紅と麦の物語



[携帯モード] [URL送信]

十二国記小説
悪夢〜浩瀚〜
注意)浩瀚がヘタレです。ご注意を。

















主上が消えた。

どこを探してもその姿は見えず、焦りだけが募っていく。

ずるずるとした官服をこれほど鬱陶しいと感じたのは初めてだろう。
走っても前へ進んでいる気すらしない。
重苦しい空気の中、打ち上げられた魚のように呼吸するが、
まるで酸欠にでもなったかのように上手に息ができない。

---どこに行ってしまわれたのだ!

主上と呼ぶも返事はなく、己の声だけが虚しく響く。

もう一度呼び、視界の端を掠めた赤色に思わず手を伸ばす。

---見つけた!

「主上!」

ちらりと振り返った陽子は浩瀚を認めるとにこりと笑った。

「ごめんな。」

よく通る声が浩瀚の耳に届く。

その一言がさらに浩瀚を焦らせる。

いけない、
あのまま一人にしてはだめだ!

手を伸ばしその姿を捕まえようと躍起になる。

冷静に物事を考えられず、額からは大量の汗が流れおちている。
それすら気にする余裕もなくもう一度その名を呼ぶ。



視界が暗転し地面が溶けるように消えた。

ひどく息を切らし起き上がる浩瀚は、騒がしい心臓を抑え、夢であることを何度も言い聞かせた。














朝議が始まる。
ゆっくりと伸びをして頭をすっきりさせる。

早く起きなさいという声をうるさいなあと聞き流し、
のそりと寝台から降りる。

昨夜は実に良い夢を見た。
ケーキの食べ放題だなんて女の子なら誰だって喜ぶだろ?
私だって女子なんだからそういう場所は大好きさ!

朝から上機嫌に着替えを済ませ、出された食事を摂る。

そこに珍しく困ったような表情で玉葉が入ってきた。

何事だろうと見つめると、
「冢宰様がいらっしゃってますが、お待ちいただきますか?」
とのこと。

何事かと思い、通せと伝える。

静かに男が入室した。
朝食中の陽子に実に申し訳なさそうにしたのと、もう一つの小さな表情の変化を見逃す陽子ではなかった。


「どうしたのだ?」

不安になり問う陽子に浩瀚は「ひとまず人払いを。」
とだけ告げる。

その言葉が終わらないうちに周りからは人の気配が消えた。

「どうしたんだ?」

そっと近くにより、今度は事務的ではなく、やさしく問う。

「少し、お顔を見たくなりまして。」

「変な理由だな。」

そっと両手で頬を包むと、浩瀚は切れ長の目を細めた。

「ここに、いてください。」
「いるじゃないか。」
「ずっと私のそばに。」
「日中は説教されるから控える。」
「ではせめて夜だけでも。」

しばし短い会話を続けると、なんとなく浩瀚が何を思って早朝に陽子のもとに来たのかが分かった。

「昨夜良い夢を見たぞ。
ケーキバイキングに行ったのだ。
とても美味しくてな、また行きたいと」

言葉は最後まで続かなかった。

突如浩瀚が乱暴といっても良いほど勢いよく抱きしめたのだ。

「そのようなもの、いくらでもご用意してさしあげますから!
だからどうかここに、こちらにいてくださいませ!!」

これほど語気を強め、焦る浩瀚など滅多に見れるものではない。

自分が原因でなければ、面白おかしく観察していたことだろう。

しかし事はどうやら己に関することのようで、陽子は驚嘆したようにされるがままになっていた。

ぐっと抱きしめられて体がきしむほどだった。

「お願いです。」
と、うわ言のように何度も何度も呟かれ、陽子は困ったように眉を下げた。

「ケーキバイキングも、花見も、政務も、浩瀚や景麒や、友達がいるから楽しいんだ。
何をそのように恐れる?
私はお前たちといるのが楽しい。嬉しいよ。」

ぶっきらぼうな性格なために上手に言葉が出てこない。
それでも伝えなければと、彼を早く落ち着かせなければと、
気持ちが急く中、できる限りの言葉を送る。

「分かっております。ですが!」

それでもなお不安だとのたまう男についに陽子はキレた。

「ああもうごちゃごちゃと煩いなあ。
だったら分からせてやる。」

そういうとむんずと両手で頬を挟み、勢いよくその薄い唇に己の唇を重ね合わせた。

口づけたことは何度もあったが、陽子からのそれは初めてで、
浩瀚は時が止まったかのように停止した。

切れ長の涼しげな眼が驚愕に見開き、陽子を凝視している。

陽子は恥ずかしくて目を閉じているため、浩瀚にはその
まつ毛の長さや不機嫌そうに眉間に寄った皺まで見てとることができた。

長い口づけから放り投げるようにその頬を離すと、
陽子は「分かったか!」とぷいとそっぽを向いた。

浩瀚はというと唇に手を当て、未だに茫然と陽子を見つめるばかりだった。

嬉しさに胸がときめいているなど、この年にもなって実感したくない。

そうは思うがやはり嬉しいものは嬉しくて、先ほどまでの陰鬱さなど忘れたかのようにニヤリと笑んだ。

それを視界の端に捉え、陽子も満足そうに笑った。

「主上、もう一度。」

そっと頬に手を伸ばし、浩瀚が顔を寄せる。
恥ずかしげに逃げようとするその腰を抱き寄せ、
今度は浩瀚から、先ほどよりももっと深く長い口づけを送った。




「今宵は共に、あなたのお側で眠ります。」






FIN,



[あとがき]

陽子「抱き枕になるのは勘弁だから。」
浩瀚「では私を抱き枕にしてください。」

まさかの浩瀚ときめき乙男疑惑なのでした。


[*前へ][次へ#]

第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!