紅と麦の物語



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十二国記小説
素直な気持ち

ザザーと海の音がする。

水色の海が穏やかに波を立てる。

ここが空の上だなんて、蓬莱の者は絶対に信じはしないだろう。

陽子は一時の休憩だとばかりに雲海の砂浜までやってきた。

ここは人がおらず、陽子にとっては何物にも縛られることのない数少ない場所だった。

しかし一人の時間は政務の事ではなく、
蓬莱やこの世界について考え込んでしまう己をどうしようもないなと苦笑する。

蓬莱ではありえない仙人がいる世界。
寿命すらなく、滅多に死亡することの無い者達。

あちらの物語ではよく不老不死を求める王が登場してきていたが、
この世界は王そのものが不老不死だ。
求めてなどいないのに勝手に不老不死にさせられる運命の者達。

もしかしたら私はすでに死んでいるのかも知れない。

ふとよぎったその考えに、陽子は自嘲気味に笑った。

ごろりと横になり、砂浜に広く澄み切った空を見上げた。

ザザーという音に耳を澄ますと、目もとが熱くなった。

胎内は海の音がする。そういう話が蓬莱にはあった。

だからだろうか。
こんなにも切なくなるのは。

そっと瞳を閉じ、永遠にこの静かな時間が続くことを願う己はやはりまだまだ未熟者なのだろうか。

「・・・上、・・・主上。」

どこかで呼ぶ声がする。


この声はいつも聞く、あいつの声だ。

いつも冷静で、けれど変な所でスイッチが入って長い説教をたれるあの男が何で大声なんかを?

不思議そうに上半身を起こした陽子の側には浩瀚がいた。
あまりにも静かに近づいたのか、陽子はその存在にまったく気づくことはなかった。
それに驚いていると、浩瀚が気づかわしげな表情でこちらを覗っているのに気が付いた。

「どうなさったのです?
ご気分でもお悪くなられたのですか?」

涼しげな表情とは少し違い、少し慌てた様子の浩瀚を見上げ、思わず吹き出した。

それを見て安堵したように息をつく浩瀚に陽子は問うた。

「どうしてここにいるって分かったんだ?」

「いつも、ここに来られていることは気づいていましたから。
時折細かい砂を付けて帰られてますし、わずかに塩の匂いもしましたから。」

「でも、雲海と言っても広いだろ?」

ああそれはと、一瞬言いにくそうな表情になった浩瀚に先を促す。

「不慣れな世界でお疲れだろうかと・・・
たまにはお一人になりたいのではないかと思いまして。
執務室から近く、尚且つ人手のない場所と言えばこの辺りしかありませんからね。」


それにほら、いつもいつも女官が口うるさいでしょ?

そう言われ、思わず吹きだした。

「浩瀚でもそう思うことってあるんだ。」

「麦州候の頃は特に。
今は人も女官も少ないですからね。
私の周りに限ってはこれから先もずっと現状維持で行きたいものです。」

いたずらっぽく語る浩瀚に陽子は少し面食らった。

一分の隙もないこの男もこういう表情ができるのだと知ったのだ。


「そんなんじゃ結婚できないじゃないか」

苦笑交じりでそう返してやると、浩瀚は涼しげな顔をしてこう言った。

「私は貴女が大切ですから。」

あまりにもさらりと、当たり前のように言われたため、
それが脳内に浸透するまでしばらくの時間を要した。

どういう意味か測りかね、困惑した様子で浩瀚を見つめると、

「貴女が大切なのです。」

と、今度は耳元に顔を寄せて低く囁かれた。

「どういう意味だ?」

彼の思惑が分からず、思わず聞き返す。

しかしそれには答えず、ああそれととこれまた政務の話をするように淡々と言われた言葉に
陽子は今度こそ言葉を失った。

「王だから、など関係ありませんからね。
王が貴女だということが誇りです。
そして貴女のお側で働くことが誇りなのですから、
私なんて・・・などとお考えになりませんよう。」


浩瀚はそれだけを言うと陽子の腕をとって立ち上がらせ、
パンパンと服についた砂を丁寧に取り除いた。

「帰りましょう。
それとも、もう少し散策でもされますか?」

何の音も発さない陽子を面白そうに見やる。

それを是と解釈したのか、陽子の手を握ったまま歩き出す浩瀚にされるがままについて行った。

静かな時が流れる。

少し冷静になった陽子がふと疑問をぶつけた。

「浩瀚はモテるらしいな。
好きな人とか結婚相手にしたい人っていないの?」

「急にどうなさったので?」

「麦州候時代も。
あの頃は女性も多かっただろ?
浩瀚は私よりも随分長い事生きているみたいだから、そういう話もあったんじゃないのか?」

その言葉に呆れたような表情をする浩瀚を陽子は不思議そうに見つめる。

「本当に貴女は・・・。
まあ、今は構いません。今は地盤固めが何よりも大切ですから。」

低く呟かれた言葉に陽子は、何だよとムッとした表情になった。

しかしそれには涼しげな顔で答えるだけで深くは答えない。

そんな浩瀚に不満はあれども決して嫌いではない。
繋がれた手から感じる人の温もりが心地良いと思えるなんていつ以来だろう。

そして漸く今まで男性と手をつなぐなんてことをしたことがなく、
ましてやその手をぎゅっと握りしめられた経験もないことに気が付き、
ボッと音がでるほど顔を真っ赤にした陽子だった。

ぎこちなく離れた手からはさっとぬくもりが消え、
残ったのは先ほどとは違う切なさで。

いったいこれが何なのか。
それに気が付くのはおそらくだいぶ先になるだろう。

浩瀚も今はこれで良いと空を仰ぎ見た。

まるでそこに天帝がいるかのように睨み付け、
必ずやこの紅が消えることがないよう守って見せると誓った。



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