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シリーズ・短篇

マルセロが『イリス』に求めるのは、日常だ。
それはここに来る多くのゲイと、そうでないストレートの人々にとってもそうだろう。
仲間と飲みに来て、何でもない話をして笑って。

その日のマルセロは、日が暮れて間もない時間帯から仲間達と『イリス』に訪れていた。
カウンターに寄りかかり、飲んで、笑う。
夜の相手を見繕いに来ているわけでなくとも、いい男が現れれば浮き足立つものだ。
そわそわと落ち着きない空気。
笑みを含み、ひそひそと囁き合い、盗み見る。
人の目を引く、どうしたって目立つ男というのは、この『イリス』ではエリオのことだ。
ただ容姿が優れているだけではない。
老成し、俯瞰して世界を感慨も無く見つめているような。
ミステリアス。その存在感で、心酔させる。
その点、リコは人目を集めたが、エリオとは質が違った。

戸惑い。困惑。
あれはそんな空気だった。
じわじわと伝播したその空気に、カウンターのマルセロも遅れて気付いた。

光の具合によっては金にも見えるような、栗色の、やわらかそうな毛質。
それが伸びて、うつむいた目元を隠している。
それでも細い鼻筋や、薄く開いた潤った唇、すっきりとしたあごのラインは見えた。
細い首、薄い肩。その体つきと頭の位置から、この店の客としては歓迎されないと悟った。
彼は。あの子は、子供だと。
それでも場違いだと邪険にする者はなく、ガキが迷いこんできたと嘲笑する者もなかった。
店の者でさえ、その少年を追い出す仕事を忘れた。
何故。
頬に涙のあとがあったから?
シャツの裾を掴んだ両の拳が、わかりやすく震えてたから?

親切な客が代表して、何かあったのか?と皆の心配を少年にぶつけた。

「僕……まだ、未成年です。誕生日が来たばっかりだから、あと一年くらい待たないと……。お酒は飲みません。ルールはちゃんと守ります。だから……」

一度ぎゅっと唇を噛み、頼りなく揺らぐか細い声を振り絞る。

「ここに、居てもいい……?」

それだけ言うと再び唇が結ばれ、拳が握り直された。
覚悟を持って来たのだと、きっと誰もが察した。
ありったけの勇気で、この世界に飛び込んだのだと。
傷付き、痛みを知る者が多く集まる『イリス』では、この、今に消えてしまいそうな少年に希望を与える方法が見つかるだろう。

「名前は?」
「……リコ」
「リコ。ようこそ、『イリス』へ」

異論は無し。
誰がリコを拒絶しても、『イリス』は必ずリコを受け入れるだろう。
その重要度を、新しく生まれたリコの涙が示していた。

おどおどした貧弱な少年だったリコは、まもなく笑顔を見せるようになった。
その隣にはいつもエリオが居た。
誰かが寄り添ってやらねばならないと思っていた。
優しく導いてやらねばならないと思っていた。
けれど、それがエリオになると想像したものは恐らく居ない。
人を寄せ付けず、一人で黙って飲んでいる男だ。
エリオが誘いに乗るどころか、話したいだけで寄ってくる相手ともまともに会話してるのさえ見ない。
どんなに群がられても、しつこく食い下がられても、エリオは顔色を変えず、いつも黙って酒を飲み、そして一人で帰っていく。
そのエリオがリコにジュースを頼んでやり、話し相手になった。
驚きをもって受け入れられたのは、まだリコがかわいそうな子供だったからだ。
またここに来たくなった時は言えと連絡先を渡したのも、どうせ誰かが保護者がわりを引き受けなければならなかったのだ。
それにエリオは、弱者にこそ手を貸し、関与すべきだと思ったのかもしれないと納得させるだけの評価がされていた。
誰とも関わらないのではなく、本当に救いを求める相手には、隔たった場所から降りて来てくれる。
しかしリコが『イリス』に慣れ、保護者が付きっきりでなくともいいだろうと思えてくると、何故リコだけがエリオに構われるのか。何が特別なのかと不思議に思われるようになった。
けれどそれにも答えはあった。
リコは軽薄な誘いに一切乗らないし、割と真面目なアプローチに対しても丁寧にお断りしていた。
浮わついたところがない。
初めて『イリス』を訪れた時の印象のまま、悪感情とは縁が無さそうな、純粋無垢な少年。
そこがエリオに気に入られたのだ。
そう。リコは、エリオに気に入られたのだ。

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あきゅろす。
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