07
「若葉!」
「っ……!」
その声の持ち主は横山雅、その人だった。
たまたま長知は扉に背を向けており、顔が見えていない。
しかし声だけで誰が訪れたのか分かってしまった。
「あ…すいません。」
振り向くタイミングを逃した長知は、手を胸に当てて、緊張で息を荒くさせた。
目の前に座る美里はそんな長知を不思議そうに見ながら、侵入してくる目の前の男に視線を向けた。
「あの…若葉、経営者の大和若葉さんはご存知ありませんか?店の開店が今日だと先程知って急いで走ってきたんですけど…もう終わってますよね…。もしかして帰りました?」
緊張で息を乱す若葉とは違い、雅は走ってきた証拠に息を乱していた。
その声が近付くと共に長知の息も荒れてくる。
過呼吸を起こしてしまいそうなくらい息が詰まり、苦しそうな声を漏らした。
「撫子!大丈夫!?」
「ぁ…はっ、」
「え…あの…、」
「っ…!」
長知は雅に顔を見られる前に走り出した。
深まった場所にある客間の一室に入り、髪の毛をグチャグチャに乱す。
綺麗に着付けて貰った着物の帯も解いていき、床で唸るようにうずくまった。
「……大丈夫ですか。」
「……。」
薄暗い部屋に雅が一人で入ってくる。
長知は何も言わず、何も考えず、ただ繰り返し息だけを続けた。
「若葉。」
「……。」
「もしかして若葉…?」
「……。」
雅は恐怖心を持ちながらも、どこか確信めいたものを感じていた。
若葉とは約二年間も音信不通だったのだ。
きっと彼には“何か訳がある”のだと微かに感じていた。
その答えがコレだとすれば筋が通っている。
「答えろよ!!若葉なのか!!」
「っ…、」
震えて泣き出した長知に、雅はとうとう確信した。
目の前の女装家が大和若葉であると。
それはある意味裏切りのような行為で、一度味わったことのある苦しい感情を再び味わった瞬間だった。
「顔見せろよ…、」
「……。」
「顔見せろ。」
雅は長知の髪の毛を鷲掴みにし、無理矢理頭を上げた。
そこには化粧が落ちて見ていられない顔があったが、どう見ても雅の知る若葉の顔があった。
「なんで…。」
「僕は僕の道を生きたいって、言ったよね…。これが僕、本当の夢。」
「……。」
「若葉はもう居ないよ、死んだ…殺したんだ…。最初から居なかった…。」
苦しそうに言い切った長知に、雅は笑い出した。
笑わないとやってられない。
自分が尊敬していた友人は居なかったと、本人がそう言ったのだ。
なんて馬鹿みたいな話だと雅は笑った。
「雅くん…、泣いてる、」
「っ…、」
雅は笑いながら泣いていた。
笑えば笑うほど悲しかった。
何故、なんて分からない。
ただただ悲しい。
とてつもなく悲して、どこか悔しかった。
「で、アンタは誰なわけ?」
「……。」
「誰なんだよ。」
雅は立ち上がり、長知を見下ろした。
大和若葉が死んだなら、目の前の人物は一体誰だと言うのか。
馬鹿みたいな質問だと思いつつ、目の前の男であり女でもある人物に聞いた。
「撫子です。」
「……。」
「私は、撫子です。」
静かに語った長知の声が、雅にはまるで別人のように聞こえた。
そうか、この人は若葉じゃないのか…と漠然と思う。
雅は急に冷静になり、怒りも悲しみも何もかもを感じなくなった。
「俺に撫子なんて知り合いは居ない。人違いだった。帰る。」
最後に言い捨てられた言葉と共に、バサリと何かが長知の身体へ当たった。
顔を少し上げれば色鮮やかでとても綺麗な花束が一つ。
それは梓から若葉への、最初で最後のプレゼントだった。
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