恐怖コラム セイラムの魔女裁判 かつて人々は、悪魔につかれたと思われる人々、特に女性を民衆法廷で裁いていた。 その多くは集団ヒステリーによって決め付けられた有罪、つまり免罪であったのにもかかわらず、激しい拷問の末に多くの人が殺された。処刑された人の数は四万人と言われている。 死刑廃止の傾向が強まっている昨今であるが、その理由のひとつとして法廷不信があげられる。 法廷不信のベースをつくったといわれるのがこれである(日本で死刑がまだ実行されているのは、このような法廷における黒歴史がないからかもしれない)。 これを、魔女裁判という。 さて、魔女裁判でもっとも有名なものが「セイラムの魔女裁判」である。それは1692年3月1日、アメリカ合衆国ニューイングランド地方のマサチューセッツ州セイラム村(現在ではダンバースと呼ばれる)で起こった。 セイラムは独立派と反独立派のいさかいの絶えない問題のある村だった。牧師が二人も逃げ出すような場所であり、その抗争は激しかったと思われる。 セイラムの魔女裁判。本当に魔女はいたのか? ……この事件は、ある牧師とその娘から始まる。 反独立派の中心人物であるサミュエルは、牧師であった。サミュエルは事件の頃、独立派の村人たちに追い出されんとされていた。反独立派の議員たちが五人も落選したこともあり、それは時間の問題であった。 そんなサミュエルには娘がいた。名を、エリザベス。 当時9歳の彼女は、11歳のいとこ・アビゲイルと友人らとともに、降霊会に参加していた。降霊会の参加者は総勢10人だったが、全員こどもといって差し支えのない年齢であった。冗談半分の遊びだったのか。 もちろん、厳格な彼らの親たちには内緒で、こどもたちは霊を降ろし始めた。 そして会のさなか、エリザベスの体に変化が起こった。突然、狂ったように暴れだしたのだ。ついにはアビゲイルまで奇妙な言動をし始めた。 すぐに二人は医師のもとへ運ばれ、こう診断された。 悪魔憑き、と(誤診だといわれている。日本でもコックリさんといった降霊術で狂った者がいるが、殆ど悪戯や思い込みで一蹴することができる。ちなみにコックリさんは百年近く前に日本では井上円了らが解明している)。 診断が終わると、今度は会に参加した子どもたちが次々と異常行動を起こすようになった。全員、エリザベスが医師に「悪魔憑き」と診断されたのを知ってから、行動を開始している。 金切り声をあげ、痙攣し、息を荒げて踊り狂い……。 こうして、牧師による悪魔払いが行われた。 結果は……失敗である。子どもたちに潜む悪魔を、エリザベスの父サミュエルや他の牧師たちは払うことができなかった。 だが一方でそれを笑う大人がいた。プロクターである。 彼は異常行動を起こす子どもの一人、メアリの主人であった。プロクターは19歳のうら若きメアリにこういいつけた。 「異常行動を起こしたらたたく」と。 するとメアリはケロリと治ってしまった。彼は子どもたちの真実を見抜いていたのだ。 だが、エリザベスの父親であり牧師のサミュエルは、それを信じなかった。彼は村人の一部に不信感を抱いていた。 だから彼は、次の行動に移ってしまった。 [前へ][次へ] [戻る] |