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04
翌日、信長は野駆けをしようと、大手門を抜けて馬屋に向かっていた。

「お館様、お館様!」

清洲の城を単身出ていこうとする信長を、柴田勝家と森可成は必死になって止めにかかる。
その間も信長の足は止まることなく、目的地に向かってまっしぐらである。

「せめて供の一人や二人、付けてくだされ!」

「直ぐに引き離される供を連れて何の意味がある」

以前、父が亡くなったと知らせを受けたときも、急ぎ馬を末森の城に向かって走らせたが、誰一人として追い付いた家臣はいなかった。

もともと体を動かすのは好きで、馬の訓練もしたし、刀や槍の稽古も欠かしたことはなかった。

馬は特に好きで、乗り潰すほどに過酷な訓練をしていたこともあった。
いざというときに馬がへばって使い物にならなくなっては困るからだ。

そんな信長の馬に着いて来れたのは、言うまでもなくいなかった。
信長が馬の顔を撫でてやれば、嬉しそうに鳴き、そのまま手綱を握る。

「ですが……!」

勝家や可成を無視するように、信長はそのまま馬上の人となって馬を走らせた。

弘治二年に林秀貞や柴田勝家をはじめとする多くの重臣が勘十郎に付く中、可成は信長についた数少ない人間だ。
あの時は馬前で奮戦してくれていたのを記憶している。
彼の忠節は信頼に値するものだと感じているが、それでも、脆弱な足元はどこから綻びが生じるかわからない。

勝家などは一度は勘十郎に付いたのだ。
無闇に信頼しては自分の命に関わる。

信長は物凄い速さで流れる景色を視界に捉えながら、幼少の頃から度々訪れているお気に入りの場所を目指した。

「なんだ、またあそこへ行くのか?」

突如として後ろに温もりを感じ、信長が振り向くと、さも当然のように激しい馬の揺れにしがみつくこともせず、悠々とそこに陽炎が居る。

馬も特に重みを感じていないのか、駆け抜ける速さは変わらない。

「しばらく身動き出来なくなるからな。見ておきたい」

どれ程走っただろう。
城下を抜け、小高い丘を登る。
着いた先は清洲の城下を一望できる、木々の覆い茂った場所。

信長は馬を労うように頭や腹を撫でてから、少し離れた場所にある川辺へと向かう。
馬から降りた信長は、ここまで走ってくれた馬を休ませるため、川の近くの木に馬を繋いだ。

そろそろ本格的に秋に入ろうとしているこの時期の心地よい風が、頬を撫でていく。

「直に紅葉の季節だな」

信長は久しぶりに心穏やかに、自然の雄大さに目を細めた。
この荒んだ世に生を受けて、皆が皆、当たり前のように命を懸けて戦い、儚くも命を落としていく。
いつの日か、この世から戦がなくなれば良いと思う。

信長はふと、黙って隣に立つ陽炎を見た。

それを誰が成し遂げるのか、この軍神は知っているのだろうか……。

「どうした?」

視線に気づいた陽炎は、不思議そうに振り返る。

「ああ。いや…………何でもない」

「ふぅん?」

小高い丘の上から見下ろす城下町は、普段と変わらず、何事もなく平穏に見える。

「なあ、信長」

呼ばれて振り向けば、陽炎はいつになく真剣な表情で、こちらを見据えていた。
普段とは違う陽炎の雰囲気に、信長は戸惑った。

いつも陽炎はふざけていて、真剣な顔など余り見せることはなく、稀に品定めするかのように人間を見ているときはある。けれども、誰かの気配を感じれば、直ぐに消えてしまうほどの微々たる時間だ。

こうして神妙な顔を見ていると、ああ、やはり彼は神なのだな、と思う。
戦の神なだけあり、真剣な表情は陽炎の精悍な顔立ちを引き立て、気品をも感じさせている。

そして思うのだ。

陽炎は、やはり格好良い。

暫し見惚れたあと、信長は自分のズレ始めた思考に動揺するも、それを表に出すことなく、眉間に皺を寄せた。

「俺は今までいろんな人間を見てきた。欲に溺れる人間、権力を欲しがる人間。権力にしがみついて、あまつさえ民に苦しみしか与えない人間。脆弱で愚かな彼らは、見苦しく、薄汚かった」

「人間なんてそんなものじゃないのか?」

「……かも知れん」

陽炎はいつから存在して、いつから人の汚い部分を見つめてきたのだろう。

普段の飄々とした態度からは想像もつかないが、もしかしたら神というのは、ひどく孤独で寂しい存在なのかも知れない。

「だが、お前は違う」

まっすぐな瞳に見つめられ、胸の奥がざわつく。

「いや、確かにお前もそういう一面は持っている。けれど、お前は基本的には優しい人間だ。感性豊かで伝統に囚われず、南蛮から来た鉄砲をいち早く注目して買い揃える柔軟性も持っている」

「…………何が言いたい?」

陽炎はゆっくりと瞬きをした。
その目には、言いようもない光が煌めいていた。

「鬼となれ」


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