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つまりは、明日からまた1週間が始まるということ。
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15年前の、ある夏の事だ。
飯塚 和真がまだ小学校低学年の頃。
彼の体が、今より一回りも二回りも小さかった頃。
今と同じように、泣いてばかりいた頃。
けれど同時に、泣いてもどうにもならないのだと悟った頃。


『こわいよう』
『いたいよう』
『たすけてよう』


和真は近所の犬に噛まれた事がある。
その犬は名をミロと言った。
ビーグルと、どこの馬の骨とも知れぬ野良犬との間に出来た、雑種犬。
和真の家の隣に飼われていた真っ黒の愛嬌ある犬。
その、ミロという犬に、和真は腕を噛まれた。

ミロにとってはただ和真と遊びたくてじゃれついていただけのつもりだった。
しかし、体の小さなその頃の和真にとっては大きな獣に体を組み敷かれ、自由を奪われ、あまつさえ恐怖の中腕に酷い痛みを与えてきた。
恐怖で塗り固められた思い出。
幼い和真にとってソイツは獣だった。














「どどどどどうすんだよ!?はぁ!?ちょっ!え!?」

和真は大いに混乱していた。
それもそうだろう。
こんな、動物園のライオンの檻の中に無理やり民間人をぶち込み閉じ込めるような、現代日本では考えられないような暴挙が白昼堂々行われているのだ。
混乱するなという方が無理な話だし、恐怖するなと言われれば激怒ものの話だ。

なにせ、和真は何の特技も力も誇れるものもない。
ただの、無為に24歳を目前に控えたしなびた若者でしかないのだ。
そこに運動不足のデスクワーク漬けのサラリーマンの称号を付け加えてもいいだろう。

そんな彼のどこに。
目の前の見た事もないような化け物を倒す力など、和真のどこにあるだろうか。

答えは明白。

そんなものは、ない。


「……カズマ、これが試験なんだ」


混乱する和真の耳に、どこか無理やり音を潜めるアソシエの声が響いた。
和真は体をガチガチに強張らせながら、それでも無理やり視線だけ、隣に立つアソシエの方へと向けた。
すると、アソシエは己の制服の第二ボタンをブチリと引きちぎり片手でそれを転がした。


「おま…なにを…」

「俺はコレを倒さないといけない」

その瞬間、アソシエの手にはいつの間にか短剣が握られていた。
どこから取り出したかはわからない。
ともすれば、それは元々アソシエの手の中にあったのだと言わんばかりに自然と彼の手の中に収まっていた。
鈍く光る短剣の切っ先。
その鈍い光が、何故だか和真の不安を煽って仕方がない。

「カズマ、大丈夫。大丈夫だから」

「……え」

呟くようなその言葉に和真は思わず、アソシエの方をしっかりと見た。
ばちりと。
そう、音がした気がした。
アソシエと和真の視線は互いが互いをはっきりと捉えた。
その瞬間、アソシエはふっと表情を緩めると、和真に向かってはっきりとほほ笑んだ。

「     」

「っ!」

アソシエは和真にだけ伝わるように小さな声で呟くと、次の瞬間、地面を蹴っていた。
和真は音もなく、いつの間にか隣から消えていたアソシエに息を呑む。
そして、アソシエから放たれた言葉がグルグルと渦巻く。

アソシエの背中を、
襲いかかる獣の姿を、
跳躍するアソシエの体を、
和真は何をする事もできずにただ呆然と見つめる事しかできなかった。


和真はどうしようもなく

無力だった。






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「噂には聞いていましたが、彼は本当に殆ど魔力がないのですね。リスフラン」

「はい」

水障壁の外では試験監督としてリスフランとマリックスがジッと障壁内の攻防を見ていた。
その二人の後方では同じくユエキスが、興味なさ気に椅子に座ったまま障壁内を見つめている。

同じように試験の動向を見守る三人。
しかし、二人とユエキスでは見ている対象者が全く異なっていた。

「召喚術はおろか錬金術の初歩がギリギリ行える程度しか魔力を持たない。これでよくもまぁ……」

「よくまぁ?」

リスフランは少しだけ口角を上げ、隣に立つ自らの上司に目をやった。

「よくもまぁ、こんなにも強くなったものです」

そう、感嘆のため息と共にマリックスの口から放たれた言葉に、リスフランは障壁内の舞うアソシエへと視線を戻した。

「アレは召喚師としては落ちこぼれと呼ばれていますが、“兵士”としては、」

最強です。

そう、リスフランは己の部下の圧倒的な強さの前に得意気に笑った。
プライドの高い、この排他的な召喚師という生き物たちの中で、アソシエは確かに落ちこぼれだった。
しかし、アソシエは“愚か”ではなかった。

魔力のない、成り上がりの落ちこぼれ。
そう称されながら、アソシエは一人自分の生き残る術を日々探っていた。
召喚師として致命的な程の魔力の低さ。
しかし、僅かでも魔力がある以上、もう一般人として田畑を耕しながら家族と生きてきた、あの穏やかな日々には戻れない。
戻れないが故、アソシエは自らの立つ現状の中に、己の居場所・存在・価値を見出す事に躍起になった。
その結果が、今のリスフランやマリックスの目に映る彼の姿そのものだった。

「これは確かに1等軍部が欲しがるのも頷けます」

そう呟くマリックスの目は、驚きと感嘆に満ち溢れていた。
正直、マリックスはユエキス程表には出さなかったが、この試験に対して全くと言って良い程期待をしていなかった。
10年も召喚師見習いとして訓練を受けているのに、一切召喚術が使えない稀代の落第生。
その落第生がやっとの事で召喚師試験を受けに来るという事で、ある意味興味が全くなかったわけではなかったが、期待など露ほどもしていなかった。
しかし、その意識はこの試験が始まった瞬間変貌した。

アソシエが獣に向かって刃を振りかざす度。
獣の牙から鮮やかにその身を翻す度。
そして、たった今。
アソシエの短剣が一匹の獣の体に突きたてられた瞬間。


「けれど、やはり彼は召喚師としては致命的だ」


そう、マリックスは落胆の色の滲む声で呟くと、視線をアソシエから後方に逸らした。
その彼の視線の動きに合わせて、リスフランも視線を後方に移す。
予想していなかったわけではない。
わかりきっていた事だった。


「あの召喚獣には、なんの力もありませんね」

「そうですね」

マリックスの言葉にリスフランはギリと奥歯を噛みしめた。
やはり心配していた事態がそのまま起こってしまった。
魔力も力もない召喚獣。
アソシエの努力をも無に帰してしまう役立たず。

アソシエの薬指にある無色透明な指輪と、同じものを指にしている契約者。

「けれど、アレと共にある事はアソシエ自身が望んだ事です。それで一生見習いのままだとしても、それはアソシエの選択だ」

「そう、それならば仕方がない」

マリックスは残念そうに一匹の獣へ留めを刺すアソシエを見て溜息をついた。

試験には必ず合格ラインというものがある。
そのラインに満たなかった者は不合格で、ラインを越える事ができれば合格となる。
そんなのはどこの世界でも変わらない。
もちろんこの試験にも合格ラインがある。

それは


「二人で協力して倒さねば、この試験に意味などない」


そう、心底つまらなそうに呟いたのは、ずっと和真だけを見ていたユエキスだった。

二人で協力せねば意味がない。
そうなのだ。
この試験は一人前の召喚師として認められる為の試験だ。
故に、この試験はただ単純に2体の獣を倒せばいいというものではない。
契約を結んで初めての共同戦線となるこの試験の本来の目的は、契約者同士のチームワークを試すところにこそある。
その点から行けば、この目の前の試験は合格点など与えられる筈のないものである事は火を見るより明らかだ。

「あのクズが」

そう、吐き出すように放たれたユエキスの声は苛立ちと侮蔑に満ちていた。
同じ召喚獣として、主を前に立たせ己は安全な位置から動かないなど、使い魔としての風上にも置けない。
本当に汚らしいやつである。

「このままではつまらんな」

ユエキスは己の薬指にある、マリックスと全く同じ誓いの指輪に視線を落とすとそのままフッと指輪へ息を吹きかけた。
その瞬間、今にもアソシエに飛びかかろうとしていた獣の動きがぴたりと止む。
興奮状態だった獣の目は冷静さを取り戻し、ゆっくりとした動作であたりを見渡す。
そして獣は見つけてしまった。
意識してしまった。
もうひとつの獲物を。
ただ立ちつくす獲物を。


捕食者の目が獲物を捉えた瞬間だった。


そんな中、アソシエは己の突きたてた短剣により激しく悶え苦しむ獣の背中で、必死に短剣に力を込めていた。
獣の息の根を止める為に。
故にアソシエは気付くのが遅れた。
もう一匹の獣の意識が自分から削がれた事に。
獣の意識が、自分から背後に立ちつくす和真へと向けられた事に。



アソシエは気付けなかった。



「ユエキス」

「…………マリックス、私はなにもしていないぞ。本当だ」

明らかに変わった障壁内の様子に、マリックスはクルリと後を振り返り己の召喚獣の名を呼んだ。
その声に少しだけ非難の色を込めて。

「……少し、あいつらの意識を冷静にしてやっただけだ。それだけだ」

その声にユエキスはバツが悪そうに言い訳染みた言葉を吐くが、マリックスは薄く笑みを浮かべたままもう一度、己の契約者の名を呼ぶ。

「ユエキス」

「…………」

「ユエキス」

「…………勝手な事をして、悪かった」


ユエキスは名を呼ぶ度に笑みを濃くしていく己の主に、なんとも居心地の悪い思いを抱え、そのまま視線を右下に逸らしたままボソリと謝った。
そんなユエキスの姿に、マリックスはふっと息をつくとそのまま障壁内へと視線を戻した。
そして。


「あなたのお陰で、面白いことになっていますね」


そう楽しそうな声で告げるマリックスの背中越しに見た障壁内の変わり果てた様子に、ユエキスは目を見開いた。
障壁内で立ちつくしていた和真の体は横たわり、




真っ赤な血で染まっていた。

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