白鎮魂歌(完結) 続く唄 「何だよ」 同じく笑みを消した鼎から、朱援は狛へと向き直った。気配につられて顔を上げると、真っ赤な瞳とぶつかり、狛は無意識に息をのむ。 「狛。この童は、どうしてお前を呼びに行ったと思うかえ?」 「え、…?」 「鼎は、どうして村の外れにいたお前のもとへ呼びに行ったと思う?」 「…それは、俺も村の一人だから…」 「違うな。それなら、そこにはいない人間など沢山いたはずだ。そして、何処にいるかも分からない人間を探し出すなど到底無理に等しい」 「……」 「お前をあ奴が呼びに行ったのは…お前が、何か関係あると考えたからだとは思えないかえ?」 「…どういうことだよ?」 「つまり…」 朱援は一瞬、言葉をためらった。 狛と鼎を交互に見やり、発すべき言葉の形を考える。 「狛が妾たちと繋がっていると知っていたのだろう?」 「…!!」 咄嗟の衝動で振り返ると、鼎は笑みを浮かべていた。 「やっぱり長いこと生きてると、ついてる知恵の量も違うんだな」 「ありがとう」 鼎の言葉を皮肉ととって礼を行った朱援に、鼎は唇の端をつり上げてみせる。 「そうだよ。俺は、狛がこいつらと絡んでるって薄々思ってたから、後をつけてたんだ」 「お前も、賢しいようだな」 「どうも」 「それでいて、何故、お前は退治屋になろうとはしなかった?見えぬふりをし、知らぬ顔をした」 「見えない人間からしたら、見えないはずのものが見えるなんて気持ちの悪いことこの上ないだろう?見えてて良いことなんて無いと思ったんだよ」 「?」 朱援が訝しげな顔をした。鼎は何処か何かを含んだ笑みを返すだけだ。鼎の中には、朱援にすら計り知れないものがとぐろを巻いている。 「でも、さ…」 「!」 不意に鼎の視線が戻ってきたことに、狛は身体を強張らせた。 「狛も見えてたんだろう?あの卑しい姿が」 「っ、卑しくなんかない…!」 「卑しいさ。生きる者の命を食らって生きてるんだ」 「そんなこと、俺たちだって同じだ!」 「だから俺たちだって死ねば良い」 「っ…!?」 「所詮、生きてる意味なんて何にもないんだよ…」 そう静かに呟く鼎の瞳は、空洞の様に真っ暗だ。 「今の退治屋ってのはさ、見えない奴ばっかりなんだよ。いんちきばっかり」 「鼎…?」 「見過ごして来たよ。周りの人間が殻蟲に襲われて死んでいくのをさ。…けど、もう俺…我慢出来ないや…」 「かな――」 「父ちゃん、どうして死んだんだろうな?」 「っ――!!」 途端、鼎の足が地を蹴った。 うろたえていた狛は反射が遅れる。気が付いた時には、鼎に両肩を掴んで飛び掛かられていた。背中が固い地面にぶつかり、情けない声が肺からの呼気と共に出される。痛みに顔をしかめながらも見上げれば、憎悪に満ちた瞳が飛び込んでくる。 「お前が憎いよ。こんな、人に危害を加える様な生き物と仲良くしててさ!」 「っく、…朱援はそんな奴じゃないっ」 「でも現に殺してる奴もいる!!」 「それは仕方なくて――」 仕方ない。そうなのだ。生きるために。正当防衛。そうだ。しかし、本当にそうなのだろうか。過剰防衛になっていないか。それを逆手にとって利用していないか。ただの快楽を身を守るためだと称して。 出会った全てが真実ではない。 「仕方ない…?」 低い低い声が、ただぽつりと。 「そう言うなら、お前だって人殺しと一緒じゃないか!」 「―――」 振り上げられた拳に、狛はしかし来たるべき衝撃への対応が出来なかった。衝撃が走っていた。近付く拳。唇を噛んだ悔しげな鼎の顔。しかし、それは鼎の悲鳴と共に真横へと流れて行った。 「あぐっ…!」 横に佇むのは白髪の女。 朱援は、転がった鼎の肩を掴み、先程と同じ様に捩じ伏せる。 「朱援…!?」 ただ、自らが死を迎えるために。 「こっ、の…!」 「ふ、ふふ。悪戯が過ぎたな…、若子…」 「離せ!離せよぉ!っ、父ちゃんの敵っ…、糞ぉ!!」 「お前に殺させる訳にはいかないのだよ…」 「あああぁ、あ!!」 その肩口を潰した。 悲鳴が聞こえる。 狛は、その続きを呆然と見つめていた。腕を捻り、骨をはずす。そして最後には、頭蓋骨を。 鈍く重い音が届く――否、その前に狛が朱援の手を止めさせた。 「朱援っ…!!」 「何をする」 「殺す必要なんてないだろう…!?」 「こ奴はお前の望みにとって有害だ」 「俺の、望み?」 「こ奴の憎しみは、人間と殻蟲の間に不和をもたらす。消さねばならない」 「そんなことしちゃあ、やっぱり連鎖は止まらないよ!」 「何…?」 狛は、精一杯に朱援を睨み付けた。腕を力強く掴み、それ以上の行為を制止する。そして、諭す様に囁く。 「殻蟲が人を殺して、人が殻蟲を殺してっ…俺が望んでるのは、そんなのじゃない」 「だから、妾は」 「理解ある人も理解のない人も共存して生きて行ける世界を俺は望んでるんだ!…朱援の考えは、間違ってる」 「……」 瞼を伏せた朱援は、不意に唇を歪めた。 「ふ、ふふ、ふ…」 「朱援…?何をっ…!」 低い笑い声をもらし鼎を突き飛ばした朱援に、狛は戸惑った声を上げるしか出来なかった。 鼎は気を失っているのかぴくりとも動かない。そしてその真横に、朱援が佇む。 朱援の爪が、鋭く強固な、鎌の様な形状になった。それは『朱援』以外の姿――本来の形である殻蟲の姿だ。そして彼女は、それを転がせた鼎の喉元にあて、くつくつと笑う。 「ならば、さあ、狛。お前の大切な人がまた一人、妾によって殺されるぞ?いつまで惚けているつもりだ」 朱援は断罪を臨んでいる。 悟りなど今更無かった。 これまで付き合って来た中で、ずっと感じていたことだった。 狛の表情が険しくなったのを見て、更に朱援は笑みを濃くした。それは、自虐的な笑みだった。 「お前の父を殺したのも妾だ。さあ…」 「どうして…」 「?」 呟かれた狛の声に、朱援の笑みが固まる。 「どうして、朱援は自分を追い詰めるんだよっ…」 「……」 酷いふりをして。 狛の言葉に、朱援は押し黙った。本当のことなど言える訳がない。笑顔を貼り付けた下の感情をひた隠す。 そうして、精一杯の強さで笑ってみせるのだ。 「妾は、自らの罪を知っていながらずっと隠していた。そして真実を知らないお前をせせら笑っていた」 そして、そんな朱援の姿を受けて、狛はきつく唇を噛んだ。 違う。 そう叫びたかった。 朱援は何度も真実を告げようとしていた。 それをためらわせたのは、遮ったのは狛だ。真実を告げないことが罪であるなら、聞かないことも罪ではないのか。 それならば、彼女と共に咎を背負いたい。 「…、俺っ…」 狛は一瞬ためらい、しかしまた口を開く。 「朱援を、殺したくないっ…」 「殺すのではない。退治するのだ」 「それでも、嫌だ!」 「妾も、晴珠の様に人に危害を加えるのだぞ?」 「そんなこと、朱援はしない」 「どこにそうやって言い切る自信がある」 「俺は朱援を信じてる」 「妾は殻蟲だ」 だからどうしたと言うのか。 「それでも、朱援。俺、朱援のことがっ、…」 けれどそれは、細い指に寄って阻まれた。口止めをした朱援は、小さく首を振る。 俯いた顔からは、表情は読めない。 「それ以上、言ってくれるな…。妾のことを想ってくれているなら尚のこと。言わないでくれ」 「しゅえん…っ」 人間と殻蟲が結ばれることなど永遠にない、と、そう言っている様に思えた。 狛は、朱援の消えてしまいたいと言う強い意志の奥に、哀愁を見出だしてしまった。いつもはまっすぐに見つめてくる赤い瞳が揺らいでいる。 泣き出してしまった狛の身体を、朱援は抱き締めた。ふわり、と花の甘い匂いが届く。 「いくら人間でありたいと思ったか。いくら、人間であってあの時死んでいたかったか…」 そう告げる言葉が優しいが故に悲しみを孕んでいる様にさえ思えて。 「妾は、お前にこの命を絶たせて欲しい。もう、愛している人間の死を見るのはつらいのだ…」 「っ、…ぅ、…」 「…さあ。お前が言うべき言葉を」 「朱、援…しゅえんっ…!」 泣きじゃくる狛の頬に、朱援は一度だけ優しくくちづけた。離れてから次に見えたのは、柔らかな笑み。 「さようなら、狛」 最後に与えられたものが最上級の優しさなど、何と言う皮肉だろうか。 狡いと思った。 自らは早々に解放されて。 狛は、これから何年と、この記憶を背負って生きて行くと言うのに。 いや、彼女もきっと、生き過ぎたのだ。解放してやるべきなのだろう。 涙が一筋、新しく頬を伝う。 「…さようなら、朱援っ…」 神木を照らしたのは赤い炎。 少年は、静かに涙を流す。 燃え尽き始める大木の横に、一本の小枝だけがぽつりと落ちていた。 *** 「父ちゃん!」 石垣の向こうを、まだ十にも満たない童が元気に走って行った。目指す先には背の高い男が立っている。 「あそこに、女の人が立ってたんだ」 「女の人かい?」 「そう!真っ白い長い髪がね、すごくきれいなんだっ」 「…そうか」 「父ちゃん?」 「…そうだ。お前、好きな娘とかいるのか?」 「な!な、何だよ、いきなり!」 「ははは。その調子じゃあ、いるな」 「いちゃ悪いかよ!」 「いやあ、何にも。…そうだな」 「?」 「良いかい。守りたいと思った人はね、片時も離さず側についていてやるものさ。そしてそれを守りなさい。お前も男ならね」 「そんなこと、言われなくても分かってるやい!」 「はは、良い子だ。さあ、遊んでおいで」 「うんっ!」 童は、小さな木の横を父の元へと寄って来た時と同じ様に楽しげに走って行く。その際、童は木の向こうにむかって手を振った。 カラン、コロン― 『カゴメ、カゴメ、籠の中の―』 子どもたちの歌声に誘われ、影がまた一つ。 終 [*前へ][次へ#] [戻る] |