つまりは、明日からまた1週間が始まるということ。 ・・・・・ ---------------- 『キミは俺が守るから。だから』 どこにも行かないでくれ。 そう、笑顔なのにどこか痛みを帯びたようなアソシエの顔が和真の頭の中からこびりついて離れない。 今、アソシエは和真に背を向け悠々と、余裕さえ見せる動きで二体の獣の間を飛び回っている。 和真はアソシエの言葉通り、“守られて”いた。 だって、 (仕方ないだろ) 自分はこの突然呼び出された世界で、何の力もなく、何の説明もなく、何の武器もなく、なんの知識もなく。 そんな自分が、あんな獣と闘える筈がない。 だって力がないんだ。 どうしようもないんだ。 だから、こうして後でジッとしてアソシエの邪魔にならないようにしているのが一番いいのだ。 そうしているのが正解で、そうする事が正しいのだ。 しかたないのだ。 和真ははっはっと浅い呼吸を繰り返しながら必死にそう思った。 苦しい。 何故、こんなにも苦しいのだろうか。 余りに突然の状況に混乱し、恐怖しているからだろうか。 そうだ、きっとそうに違いない。 そう、和真はズキズキと痛む頭を手で押さえながら微かに震える己の手を見つめた。 (ほら、俺は怖がっているんだ。臆病だから) はっはっはっ。 息が上手くできない。 この感情は本当に恐怖なのだろうか。 和真はズキズキと芯から響いてくる痛みに、一人で闘うアソシエの後ろ姿に、目を逸らそうとした。 しかし、 「っっく!」 短いアソシエの耳をつんざいた。 よく見ると、アソシエの左腕を一匹の獣の爪が掠った瞬間だった。 空中にアソシエの赤い血が舞う。 真っ赤な血。 それを見た瞬間、和真は己を支配する感情の正体に行きついた。 (俺が、アソシエを守らないといけないんだ………!) 体の奥底から湧き上がってきた衝動とも言える本能の叫びに、和真は更に呼吸が浅くなるのを感じる。 額から、背中から、腕から、足から、体中から汗が滴り落ちる。 和真は本能と自分の能力の限界との間でもがいていた。 そして、本能のままに行動できない自分の無力さに嫌悪していた。 自分の守らなければならない相手に「俺がキミを守るから」と言わせてしまった事に吐き気を覚えた。 そして、最後に言われた言葉に涙が流れた。 (どこにも行くわけねぇだろうが……) どこにも行かないで。 そう、寄る辺ない子供のような顔で和真に言葉を放ったアソシエに、和真はどうしようもない気持ちになった。 何を言わせてしまっているのだろう。 自分はアソシエの契約者なのだから、アソシエがいらないと言うまでずっと傍に居るに決まっているのに。 そう、和真の本能が和真に言い聞かせる。 アソシエの役に立って、アソシエを守って、アソシエが必要だと言ってくれる限り傍に居る。 そんなの当たり前。 それこそが、今の和真の召喚獣としての強い本能だった。 産まれたての子供の世界が、親と言う生き物によって全てを構成されるように。 どんな事があっても子供が親を憎みきれないように。 和真の世界は今、アソシエという契約者によって構成されているのだ。 はっ、はっ、はっ。 瞳にたまる涙の膜で視界がぼやける中、和真は必死にアソシエを見ていた。 腕に傷を抱えながら、アソシエは一匹の獣に短剣を突きたてている。 痛みにもがき苦しむ獣の上で、アソシエはそれでも必死に剣に力を込めていた。 そんなアソシエをもう一匹の獣が狙う。 今にも襲いかかりそうな程興奮しきった獣の目に和真は恐怖した。 このままではアソシエが、 (俺の、契約者が) そう思った時だった。 和真はうっすらと耳に響いてきた水の音を聞いた。 それはすーっと透明な蒼い音だった。 肌に感じるその音は、音なのに色を感じたり、風のようにその身を撫でるような感覚を覚えた。 その時の和真には全く理解できていなかったが、それはユエキスの魔力の流れそのものだった。 それが、和真には耳に見え、目に聞こえた。 耳に見えたなんて矛盾に満ちた言葉だと思うが、和真は五感すべてでユエキスの魔力の流れを感じた。 その蒼い水流の音をした魔力は、アソシエに今にも飛びかかろうとしているもう一匹の獣の体へとグルグルと巻きつく。 するとその瞬間、今まで血走っていた獣の目が冷静さを取り戻し、牙を見せていたあの獰猛な口をしまった。 そして、どこか冷静にあたりをキョロキョロと見渡していた獣の目は次の瞬間には別の獲物を捉えていた。 獣は和真を見た。 和真は獣を見た。 その時。 不思議な事に和真の震えは止まっていた。 浅く繰り返されていた呼吸が正常に戻った。 次々に溢れていた涙が止まった。 酷い頭痛が治まった。 (さぁ、こっちに来いよ) アソシエを見ないで、こっちに来い。 アソシエを傷つけるなんて許さない。 和真の中に響き渡る本能は、こちらに勢いよく走ってくる獣への恐怖を一切取り払っていた。ただ、あるのはアソシエを守る事が出来るという安堵感だけだ。 力なんて在る筈ない。 魔力?召喚術?笑わせないでほしい。 そんなファンタジーのゲームでしか聞き及ばない大それた力が自分にあるわけがないじゃないか。 『なんで飯塚なんかにやらせたんだ、手代木君』 『いつまで子供みたいに面倒をみてやるつもりなんだ、手代木君』 『なんでも簡単にやりますって言えばいいと思って。彼なんかにやらせたら失敗するに決まってるだろうが、わからないのかい。手代木君』 『彼じゃ無理だよ、手代木君』 そうだ。 「俺じゃ無理なんだ……。何もできないから。何もないから」 和真は迫りくる獣を前に、どこか遠くに聞こえる現実世界の声を聞いた。 和真に聞こえるように、あの上司はいつも手代木に和真の無能さを叩いていた。 それを聞きながら、和真は自分の会社での存在意義と価値を少しずつ奪われていっているような気がしていた。 自分はここに居る価値なんてないのだ、と。 無力で無価値で無能で無意味な人間。 自分は“無”なのだ。 いつしか心の奥底でそう思うようになっていた。 もうあの場所に立っている事さえ、もう今の和真には限界だった。 人は存在価値を自分に、他人に求めてしまう。 ここに居てもいいよ、と。 ここに居て欲しい、と。 誰かに言って欲しかった。 ずっと、そう、 『俺は……!カズマが俺の契約者で嬉しい!』 『どこにも行かないでくれ』 言って欲しかったんだ。 だんっ! グルルル、そうまたしても目を血走らせた獣が和真の体を押し倒した。 獣は和真を押し倒し、爪を立てた。 獰猛なその爪は、和真の体に容赦なく和真の体に食い込む。 獣の涎と吐息が和真の顔や体を濡らす。 痛い、痛くて仕方がない。 怖い、怖くて仕方がない。 獣の口が大きく開く。 中からは鋭い牙が和真の押し倒された喉元に押しつけられる。 ここは夢の筈だ。 しかし、和真はその時確実に死を意識した。 自分は死ぬんだと、はっきりと事実として受け止めた。 だから冷静に獣の動きを見ていた。 だから和真は気がついたのだ。 獣の体にうっすらと、あの薄い蒼い水流の魔力が渦巻いているのを。 それは獣の体中に巻きついていて、獣自身を包みこんでいる。 (コイツ……普通の獣じゃない) 錬成獣だ。 和真はぼんやりと頭の中でそう思った。 思いながら、和真は目に見えるその蒼い魔力に手をかけた。 傍から見れば食われそうになっている人間が、最後の無駄な抵抗に及んでいるように見えるだろう。 しかし、和真のその手はそのような無作為な動きではなかった。 意思をもって、目的をもって動いていた。 それと同時に、和真の薬指にある透明な石のついた指輪がうっすらと光った。 和真の中にあるのは、確かに“無”だった。 「あぁぁぁぁっ!!」 ---------------- 「っく!」 少しずつ動きの鈍くなっている獣に、アソシエは少しずつ剣を握る己の手の力を緩めた。 コイツはもう大丈夫だ。 そう、アソシエが少しだけ息をついた時だった。 少しだけ彼は自分が冷静さを失っていた事に気付いた。 (もう一匹の獣はっ………!) アソシエは体中から血の気が引くのを感じると、勢いよく顔を上げた。 痛みに悶える獣の背中から短剣を抜き去り、先程まで自分に襲いかかろうとしていた獣の行方を捜す。 ドッ、ドッ、ドッ。 心臓が嫌に体中に響く。 額から、背中から、腕から、足から、体中から汗が滴り落ちる。 アソシエは音もなく振り返った。 「カズマッ!」 そこには、一匹の獰猛な獣に押し倒され爪を立てられ、今にも喉元に歯を突きたてられそうになっている、己の契約者が居た。 その瞬間、アソシエは恐怖した。 やっと出来た自分の契約者。 生涯のパートナー。 誰よりも強い絆で結ばれる二人。 アソシエは今まで数多くの召喚師とその契約者を見てきた。 そのどれもこれもがアソシエの失った、アソシエの望むものだった。 “家族” パートナーはそう呼べるに足るものだ。 世界中でたった一人だけになってしまったアソシエの、最後の希望だった。 必死に自分の価値を手に入れようと躍起になった。 けれど、失ったあの幸せな日々を思い出すと途端に空虚に思えてしまう。 アソシエは一人前の召喚師になりたかったわけではない。 家名を与えられ、正式な召喚師としての一族の名を手に入れたかったわけでもない。 アソシエはただ孤独を埋めてくれる“家族”を欲したのだ。 誓約の指輪によって一生繋がっていられる関係を築きたかったのだ。 そして、やっと手に入れた。 『俺は知ってるよ。お前は悪くない』 『好きで否定される人間なんか居るわけねぇんだ!』 傍に居て欲しかった。 ザッ! アソシエは無意識のうちに走りだしていた。 心臓の音がうるさいのは、全力で走っているからではないだろう。 二体の獣を前にしても感じなかった恐怖心を、ここにきてアソシエは痛いほど感じていた。 一秒でも早く和真の元へ向かわなければ。 そうしなければ。 和真が、和真が、和真が。 「うあぁぁぁぁ!!」 アソシエは全力で和真に覆いかぶさる獣に向かって剣を振りおろした。 ぐにゅり。 肉を貫く特有の感覚が、アソシエの手に伝わってくる。 しかし、それは先程、アソシエが一体目の獣に剣を突きさした時とはまるで違っていた。 剣が肉に刺さっていく抵抗が、一切ない。 なにかが、おかしい。 アソシエがそう悟った瞬間。 「っ!?」 アソシエは魔獣に剣を突きたてたつもりだった。 しかし、実際にはどうだ。 アソシエの剣が貫いていたのは魔獣でもなんでもない、ただの。 「………子犬……」 アソシエは己の目を疑った。 本当に先程までここには2,3メートルは超す大型の魔獣が居たのだ。 それが、和真の体を食おうとしていた。 筈が。 くぅん。くぅん。 浅い息を繰り返す真っ黒な子犬は、背中に突きたてられた短剣により、もう少しで息絶えるであろう事が目に見えた。 真っ黒な子犬。 へたりと和真の体に力なく倒れる子犬。 子犬の血で、真っ赤に染まる和真の体。 その和真の目からはボロボロと涙が流れていた。 「……ミロ、ごめん、な」 「……カズマ……?」 横たわっているせいで、和真の涙は次々と地面へと流れていき、滴った涙で床が色を濃くする。 獣が子犬になったせいで、今のアソシエはカズマに馬乗りになっている状態だ。 「アソシエ……ごめん、ごめん…」 「カズマ、君は一体何をした、んだ…?」 ごめん、ごめん。 そう和真は必死に謝罪を口にしながら、真っ赤に塗れる手でアソシエが突きたてる短剣へ手を伸ばした。 そして、そのままアソシエの手を握りながら何か空中で掴むような動作をする。 その瞬間。 カラン。 乾いた音が二人の耳に響く。 そこには、アソシエが最初に己の制服から引きちぎった制服の第二ボタンが転がっていた。 そして、剣が刺さっていた子犬は息をするのをやめた。 背中から剣が無くなった事で、ゴプゴプと大量の血がカズマの腹を濡らしていく。 あたたかい血。 「アソシエ……生き物が死ぬって…」 こわいな。 「っ!」 そう言いながらすっーっと意識を手放す和真を前に、アソシエは自分の体に付着する真っ赤な血と、己と和真の体の間で冷たくなっていく子犬を見て強い感情が溢れだしてくるのを感じた。 それは遠いあの日。 アソシエが必死に押し殺してきた辛い“想い”だった。 家族の死体が転がり、体温を失って。 真っ赤な血を流し、もう二度と笑いかけてはくれない。 あまりの事実に受け入れる事も、泣く事もできなかった、あの日の想い。 「うっ、うあぁぁぁぁぁ!!」 アソシエは途端に震えだした己の体と、込み上げてくる涙にその身を支配された。 辛い、悲しい、苦しい、さみしい。 生き物が死ぬというのは、怖いことなのだ。 死ぬというのは、悲しいことなのだ。 アソシエはこの時初めて大声で泣いた。 感情を爆発させるように。 家族の死と、己の孤独に、泣いた。 気を失う己の契約者の温もりを確かめながら、大声で泣いたのだ。 [*前へ][次へ#] [戻る] |