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恐怖コラム
セイラムの魔女裁判3
 裁判からわずか10日後、もっとも罪深いとされた者たちは首にロープを巻かれた。そして地面を失った。

 この悲劇に、子どもたちの悪戯と見破ったプロクターは人々に訴えた。
「子どもたちはお仕置きをすれば治る。子どもたちをお仕置きしなければ、我々おとなが罰せられるだろう!」
 その訴えは子どもたちにとって危険であった。そこで子どもたちはプロクターを告発した。そればかりではなく、「本当の魔女はメアリ!」と、会に参加していたメアリを裏切った。

 メアリはおびえた。このままでは処刑されると。拷問を受けながら彼女は、ついにこうつぶやいた。
「ご主人様が悪魔の書に署名したんです。私は会に参加しただけです」
 こうして正しき目をもった大人、プロクターの死は決定された。

 次々と実行される処刑。もちろんその多くは罪など犯したこともない村人たちだった。特に貧しいものは賄賂を渡して逃げることもできなかった。
 告発する子ども、子どもに告発される前にと告発する大人。告発されたために誰かを告発する魔女たち。
 魔女の数はどんどん膨らんでゆく。

 やがて秋がやってきた。既に200名近い村人が魔女として告発された。19人が処刑されていた。中にはアメリカで唯一拷問中に圧死した者や獄中で死んだ者もいた。
 牢獄には、ティチューバもいた。

 その頃になってようやく、少女たちの証言に対し疑問視する声が判事たちの中からも浮上し始めた。少女たちは誰を言えば良いか分からずに、遠い地にいる州知事の妻の名前までだすようになったのである。
 少しずつほつれ始めた狂気は、だが秋の終わりまで続く。

 10月、ボストンに住む聖職者が知事に裁判のことを州知事に上告した。このときまで州知事は、インディアンとの戦いで出払っていたため、この事件のことを知らなかった。
 州知事は、判事たちの一方的かつ冷淡な裁判に烈火のごとく怒り、代表判事を痛烈に非難した。

 こうして、すぐに裁判は停止された。
 翌年の5月、収監者たちに州知事は大赦を宣言し、裁判はついに終わりを告げた。
 そしてそれ以降、子どもたちの異常行動もなくなった。

 セイラムの魔女裁判。これは間違いなくアメリカ史上最悪の魔女裁判である。そしてこれを機に、アメリカでは魔女裁判は行われなくなった。
 魔女裁判は1834年のスペインを最後に、歴史の表舞台から去る。そして司法への絶対的な不信が、人々の心に植え付けられることとなった。

 後日談であるが、獄中の中でティチューバはサミュエルに捨てられた。だがバージニアの紳士に購入され、釈放されることとなった。

 セイラムを去りながらティチューバは何を思ったのだろう?
 はっきりといえることがあるならば、彼女のまじないは愛情からのものであり、誰かを疑い憎むものではけしてなかった。
 本当の悪は、魔女だったのだろうか。
 それとも……。

情報提供・影之兎チャモ



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