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element story ―天翔るキセキ―
その笑みは

「――シディさんと……お話、しなくて……いいんですか……?」

「…………」

「……ぼく、シディさんのことは、まだ……こわいです。……でも、決して嫌いな人では……ないです」

 一生懸命に話してくれているのが、ベリルにはよく分かった。だてに四年間も付き合ってはいない。

「ベリルさんは……シディさんに、話したいこと……あるんじゃないかって。ぼくは……そう、思います」

 ……エルは人の感情の機微に聡い子だとベリルは感じていた。それは育った環境が、彼女に普通の子供であることを許してくれなかったからなのだが。

 ――しかし。それにしたって、見透かされてしまうほど分かりやすかったのか。大人ぶっておいて、自分もまだまだだとベリルは苦笑する。

「……ええ。当たり」

「会いに、行かないんですか……?」

「……私には、やらなくちゃいけないことがあるから」

 彼女の言う通り、ベリルはオブシディアンともう一度話したいと願っていた。彼は今、ベリル達とは別の区画にある牢獄に収容されている。……囚人と同じ扱いだ。
 魔術を使えないよう、彼には体内エレメントの流動を阻害する手枷が嵌められているだろう。もしかしたら、ろくに動けない状態かもしれない。

 なぜ彼がこんな扱いを受けているのかといえば、やはり元断罪者であり脱走犯であるからだ。
 ベリルからすれば、その脱走は自分達に協力した形。それなのに自分は無事で彼だけ拘束されているのは不公平だと思った。それはエルも同じ考えだろう。

 当然、彼は魔術師であり断罪者。身ひとつで戦う術も持っている。先の集魔導祭でも暗躍していた。
 対する自分は、魔導具を造る技術以外は特徴のない、ただの女だ。
 響界の立場からすれば、この差は仕方のないことだと――頭では理解している、けれど。

「オブシディアンは……ずっと、自分なんていなくなってもいいって思ってるの。それはつまり、自分の生に執着がないということ。

 ……私は、それが不安なの」

 女神イリスとの戦いは、生半可なものではないだろう。生きたいという意志なしに、帰って来れる者がいるだろうか?

 このままでは、彼は間違いなく――死ぬ。そう思えてならないのだ。

「だ……だったら、なおさらです! ……シディさんに、会うべきです」

「……でも。私が話しても、彼は変わらない。……変えられないわ」

 今まで、ずっとそうだったのだ。彼は他人の言葉を素直に聞いているようで、心には何も響いていない。
 彼を変えることが出来るのは、きっと――亡くなった家族だけなのだろう。

 家族を想い、ベリルの目の前で泣いていたあの時。そこで、彼の時間は止まってしまっているのだろう。
 もしくは、中途半端に壊れた時計のようなものか。秒針は動いても、どうしようもない程ズレた時計。
 いくら直しても、またすぐズレてしまうのだ。

「ベリルさん……」

 茫然としたようにエルは零す。彼女はやがて俯いて、服の裾をぎゅっと握り締めた。

「……エル……」

 後悔したくないなら、会うべきだ。それは、分かっているのだ。……なら、なぜ頑なに行かないのか。

 もし、彼と話して。……何も変わらなかったら。

 そうして、彼が――死んでしまったら。

 彼を助けられなかったという後悔と、大きな絶望に襲われる。ベリルは、それが怖いのだ。

「…………」

 ふたりの間に沈黙が下りる。遠くで話している技術者達の会話が、別の世界のように感じられた。

 その時。

「……ベリル、エル!」

「……え? カヤナ!?」

 突如として開け放たれた扉の先には、カヤナがいた。彼女は見張りだろう魔術師と共に早足で歩み寄ってくる。

「ロウラは?」

 すぐに違和感を覚え、そのまま声に乗せる。そう、彼女の傍にいた筈のロウラが見当たらないのだ。
 ベリル達が連行されるまで、姉弟は一緒にいたというのに。

「……それが」

 カヤナは酷く憔悴した様子で、声に覇気がなかった。

「あの子……いなくなって」

「!」

 思わず、ベリルとエルは顔を見合わせる。
 彼女が言うには、ロウラは突然失踪してしまったらしい。
 彼はずっと何かを深く考え込んでいる様子で、それはあの人形のことを考えているのだとカヤナは思った。
 弟の気持ちは納得できなかったが、理解はしていた。だから、少しそっとしておこうと考えたのだ。

 そうしたら――この結果だ。

「今は、避難した人達が響界にいるから……紛れちゃえば、捜すのは困難になるの」

「……そういうこと……」

 彼女らは武器さえ使わなければ一般人と同じ、特にロウラはその武器も扱えない。
 今は、魔術師達は女神イリスや魔物へと対抗すべく、そして人々を守るべく鍛練を積んでいる時期だ。そんな時、一般人に近い少年を捜している時間も惜しいということなのだろう。

「私はまだ何かしでかすかもって、怪しまれてるけれどね」

 力なく笑うカヤナ。彼女の後ろに控えている魔術師は、しかめ面を浮かべていた。

「だから、今……あちこち見て回ってるの。勿論、リーブ様達がいるような場所は……入れないけれどね」

「カヤナ……」

「……私、戦いたい。最後まで、あの人と戦うってずっと決めてたの。でも……こんな時に、私はあの人の役に立てない。ロウラのことも、ずっと分かってあげられなかった……」

 自嘲するように笑いながら、

「アッシュみたいに、やりたいことはやる、嫌なことはやらない、そう主張出来たらどんなにいいか。……今頃、どこで何をしてるのかしらね。リーブ様を放っておいて……」

 カヤナは、以前のリーブの言葉を思い出していた。『アッシュが羨ましかった』という告白を。そして今、カヤナもその気持ちが分かるような気がした。

「……ごめんね。弱音ばかり吐いて」

「いいえ。カヤナ、あなたはもっと弱音を吐くべきだわ……あなたはいつも、無理ばかりするから」

「……ありがとう」

 ほんの少しだけ、彼女の笑顔が柔らかいものになったように見えた。

「……あの、ベリルさん。もう作業を始めてから、何時間も経っています。……他の方々も、少し休憩するみたいですし。……ロウラを捜すのを、手伝いませんか……?」

 話に割り込むのを申し訳なく思っているのか、おずおずと言った調子でエルは提案する。
 確かに彼女の言う通り、周囲の技術者らの姿は疎らになっていて、一人また一人と退出していた。

「いいのよ、普通に休憩して。貴方達だって疲れてるでしょう?」

 慌てて否定するカヤナに、エルはいつになく強い眼差しでベリルを見つめる。

 それは『手伝いましょう』という意味か。……いや。

「……私は大丈夫。ロウラを捜すのを手伝うわ」

 エルの言いたいことを、ベリルは察した。そしてその上で、手伝うと頷いてみせたのだ。

「それじゃあ、それぞれ担当する場所を決めて、早速行きましょう」

「え、そ、……そうね。ごめんなさい。……ありがとう、二人とも」

「いっ、いえ、こちらこそ、……ごめんなさい」

 エルが放った最後の声は、とても小さくて。すぐ傍にいたカヤナやベリルにも届かない程であった。

「何? ごめんなさい、聴こえなかったわ」

「あ! い、いえ! あの、何でもないです! ……あ、後でお話しします……」

 そのやり取りに、思わずベリルはくすりと笑みを零した。きっとエルは、自分がいなくなった後、カヤナに事情を伝えるのだろう。

 ――自然と笑えたのは、久し振りかもしれない。

 そう思った瞬間、ベリルの脳裏に――オブシディアンの顔が浮かんだ。
 いつも変わらない、その……笑顔を。


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