、だってボクにとって椅子は人間と同じように大切に扱うべき存在なんだよ。だから女性のように扱ったまでさ。…でも言っておくけれど、あくまでボクの趣味の話で、何よりも大切なのはタッツミーなんだからね。だからボクはこれからも恋人はタッツミーだけだと思っているし、絶対に別れないからね!」


タッツミーはこれからもずっとずっとボクの側に居るんだから、と意気込んでいる恋人は恋に必死な年相応の青年の顔をしていて。こんな魅力的な王子様は自分だって離したくないに決まっているではないか。


「…とりあえず、椅子の話はもういいよ。お前の趣味にまで口出す気はないから、これからも好きにやりなよ。それに新しい彼女が増えても、もう大丈夫って分かったから。……そうだ、食べかけの料理もまだあるし、ビールも残ってるから、俺、そのまま食べてもいいかな?」


料理はすっかり冷めてしまっていたが、ジーノが心を込めて作ってくれた物を残したくはなかった。だがそれだけではない。あのまま甘い空気の中でジーノと見つめ合っていることが既に恥ずかしくて限界だったのだ。それに年上なのに余裕をなくした所を見られてしまったバツの悪さもあった。達海は急いで椅子に腰掛けると、まだ半分ほど残っていたこれまた名前の分からないトマトソースの掛かったムニエルをつついた。


「フフ、タッツミー、椅子のことで勝手に一人で暴走しちゃったからご飯でも食べていないと恥ずかしいんだね。」

「う、うっさいな。…俺は恋人の手料理を最後まで味わいたいだけです。」


ジーノの指摘はまさに図星だったので思わずそんな風に言い返したら、嬉しそうな顔をして走り寄って来たジーノに再びふわりと抱き締められた。


「何だよ、俺、今食べてるから。」

「だって、ボクのこと恋人って…これからもずっとボクと一緒なんだよね?」

「…当たり前じゃん。お前がこんな俺でも…いいってんなら。」


答えのように強く抱き締めてくる腕の温もりに、もうその日がやって来ることはないと確信できた。無理矢理笑って背中を見送ることはしなくてもいい。その背中に腕を回して寄り添っていられるから。 達海は腕の中で身じろぐと、お前も一緒に食べない?とジーノを見上げた。優しく微笑んで頷くジーノを見て、達海はあぁそうなのか、と嬉しかった。自分の幸せはジーノの幸せで、お互いの幸せが今まさにここにあるのだと分かったのだから。






END






あとがき
ジノタツを書くならば絶対に皆様考えるであろう椅子ネタでした。ジーノの椅子のコレクションはきっとすごいだろうと思っています(´∀`)専用の部屋もありそうですよね。


タッツミーには思い切り勘違いをしてもらいました。さすがに椅子にまで嫉妬はないですが、自分が取り乱したことを棚に上げて、紛らわしい呼び方すんなよな、と拗ねてくれたら可愛いですよね^^ジーノは椅子を大切に扱うだろうけど、頂点に居るのは絶対にタッツミーだけだという妄想です。


読んで下さってありがとうございました♪

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